人はそれを地雷と言ふ

 

 キャサリンは最初何を言われたのか理解できなかった。


 国からの不穏な召集におちびが無事帰ってきた来たと安堵したのは一瞬で、どこか元気のない様子の彼女に言いようのない不安と焦りをキャサリンは覚えながらも彼女が自室から降りて来るのを今か今かと待っていた。

 ラフな格好に着替えたおちびが然程時間をかけずにリビングにやって来る。いつもなら疲れた等と軽口を叩くのに今日に限ってそれもなく、逆に真面目な表情をして大人しく自席に座った。


 そして静かに、しっかりと意志が感じられる声で言葉を発した。



「あの子の面倒をみる事にしたの。それと良い機会だし、請負人も引退する事に決めたから」



 それはキャサリンだけではなく、王城での出来事を聞こうとダイニングテーブルで待っていた仲間の誰一人として予測していないおちびの言葉に、キャサリンと同じ気持ちを少なからず感じただろう。その証拠に言葉を発したおちび以外の仲間は一様に驚きを表している。が、その中ですぐさま衝撃から立ち直ったマチルダだけが聞き取れるかどうかの声で「そうくるか」と呟きを漏らした。


 聞き間違いであって欲しい、とキャサリンはその思いで心を一杯に埋め尽くすが、大好きな友人でもあるおちびの口はキャサリンにとって受け入れ難い言葉を紡ぎ続ける。皆の驚愕と動揺に気付いている筈なのに。


「代わりの仕事が見つかり次第引退準備に入るつもりだけど、最長でも二年以内に完全に引退するわ」


 皆の視線が痛いほど突き刺さる中、そう長くもない言葉を言い終えたおちびは異常なほど乾いた咥内に潤いを求めてコフ茶に口をつける。が、普段より味が苦いように感じた。いつものようにカトリーナが淹れ、自分の前に置いてくれた物なのに。


 なら苦いと感じる原因は自分なのだろう。分かり切った自分の心を冷静に落ち着かせ、おちびは味と同じ気持ちを表面に出さないようゆっくりと、それでいてキツく瞳を一度閉じ、心の奥深くに沈める。

 

 ゆっくりと明るく開いていく視界。真っ先に飛び込んできたのはおちびの正面側に座るバーバラの困惑と憤りが含まれる強い視線だった。

 滅多になく雄弁に語る瞳を促すようにおちびが顔を向け視線で促せば、途端に困惑と悲しみの色が強くなる。が、バーバラは振り絞るように彼女の名を呼び、状況を把握し意図を理解しようと疑問を投げかけた。


「どんな仕事を、なさるつもりですか?」 


 バーバラの言葉は予想していたより随分遠回しで、直球に引退と少女の事を聞いてくると考えていたおちびは詰めていた息を静かに吐き出した。肩の力が少し抜けた気もする。


「特にこれ、と決めてはないんだけど言霊師としてではない普通の仕事を探すつもり」

 

 おちびは自分で言いながら、そもそも就ける職があるかが疑問だった。


 異なる世界から来た迷い人、自身の怠慢が原因とはいえ読み書きが出来ない、こちらの世界での就労経験無し、どう考えても真面で好待遇な仕事には就けないだろう。逆に就ける職は限られるはずだ。

 それでも言うはタダとばかりに最低限譲れない条件を口にする。


「出来れば寮がある所がいいかな。無かった場合でもホームは出て、一人で暮ら」

「なんでっ!?」

 

 キャサリンが上げた鋭い声に掻き消される様に、おちびの一人で暮らすつもりだという言葉は最後まで言い切れなかった。


 横から突き刺さる様な視線を浴びながらおちびはとうとう来たかと気を引き締める。が、先程心の奥に沈めた気持ちが浮き出そうとするのを感じた。ズルいなあと困ったように心の中でキャサリンに文句を溢す。

 こちらが必死に押し留めた気持ちをキャサリンはたった一言で押さえる手を弛ませる。


 でもここで流されて甘える訳にはいかない。そう意思を固め、今まで敢えて避けていた左側、キャサリンに向き直る。

 

 向かい合ってキャサリンの顔を見た瞬間、もう白旗を上げそうになった。いや、本音を言えば上げたかった。上げてしまいたかった。

 最も大切な友人が傷付き悲しんでいる。しかもその原因は自分だ。今すぐ発言を撤回して謝罪してしまいたい思いに駆られるが、しない。それはどうしても、出来ない。

 

