一つずつ確実に対処する


「少し眠ってなさい」


 そう一方的に告げて魔術で彼女の瞼を強制的に閉じさせる瞬間、瞳には安堵が浮かんでいたのをアンジェリカは見逃さなかった。

 

 何の抵抗もなく眠りを受け入れた彼女の身体が、床に崩れ落ちる前にアンジェリカが背中に腕を回し、支える。

 彼女の身体に力が一切入ってない事からすでに意識は無いのは分かるが、念の為に額に添えた手にもう一度魔力を纏わせ確認する。術はきちんと掛かっていた。


 アンジェリカは呆れと安堵が混じった息をゆっくりと吐きだし、不安気な表情を浮かべて自身の背後に控える長身の男二人に向き合うと、金属の鎧を身に着けている男、キャサリンに腕に抱えた彼女を渡した。


「このままおちびを連れ帰って頂戴。寝かせる場所はリビングの長椅子よ」 


 勝手に着替えさせるんじゃないわよ、と付け加えながらキャサリンとカトリーナの二人に目を合わせながら指示を出す。疲れているだろう彼女、おちびと呼ばれた女性を長椅子に横たわせる事にか、汚れた薄い衣服のままで居させることにか、キャサリンは顔に不満を出す。その両方の可能性が極めて高い。キャサリンが不満を言葉にする前にカトリーナがキャサリンの肩を軽く叩くことで、行動を急かした。

 

 キャサリンは横抱きにしたおちびをしっかりと自分の腕の中に収め、斜め前に位置取りしたカトリーナが護衛よろしく先導し、来た時に開けたままなった扉に歩き出す。

 キャサリン達を目の端で見送り、面倒臭そうに目を細めてさて残りの二人はと意識を向けるアンジェリカは己の予想外の場所から掛けられる声によって出鼻を挫かれた。  


 不機嫌そうに片眉だけ上げて声を発した人物を見やれば、警備隊服を纏った一人の男がとても弱々しく、申し訳ないと心情が伝わってくる声で「そのう」と話し掛けてくる。


「なに?」


 苛立ちが混じりつっけんどんな声音になるのも仕方ない。早々に片付けたい問題が目の前にあるのに邪魔が入る。返答の声色のトゲトゲしさに警備隊員は怯むもなんとか己に課せられた任務を全うする。


「ちび殿の服装証言の確認がまだ取れておらず、後ほどお伺いするかもしれませんので、ご了承下さい」

「はあ? アンタさっきのおちび見てたんでしょ。なら確認終了してんじゃない」

 

 警備隊員の言葉をアンジェリカは馬鹿じゃないのと副音声が付きそうな勢いでバッサリ切り捨てる。全くの正論である、が、警備隊員の彼にも内部の面倒な事情があるので挫けずなんとかアンジェリカに説明する。

 

「……こういう事情で、確認した自分の証言が認められない場合は面倒かと思いますがご協力願います」


 やっと自分の務めを果せたと安堵する警備隊員。これを伝え終われば後は確認の為の女性職員と入れ違わない様にここで待つだけだ。やっと一仕事終わったと顔色を明るくする彼に対して。


「あーはいはい、ご苦労さん」


 アンジェリカはこうである。

 視線も向けずにあたかも無駄な時間を使ったと言わんばかりに手で追い払う仕草までして。

 さすがにこの態度は酷い。普通なら苦言や注意の一つでもするものだが警備員の彼は苦笑するだけで済ませ、離れていく。

 先ほどまでのやり取りを見ていればアンジェリカの邪魔をしてはいけないと気を遣ったのか。それとも合わさる事のないアンジェリカの視線がどんどんと鋭さを増しているからか。

 彼に分かるのは、触らぬ棘に毒は無しである。

 

 

 毒のある棘に例えられたとは知らず、いや知った所でアンジェリカは皮肉交じりに光栄だと笑い飛ばすだろうが。

 一歩、二歩と足を進め、マチルダとバーバラの正面に立ち、鋭い視線はそのままに眉間に皺を寄せた。 その表情のまま開く口からは確実に叱責しか飛んでこないだろう、そう思ったのか先に声を発したのは今まで大人しく黙っていたマチルダだった。


「アンジェリカ、言いたい事は分かるがお小言は又の機会にしてくれないか。とても疲れてるんだ」

「ええ、でしょうね。でもアンタ、本当に私が言いたい事、分かってんの?」


 おや? とマチルダは引っ掛かりを覚える。皮肉や言葉遊びかと一瞬思考し、アンジェリカの瞳を見て考えを即捨てた。こちらを突き刺す鋭い眼差しは至って真剣で、からかいの色は一切ない。

