歴史は繰り返す

 清々しい空気の中、朝独特の鋭さを含んだ光が窓布を明るく照らし、自室に朝が来たことを告げる。

 誰かに起こされる事なく自力での目覚めは随分久しぶりで、少しの寂しさを感じながらゆっくりと心地よい感覚で目を開いていく。


 懐かしい夢をみた。


 あれはいつだったか、最近のような昔のような、ただ一つ言えるのは昨日の事のように思い出せる。

 バーバラは定めた者の中に私も入れてくれたが、引退しここから出て行ったらそれはどうなるんだろうか。

 夢に引きずられたままの思考でそんな事を考えながら寝起きで凝り固まり何故か地味に痛い身体を伸ばす。

 どこかにぶつけたのかと疑問に思うが記憶がない。もっと言えばどう帰って来たのかも分からない。マチルダの奢りで飲んで、休憩スペースの肉料理とワインの組み合わせが滅茶苦茶美味しいって事は確実に覚えている。そこからの記憶は徐々にぼやけていき霞がかっている感じだ。


 それと不思議なのが自分でも自覚出来る程に飲み過ぎた筈なのに何故か二日酔いになっていない。それどころか清々しい気分といっていい。なんだこれ。いや、絶対バーバラが絡んでるよね。でもバーバラが原因なら何故身体の痛みが治ってないのか疑問ではある。

 まあ直接聞けばいいかとそこで思考をとめ、ベッドから出ると室内履きに足を通した。


 トイレと洗面所に寄り、最低限の身嗜みを整え寝巻のまま、豪華な花々が大胆でいて美しく掘られた摺りガラスがメインの新しいリビングドアに手をかけ、いつものように気の抜けた声で「おはよう」と挨拶してリビングに入る。


 そして私は両手両膝を床につく形に崩れ落ちることになった。


 リビングに入ってまず最初に目に入ったマチルダがいつもと変わらない綺麗な笑顔で「おはよう」と挨拶を返してくれて、その横にいるアンジェリカから冷たい声で「遅いわよ」とお小言を貰う。定位置にバーバラは居なかったのでそのまま右に視線を動かせばカウンターキッチン越しにキャサリンとカトリーナ。

 そして二人同時にプイっと顔を背けられた。二人のその行動に多大な衝撃を隠し切れず、助けを求めてカトリーナの横でコフ茶を注いでいたバーバラに目を向けたら迷った末に物悲しそうに顔を逸らされるという止めを刺され、崩れ落ちた次第です。いっそ殺せ。分かっていたけど辛い、死んじゃいそう。


 やっぱりまだ怒ってるぅぅ。


 そうだよね、キャサリンはなあなあにしたまま仲直りなんてしないタイプだもん。顔を見るまでこの事実を忘れようとしていたのは認めざる得ない。現実逃避してました。


 四つん這いのままぶつぶつ呟く私の耳に、マチルダの楽し気に喉で笑う音が聞こえる。そしてアンジェリカが呆れしか含まれてない溜息を一つ吐くと冷徹な現実を口にする。


「仕事なんだから早くしなさいよ」


 おい、嘘だろ?! と信じられない思いで顔を上げてアンジェリカを見れば「当たり前でしょ? 何言ってんの?」と心底馬鹿にした眼差しを返された。辛い。もう全てが辛い。


 頭では分かってる。一週間の休暇の皺寄せがまだ終わってないって。タイミング悪く休暇中にそこまで急ぎじゃないが私達上級クラスじゃなきゃ対処出来ない討伐が多く依頼されて、現在それを順次請負っている状況。そんな中、昨日の急遽のお休み。休めないよねー。分かっちゃいるけど辛い。まあいざとなれば城勤めの騎士や魔術師が対処してくれるらしいから安心ではあるけど、依頼仲介所からの信頼が落ちるのは避けたい。これでも上級という名は色々特典や融通が利いて役に立つ。私は引退するけど。

 

 変わらず四つん這いのままグダグダ考えていればアンジェリカが短気を起こしたのか私の傍に来ると幼子にする様に両脇を持ち上げられた。そして強制的に席に座らせられる。マチルダの笑い声がさっきより大きくなった。朝からご機嫌ですね。



 そこからは何とも居た堪れない朝食の時間だった。

 てっきりキャサリン達は先にごはんを食べているものだと思ったのに食べてなかった。ので、強制着席させられた私にいつものようにカトリーナが朝食を持ってきてくれた。顔を背けながら。辛い。そしてカトリーナとキャサリンが私の両側の自席につき、一緒にいただきますをした。二人とも私から顔を背けて。なにこれ辛い。


 怒ってるんだからね! というキャサリン達のアピールは伝わる。でも食べてる時にキャサリンがチラチラこっちを見てくるのが地味に気になる。気になるから顔を向ければ音が鳴る勢いで顔を背けられた。なにこれ可愛い。じゃあと思って今度はカトリーナに顔を向けたら背けられなかったけど代わりに悲しい顔をされた。本当ごめんなさい。


 胃に穴が開きそうな罪悪感から逃れる様に向かいに座るバーバラを見れば今度は顔を背けられなかったが一切感情が読めない微笑を向けられた。うん、圧が凄まじい。これはちゃんと説明しろという威圧ですね。

