二日酔いと朝風呂
窓から差し込む陽の光がまだ弱い中、目覚めた私は世界の破滅を望んだ。
意識が覚醒した瞬間襲い来る頭痛と嘔吐感。途轍もない不快と痛みを伴う起床だった。昨夜の風呂上がり後に二日酔い対策で水を浴びる様に飲んだのに足りなかったらしい。
まだ朝と言える時間、最小限の振動を心掛けひんやりと涼しい自室を出てリビングに向かう。バーバラに縋ろう。その一心で動き益々痛む頭に堪えながら階段を慎重に降り進む。
息も絶え絶えに辿り着いたリビングのドアを開ければお目当ての人物が既に席に着いていた。
マチルダ以外揃っているリビングに一歩入るだけで留まり、挨拶もせずただか細い声でバーバラと声を出しドア枠に凭れる私に名を呼ばれたバーバラは痛ましい者を見る表情で駆け寄ってくる。直ぐに状態異常回復の術をかけてくれた。
清浄な光の風が私を通り過ぎ、先程までの痛みやダルさが嘘のように消えていく。ありがたやあ、ありがたやあ、と拝む勢いでバーバラに礼を述べれば「私も起きた瞬間に神の慈悲に縋りました」と照れの交じる困った顔をした。
バーバラも二日酔いだったか。ケロッとしてたから平気なのかと思った。
楽になった身体で改めて皆に朝の挨拶をする。キャサリンが朝食を勧めてくれたがカトリーナから珈琲もどきだけ受け取り、先に湯浴みをするからと断った。
昨夜マチルダに浴室にブン投げられはしたものの、きちんと湯浴みは済ました。しかし体内に残っている酒が汗や呼吸として出たのかまた酒臭い。
立ったまま珈琲に口を付け、そういやマチルダがまだ起きて来てないなとマチルダの席に目を遣る。私とバーバラもなっているなら私より飲んでいたマチルダも確実に二日酔いだろう。その証拠にいつも朝の鍛錬をしてるはずなのに起きて来てない。
同情の籠った目で席を眺めていればアンジェリカが不愉快そうに鼻で笑うのが聞こえた。あ、今日もプンプン度が高いですね。横に居るカトリーナを見上げれば困った様に微笑まれた。ああこれ、触れたら駄目なやつ。その考えに至りまだ熱い珈琲に水を足して温度を冷まし、一気に飲み干すとそのまま風呂場に向った。
洗面所のドア、というか洗濯槽と洗面所と脱衣所、浴室という水場が一か所に集まった場所なのだがドアから一番近くにあるのが洗面台なのでドアの名称は洗面所とつけている。そのドアを開け、棚で仕切られた右側に足を進めれば脱衣所だ。壁沿いにカウンター台があり香油や何に使うか分からない女子力が高そうな瓶等が好き勝手に置かれていて、反対側の棚はタオルや個人のバスローブ等が入れられいる。銭湯や旅館に少し似たような作りで密かにこの場所が一番のお気に入りだ。なんの抵抗もなく乱雑に服を脱ぎ足元に置かれた籠に入れると、浴室へ繋がるすりガラスの引き戸に手をかけた。
浴室の床一面は黒や藍が混じった石……岩……まあタイルに近い感じでそれが敷き詰められている。黒曜石の浴室と考えればリッチな気分に浸れる。そんな浴室あるか分からんが。それに風呂場なら黒より白の方が好きなので大理石に近い物がないか気にはなる所だ。
入って右の壁に沿う様に低い台が二つ。その台に挟まれるよう中央に床と同じ石で出来た私が体育座りすれば入れる程度な大きさの湯溜槽があり、淵に手桶が二つ置かれている。湯溜槽から出されている水と火の魔力が込められている魔石を手に取り、軽く叩いて空の湯溜槽に放れば、水が溜まっていくと同時に熱されていく。ついでに水はマチルダ、火はアンジェリカの魔力が込められている。というか日本風に言えば我がホームの水道光熱費は全てマチルダとアンジェリカの魔力で賄われている。料理で使うは勿論のことトイレや洗濯、夜間の明かりまでもだ。魔術師って家計に素晴らしく優しい上に超便利だね。体質だけが超絶難点だけど。
