試合に負けた


 怒りと屈辱が強く乗せられた視線をへらへらとした軽薄な笑顔で軽く受け止め、頃合いと思い無言のまま無造作に席を立てばあおいちゃんが怯えたように一瞬身体を固くした。

 幼い子にそうさせている事実に良心が傷んだのをおくびにも出さず卑怯な大人で覆い隠す。扉近くに控える文官に視線だけで着いてこいと伝え部屋の外に出た。 


 私の意図を理解した不愛想な文官と廊下に出て、もう閉まろうとした扉は内側から白い指を覗かせて再度開かれた。現れたのは白を基調にした廊下に不釣合いな真っ黒なマント。すぐさま非難を込めて「マチルダ」と名を呼ぶが即「駄目だ」と拒絶された。

 目深に被ったフードで表情は窺えないが扉に背を預け腕を組み一歩も引かないと意思表示する様(さま)に溜息を一つして、ならばとマチルダに【密談】を付与し対象指定として有効に使う事にした。勿論、効果範囲は文官と私を含めた三人。弾かれる事なく言霊が発動したのを感じ、前置きもなく単刀直入に文官に向って口を開き、問う。


「彼女の今後の処遇、又は配属はどうなってますか?」

「特に決まっておりません」


 文官の無感情な返答に思いきり舌打ちしたくなった。その言葉が真実なら、方針が保留なのは私の出方を窺っている為だろう。


 最年長の言霊師が付くのか付かないのか。


 確認できる中で私が一番の年長者だと考えている。次に年を重ねている者は私より10近く離れ、成人している日本人は私だけ。あおいちゃんに至っては17も離れていて、悲しい事に此方の世界では親子で通じる年齢差だ。


 このまま私が何も言わず帰れば迷い人課に配属させられるのは明らかだろう。先程通った時に感じた視線を思い出し、一瞬で背中が粟立つ。


 アジア人の子供なんて碌な事にはならない。一瞬見た限りでは白人種が殆どを占めていた。偏見は持っているつもりはないが向けられた視線に含まれている感情はとても友好的で優しいものではなかった。


 

 ああ、しまったなあ。捉えたつもりが捕まれたのは私の方じゃないか。あおいちゃんの弱みを握ったと同時に、私もすでに弱みを握られていた。



 彼女の目は虚勢を張っていないと堪えられないと訴えている。

 11歳の子が庇護なしに耐えられる境遇ではない。

 私が見捨てればあの子は死ぬ。もし死ななくとも死んだ方がマシだと思う人生を歩む。

 

 ここから先は遺恨なく自分で決めなくてはいけない。あの子の人生をこのちっぽけな私の掌の上に乗せるのかどうかを。


 非常に嫌われているのは理解している。でも私はあの子の謝罪を受け入れた。名を奪うことで。それはすでに私のモノだという事に他ならない。なら。

 

 そこまで考えてから自分の言い訳めいた思考に嘲笑がこぼれた。なにかと理由をつけて自分の行動を正当化しようとする汚さに対して。

 自分のしようとしている事に理由を探している時点で、もう答えは決まってるじゃないか。

 ああ、でも怖いな。人を背負うということはなんと怖い事なんだろう。こんなにも重いのか。

 

 それにここから友好的な関係を築くのはとても苦労するだろう。もしかしたら無理かもしれない。


 でも、見捨てられる訳がない。


 やっとそう決意すればキャサリンの明るく屈託のない、私が大好きな笑顔がふっと脳裏に浮かんだ。背を押された気がした。



 黙って熟考する私を急かす事もせず待っていた文官に伏せていた顔を上げる。向けた視線に感謝を乗せ、私の出した答えを言葉にする。


「取引をしましょう」


 その言葉を予想していなかったのか文官は眉間を少し顰め、内容を飲み込む様に「取引、ですか」と繰り返す。


「大空あおいの魔術師課への配属。寮等も魔術師課へと帰属。あと未成人が行く学園に通わせること」 


 即興で考えたものだから魔術師任せになってしまったがこれが一番安全ではないだろうか。

 魔術師は女性は駄目だが子供のうちならその対象にならない。だって子供だから。ジョン君先生に確認してないが多分これが正解だろう。女嫌いらしいアンジェリカが言ったんだから、きっとそうだ。違ったら難癖付けて転属なりさせればいい。完全に国の思惑に乗ってやるのだからそれくらい許せ。


「この要求を飲んでくれれば、あの子を一人前の言霊師にしてあげる」


 さも私が優位のように上から見下ろす様に言えば、文官は先程浮かべた表情を綺麗に消し無表情と平坦な声で私の出方を窺う。


「出来ないといったら?」


 文官のその言葉に隠す事もせず自嘲の笑いを浮かべ、自分に言い聞かせる様に告げる。


「世界に三人しかいない言霊師の内、一人は死に、残り二人はこの国の敵に回るわ」


 ただ、それだけよ。


 そう付け足し呟けば文官は数回呼吸を置いてから「少し時間を」と告げる言葉を最後まで言わせず、畳みかける。


「駄目よ。今、この場で、返事を頂戴」


 これでも自分の価値は分かっている。そんな私の相手をするのがただの文官なはず、ない。

 それにこの文官、愛想が無さ過ぎる。上に立つのが当たり前な役職によくある態度だ。あとは、勘。


「決められる筈でしょ? だって貴方」



 管理官なんだから。


 

 私は余所行き用のアンジェリカがするただ綺麗なだけな笑顔を真似て微笑み、管理官と私、両方の逃げ道を完全に塞いだ。



 静寂を湛えた廊下にマチルダが低く喉で笑った音が一度だけ漏れて空気を揺らした。





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