 意図が読めずに思案するマチルダを珍しく思いながらもアンジェリカは言葉を続ける。


「ねえ、おちび錯乱に掛かってたんだけど、何で?」


 そう二人に問えば傍目に分かるほど明らかに動揺した。

 特に酷く動揺を露わしたのはバーバラだった。それもそうだろう、パーティの治癒を一手に引き受ける癒し手だ。そのバーバラが精神異常状態を見過ごしたのだから青くなる顔色も当然である。

 バーバラとは違う思いではあるがマチルダは悔しそうに顔を顰めていた。

 魔術師は総じてプライドが高い者が多い傾向にあり、マチルダは魔術師ではあるが攻撃系統より、状態異常付与が抜きんでている。自分の最も得意としているものに気付けなかったという失態、これは相当クるものがあるだろう。


 アンジェリカは二人の反応を見て、やはり、という納得と、厄介だなという警戒を覚える。


 万が一とおちびに付けていた自身の魔力とマチルダの魔力を依頼仲介所(ギルド)から感知でき、キャサリンとカトリーナにその事を伝えれば二人揃っておちびの迎えにと飛び出て行った。依頼仲介所(ギルド)には緊急時に備えてバーバラもずっと待機して居るとなれば、すでに一仕事終えた自分は悠々と留守番を満喫しようと残っていたのだ。


 それなのに、いつまで経っても帰って来やしない上に余計ややこしい事になってるなんて、本当今日は厄日だわ。


 次から次へと収束に向かわない出来事に対して、力み過ぎて痛む眉間を揉みながらアンジェリカはまた一つ、二人にとって衝撃的な事実を突きつける。


「気付いてないみたいだから教えてあげるけど」


 そこで言葉を切り、マチルダとバーバラがまだ何かあるのかと訝しげに視線を向けてくる。

 教えると自分で言っておきながら全く気乗りせず億劫だと言わんばかりに、アンジェリカはため息と一緒に続きを口にした。


「アンタ達も錯乱かかってるわよ」


 気付いてないでしょ? 確かめる言葉を発するも限界まで見開いている二人の目を見れば、自分達が異常状態であることに気付いていなかったのは明白であった。

笑みで目を細めている顔が標準のバーバラでさえガッツリと目を見開いて、バーバラの瞳の色の緑が案外薄いなとアンジェリカらしくもない考えを浮かべて思考を逃がした。 


「……うそ、っだろ? 俺、が……?」


言葉が震えているのが明らかに分かるマチルダの愕然とした呟きに、アンジェリカは本当よ、と淡々と事実を返す。バーバラはまだ衝撃から立ち直ってないのか目を見開いた状態で制止している。


「バーバラ、さっさと戻ってきなさい!」


 二人の状態に埒が明かないと見切りをつけ、治癒ができるバーバラに喝を入れる。

本来の二人なら異常状態になっていると認識した瞬間に自身で解除を試みるのだが、さすが錯乱状態であると言うべきか、役に立たない。さっさとバーバラを正気に戻し、解除魔法をかけさせるべきだと判断した。


「何かの間違いじゃないのか、アンジェリカ」

「しつこいわね。そんなに動揺してるのがいい証拠じゃない」


 自身で状態把握もせずに人の言葉を疑う時点で、相当危ないと認識を改める。普段のマチルダなら考えられない醜態を晒している。

 鋭い声でバーバラ! と復帰を急かせば、か細い声ではあるもののやっと返答があった。


「清らかなる息吹きよ」


 バーバラのその一言で神聖術が発動する。キラキラと清浄な光の粒子が三人の身体を慰撫するように優しい風になって通り抜けて行く。異常状態になっていないアンジェリカにも胸がスッと軽くなる心地があり、効果を実感できた。


 神聖術の終わりと共に訪れた静けさの中、静寂を破ったのはマチルダの草臥れ果てたため息だった。

 片手で両目を覆い、椅子の背もたれに深く身体を預けて、顔を上に向けたまま黙っているいつもの・・・・マチルダに、今度はアンジェリカがため息を漏らす。が、その吐息には隠せない安堵が含まれていた。

 

「何があったか聞くのはホームに帰ってからよ」 


 アンジェリカはそう言うと座っているマチルダに行くわよと顎で促し、先に足を動かした。やや遅れてから覚悟を決めたのかマチルダがゆったりと、億劫そうに椅子から立ち上がる。バーバラはもう通常通りの微笑を浮かべ、マチルダが動くのを見守っていた。


「最悪な気分だ」


 足を止め、二人を待っていたアンジェリカにマチルダがこぼす。


「まあ気持ちは分かるわ。私だったら一週間は誰とも会いたくないわね」

「いいね、その案を頂こうかな」


 軽口をたたきながら並んで扉に向かう。

 そのいつもの見慣れた光景にやっと依頼仲介所(ギルド)に居た者達は安心した。

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