ep21. 幸せな夢の国

「エリュシオンが、私の夢……?」

 

 小さな声は戸惑いに震えている。そんなの信じられない。エリュシオンは、確かにあったのだから。

 今でも瞳を閉じれば鮮明に思い出すことができる。緑豊かな森には、祖母が遺してくれた家。優しい街の人々。何一つ変化がないことは変だと思っていた。けれど、それでも、大好きだった大切な故郷。アルテミシアがいるべき場所。それらが全て、幻だったなんて。

 

 (そんなの、絶対に信じない……!)

 

 大司教の不躾な視線から逃れるように、視線を床に落とす。頑なにエリュシオンの存在を信じようとするアルテミシアを、大司教は嘲笑った。追い討ちをかけるように言葉を連ねる。

 

「まだ、信じられませんか? ……ならば、ひとつ昔話をしましょうか」

 

 そう言うと、大司教は背後に控えるティルテリアの手を引いた。相変わらずどんよりと淀んだ目をしたまま、抵抗することなく前に進み出た。

 

「ティルテリア様は天空神と呼ばれていますが、貴女は彼女が何をしたか知っていますか?」

 

 アルテミシアは俯いたまま答えない。大司教は気にすることなく話し続けた。

 

「彼女は全ての始まり。かつてホーラノア全域の空を飛んでいたティルヤ族と森林クジラ、その全ての産みの親なのです」

 

 思わぬ話に、アルテミシアが思わず顔を上げる。瞬間、ティルテリアと目が合った。が、彼女はアルテミシアを見ても何も反応を示さない。大司教はそんな彼女を見て、勝ち誇るような笑みを浮かべる。

 

「しかし、ティルテリア様がしたことは罪深きこと。だから、私どもがティルヤ族と森林クジラを捕まえたのです。より魔法の研究を進めるために」

 

 良いことをしたと誇るような言い方だが、アルテミシアは気づいてしまう。ティルヤ族と森林クジラを「捕まえた」という表現。魔法の「研究」という言葉から考えられること。先程扉から覗き見た光景を、否応なしに思い出してしまう。

 

「そのティルヤ族と、クジラは……?」

 

 恐る恐る呟いたアルテミシアを見て、大司教の口元が愉悦に歪む。彼は勿体ぶるように言った。

 

「勿論、研究材料として有効に活用させてもらいましたよ? ……まあ、弄り過ぎてとっくに全部壊れてしまいましたけどね!」

「……!?」

 

 高らかな笑い混じりの言葉に、アルテミシアの全身が総毛立つ。青ざめる彼女を、大司教は不思議そうに見つめた。

 

「何をそんなに怖がっているのですか? 、それよりちょっとだけ早く死んでしまっただけでしょう?」

「一年……?!」

 

 全く知らなかった事実に、アルテミシアは仰天する。対する大司教は、彼女の反応を見て意外そうに片眉を上げた。

 

「おや、知りませんでしたか。しかし、貴女も見たでしょう? 己の身体を突き破って伸びる、蕾をつけた植物の茎を」

 

 大司教の言葉に応えるように、壁を埋め尽くす鏡がきらりと光る。未だ透明を保つ黒曜石には、今もアルテミシアの背から長く伸びたニガヨモギの茎が映っている。

 

「植物が魔力を受けてティルヤ族になれるのは、ほんの一年の間だけなのだそうです。植物は魔力の恩恵を受け、気温による影響を受けず、栄養摂取もすることなく偽りの身体の中ですくすくと育っていく……」

 

 ついに花開くことができるまで育った植物は、ティルヤ族の身体を食い破って花を咲かせる。その後、身体に残された魔力を全て吸い尽くして種を残し、枯れ落ちてしまう。その周期が一年。どんな植物で作られたティルヤ族も、寿命はたった一年だけなのだ。

 確かにアルテミシアも、背中を食い破って茎が伸びた時急速に力が抜けるのを感じた。あれはきっと、ニガヨモギが最後の仕上げに花を咲かせようと彼女の身体にある魔力を吸い上げたのだ。

 だが、今は魔力が吸い上げられるのを感じない。伸びた茎は蕾をつけたというのに、全く花が咲く気配がないのだ。

 アルテミシアがそのことに疑問を覚えたのを、大司教も気づいたのだろう。彼は少しティルテリアの方を見、何か含みのある笑みを浮かべた。

 

「貴女は、『人形の姫』ですから特別なのです。今から、そのことも教えてあげましょう」

 

 そして、大司教はアルテミシアがエリュシオンの夢を見ることになった経緯を語り始める。それは、このような話だった。

 

                   *

 

 今から十年前、ずっと隠れていたティルテリアが大司教達の元に現れた。彼女は両手にひとりのティルヤ族の少女を抱えていた。その少女が、アルテミシアだったのだ。

 その頃、大司教達はセルティノやティル・ノグの庇護のもと、捕まえたティルヤ族を使って研究を繰り返していた。アティリアや銀ティルヤの開発が丁度軌道に乗り始めていた時期だったが、同時に研究材料の不足が問題視されていた。そこに現れたのが、天空塔の方針に反対し幾人かのティルヤ族を匿っていたホーラノア最強の魔女。願ってもいない人物の登場に大司教達は歓喜した。