 自分が蒔いた種とはいえ三人の反応に憂鬱な気持ちになり溜息を吐き出せば隣のキャサリンがビクッと肩を跳ねさせた。ごめん、本当ごめん。


 そのあとはひたすら無言で朝食を平らげる作業に没頭した。こんな気まずい食事はこの世界に来た当初ぶりじゃないかと懐かしい過去を思い返してまた現実逃避する。あの時ピリピリしてる人間はアンジェリカとマチルダだったから今と逆だけど。

 来るもの拒んで去るもの追わず、そんな性質だろう魔術師が今はとてもありがたかった。実際、アンジェリカとマチルダだけが私の引退について興味が無さそうだ。正直に言えば若干の寂しさは感じる。でもこのサッパリ感こそ、実に二人らしいじゃないか。


 どこか物足りない食事を早々に終わらせ、自室で仕事着に着替える。階下に降りた足でそのまま胸当てを武具庫に取りに行けばまだ中でキャサリンが支度していた。

 補助が必要な上半身は終わってる様だったけど一応「何か手伝うことある?」と声をかけてみたが、私に目を向けることなくキャサリンにしては珍しい小さい声で「ないもん」と返され、思わず苦笑いが浮かんだ。


 私は喧嘩してるつもりじゃないんだけどな。


 日本での友達とならこんな時どうしていたんだろうか思い返して、似た経験が無い事に少し驚いた。

 でも納得もする。今まで意見の不一致や相容れない考えを友人が言っていてもここまで大事(おおごと)になったことがない。そんな考えもあるよねと、当たり障りない言葉で流したり相槌を打って終わりだ。

 キャサリン達だから大事になってる今を、何故大事になったのかを考えれば、愛おしく感じる。


 素っ気ない返事をもらったのに心はじんわりと温かい。満ち足りた気持ちのまま「そっか」とキャサリンに伝えて武具庫から出てドアを閉めた。その時、武具庫から何か聞こえたような気がしたが中にキャサリンが居るのだからと特に気に留めず足をリビングに移動する為に動かした。


 いつも通りを心がけてリビングドアを開ける。開けた瞬間目に映った光景の衝撃に踏み入れた足が中途半端に止まった。


 カトリーナが一人でコフ茶を飲んでいる。


 その事実に泣きそうになった。唯一いつもしてもらってばかりの私がカトリーナにお返しをする時間が今だ。せめてこの待機時間のお茶だけは私が給仕すると約束を取り付けたのは随分昔。それなのにカトリーナは自分で淹れて飲んでいる。

 その拒絶は思ったより心に衝撃があり。今しがた温かくなったはずの心は一瞬で凍え、冷たさが心に突き刺さった。

 

 開けたままのドアから半歩リビングに入っていた足を戻し、俯いたまま静かに閉めた。出来るだけ悟られないように気を付けたつもりだが、あまり自信はない。瞳に溜まったものが零れる前に洗面所に向かえば、リビングから舌打ちが聞こえた気がした。


 気を使ってくれたのか誰も来ることがなかった洗面所である程度落ち着くことが出来、仕上げとばかりに盛大に鼻をかむ。そのまま鏡に映る自分の顔を見て、やっぱりなとため息が零れた。

 なんとか擦らないよう気を付けたがやっぱり少し赤くなった眼元は誤魔化しようがない。

 どうしようもないな、とまたため息をつけばリビングドアが開く音がここまで響き、続くアンジェリカの「行くわよ」という声が玄関ホールからここまで届いた。

 それを合図に新しいハンカチをポケットに押し込み、諦めて洗面所から出た。



 ホームを出て依頼仲介所に向かう時点で、私は言わずもがな何故かキャサリン、カトリーナの目まで赤くなっていた。何だろう、まだホームから出ただけなのに既に疲労困憊状態に陥っている。主に精神が。

 朝の混雑している依頼仲介所の扉を通りながらこんなんで仕事になるのかと不安に駆られつつアンジェリカとマチルダが請負内容を選んでる間、恒例になっている暇つぶし受付広間鑑賞をする。

 いつもは目の保養目的での鑑賞だが流石に今の心境ではそんな気分にはならない。ただ暇に任せて何とはなしにぼけーと広間を眺めていれば、少し離れた場所に最近見知ったフードがこっちを伺うようにチラチラと動いているのに気が付いた。その初々しい恥ずかしがり方に頬が緩むのを感じつつ、こちらから挨拶をする。


「おはよう、ジョン君」


 片手を軽く上げてそう言えばジョン君は近付きながら挨拶もなしに「俺はジョンじゃねえ!」と朝からプンプンした。そのプンプン具合はアンジェリカの弟子だっけ? と思わせる勢いだ。

 新たな師匠を紹介したい所だが魔術師二人は受付で手続き中。マチルダに用があるだろうジョン君も直ぐに分かったのか、師匠の手が空くまで私の暇潰しに付き合ってくれるみたいで逃げることなくその場に留まった。いい機会なのでジョン君にも伝えておこうか。