すぐに溜まったお湯を手桶で掬い節約のせの字も感じさせない勢いで全身に浴びる。足元を温める様に床にも撒く。どうもこの世界は基本立ったまま湯浴みをするらしく風呂用イスがない。なので床に直座りして洗う私はお尻が冷える。西街に作ってくれそうな工房がないか探しに行きたいが、そう思って二年経ってしまった。
髪を十分に湿らせ、バーバラが昨日買った石鹸をこっそり試そうと左側の台に目を向けるとバーバラの新入荷石鹸の隣に真っ白な石鹸があるのが視界に入る。その石鹸が目に入る度、私は何とも言えない微妙な気持ちになる。
真っ白な石鹸。俗名、白石鹸。正式名称は除毛石鹸という。
私の世界では女性が求めて止まない洗うだけでムダ毛を綺麗さっぱり洗い流してくれる石鹸だ。しかも使えば使うほど抑毛効果がありムダ毛バイバイできる優れもの。
勿論、私もありがたく使わせて貰っている。この二年間での使用で大分ムダ毛バイバイできたのか週に一回も使わない程度になった。全身除毛はナチュラルヘア派文化の日本人として抵抗があるので、そこだけは日本風を貫いている。実際聞いた事はないが皆は全身除毛派だと思われる。だって腕毛もスネ毛も無いんだぜ? それに大雑把なキャサリンがソコだけ避けて身体を洗うとか絶対にしない。これは確信だ。まあ男性は元々むき出しだから毛がある方が邪魔だろう。私は毛とはいえ少しでも防御力が欲しい。なんか怖いじゃん。
そんな白石鹸さんに私はトラウマがある。
あれはまだこの世界にやってきて一週間も経たない頃だった。いつものように湯浴みをしていて、使っていいからねと言ってくれたキャサリンの石鹸に手を伸ばしたその横に真っ白な石鹸。日本では見慣れた、馴染みのあるドノーマルの一般的石鹸。そう、私はまだ日本の常識の方が強かった。
キャサリンの良い匂いのする色付きの高そうな石鹸より、匂いもしない真っ白い石鹸を使った方が金額的負担を軽く出来るんではないか? と考えてしまった。
その当時、私はまだ仕事をしておらず収入が無かった。それに皆も私の能力把握や戦闘への組み込み、装備の準備などで余程の依頼が名指しで来ない限り通常の討伐を停止していた。
だからそう思ってしまっても仕方がないと思う。
結果、私は上半身全ての毛を失った。頭髪も眉毛も睫毛も、だ。腋毛は失ったところで何も惜しくないが。
洗った髪を湯で流した瞬間ズルッと髪全てが滑り下りる感覚は今でも鮮明に思いだせ、ゾッとできる。
悲鳴を上げ、キャサリンの名前を連呼すればすぐさま駆けつけたキャサリンが今度は悲鳴を上げた。主に私の素っ裸に対しての悲鳴だったが。パニックでそんな事なんぞお構いなしに素っ裸のまま私は、両手で顔を覆って「いやあ肌を隠してえ」と訴えるキャサリンにずり落ちた髪を見せながら詰め寄り「髪が髪が」とひたすら呟き続けていた。今思い出すと完全なホラーだ。
そんなトラウマがあるので白石鹸さんをみるといつもしょっぱい気持ちになってしまう。
ボウズ頭というか無毛になって顔を合わせた皆の態度は散々だった。バーバラは肩を震わせながら災難でしたねと言葉だけの労わりを寄越し、カトリーナは見ると笑ってしまうからと完全に私を視界から外した。アンジェリカは世界で一番愚かな者を見るような目で私を睨んでいたし、マチルダはなんだこいつという私を人間か疑う眼差しで眺めていた。いっそ爆笑された方がマシだ。
キャサリンは私のツルツルになった頭をかわいい(はぁと)と連呼しながら撫で続けていた。キャサリンはブレない。さすが安定のキャサリン。一万年と二年前からずっと愛してる。本気で男になろうか悩むところだ。
