閑話 酔っ払い帰宅


 この世界にも馬車と言った乗り物がある。バスの様に定期路線を走る馬車は一般的だが、タクシーの様に座ったまま自宅まで連れて行ってくれる便利な運送事業サービスにまではまだ発展して無かった。従って依頼仲介所まで歩いて来たように当然帰路も徒歩である。いくら上等な酒で良い酔い方をし支えがあれば歩ける位にまで回復したといって徒歩で帰れば酔いが一気に回るもので、上級請負人である三人もまた例外ではなかった。


 バーバラは両手で本日のお目当てであった石鹸や香油が入った自身とマチルダの紙袋を持ち、時折少しふらつくがしっかりとした歩みで綺麗に整備された石畳みの道を進む。

 そんなバーバラの右側には腕を組む様に凭れかかっているおちび。いや既にぶら下がってなんとか歩いているといった体だ。依頼仲介所を出るまでは三人の中で比較的軽度だった酔いが歩いた事で一気に回り既にぐったりとした自立歩行は無理な状態になっている。

 反対の左側にはマチルダがおちびと同じ様にバーバラと腕を組んでいるがこちらは依頼仲介所に居た時と打って変わって上機嫌に鼻歌混じりでふらつきながら歩いている。

 そんな両側から二人に腕を組まれている当のバーバラはというと曇りのない笑顔を浮かべて違う道に行こうとするマチルダを止めつつ、足を動かすのをやめたと思えば眠りの世界に旅立とうとするおちびをもう少しでお家に着きますからねと励ましていた。

 一見まともで酔っ払いの世話を焼いている様に見えるがバーバラの進んでいる道がいつの間にか帰路ではなく仕事で使う東街の大門に向っているあたり、確実に酔っている。 


 マチルダが行こうとしていた道こそが帰路な事にバーバラが気付くのは大門の前に着いてからで、違う道を歩いてるのに気付いていながら敢えて指摘せず成り行きを楽しんでいたマチルダだけが大門を呆然と見上げるバーバラを横目に大笑いした。


 そんな酔っ払い三人でなんとか帰る家であるホームに辿り着いた時には陽の光が赤みを増した時間帯だった。今噂の石鹸屋に行くと朝に出て行ったのに昼食時にも帰らず、予想よりずっと遅い帰宅に心配を募らせていたキャサリンは玄関から響くドアの音と一番心配していた人物の覇気のないただいまあと言う声が聞こえるや否や心配顔でそわそわと落ち着きなく動きまわっていたのが嘘のように表情を明るくさせ「帰ってきたあ!」と弾んだ声を出してリビングから飛び出す。


 どれくらい心配だったかというとお昼に帰ってこなかった辺りから不安を覚え始めたのか昼食を取っていたアンジェリカにおちびちゃんどこに居るの? と聞き、付着させている魔力を探り依頼仲介所に居るとアンジェリカから答えを貰っていたのにもかかわらずアンジェリカが昼食後のお茶に口を付けている時にもう一度同じ質問をした。

 アンジェリカがげんなりとした表情で自室に籠り静かに読書を楽しんでいれば事あるごとにドア向うからおちびの安否確認を頼み、あまりのしつこさに若干キレ気味に「まだ依頼仲介所だっつってんだろ! バーバラとマチルダもいんだから落ち着けよ!!」と素のアンジェリカに怒鳴られるくらいには心配していた。尚、それでもキャサリンが何度も聞きに来るものだから自室で寛ぐ事を諦めたアンジェリカはリビングで読書をしながらキャサリンに名を呼ばれる度、「同じ」と気のない声で要件を言われる前に返事を繰り返す作業に従事していた。もはや後半は魔力確認さえしていない。慣れれば案外本を読み進められるとアンジェリカが新たなスキルを手に入れた休日だったが閑話休題。


