いざ、王城へ
朝、この世界の一般的な出勤時間が少し過ぎた頃合いに自室で立襟がポイントの真新しいシャツに手を通す。そこまで寒くはないので羽織るのは黒に近い紺のカーディガンのみ。カトリーナにしっかり直して貰った幸運のホックが付いた黒いパンツに同色のエナメルのパンプスを履けば支度は整った。
ヒール独特の軽い音を立てながら自室を出、そのまま階段に足を踏み出し昨日と同じ様に眼下の玄関ホールに目をやれば既にマチルダとバーバラが待っていた。
お待たせと詫びを込めて声をかけ二人の服装を見る。バーバラは討伐時に着る真っ黒な仕事服、マチルダも顎下まである立襟の黒シャツとベストという仕事用に近い恰好だが少しだけラフだ。前日に頼んでいた通り、二人とも黒を基調とした色合いで纏めてくれた。
一目で仲間であるという牽制の意味合いが強いがこの恰好のまま二人を引き連れば、さながら私に付き従う様な印象を受けるはず。それが狙いでもある。
私が把握しているこの世界の言霊師の数は自分を含め、三人しかいない。漏れはあるかもしれないが独自情報源によればほぼ間違いない数だ。こんな私でも貴重な言霊師なので何か弱みを握ろうとしたり、好条件を出そうとも思わせないハッタリも必要。
心底嫌だがそのハッタリの為に一目で魔術師だと分かるようマチルダに例の正装であるフード付きマントを着てくれるようにも頼んだ。本当、ヤダ。このマントとはもう二度と一緒に歩きたくなかったのに。チクショウ。
腕にかけていたマントを羽織って口元以外隠れたマチルダを眺め、自然と込み上げる諦めが滲んだ深い溜息を溢せばバーバラが労わる様に背中をそっと撫でた。分かってくれるかい、バーバラ。
そのまま玄関扉に足を進めようとすればマチルダに腕を掴まれ「ここで対策していくんだ」と引き止められる。定番の二つと指定された対策用の言霊を二人に施す。
「《状態異常無効化》《鉄壁》《転移無効》《即死無効》」
後半二つがマチルダから指定された言霊だがガチ過ぎやしないかと感じつつ、また森の中に放り出される恐怖を思い出し納得する。
それに言っては何だが私の言霊は強力だ。それゆえに制限が厳しい。もうめっちゃ厳しい。
一番痛い制限は、私は自分自身に言霊を付与する事が出来ない。
逃げ道として言霊の効果範囲を広げ誰かに付与して言霊の効果を得る事は出来るが一対一では先手が取れなければ私の負け。それにこの一番大きいデメリットを知られるのは非常にマズイ。だからマチルダの指摘は尤もなんだがここまで厳戒態勢を取られると、え、私殺されるの? って気持ちになってくる。ただの面会、それを信じたい。
いつの間にかリビングから顔を覗かせていたキャサリンと目が合った。
言霊を施したのを見ていた筈なのにどこか不安気な表情は晴れない。キャサリンの心配を吹き飛ばしたくて明るく笑顔でいってきますと告げれば私の思いとは裏腹にキャサリンの表情は悲壮に歪み、瞳は痛みに耐える様に潤みだした。か細く濡れた声がつっかえつっかえに「いってらっしゃい」と紡ぐだけで精一杯だったのか顔を覆ってしまった。キャサリンの後ろに居たカトリーナが背中を撫でて慰め始める始末だ。
だから待って。なんで私が出征するみたいになってるの。ただの面会でしょ!?
私まで不安に駆られ後ろに控える黒ずくめ二人に安心を得たく振り返ればバーバラは覚悟を決めた様な顔で、マチルダは固く口元を締めたまま、二人同時に頷いた。待って?
嘘だろ、と小さく驚愕を溢せばキャサリンの後ろからアンジェリカの声が私の不安を一瞬で吹き飛ばす。
「アンタ達、遊んでないでさっさと用事片付けてきなさいよ」
リビングから顔を出したアンジェリカの呆れを隠さない片目は馬鹿じゃないの? と語っていて、そのいつも通りな態度に安堵できた。
アンジェリカの尤もな言葉にマチルダは両肩を竦めながらも愉し気にからかいの含んだ笑いを溢し、バーバラは「すみません、つい」と喉で笑いながら詫びる様に私の頭を撫でる。もうっ、許しちゃうんだからね! あ、バーバラだけだから。お前は違うぞマチルダ。
気を取り直して玄関に足を進めるが未だ後ろから笑いを溢すマチルダに半目で恨みがましく睨む。が、全く気にも留めないマチルダは珍しく私の頭に手を伸ばす。
意識した訳でもないのにマチルダの手が触れる瞬間、身体が小さく跳ねた。そんな私の様子に一瞬だけマチルダは手を止めるが、すぐに気にしていないと言わんばかりに私の頭に置いた手で髪を掻き混ぜる。私も私でその事には触れず折角セットした髪が無駄になったことに文句を言う。
そのままいつものようにふざけ合いながら玄関の扉を出れば、後ろからキャサリンの嗚咽に濡れた声で「無事帰っでぎでね゛え゛」と聞こえ、マチルダとバーバラが小さく噴き出したがキャサリンごと敢えて無視をした。
だから、私は面会に行くだけだってば! 縁起でもない!!