「それって、おはようもおやすみも、言えなくなるってこと?」


 合わせたキャサリンの瞳が信じたくないと訴えてくる。

 だが慰める言葉を持たないおちびは痛みを伴いながらも悲痛な訴えと視線を受け止める事しかできない。 


「そうだね。でも遅かれ早かれ、そうなるのは避けられない事かな」


 元々おちびは三十路となる二年後を目安に請負人引退を考えていた。

 主な理由は年齢からくる体力低下だ。完全に身体が討伐に付いていかなくなってから新たな仕事を見つけ、一から覚えるには体力も物覚え的にも厳しいだろう、という考えからだ。ただ当初の予定ではリミットの一年前、二九歳で宣言するつもりだったのだが。そこは今回の件で予定が早まった。


「おちびちゃんが言い出さなきゃ、そうなんないもん」


 だがキャサリンはバッサリと切り捨てる。そんな未来など必要ないと言わんばかりに。瞳にも力が戻ってきていた。


「いやいや、伴侶が見つかったり、とかもあるかもしれないよ」

「キャサリンできないもん!」


 言い切る強さに押され、咄嗟に逃げた思考が弾き出した考えを良い事だとばかりにキャサリンを指差しながら言えば、またしても即座に切り捨てられる。

 確かに以前キャサリンは伴侶を得る事は諦めたと言っていたが、ほんの僅かでも可能性だけは捨てないで欲しかったとおちびは少し悲しい気持ちになった。

 

「あー、……なら、私に見つかるかもしれないじゃん?」


 あまりにも勢いよく切り捨てられ続け悪足掻きであると自覚したままに言ってみるが、自分でいいながらそれは無いなとおちび自身思う。そう願う気持ちは勿論あるが、実現することの難しさの前に希望など持てない。非処女に人権などない世知辛い処女厨世界はここです。


 ただキャサリンにしてみれば無意味に続くありもしない、あるかも分からない、もしもな事柄をグダグダと言い募るおちびに苛立ちを感じていた。ハッキリ言うと面白くない。その気持ちを表すように自ずと口調も強くなる。


「じゃあ伴侶と一緒にここで暮らせばいいじゃない!!」


 だが流石にこの発言におちびは黙っていられなかった。


「そこまで!? ねえ、そこまでなの!? 親との同居も渋るのが一般的なのにパーティ仲間と同居とかそんな寛容な男いねえ!」


 キャサリンが自棄になって言っているなら流せたが、合わせたままのキャサリンの瞳は至って真剣だった。あ、これダメなやつ。おちびは冷静に理性的な対応を心がけていた事など忘れ、咄嗟にいつもの様に反応してしまう。


 言外にそんな人物は在りえないし、それは非常識だと伝えてみるが相手はキャサリンである。多分、いやきっと、伝ってないだろう。


 おちびが自分から言い出した話題ではあるがすっかり気勢を殺がれてしまった気がしてならない。流石キャサリン。すっかりペースを持っていかれた。


「キャサリン、全部分かってとは望まないよ」


 溜息と諦め混じりではあるがしっかりとキャサリンの瞳を見つめながら言う。

 先程までのどこか逃げ出したそうなおちびと違い、真剣な目をして言われてキャサリンは一瞬怯む。


「けど、私がそう行動するってだけは分かって」


 引退を、ホームから出ていくことを、その考えを理解して賛同して欲しいとまでは望んでいない。ただ事実として覚えていて、と。

 懇願するようにおちびは言うが、キャサリンもそこは譲れない。


「やだっ!」


 それこそが譲れないのだ。だからすぐさま拒否する。


「……キャサリン」

「絶対やだもん!」


 痛みを堪えて縋るようにキャサリンの名前を呼ぶおちびに、泣きそうになりながらもキャサリンはもっと痛いのだと伝えるように完全な拒絶を返す。




 場が膠着し始める気配を感じて今まで二人を見守るという形をとっているが、キャサリンが話に割り込んで蚊帳の外に追い出されたバーバラが口を出そうか考える。だが考えてみたところで何をどう言えばいいのか分からなかった。少なからずバーバラもおちびの宣言に衝撃を受けていた。


 助けを求める様に意図せず彷徨った視線はマチルダと交わった。それを合図とばかりにマチルダがダイニングテーブルに片肘をつき乗り上げる形でバーバラの方に身を寄せる。丁度アンジェリカの前辺りが限界だったのかそこで止まった。現在静観に徹しているアンジェリカは今回は珍しくマチルダを避けようとはしなかった。

