酩酊と戯言と本音

 依頼を終わらした請負人が少しづつ依頼仲介所に帰ってきて騒がしくなる中、楽し気に杯をたゆたせるマチルダが気遣う言葉をかけてくる。

 

「そんなに飲んで平気かい?」 


 お肉と赤ワイン、素晴らしいこの奇跡の組み合わせは肉を食べればワインが、ワインを飲めば肉が、という食のイタチごっこに私をハマらせひたすらにワインを空け、肉を食べた。比率的には圧倒的にワインを飲む方が多かったので早々に酔いが回っている。マチルダもそんなハイペースな私を心配したのかもしれない。

 その気遣いに心温まりながら、大丈夫と返せば意地の悪い声が揶揄ってくる。 


「キャサリンは迎えに来てくれないぞ」 

「分かってるよ!!」


 今、一番痛い所をマチルダに突かれてカッとなって声を荒げる。

 

「一人でだって帰れるし!」

「ふぅん?」


 別に飲む度に迎えに来てもらってる訳じゃない。そこまでキャサリン達に甘えてない、と言ってもマチルダは全く信じてない声で相槌を打つ。そんな態度に腹が立って私はますます躍起になって言い返す。


「全然、まったく、大丈夫、だし」


 そう、大丈夫だ。大丈夫じゃなきゃ、いけない。


「カトリーナや、キャサリンが、来なくたって」


 もういつものようにキャサリンが慌てて迎えに来てくれる事や、カトリーナが困った顔をしながらも私を担いで連れ帰ってくれる事がないのは誰でもないこの私が一番知っている。それだけ傷付けた自覚もある。きっと泣かせてしまったに違いない。

 はにかんで笑うキャサリンとカトリーナの笑顔が脳裏に浮かぶ、が、途端に泣いて悲しんでいる姿に変わった。心が締め付けられ、堪えがたい衝動のまま私は叫んだ。


「……っ、キャサリーーーーン!!」


 一度では足りず何度もキャサリン、時々カトリーナと繰り返せば隣にいるマチルダはご機嫌に喉で笑う。貴様なぜ笑う。


「そんなに私がキャサリン達と揉めるのが楽しいか」 


 自業自得なのは重々承知だが、それでも愉し気に笑うマチルダを八つ当たり気味に責めれば「なんでそんなに僻みがましいんだ」と呆れられた。


「違うさ、俺は揉め事じゃなく変化が楽しいんだ」


 そう言ったマチルダはそれはそれは心底愉しそうに、そして目を細めて妖艶に笑った。


 変化。今回の私の決断をそう捉えて楽しめる余裕があるマチルダが少し羨ましく思う。 

 行動を起こした本人である私には少しも余裕なんてない。出来れば今のまま過ごしていければいいと思っていたし、歳なんか取らなければいいと詮無い事を考えたのは数え切れない。


「大体、あんな事を言い出したのも例の子供が原因だろう?」

「あおいちゃんのせいじゃないよ」


 マチルダの言葉を即座に否定する。そしてやっぱりな、と思う。一番冷静なマチルダでさえ、この結論に至る。だから私はあの時、理由を出す訳にはいかなかった。あの子を、あおいちゃんを、もう悪者にする気はない。

 手にしていたグラスを一気に呷り、赤い液体で喉を潤す。そして諦めたように深く息を吐き出した。


「元々は三十路を目安に引退するつもりだったんだよ。知らせるのが早まったのはあの子の事があるっていうのは認めるけど」


 決して彼女のせいで引退する訳じゃない。


 鮮やかな紫の瞳を見てはっきりとそう言えば、マチルダは目を細めたまま口を開く。


「それだけじゃあ、ちびちゃんが出ていくのをキャサリンは許さないだろうな」

「許す許さないの前に私もいい年の大人なんだけど」


 今度は私が呆れて返す。おばさんになっても複数の男を手玉に取るふしだらな女というレッテルを貼られるなんて耐えられない、そう溢せばマチルダが依頼仲介所内に響き渡るくらいの笑い声を上げた。まさかの大ウケである。


