心からの謝罪を貴方に


 マチルダの予期せぬ爆笑で呆気に取られ、何となくお互い白けてしまったせいかアンジェリカとのプライバシー侵害の問題はまた今度再戦することにした。まあ勝とうが負けようが、いずれにせよ男漁りを止める気は無いけど。


「それにしても」

 

 意味が分からん。そう呟くと珈琲に口を付けながら、勝手に一人爆笑したマチルダに目を向ける。

 今のマチルダはダイニングテーブルに片肘を付き俯いた口元を掌で覆っていて、激しい笑いは落ち着いたものの未だ笑いのツボから抜け出せないのか、笑いを堪えて身体はまだ小刻みに震えていた。笑い過ぎだろ。


 魔術師の笑いのツボがちょっと気になって、少し前のマチルダとの会話を思い返しながらしばし思案する。


 やっぱ童貞卒業発言がトリガーだよね?

 卒業もなにも起ちませんってツボったとか?


「そりゃ最初から知らなければ欲情しようがないんじゃ?」


 考えをつい軽率に漏らすとマチルダの耳にも入ったのか、また大きな笑いを吹き出した。ツボを刺激したらしい。


「マチルダまだ錯乱状態なんじゃない?」


 若干引き気味にマチルダのぶり返した爆笑具合を眺めながら訝しげに言えば、バーバラは微笑を悲しみに染め緩く首を横に振り「残念ですが至って正常です」と答えた。マジかよ。


「なら何でいつものマチルダに戻らないの?」

 

 バーバラの碧色の瞳を真っ直ぐに見て、ずっと気になっていた疑問を口にする。問われたバーバラは困った様に眉を下げ、アンジェリカに視線を投げた。バーバラに伴いそのまま私もアンジェリカを見遣ると、アンジェリカと合わさった筈の視線は何処を見るでもなくスッと外された。


 あれれ? たらい回しの気配がするのは気のせいかな?

 そうはさせるかと持てる眼力を駆使してアンジェリカを見つめ続ける。

 なぜバーバラにしないかって? 勝てるはずないじゃないかっ、だってバーバラだよ!?


 私が見つめながら上半身を左右に振り無視するんじゃねえと訴えると、流石のアンジェリカもウザったく感じたのか盛大に舌打ちを鳴らし、組んでいたすらりと長い脚を片方だけ勢いよく動かし大きな音を立ててマチルダの座っている椅子を蹴った。


 今日のアンジェリカのぷんぷん具合は心中お察し致しますが、怖いのでバーバラさん苦言を呈して下さい。だが期待虚しくバーバラは特に何も言わなかった。触らぬなんたらですね、分かります。


 蹴られたマチルダはどうにか笑いを堪えて、薄っすらと涙が浮かぶ目でありながらもアンジェリカに視線をやると、話してやれという様にアンジェリカが顎で私を指す。そのままマチルダの視線が私に向き、目が合った瞬間軽く吹き出された。


 流石に私もうんざりした気持ちになって、それが顔に思いっきり出たのかマチルダが笑い過ぎによる掠れて震える声で「少し、待って、くれ」と途切れながらもなんとか言葉を発した。


 そう言われたなら待つしかなく、キャサリンの膝で大人しくしていればカトリーナが珈琲のおかわりを注ぎ、綺麗になったケーキ皿を片すと今度はテェリーパイが盛られた皿が置かれた。私の大好物2連発に目を輝かせてお礼を言うとすぐに手を付けた。


 私のチョコケーキレシピ同様に、先人の地球出身迷い人がこの世界で確立させたパイ、馴染み深い名で言えばチェリーパイである。名前が微妙に違うのには若干疑問が残るが、美味しいから気にしない事にした。