 彼らはティルテリアを捕らえ、アルテミシアの研究を行った。その結果、彼女が通常のティルヤ族よりも遥かに多くの魔力を持ち、外気中の瘴気化した魔力を無毒化することにも抜きん出て優れていることが判明したのだ。

 薬を打たれて眠っているアルテミシアの前、居並んだ大司教と研究者達は驚きに目を見交わした。

 

 『なんということだ……。今までのティルヤ族とは全く違うではないか』

 『研究にはもってこいのサンプルだ。しかし、これまで通り消費するのでは何とも惜しいことよ』

 

 これまで通り使うことに逡巡していた大司教達に進言したのは、一人の神官姿の男だった。

 

 『恐れながら、大司教様。これを「偽りの女神の夢」の動力として使ったらどうでしょうか?』

 『「偽りの女神の夢」……完成していたのか!』

 

「偽りの女神の夢」というのは、最高の魔力回路を目指して開発されていたアティリアの通称だ。内部に魔力源の劣化防止と外気からの魔力供給機構を備えているため、アーキアでもティルヤ族でも銀ティルヤでも半永久的に使うことができる……というのが理想だったが、劣化防止自体に莫大な魔力を使うため、並の魔力源ではもたない欠陥品のはず。

 訝しげに眉を顰める大司教達に、例の若い神官が淡々と続けた。

 

 『劣化防止に必要な魔力量を減らせるように、改善を繰り返しております。今回のものは、捕らえた魔女の力を使わせているので今まででも最高のものかと。代わりに、発動も魔女にさせる必要がありますが。概算でもこれを使えば、研究だけでなく常時天空塔を浮上をさせられるだけの魔力を得られることは確実です』

 

「常時天空塔を浮上させる」。この言葉に、大司教達は色めきだった。この頃天空塔は既に完成させていたが、多くの銀ティルヤを使い潰して浮く代物だったため非常に使い勝手が悪く、たまにパフォーマンスとして浮かばせる程度だったのだ。

 

 『天空塔が完全な飛行能力を得られたら、もっと我々の信仰を広げることができるでしょうな』

 『先日アスティリエが我々に賛同し、ウィステリアも陥落した。今こそ、ホーラノア全域を支配する時であろう』

 

 歓喜に震える大司教達に対し、神官も僅かな喜びと安堵を隠した声で「偽りの女神の夢」が安置されている部屋に案内すると言った。

 

 『魔女……いえ、最早天空神ティルテリア様と呼ぶべきでしょう。彼女もそこでお待ちですよ』

 

 そう囁き、先導しようとする。くるりと身体を反転させた彼のフードから零れたひと房の髪は、蒼穹の輝きに似た蒼色だった。

 

                   *

 

「その『偽りの女神の夢』が、これですよ」

 

 一通り話し終えた大司教は、笑顔で不気味な光を放つガラス容器を撫でた。

 

「『偽りの女神の夢』という名称は、魔力源となる者に幸せな夢を見せることからそう名付けられたそうです。女神も舞い降りそうな美しい国。術者の状態を暗示するかのような常春の世界。それは誰が術者になっても同じですが、魔力の効果で夢が構築されるので詳細は人によって違うのだそうです。いったい貴女は、どんな夢を見ていたのでしょうね?」

 

 熱っぽい視線を向けられても、アルテミシアはまともな反応を返さない。彼女は俯いてはいたが、その目は大きく見開かれ、その端はぴくぴくと震えていた。

 人が神の如き力を得るために作った魔力炉。術者の魔力を喰らう代わりに、術者に幸せな夢を見せる歪な鳥籠。それが「偽りの女神の夢」の……エリュシオンの、真の姿。鏡の魔法と大司教の話によって数々の偽りのヴェールを剥がされたアルテミシアは、あることを急速に思い出していた。

 

 ――それは、自分の中にあった記憶の中でも「始まりの記憶」。

 

 多くの人物に利用され、様々な魔力に触れたことで、。が今、彼女本来の記憶が蘇ろうとしていた。

 鏡に映る世界が歪む。走馬灯のように駆け巡る映像は、小石の塔、抱えた小瓶にちらりと見える長い金髪、悲しそうな瞳の少女、白く眩しい光と鈍く輝く鋭い刃……。

 どんどん青ざめるアルテミシアに大司教は気づかない。或いは、気づいていてその表情に愉悦を感じているのか。琥珀の瞳を爛々と輝かせ、実に楽しそうに言葉を続ける。

 

「貴女は実に見事に『偽りの女神の夢』の動力を果たしてくれました。研究は益々捗り、天空塔がホーラノア上空に現われるたびに我々の信者は増えました」

 