 足りない距離をバーバラが身を寄せ埋めると、それを待っていたかのように声を潜めてマチルダが口を開く。


「悪い事は言わないからやめておけ。女同士の揉め事に男が仲裁に入った所で余計拗れるだけだ」


 姉と妹の喧嘩もそうだったな、と昔経験した出来事を思い出し若干げんなりしながらマチルダが忠告をしてくる。そう言われてもバーバラとアンジェリカはいまいちピンとこないのか微妙な顔をして、納得いかなさそうな様子だ。


 それもそうだろうなとマチルダも微妙な気持ちになった。パーティ設立から携わるマチルダは一番仲間の事を把握していると言っていい。バーバラは一人っ子、アンジェリカは二人兄弟の長男だ。

 女兄弟を知ってるのはパーティの中ではマチルダとカトリーナだけだろう。ついでにキャサリンは三兄弟の末っ子、カトリーナは五人弟妹の長男、マチルダは六人兄弟姉妹の四男。基本的に魔術師は子沢山が普通だ。だから一般家庭の出であるカトリーナの家で子沢山なのは少し珍しい。お国柄なのか両親の仲が良いのか、なお魔術師は両方当てはまった結果の子沢山である。さすが伴侶一発判定の目持ち。魔術師の国。


 そこまで考えてマチルダはおちびの家族構成を把握してない事に気が付いた。まあ聞く楽しみとして取っておくかと一旦そこで思考を終わらし、身体を自席へと戻すと渦中の二人に集中した。





 視線だけ交わす静かな二人の空間を先に破ったのはキャサリンだった。

 別に沈黙を嫌ったとか、お互いに譲る事のない現状に参ったわけでもない。ただ思考することが苦手なキャサリンにとってこの時間は考えを纏めるには十分すぎる程だった。

 そうして浮かんだ一つの純粋な疑問を口にする。


「あのね、キャサリンね、引退も新しいお仕事を見つけるのもいいの。でも、それって離れて暮らさなきゃいけない事なのお?」 


 傍から聞けば絶対に誤解を招く言葉を平然とキャサリンは口にした。

 聞きようによっては転職を機に同棲を止め距離を置こうとしている男に対して縋りつく言葉にも聞こえるが、救いなのはここに誤解する人間がいない事だろう。だが、リンゴ! 一緒に食べられるね! に近いものを感じる気がしたおちびはしかし、きっと気のせいだろうと敢えて思考を放棄した。


「引退した仲間が一緒にいる方が不自然でしょ」


 なにを当たり前な、と脱力した肩と頭をがくりと下げ、おちびは俯いたまま呆れが滲んだ正論を返す。しかし今度はそれについてキャサリンは疑問を投げかけてくる。

 

「どうしてえ?」


 子供の様な短い問い。でもそのたった一声は、なんで仲良しで大好きな友達と一緒にいるのが不自然なんだ、心底理解出来ない、と嫌でも伝えてくる。


 なんで、どうして?


 純粋にそう問われて、どう返せばいいのか。俯いたままの顔をおちびは苦し気に顰めた。


 引退が意味する事はお互い別々の道に進むということ。もう請負人ではなくなる。

 ここは請負を生業にする皆のパーティホームだ。なら請負人でなくなる自分は出ていくのが当たり前じゃないか。それが一般的な考えだ。


 そう返せばいい。いいのだが、キャサリンは心のままに喋り、行動する。単純に好きか嫌いか、その感情が大まかな判断基準になる。だからこそ、普通や当たり前といった一般的なものは通用しない。

 その結果、噛み合わない。ベクトルが違うのだ。キャサリンは感情、おちびは常識で気持ちを語っているのだから当たり前だろう。


 実際そう言葉を返したところでキャサリンなら、引退したら仲間じゃなくなっちゃうとかおかしい、と返してくるだろう事は容易に想像できた。


 なら、どうすれば、とおちびはそこまで思い至ると同時にぴたりと思考を止める。駄目だ、流されてる。そう気付き、自身に言い聞かす。これは自分で決めたことだ、と。キャサリンの感情に引きずられる訳にはいかなかった。


 それこそ何故、考えが引退に至ったのか。

 それをちゃんと話せば、キャサリンもここまで頭ごなしな拒絶をしなかっただろう事はおちびも分かっていた。分かっていたから出来なかった。


 それこそが完全な悪手だ。話せばキャサリンは受け止め、どうすればお互いの気持ちや考えを尊重し合えるラインを見つけられるか一緒に模索するだろう。でもおちびはそれを望んでいなかった。