 サワーチェリーに変わる品種が無かったのか本来の圧倒的爽やかさを感じさせる酸味が弱いが十分美味しい。逆に私はこのくらいの酸味の方が好みかもしれない。



 チェリーにそっくりな独特の香りと味を楽しんでいると、マチルダがのろのろと動き珈琲に口を付けるのが視界に入った。冷めた珈琲を一気に飲み干し、カトリーナにおかわりを頼むと喉がおかしいのか咳払いを数回している。やっとマチルダが再起動し始めたぞ。


 カトリーナからおかわりを受け取ったマチルダは、手に持った熱い珈琲に魔力を集中させるとカップが淡く発光しはじめる。途端に熱々と上がっていた湯気が徐々に薄くなり、最後にはカップに汗が出来るほど冷えていた。カップから発していた光が消えるとマチルダは、今度はゆっくりと珈琲を飲む。

 それを見て私はすかさず自分の珈琲をマチルダの前に置き、さあ冷ませと目で訴える。マチルダは私と珈琲を一瞥すると口角の片側だけを含みを持たせながら上げるも、先ほどと同じ様に冷ましてくれた。魔術師って便利だなあとキンキンになったアイスコーヒーに感動しつつ、じゃあこれもと次は食べかけのテェリーパイを差し出すと、今度はガッチガチに凍らされた。どうやらマチルダの再起動は無事終わったみたいでなによりです。くっそ。

 

 凍ったテェリーパイにガッカリしている私を見てマチルダはくつくつとからかいを含んだ声を漏らすと、アンジェリカが溜息を溢しマチルダに視線で再度話してやれと促す。マチルダはやれやれと緩く首を横に振り、手にしていた珈琲をこつりとテーブルに置くと口を開いた。


「全部錯乱のせいにしたいところだが、半分は違う」


 マチルダは錯乱の影響をはっきりと言い切る。そして逆に私に問う。


「そもそも、ちびちゃんは俺の性別はなんだと思う?」


 こんな場で気安く触れてはいけない話題を気軽に振られる。困惑しながらも「心は女性でしょ?」と返せばマチルダはにっこりと笑顔を浮かべるだけで否定も肯定もしない。


「まず俺の性のあり方について話しておこうか」


 そう言うとマチルダは周りを気にした様子もなく、遠く懐かしい物を思い出すような穏やかな目で語りだした。


 ちびちゃん、俺はね。物心がつく時には性というモノに疑問を持ってたんだ。

 煌びやかで美しい布を男の子が好むのは女々しく、凛々しく機能的な服装を女の子が着るのは慎みが無い。気に入った物が偶々自身の性別と逆なだけで、それで身を飾ってもいいじゃないか。なぜ好みを強制されなくちゃならない。全くもって馬鹿らしいってね。

 まあ俺は好き勝手自由に生きる事が許される立場だったのも相まって、羽目を外し過ぎたのか気が付いたら男であって女でもある、逆に男でも女でもない、なんとも中途半端な性別のあり方になっていたよ。


「だからか、その時の強い感情で性別が偏るんだ」


 ちびちゃんが飛ばされた時点では既に少し男性としての側面が出ていたんだが、いつもならすぐに安定するはずが錯乱にかかったせいで攻撃性に抑えが効かなくてね。

 

「その影響で今は男性の側面が際立ってるって訳さ」


 マチルダのジェンダーのあり方を初めて知る。

 現状の説明に必要だからマチルダは話してくれたのに、心の奥に触れるのを許されたように感じて少し嬉しく思ってしまう。だけどここで線引きを間違えたらいけないと自分を戒めるのは忘れない。


 それに、もう男だろうが女だろうが今更だよなと思い直す。詳しくはないけどこれジェンダーなんちゃらってやつかな?