「えーマジかよ……魔術師の笑いのツボって本当意味分かんねえ」


 あっはっはっは、と大口を開けて上機嫌に爆笑するマチルダから視線を外し、少しでも赤の他人を装おうとしてみるが無理だろうなあ。ここは依頼仲介所で、私達は悪い意味でも顔が割れている。

 分かり切っていたことだが改めてその事実を認めるには今日の私は余裕が無さすぎる。

 早々に思考を放棄する為に店員さんにおかわりを頼めば、マチルダが掠れた声で「俺も」と便乗してくる。お前はあっちで一人笑ってろ。


「悪い悪い、だが、あながち間違いじゃないだろう?」


 強い笑いが引いたマチルダがとんでもない事を言い放つ。即「どこがだ!」と否定するが、マチルダはニヤニヤとした質の悪い笑みを浮かべた顔を近付け囁く。


「今ならキャサリンもカトリーナも、ちびちゃんが出て行かない為の条件を出せば、全て呑むぞ」

「どんな悪女だよ! 私を勝手に悪者みたいにしないで!」


 バーバラもいけるか、とまだ続けるマチルダの脇腹に怒りを込めて肘鉄を食らわせれば「痛いじゃないか」と痛くないどころか愉し気に聞こえる声で文句をいった。あと離れろ。近い、近いんです。美女になってから出直してこい。そうしたら思う存分、侍るがいい。寧ろウェルカムである。あ、おかわり下さい!


「逆になんでそんな引き留めるのよ」

「そりゃあ、心配だからじゃないか?」

「それ、それよ。私だってこっち来て二年経つわけで、そろそろ自立するのが普通でしょ」

「自立、ねえ」


 過度な心配は無用だと暗に含めば、綺麗な眉を片方だけ上げながらマチルダは「魔術師の基本情報をついこの間知ったのに?」と小馬鹿にするように痛い所を突いてきて思わず「うっ」と呻く。それはキャサリンが、キャサリンが悪いんだ。


「でもそれ以外の一般的な常識は合格点くれたじゃない」  

「魔術師と神聖術師の常識なんて一般的とは言わないがな」

「え」

「俺もバーバラも閉じられた世界で生きてきた者だから普通に暮らす人間の常識とは言い難い」


 そんなこと今更言われても困る。発した言葉はもう戻せない。ああ、でも、戻すつもりなんかない。なら事前に知れて良かった。


「じゃあそれは実際に生活して学んでいくよ」


 今までと同じでしょ、と前向きに答えればマチルダは今度は眩しそうに瞳を細めた。


 そう、同じだ。一つ一つ皆に教えて貰った。

 買い物に出掛けた時、外食をした時、討伐に向かう馬車に揺られ空いた時間、ダイニングテーブルでお茶に口をつけながら、この世界の事を少しずつゆっくりと教わり学んできた。あの優しい時間とは程遠い過酷でがむしゃらな学習になろうとも。それが、私が望んだ道だ。

 

「このままじゃ、皆の優しさに溺れちゃうじゃない」


 言わずもがなキャサリンやカトリーナ、バーバラを筆頭に、なんだかんだいつもお小言ばかりなアンジェリカや自由人なマチルダだって、私に優しく甘い。そして皆、愛情深い。 


 その温かさに首まで浸かっているのが分かるからこそ、もうこの優しい場所から去らねばと危機を覚える。半分の私はここから出たくない、頭まで全て包まれたいと駄々を捏ねているのだから。

 寂しいと口に出すことはしない。だけど雄弁に語る瞳に滲んだ感情を隠すように目を瞑り、グラスに入っているワイン全てを飲み干した。するとマチルダは言葉を返す代わりに、グラスに口を付けると私と同じように中身を呷った。



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