 まだ玄関にいる三人にキャサリンが「おかえりなさい」と声をかけながら近寄ると、バーバラの腕に引っ掛かているといった状態にまでなっていたおちびが目に入る。どうしたのかと慌てて両手を伸ばせばバーバラから荷物を渡される様な気軽さで渡された。心配していた目当ての人物が腕の中にすっぽり納まる事で感じた安堵は一瞬だけで、途端にお酒の濃厚な香りが鼻についた。

 堪らずに「やだあ、お酒くさぁい!」と眉間に皺を寄せながら原因であるおちびに文句を言えば「マチルダの奢りだよ、いいでしょー?」と先程響いた覇気のなさを感じさせない穏やかでいて少し自慢げな声で逆にいいだろうと返されてしまった。喋るとより一層酒臭くなり、すごい心配したのにと不貞腐れたい気持ちになったキャサリンだがさっき聞こえたおちびちゃんの声は元気がなかったけど大丈夫みたいで良かったとおちびが聞けば「は? なにそれ可愛すぎかよ。もう嫁に来い」と確実に真顔でプロポーズの言葉を口にするだろう思考をして自分を落ち着かせた。


「あ、キャサリン、キャサリン」


 そんなキャサリンへのプロポーズの機会を一つ失った事に幸か不幸かおちびが気付かぬまま、現在キャサリンに抱き上げられ腕の中にいるという事に何の違和感も覚えぬまま腕の持ち主を暢気に呼ぶ。

 依頼仲介所で確認おさらいしたこの世界の一般常識はどこに入ったのかと是非問い詰めたい状況である。散々対人距離について文句を言っていてのこの零距離。しかしそれも本人に言わせればキャサリンは可愛いからと一般人には理解できない持論を述べるだろう。


 そんなキャサリンは可愛いオブ可愛いと最早末期患者並に手遅れなおちびだが、なあに? とキャサリンが独特の甘さを含む可愛い返事をして丁度リビングに着いた足を止め、改めて顔を見合わせる為に近付いたキャサリンの顔に両手を伸ばし頬を抓る。体脂肪が低いマッチョ故か皮がよく伸びた。あと少し髭が伸びてきていたが、それを指摘するとキャサリンが泣いてしまうかもしれないので沈黙を選んだ。


「キャサリンに、怒ることがあります」


 ええぇ、とキャサリンは困惑した声を上げながらも思い当たる様な事がないかと首を捻る。捻るが一向におちびちゃんを怒らせる事ってしたかなあ? という言葉しか出てこず、怒らせる物事に覚えがなかった。おちび不在時のアンジェリカには多大な迷惑をかけてはいたが。でもキャサリンからすればそれすらも迷惑行為の自覚はないだろう。本日爆上がりしたアンジェリカのプンプン度を考えると恐ろしい。

 それにおちびが指摘しているのは二年も前、彼女がこの世界に迷い込んだ翌日の加入当時だ。その事に思い当たり、あの時のことね! ごめんなさい。と言われる方が怖い。お前は何者だ。最早察するどころの話ではない。それをへべれけに酔っているおちびも分かっているので早々に怒っている原因を口にした。


「あの二人は魔術師なんだけど、シャイで人見知りなの」


 聞き覚えあるよね? とおちびが言い、ほっぺたを抓られたまま伸ばされながらキャサリンはその言葉をゆっくりと咀嚼し記憶を掘り起こす。しかしおちびのその発言により同じリビング内にいる約二名が巻き添えを受けた。


 キッチンで帰ってきた三人用にお茶を用意していたカトリーナが「え、何言ってるの?」と言わんばかりに目を丸くし、言ってる意味をあえて理解したくないという考えが身体にも出たのかキャサリンに視線を向けたままピクリとも動かず静止した。お茶を零してないかという心配は無用だ。カトリーナはそんなヘマはしない。