 マチルダは女性の恰好をしても胸を盛ったりはしないし、気に入れば男性女性の関係なく好きな服を合わせて着ている。改めて考えれば考えるほどなんか本当、今更だったわ。うん。 


「分かった。性別マチルダってことね」

 

 じゃ、そのうち慣れるか。あっけらかんとそう続けて今のマチルダに納得した事を告げれば、マチルダはそれはそれは愉しそうに男性とも女性ともつかない声音で笑った。


 これで重要な話し合いは終わりという様に各々飲み物に口を付け始め、私はいい感じに少し溶けてきたテェリーパイと向き合う。パイを手で持ち上げ、さあ食べるぞと口を大きく開け食いついていると、自分から話題を提供する事がほとんどないバーバラが珍しく口を開き、新しく提案する。


「きちんと話しておく必要があると思うのですが」


 主語を抜かした言葉を、私に目を遣りながら言う。え、まだ私関係でなんかあんの?!

 口の中いっぱいにパイを詰め込んでいるせいで喋れないが、ん゛ん゛? と唸り、意思表示はする。そうするとまた珍しい事が続き、アンジェリカがチョコケーキを弄りながら「別に知らなくてもいいんじゃない?」と歯切れ悪く口を挟む。おい、ちゃんと情報共有しろや。なんで主語なしなのにオネエさん達だけ意思疎通できてんの?! ひどく疎外感を感じるんですが!


「知る必要はないさ、その方が愉しいじゃないか」


 はいマチルダ、アウトー!

 これ絶対知っとかないといかんやつだー!


 アンジェリカも、マチルダも駄目。これは提案者であるバーバラに是が非でも責任を取って説明してもらわないと、そう思い隣に座るバーバラの腕を掴むと話せの意味を込めて揺さぶる。お口は絶賛咀嚼中である。喋れるようになったら覚えてろよ。


 バーバラは困ったように眉を下げ軽く息を吐くと、意を決したように碧の瞳に力を籠め、私と視線を合わせて教えてくれる。 


「ちびさんはよく童貞という言葉を使いますが、その言葉が指すのは愛する人を見つけれない者、愛を知らない者という意味があるんですよ」


 絶句し、極限まで自分の目が開くのが分かった。

 待て待て、ちょっと待って。童貞にそんな意味があったの?

 それじゃ私が前にアンジェリカに言った言葉は『私は愛を知らない者になんぞ興味ない!!』って意味になるの!? それ最悪じゃんよ!


 アンジェリカに申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、ふと、一番気付きたくないことに私は気付いた。

  

 それじゃ、さっき、マチルダに言った、意味は。


 一瞬でベトつく冷たい汗が噴き出す。バーバラから視線を外したくない。なのに存在感を嫌というほど主張する斜め後ろからすごく、すごく愉しそうな空気をひしひしと感じる。

 どうか杞憂ですみますように、そう祈るが現実はいつも残酷だ。


 視界に入らないギリギリの所に何かが近付いたと感じた瞬間、マチルダの男性を意識させるねっとりとした愉し気な低い声がすぐ耳元で響く。


「俺の愛する人になって、ちびちゃんが俺に愛を教えてくれるんだろう?」


 ゾワッと一瞬で全身の肌が粟立つ。その突然の衝撃で口の中のテェリーパイを無理に飲み込んで喉が詰まり、慌てて珈琲で押し流す。


 てか、わざわざテーブルに上半身を乗り出してまで嫌がらせするんじゃねえええ!!!


「いやいやいやいや! それ、マチルダ断ってたじゃん!!」


 喋れるようになった口で、あれは断りの決まり文句だった、だからノーカン! ノーカン! と必死に訴えれば、マチルダは何食わぬ顔でさっきは途中で笑ってすまなかったと一言置き、にたあと心底愉しいと分かる笑顔を浮かべて再び口を開くと先程の断りの言葉を引き継ぎ、まるで申し出を受け入れる様に言葉を変化させる。


「欲情しないのは事実だが、それでも」


 まだ続くマチルダの言葉を最後まで言わせてなるものかと私は邪魔するように遮り、力の限り叫んだ。


 「誠にっ申し訳ありませんでしたああああああ!!!!」


 テーブルに額を勢いよく付けて、全力でごめんなさいする。


 私の大声でいつも間にか座ったまま寝てたキャサリンが「なに?!」と驚いた声を上げて起きた。

 

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