 空を飛ぶ魔法の塔に人々は畏怖し、天空教に否定的だった人々も次々と信仰を宣言するようになった。国が天空塔に反対する態度を取れば信者が大規模なデモを起こした。そして遂に、大司教達の意図した通り、ホーラノア全体を支配するのに至ったのだ。

 以上の歴史を自慢げに語った大司教は、直後深々と溜息をついた。

 

「……と、ここまでは良かったんですけどねえ。一つ大きな誤算が起きまして、『偽りの女神の夢』の核たる貴女が逃げてしまったのです」

 

 芝居がかった仕草で肩を落とす大司教。

 

「大方、ティルヤ族の中でも特殊な立場にいる貴女のため、仲間が掛けていた魔法が発現したのでしょう。いつの間にか貴女の姿は忽然と消え、貯めていた僅かな魔力を使うしか天空塔を飛ばす方法はなくなりました」

 

 その口調はいかにも困ったという様子だったが、目元は笑みを絶やさず堂々とした態度を崩さない。

 そう、彼らは全く困ってなどいなかったのだ。

 

「しかし、我々は心配していなかった。貴女がここに帰ってくるのを確信していました。――何故なら、そのように貴女に魔法を掛けていたからです」

「……?!」

 

 アルテミシアの肩がびくりと動く。言葉の意味を理解した彼女の瞳が急速に光を失うのを見て、大司教は心の底に深い満足を感じた。

 長い長い、一連の昔話。それを大司教が語ったのは、彼の嗜好に拠るところが大きい。

 具体的には、アルテミシアの心を折るため。

 

 

「実際に魔法をかけたのはティルテリア様なんですけどね」などという言葉が、アルテミシアに届いたかは定かではない。届いたところで、どうやって彼女の心を動かしたことだろう? ずっと彼女の旅を支え続けた「故郷に帰りたい」という願いすら偽りのものと知り、アルテミシアの心は完全に凍りついていた。

 ぴくりとも動かなくなった彼女に、音もなく近づく人影があった。今まで大司教の傍にじっと佇んでいたティルテリアが、アルテミシアを掬い上げるように手を差し伸べたのだ。

 女神と呼ばれる女性は無表情のまま、その手は慰めのものではない。しかし、アルテミシアにとっての救いではあっただろう。ずっと望んでいた故郷へ、夢とはいえ再び帰ることができるのだから……。

 だが、無抵抗の彼女が「偽りの女神の夢」に入れられた時、突然天空塔全体に轟音が響いた。

 

「何事だ?!」

 

 大司教が、今度こそ本気で慌てる。部屋全体が傾き、未だ透明度を保っていた「鏡」が幾つか割れた時、勢いよく扉が開き、ひとりの神官が息を乱して室内に駆け込んできた。

 

「報告します! 天空塔の飛行制御装置に原因不明の異常! アティリアが全く動かず、全ての機関が停止しました! 塔が……堕ちます!!」

「何?!」


 今まで堂々としていた大司教の声が驚愕で震える。とても信じられないといった表情で駆けつけた神官を見るが、切羽詰まった彼の様子やズズッと嫌な音を立てる塔は報告が真実であることを示している。「偽りの女神の夢」にしがみつき、大司教は大声で指示を飛ばした。


「どうにか浮かばせ……いや、その前に天空塔をここから移動させなさい!」


 常にない荒々しい声に、神官は泡を食ったように駆け出した。

 大司教が大急ぎで天空塔の移動を命じたのには理由があった。ここは、セルティノの重鎮が集まる中央局と一番大きな工場の真上なのだ。視察のためにここに停泊していたのだが、それが仇になった。もし堕ちてしまえば、どれほどの損害になるか計り知れない。

 緊急の指示も虚しく、天空塔が移動する様子は全く無かった。急速に塔が高度を落とすのが部屋からも伝わり、大司教が唇を噛む。


(何故だ。どうしてこうなった! 我々の計画は完璧だったはずだ!)


 その時、壁に向かって何か大きなものがぶつかる音が響いた。そのたびに天空塔全体が大きく揺らぐ。繰り返し響く音に大司教が視線を向けた時、数枚の鏡が同時に割れ、壊された壁の向こうから大きなクジラの顔が現れた。


「ミーシャ!!」


 天空塔の落下を見て、アルバートがアルテミシアを助けるために塔を破壊したのだ。

 彼はアルテミシアが「偽りの女神の夢」に入れられているのを見つけると、迷うことなくそこに突っ込んだ。ガラス容器は甲高い音を立てて砕け散り、衝撃で大司教が吹っ飛んで豪奢な被り物の下のハゲ頭が現わになる。

 生気のない顔をしたアルテミシアを背に乗せると、アルバートは天空塔の外に飛び出した。塔から――大司教の元から少しでも離れるため。

 冷たい夜風が、魔物の笛のように不気味な音を立てる。破壊の轟音と幾多の悲鳴が闇の中に響き渡った。


 ――夜は、まだ終わらない。

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