 残る一人、一番の災難はアンジェリカだろう。長ソファに座り、行儀悪くも足を肘置きに乗せゆったりと寛ぐ体勢でいたアンジェリカは丁度お茶を飲み込むタイミングだったのか盛大に噎せた。正直にいうと、読んでいた本が濡れている。これは確実に噴いているが、魔術師とは総じて繊細でプライドが高いので絶対に触れてはいけない。しかも仲間の中で一番プライドが高いのもアンジェリカである。それにプンプン度急上昇でトレンド入りも目じゃない、そんなアンジェリカである。死にたくなければ目を逸らせ。触れるな、見るな、気付くな。


 アンジェリカは噎せた為に出た咳が落ち着くと濡れた口元を乱雑に袖口で拭う。勿論、誰もそれについて触れない。視線さえ向けない。濡れた袖口と本に魔力を纏わせ乾かし始めた事に気付いているのはマチルダだけだが、やっぱり触れなかった。意外と魔術師は同族意識が強いのでそれのせいかもしれない。いや、ただ触らぬなんとやらだろう。


「よくあんた今まで無事だったわね」


 先程の失態は無かった風に素知らぬ顔でアンジェリカがそう言えばキャサリン以外の皆が心の中で『それな!!』と同意した。その中におちびも勿論含まれている。

 一般常識である異性に気軽に触れない、適切な距離を保とう、という一般的なマナーを真面目に守っていた事が結果的に自分の身を守る事になったと、おちびは自身の誠実さを褒め称えたかった。

 リビングにいる全員がキャサリンに有罪の判決を下している空気の中、異議ありとばかりにキャサリンが抗議と言うには可愛い言い訳をする。


「えぇ~、だってキャサリンもそう言われたんだもん!」


 なぜ自分だけ責められるのかとちょっと怒りながら言えば、おや? と少し引っ掛かりを覚える顔をしたバーバラが「キャサリンに説明をされた方は具体的になんと言ったのですか?」と問う。具体的にと聞くところからしておちびにした説明とキャサリンがされた説明が一致してない事を前提とした言葉なのは致し方ない。真っ当な説明でもキャサリンが次に伝えればその言葉はキャサリンナイズされてしまう。だってキャサリンなんだもの。


「えっとね、魔術師は顔を人前では出せなくって女性に近付けないって」


 キャサリンが言い終えるとリビングが微妙な空気になった。説明っちゃ説明になっている。だが完璧かと言えば違う。言うなれば、大体合ってる。そんな説明だ。そしてその大体合っている説明がどうしてああなった。

 多分キャサリンの脳内では顔を隠す=シャイ。女性に近付けない=人見知り。そんな風に変換されてしまったんだろう。キャサリンナイズって怖い。


 一様にすっぱい顔を浮かべている中、若干のすっぱい顔程度な表情に収まっていたバーバラが続けて「確かキャサリンは北方の国出身でしたよね?」と問えばキャサリンが「そうだよお」と気にした風もなく肯定する。が、おちびは初耳だったらしく「え」と驚いた声を溢した。ついでに現在進行形でいまだキャサリンの腕の中に抱えられている。それについて誰もツッコまないのはいつもの事だからだ。一般常識の乖離はこうやって起こるのだろう。慣れとは恐ろしい。


「この国にいますと魔術師って珍しくもなんともないのですが他国だと全く見かけません。ならそういう認識しかなくても致し方ないかと」


 納得という表情をしたバーバラが「あ、治癒使いは満遍なく居りますので安心して下さいね」と付け足してキャサリンの説明問題を終わらせた。キャサリンナイズされた言葉については一切触れないのはわざとである。

 触れた所でキャサリンの人間性や思考回路の問題になり、結局は言っても無駄という対マチルダへの様な諦めの境地に達するだけだ。正直、慈愛が売りの神聖術師といえども面倒だと思う事はある。その感情がキャサリンとマチルダに特に多く向けられるだけで普段は立派な慈愛に溢れた神聖術師です、誤解無きように。それに今は酔っているのもあってぶっちゃけ面倒、早く湯浴みして寝たいとバーバラが考えているが、いつも微笑を浮かべているおかげか誰にも気付かれていない。