 だから、受け止め、宥めることはやめる。


「いつまでも私が居たら他に困ってる人が見つかっても仲間にできないじゃない」

「居もしない他の子の話しなんかしないで!!」


 理論的な理由、正論で説明しなくちゃ。それだけを思い、口から言葉を吐き出す。言葉に嘘はないが顔は上げられなかった。キャサリンの瞳を見てなど、とてもじゃないが言えない。きっと、とても傷付いた目をしている筈だから。


「戦力を補う必要性はないかもだけど、もし助けを求めてる人がいれば気兼ねなく手を伸ばしてあげて欲しいな」

「キャサリンはおちびちゃんだから連れて帰ってきたの!」


 瞳を合わせず淡々と自分が居なくなった方がいい理由を述べるおちびに焦れ、とうとうキャサリンは我慢できずに両手を伸ばし、おちびの両肩を掴むと顔を覗き込もうとする。でも、いつも仕事や家事で役に立つ大きな身体が邪魔をして、俯いたおちびの表情は窺えない。


「私が救われたように、きっとその人も救われると思うから」

「おちびちゃん! キャサリンの話しを聞いてっ、おちびちゃ、」


 どんなに反論しても急に聞く耳を持たなくなったおちびに、言いようのない何かが自分の掌から零れる喪失感をずっと感じ続けていたキャサリンは堪らず、彼女の名を叫ぶ。



「ハナちゃん!!」



 話しを聞いてと、そう想いを込めて。おちびの、本当の名をキャサリンは口にした。


 呼ばれた瞬間、おちびの目の前が白く爆ぜた。掴まれている両肩から僅かに感じる痛み、詰めていた自身の呼吸、一気に現実に戻される。名を呼ばれたおちびは俯いていた顔を弾かれた様に上げ、吠えた。


「私はまだ請負人のちびよ!」

「ハナちゃんがキャサリンの話しを聞いてくれないからじゃない!」

「また! その名前で呼ぶのはズルい!」

「ズルいのはハナちゃんの方でしょ!」

「キャサリンッ!!」


 ここ数年、誰にも呼ばれることがなかったおちびの名をキャサリンは連呼する。まるでずっと我慢してきて本日解禁とでも言うように。名前の持ち主であり、呼ばれる身であるおちびからしたらとんでもない事だ。


 おちびである彼女の本名を知るのはここにいる五人だけだ。

 本名を名乗ったのはキャサリンに引きずられて皆に初めて挨拶した時に発した一回のみ。しかし、誰も本名を名乗っていないのだからと親愛を込めてつけられた『ちび』という名をキャサリンから貰った。それから彼女は皆の仲間である『ちび』だ。


 だから彼女にとってその名で呼ばれる時は上級請負人のちびから、何も持ってないただの岩谷花子に戻ったとき。

 まだ、彼女は請負人だ。まだ、ちびだからここに、皆のところに居られる。

 そんな自分の想いを封じようとするが一度爆発した感情は急に収まりそうもない。


「っ、なんて言われようが考えを変えるつもりはないから!!」


 だから逃げる事を選んだ。


 勢いよく立ち上がってキャサリンの手を肩から振り落とす。足早にリビングから出ると苛立ちをぶつける様にドアを乱暴に閉めた。

 荒い足音が階段を上り、ほんの僅かで降りてくる。ドア越しのくぐもった声が「晩御飯いらないから!!」と響くと同時に大きな音を立てた玄関扉がおちびの外に出たことを知らせた。





 大惨事だな。


 マチルダはそう内心で独り言ちる。やれやれと場にそぐわない軽口を言いそうになるのを溜息より軽い息を吐くことで逃し、ダイニングテーブルに座る長い付き合いの仲間達を見渡した。


 キャサリンが顔を覆って泣きはじめると、静まりかえったリビングに盛大に漏れる嗚咽が響き渡る。

 カトリーナは静かに流している涙を拭いもせず、同じ想いを慰めるようキャサリンの背を擦っている。もしかしたら自身が泣いていることには気付いていないのかもしれない。

 バーバラはいつもの考えを読ませない微笑を顔に浮かべるでもなく、周りから見てはっきりと困惑していると分かるほど動揺していた。神に縋るように胸の前で両手を硬く握り締めているのがいい証拠だ。

 他の仲間が各々感情を表す中、逆にアンジェリカの顔は感情が一切感じられない完璧な無表情だった。


 マチルダの視界からでは唯一出ているアンジェリカの片目は見えない。それでも髪の隙間から覗く、いつもは隠されている瞳がアンジェリカの性質と感情を苛烈に表しているのを見て取り、マチルダは自然と上がりそうになる口角を噛みしめる事で逃し、気分と同じ軽い楽し気な動作で椅子から立ち上がるとリビングから出た。


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