バーバラの香草が効いた新しい石鹸を使い、独特の癖になる匂いで苦い過去を追いやりお湯と一緒に流す。ここだけの話し、バーバラに使っていいか聞くのを忘れたので無許可だ。でも許してくれるよ、バーバラだもん。多分、きっと。
だが、ふと気付く。ここ二日の間に知っている様で知らなかった事や、知っていて当たり前という認識での誤解が多発したので余計不安になった。
ならばと思い立ち、浴室のすりガラスを開け大声で叫ぶ。
「バーバラアアアァァ、石鹸使ってもいいーーーー?!」
とてもくだらない事を叫んでいる自覚はあるが、たまにはいいじゃないか。ちょっとして重めの足音が近付いて来る。そのまま洗面所のドアが開く音がするが衝立代わりの棚がある為、お互いの姿は確認できない。
「ちびさん、もう使いましたよね?」
バーバラが溜息を一つ溢し、冷静な声音で言い当ててくる。ヤバい、バレてる。匂いか、匂いでバレたのか?
「……使ってもいい?」
「既にお使いになりましたよね?」
しらを切ればバーバラが余計丁寧な言葉使いになった。
「バーバラ、石鹸使わせて頂きました。ありがとうございます!」
「はい、使った感じはどうでしたか? あと使う時は先に言って下さいね」
直ぐに非を認めて礼を言えばバーバラが許してくれた。今度から気を付けるねと言い足し求められた使用感を少し伝えれば、長話しに発展しそうなのでそのまま出ることにした。もう身体は洗い終わり、後は温まるまでお湯を浴びるだけだったし丁度いい。ああ、それにしても湯船が恋しい。
「香油はどうでしたか?」
体を拭きバスローブを纏っていると今度はそうバーバラが聞いてくるが困った。と言うかそもそも。
「あー、使い方が分からなくて」
使ってないと言えばバーバラが「もう大丈夫ですか?」と尋ねてくる。服を着たかという意味だが生憎替えの服は無いのでバスローブのままだ。まあ私は気にしないので「いいよ」と返事をすればこちらを伺う様に顔を出したバーバラが深い溜息を吐きながら私の名を呆れ混じりに呟き、俯いた額を押えた。それカトリーナの十八番。
「それは大丈夫と言いません」
細けえこたぁいいんだよとお小言を無視して香油が置かれている脱衣所のカウンターを指差せばバーバラが諦めてこちらに来た。
使い方を聞けばなんて自由度の高い物なんでしょう。基本顔以外だったらどうとでも使っていいみたいだ。香油と言えばエジプトをイメージするので全身香油マッサージとかいいね。しかもこの香油、かなり純度の高い製法で作られているらしいので匂いや使い心地抜群らしい。お高そうですね。
私にとって一番現実的な使い方は髪に馴染ませる、お湯に混ぜるくらいかな。
熱の入ったバーバラの香油知識に耳を傾けていれば洗面所のドアがまるでホラー映画のように酷くゆっくりと独特の音を響かせながら開く。待ってこの音、一昨日聞いた。
咄嗟にバーバラの後ろに隠れる。そんな私の行動にバーバラは特に何も言わなかったが、ふふっと小さく笑われた。警戒しながら洗面所に続く方を見ていれば、見慣れた鮮やかな紫が現れる。
なんだマチルダか、とホッとしたのは束の間で棚に寄りかかって立つマチルダの表情はとんでもなく不機嫌なのを前面に押し出していた。うわめっちゃ関わりたくない。これ完全に凶悪な二日酔いに支配されてる顔だよ。
同情の目でマチルダをみれば乱雑に散らばる前髪の隙間から二年前を思い出すくらい強烈な感情が籠った瞳と目が合った。あ、これガチでキレてる。
とりあえずまずは友好的に挨拶をしようと、おはようと言おうとして声が出なかった。口は動く。でも言葉が出てこない。マチルダ、てめえ、いきなり沈黙かけるとはどういう了見だ。あ゛あ゛?