 考えを読ませない微笑のままバーバラは残った懸念を払拭する為、細めている目が完全に落ちそうになるのを気合いで、いや、慈愛で何とか堪えカトリーナに向って口を開く。


「カトリーナは大丈夫ですか?」


 先程の反応できちんとした知識を持っていると考えられたが念の為にキャサリンと同じ前衛で他国出身であるカトリーナはどうだろうかと一応聞いてみれば、静止していた身体をほんの僅か気付かれないギリギリ最小限に跳ねさせ「アンジェリカが教えてくれた」と皆が安堵出来る言葉を返した。よかった、本当に良かった。アンジェリカから説明を受けているなら安心だとリビング全体に安堵の想いが溢れたが、直ぐにキャサリンの抗議の声が上がった。


「えー、キャサリンには誰も教えてくれなかったのにい」


 口を尖らせ少し恨みがましく言うキャサリンの言葉に答えたのは意外な事にマチルダだった。


「すまない。知らないとは思わなかった」


 一応、合ってるっちゃ合ってる知識は持っていたキャサリンと出会った当初に接する態度が魔術師を気遣う対応をされてしまっては見抜ける筈もないのだがマチルダは素直に謝罪した。


 アンジェリカの向かい側の長ソファで肘掛けにダラしなく上体を預けて座っている、そんな誠意が余り感じられない謝罪だろうと謝罪は謝罪だ。気にしたら負けだ。だってマチルダだし。


「今度はキャサリンか。……アンジェリカ、任せた」


 アンジェリカに丸投げしたマチルダは「俺はちびちゃんにして疲れた」とおちびに指を向ける。疲れたと言っているがマチルダもバーバラと同じ様にただ面倒なだけなのは火を見るより明らかで、本格的な魔術師の説明はジョン君がしていたがバーバラは特に口を挟まなかった。真実を知る最後の一人である当のおちびはキャサリンの腕の中で安らかに夢の中に旅立っている。


 指名を受けたアンジェリカが面倒だと鋭い眼差しをマチルダに向けるが、迎え撃つように合わさったマチルダの眼は優雅に弧をかくと自分の袖口を顔まで掲げ口元を拭う仕草をした。仲間全員が見ない振りをした事を敢えて脅しのネタにするマチルダに畏怖の念さえ抱く。

 アンジェリカはマチルダを燃やそうかという純粋な殺意による考えが一瞬浮かぶがなんとか舌打ちだけで済ませた。本当は大規模魔方陣を生成して一瞬で消し炭にしたいところだが、明日から寝る所が無くなる上に仲間から非難の集中砲火を受けるのは間違いない。明日の朝の鍛錬で本気で蹴ろうとアンジェリカは決めた。


 これで一件落着とリビングがいつもの空気になっていく。

 バーバラは買った石鹸をダイニングテーブルに広げ今日使う物を選び始める。

 カトリーナはバーバラの石鹸を一通り検分すると今度は断りを入れてマチルダの石鹸を手に取っていく。

 アンジェリカはどこか凪いだ目をしながら残ったお茶を飲み干し、キャサリンに説明をする為に長ソファからリビングテーブルの自席に移動をする。

 マチルダは変わらず長ソファで寛ぎながら度を越した酒による初めて感じている酩酊感を楽しむ。

 キャサリンは魔術師であるアンジェリカからの説明をわくわくと楽しみにしながらイスに座ろうとしてアンジェリカから腕に抱えている物体を置けと言われる。ならおちびちゃんを部屋で寝かせてくるねと言い、向かおうとしたらマチルダから止められた。酒臭いままベッドに入るのは見過ごせないらしい。

 おちびは渋々といった体のキャサリンによって一人掛けソファに寝かせられても暢気に寝息を立てている。

 暫く経ってから起こされ湯浴みを勧められたおちびがそれを断り自室で寝ようとしてマチルダに浴室にぶん投げられるのはさておき。普段とあまり変わりない、そんな休日の夕方の一時だった。 


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