ホームから出てしまえば特に問題もなく王城に着いた。
道中、迷い人と分かる恰好のせいで注目されようと、後ろに神聖術師と魔術師を従えているという事実にめちゃくちゃ視線を集めようと。ええ、特に、問題は、ない。ないったらない。悔やむなら王城まで離れて歩いてって伝え忘れたことかな。
それに王城といっても東街からも行ける。東街と北街が隣接する門にショートカット受付があるからだ。まあショートカットといっても王城のずっと手前になる総合受付まで簡単に行けるだけだが。ここら辺がお役所っぽく、変に異世界のシステム取り入れた感がすごい。
門受付を通り総合受付のある場までの道は苦行だった。王城を見に来た観光客の視線を一身に集め、心中でいっそ殺せと念じながらやっと目的の場に着き、総合受付案内員に声をかける。
「召集により望まれた面会を果す為、馳せ参じました」
先に名を告げてから完全な余所行き様の口調と声音で至って真面目に要件を告げれば、後ろからまた小さく噴き出す音がした。二つも。バーバラ、貴様もか!
案内員さんが慌ただしく取り次ぎに奔走している間、特殊な案件と言える筈なのに何故こうも緊張感が続かないんだろうと物思いに耽る。玄関では凄い悲壮感漂ってたのに。でもキャサリンは心配しすぎ。やっぱり昨日の事を知らせてしまったのが拙かったか。
結局あの後、心配性を拗らせたキャサリンがシンクロ率90%で服屋まで一緒に付いてきた。その密着具合はどこからどうみてもラブラブカップルです、ありがとうございます! 本望です!! キャサリン可愛い過ぎかよ、嫁にしたい。
空気中の見えない粒子を眺めるような虚ろな目をしていれば戸惑いがちに「お待たせしました。ご案内致します」と案内員が声をかけてくると、その後ろに控える上等な文官服を着た男を手で示した。
関係者以外お断りと分かる侵入を防ぐ警備兵が守る道の先を一言も発しない文官によって促される。
天然の石で造られた床独特の靴が奏でる音が天井の高さも相まって反響し、響き渡る。清浄な朝の空気で満たされた立派な作りの西洋建築なのにその音がどこか無機質さを感じさせた。
無言のまましばらく歩けば作りが少し変わってくる。長く続く廊下の片側には小さな受付カウンターとその上にぶら下がる板には『魔術師総合課』。
見渡せる室内に数多くの机と椅子。机の上には仕事だろう書類の山。なんだろう、完全に市役所やオフィスでも見ている気分になる。ここにファンタジーという物は一切存在しない。
尚、取り次ぎの間に付け忘れていた翻訳の言霊をバーバラにこっそり付けたので現在の私は識字率100%である。
そのまま『魔術師一課』に続き二課三課等と魔術師関連が終わると今度は『騎士課』のターンになった。魔術師課に比べると規模が小さいのか課の数は多いがスペースがこじんまりとしていた。やっぱり魔術師の国だからかと内心納得しつつ生温い目で眺めていれば、ようやく長い廊下が突き当りになり曲がる。
その瞬間、空気が変わった。荒々しいような主張が激しく落ち着かない、攻撃性さえ感じられる。そんな空気に顰めそうになる顔をなんとか無表情に努め、原因である課のぶら下がっている板を視線だけで確認する。
『迷い人課』
あっ(察し)
この言葉しか出てこなかった。迷い人課の目の前を通っている間、複数から痛いほどの視線を感じる。私の聞き取れない言語が小声で言葉を発するのが嫌でも耳に入る。
その私に向けられた二つはとても友好的とは言い難く、良く言って値踏みするような視線と聞こえた声音はねったりと嘲りの色が濃い、そんな質の良くないもの。
絶対に顔を向けるもんか。向けたって碌な事にならない。不快な思いをするだけだ。そう思い、歩む足に力を入れれば後ろにいたマチルダとバーバラが私に寄るように少し前に出た。
マチルダの方に目を遣れば嫌でも迷い人課が視界に入ってしまうので敢えてバーバラに目を向ければ囁く様な小ささで「気になさらないで下さいね」と労わりの色が乗った言葉を贈ってくれた。
所詮、言葉が通じないのは言語が違う迷い人同士のみ。マチルダとバーバラは迷い人課にいる迷い人の言葉を正確に理解出来ている。やっぱり碌な事を言われてないみたいだな。
全ての白人がそうと思っている訳ではない。が、やはり彼らからしたらまだアジア人は序列が低いのかこの世界に居る白人種迷い人からは差別対象にされている。ので、とても当たりが強い。
勿論、とても友好的な人達もいる。三人の言霊師の内、一人はドイツ人とイタリア人、アメリカ人とパーティを組んで世界各国を飛び回っている。紹介されたことがあるがとても気持ちの良い陽気な人達だった。ドイツ人以外は。すごい真面目だった。
長く感じた迷い人課の前を無事通り過ぎ、廊下に無数にドアがある一画に着く。その内の一つの扉の前で文官は足を止め「こちらです」と初めて声を発した。
いよいよ、問題のかわい子ちゃんとの対面だ。
横に並んだバーバラを仰ぎ見ればいつもの微笑を返され、マチルダのフードを窺う様にして瞳を見れば愉し気な色の紫がウィンクしてきた。うわ、マーティンでも女子力が溢れてる。
二人のいつもと変わらない様子に心を落ち着かせて、目の前にあるドアノブに手を伸ばした。
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