第一章 Artemisia
ep1. ひと粒の種の夢
最近、毎日同じ夢を見る。
少女は小さな部屋にいる。これまた小さな窓から空が見える、高い塔の上の部屋だ。
小さな部屋は子供部屋。真っ白で柔らかい毛織の絨毯と淡い花柄の壁。そこに並ぶのは、少女の背丈に合わせた可愛らしい家具と沢山の玩具。
けれど、少女は玩具になんか見向きもしない。絨毯にぺたりと座り込んだ彼女が大切に抱えているのは、ひとつの瓶だった。
少女が両手で持てるくらいの、小さな丸い瓶。その中には星屑のようにきらきらと光る蒼の液とひと粒の小さな種が入っていた。
少女は、未だ芽を出す気配のない種を見て柔らかい微笑みを浮かべた。愛しげに見つめたまま、そっと囁く。
「早く、目を覚まして。大きくなってね、×××××」
窓から入り込んだ風が、少女の長い金髪を揺らす。瓶の中の種は、未だ沈黙を守ったまま。
*
「んー……。朝……?」
そこまで見たところで、少女は窓から零れる日差しに目を覚ました。
ベッドの上、眩しい光に目を擦る彼女の名前はアルテミシア。腰まである長い金の髪とエメラルドグリーンの瞳を持つ、素朴だが愛らしい顔立ちをした少女だ。
暖かいお布団の誘惑を断ち切ってもぞもぞとベッドから這い出たアルテミシアは、窓に近寄ると、シンプルなアイボリーのカーテンと古い木枠のガラス窓を一息に開けた。柔らかな木漏れ日と新鮮な空気に部屋が一気に包み込まれる。
その気持ちよさに目を細めつつ、やっぱり眠たいなあなんて思いながらクローゼットを開ける。今日の服装は真っ白なブラウスにダークブラウンのキュロット。お気に入りのボルドーのケープを羽織ったら長い髪をサイドで三つ編みにし、キュロットと同じ色のベレー帽を被る。編み上げのショートブーツに足を突っ込んだら出来上がりだ。
「今日も頑張ろー!」
鏡の前で気合いを入れて、アルテミシアは階下へと降りていった。
*
アルテミシアが住むのは、エリュシオンと呼ばれる小さな島だ。人口ざっと千人ほど。その全ての住人が、ティルヤ族と呼ばれる魔法を使う種族である
エリュシオンは、大聖堂にいる大魔女の魔法によって管理されているという。島全体をその魔力で包むことで、いつも同じ気温と湿度を保つ。もちろん雨も降らない。植物は枯れることを知らず、花は年中咲き続け、野菜や果実といった作物は毎日きっかり同じ時間に実る。島の外部は魔法防壁に覆われて外に出ることはかなわず、人々は自身の魔法を様々なことに用いて生活している。
このように、全てが魔法によってきっちり管理されているのだが、ひとつだけ例外の場所があった。それが、アルテミシアの家の地下室である。
アルテミシアの家はエリュシオンのはずれの森の中にある。元々祖母と一緒に暮らしていたのだが、アルテミシアが幼い頃に亡くなってしまった。幸い、家と生活するための知恵を遺してくれたので、こうしてひとりでも生活することができている。
家は地下室つきの二階建て。周囲の森に溶け込むような素朴な外観をしているが、アルテミシアひとりが住むには十分広い。その地下の部屋を、彼女は作業場兼研究室にしていた。
1階まで階段で降りた後、地下に続く梯子をそろそろと降りていく。室内を埋めつくす植物を見て、アルテミシアは知らず微笑みを浮かべた。
「良かった。みんな元気そう」
彼女の言うとおり、植物は室内にも関わらず青々と葉を茂らせ、幾つもの花を咲かせていた。
真っ赤なヒナゲシが揺れる通り道を小走りに駆ける。エニシダやライラックもその花房を綻ばせ、彼女の頭上で咲き誇る。
アルテミシアは、部屋の片隅に置いている水差しを手に取った。
「【水】」
呪文を唱えると、チャプンと音を立てて水差しに水が現れる。簡単な生活魔法だ。
エリュシオンの植物に水は必要ない。彼らは魔法で生かされているからだ。しかし、この場所の植物は違う。毎日水を与えないと生きることができない。
地下室の植物と他の違いはそれだけではない。彼らはアルテミシアが種から育てた植物だ。芽を出し、葉をつけ、ゆっくりと生長した末に花を咲かせ、そうして種を残して枯れていく、そんな自然のサイクルの中で生きている。
エリュシオンの人々は植物が常に花を咲かせ、ものによっては定期的に実をつけることを不思議にも思わない。彼らにとって、それは生まれてからずっと当たり前のことだったから。
しかし、アルテミシアはそれがおかしいことを知っている。植物は種から芽を出して枯れていくことを当たり前と信じ、こうしてこの地下室を作ったのだ。
地下室は大魔女の魔力を防ぎ、アルテミシアの魔法で擬似的な太陽と簡単な温度変化を管理している。
今でこそこうしてきちんと植物が育っているが、最初は何度も失敗した。温度を変える必要があるなんて知らなかったし、受粉しないと種ができないことにも驚いた。
きっと、まだまだ知らないことがあるのだろう。アルテミシアは植物に水をあげながらそう思った。
(もっと沢山の植物があった気がするし……。やっぱり、何かが足りないような……)
首を傾げるが、曖昧な違和感だけでは何も分からなかった。
前述の通り、アルテミシアはエリュシオンの植物に漠然とした違和感を覚えていた。自分の記憶とは違う。何かがおかしいと思わずにはいられなかった。
その感覚には、もしかしたら毎日見る夢も関係しているのかもしれない。小さな部屋で瓶を抱える夢。その瓶の中には、確かにエリュシオンでは滅多に見られない「植物の種」が入っていたのだから。
(あの夢が、何を表しているのかはよく分からないけれど……)
ただ何となく、「悪い夢ではなさそうだな」と思うくらい。きちんと知りたい気もするけれど、現状それくらいしか分からないのが精一杯だ。
ひとり植物の世話をしながら、答えの出ない疑問をぼんやり考える。アルテミシアの朝はこうしていつもどおり過ぎていくのだった。
――そう、毎日が変わりなく過ぎていくと思っていた。
この日までは。
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