「朝から、何だあの大声」
寝起きで掠れた小さな声だが背筋が冷たくなる様な声音で言い、身長差的にはいつもの事なのに今のマチルダは完全に見下す目で私を見おろしている。
私が反論出来ないのをいい事にマチルダはそのまま悪態をつく。只でさえ頭が痛むのに無遠慮に大声を上げたちびのせいで余計痛んだ、吐き気も強くなるし酒の匂いで余計具合が悪くなる、などなど。匂いは私のせいじゃないだろ。それに二日酔いは自己責任です。私に当たんじゃねえ。
隠れる時に咄嗟に掴んでいたバーバラの背中の服を握る手に力が入り皺が寄る。いくら私が悪いからといって沈黙をかけ謝る事もさせずに一方的に責められれば腹が立つ。
それにはバーバラも思う所があったのか私への悪態をつき終わったマチルダがバーバラに異常解除を頼んだがバーバラはそれを断り、私にかけた沈黙の解除が先だと言ってくれた。
「大きい声を出すな、いいな?」
二日酔いからの解放を天秤に掛け、渋々と言った声音で犯罪者みたいな台詞を吐いたマチルダは私が素直に頷いたのを確認して沈黙を解いた。
制限が解かれる感覚を感じとった瞬間、私は小さい声でぽつりと呟く。
「状態異常無効化」
目の前にいるバーバラを対象に言霊を付与し、続けて大きく目を見開いたマチルダに向けて「鉄壁」と対象者を円形に覆い包む防御系を付与して間髪入れずに「反転」と言葉を放つ。
これでマチルダは魔術を使っても自分を覆う鉄壁に全て防がれる。実質、無効化されたようなものだ。
マチルダもそれを理解しているので顔に苦々しい表情を浮かべている。反射を付与しなかった私の優しさに感謝しやがれ。
「言い過ぎですよ、マチルダ」
諭す様に穏やかな声で協力者であるバーバラがマチルダに声をかける。してやられたのが悔しいのか私から視線を外したままマチルダは滅多にしない舌打ちをするとそれを返事代わりにした。
そんなマチルダの態度をみて、大声を出した事を謝ろうと思っていた考えはどっかに行った。
「バーバラ。早速、香油使わせて貰うね」
カウンターに置かれていたバーバラお勧めの香油を手に取り、その瓶を持った手のまま勢いよくバスローブの腰紐を掴んで乱暴に外し、腰紐を床に叩きつけた。その行動にバーバラとマチルダが驚いた顔をする。空いている手でバスローブの前を掴んだまま洗面所のドアの方を指差し、向うに行けと訴えれば意図を理解したバーバラがマチルダの腕を掴むと洗面所の方に一緒に連れていく。ありがとうバーバラ。あとでお礼するからね。
俺が入る番だとマチルダが小さく抗議の声を上げているが知るか。来れるもんなら来てみやがれとバスローブをさっさと脱ぐ。なら一緒に入る? と魔術師的に絶対に了承できないだろう言葉で挑発すればマチルダが黙った。
さっき上がった浴室に向かう為、すりガラスを開けると洗面所からバーバラが「ごゆっくり」と声をかけてくれたので、元気よく「はーい」と返事をすればマチルダの呻いた声が聞こえた。
そうだ、香油を湯溜槽に入れて久々にお湯に浸かろう。足を伸ばせないのがもどかしい上、皆は湯に浸かる文化が無いし湯溜槽も浸かる目的の物ではないので滅多に利用しないけど。使ったあとの掃除が面倒なのもある。
でも今日は目一杯時間をかけて浴室を占領してやる。
勿論、マチルダへの嫌がらせだ。
しばらく酒の匂いに苛まれてろ。
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