「そういやジョン君。私ね、そろそろ請負人やめるわ」


 突拍子もなくそう声をかければジョン君は息をのむ。そして疑問を口から出そうとして横から上がった突然の絶叫に邪魔をされた。


「やだあ! おちびちゃんお願いっ、キャサリンを捨てないでえぇ!」


 涙声でキャサリンがそう叫ぶと同時に膝をついて私の腰元に縋りついてきた。床と鎧の金属が擦れる音が騒がしい筈の依頼仲介所の受付広間に響く。突然の暴挙に吃驚するが慌てて即座に訂正する。


「ちょっ、誤解を生むこと言わないで! 引退するだけでしょ!!」


 突然のキャサリンの暴挙に本当は舌打ちしたい気分だった。それは以前、私がバーバラを脅す為に提示した嫌がらせ方法まんまで。しかも朝の依頼仲介所は一番混雑する時間帯だ。やったね、効果はバツグンだ!


 キャサリンをなんとか宥めて立たせようと試みるが、私が何か言うほどキャサリンは「やだあ」と繰り返し頑なにしがみ付く力を強くする。待って、私の腰がヤバい。あと骨盤もヤバい。バーバラ、微笑ましそうに微笑を浮かべてないで助けて。カトリーナ、自分も真似しようか真剣に考えないで。それだけはやめて。

 それにしてもキャサリンのこの発言と行動、意図的な匂いが少しする。私には分かる。だってキャサリンの事だもん!

 どんな目的でこの行動に出たのかまでは正確に掴めないが……この小悪魔ちゃんめ、最大の禁じ手を使いやがったな!


 ジョン君が最大級のドン引きを体現してくれている中、現実から背けている思考を引き戻す声がかけられる。

 それは甘い匂いを思わせるような、それでいて好奇心を含んだ、鈴が鳴るような軽やかな、女性特有の声。


「へえ、噂は本当みたいね」


 艶やかな赤い唇からそう言い放った女性がカツンと靴を鳴らして私の正面に立つ。キャサリンに全神経を向けていて誰かに近付かれていることに全く気付かなかった私は呆然と、でも確実に嫌な予感がしながら女性に目を向ける。


 その女性はウィザンドラードには珍しい健康的に日に焼けた肌に、これまたこちらの女性が好まない露出がある服を纏っていた。鎖骨まで出た襟元から続くのは豊満な胸、そのぼいんぼいんな胸をより強調するようなキュッと括れた腰、そして思わず手を伸ばしそうになる上向きのプリプリお尻。


 女性の憧れを完全に体現したセクシーダイナマイトボディの妖艶な美女が、そこには居た。


 どんなに欲しくてもその肉体の何一つ持つことが出来なかった残念な私の前に、異性を魅惑する完璧な女性。しかも顔まで良いときて、もはや対比がエグい。引き立て役とかそんな次元じゃない。仕事だから眉さえ引いてないのっぺり顔すっぴんな私はエグすぎて呆然とその美女を見詰めるしかできずにいれば、その女性は観察する様に私をざっと流し見し、鼻で笑うと魅力をより一層引き立てる真っ赤な唇を開く。


「王都に複数の男を誑し込んでる女が居るって聞いたから楽しみにしてたのに、大した事ないじゃない」


 あ゛? 今なんつった??


 美女が口にした言葉に一瞬で目が据わったのが自分でも分かる。大した面じゃないのも事実だ。

 だけど、一つだけ事実じゃないことが紛れてるんですけどぉ?

 

 瞳を侮蔑の色で濃く染めたまま美女の視線が下に動き、未だ私の腰に縋りつくキャサリンに向けられた。美女があら、とどこか弾んだ声を上げ、「誑し込んだ男は期待していいみたいね」と楽し気に言い、「複数いるんでしょう? 他の男はどこ?」と言葉を続ける。そう言われた私の中で何かがギチギチと音を立てた。


 受付が終わったのか、それとも美女の登場にざわつく私の周りに気付いたのか、運が悪い事に美形としか表すことが出来ないマチルダとアンジェリカが戻ってくる。遠巻きに見ていたジョン君とカトリーナが明らかにホッと安堵を顔に浮かべた。バーバラ? 微笑のまま遠巻きに様子を伺っています。何その「私は無関係です」って態度。ライオネル貴様ぁあ……!


「ちびちゃん、随分楽しそうな事になってるじゃないか」


 マチルダが愉しげに片眉を上げながら揶揄ってくるがお前の眼は節穴か? あ゛? どこをどう見て楽しいって言えるんだ。

 文句と状況を説明しようと口を開く。が、息が言葉になる前に美女が発した声が遮る。


「へえ、極上じゃない。顔も身体も大した事ないのに貴女やるわね」


 品定めする様な目で美女はマチルダとアンジェリカをうっとりと眺める。アンジェリカの眼が一瞬で据った。紅色の眼が収縮した気がしたがちょっと距離があって確認できない。

 マチルダは眼を細めて余裕が感じられる綺麗な笑顔を浮かべると、私を見る。言葉にしなくてもマチルダが様子見に入ったのを感じ取って睨み返せば、マチルダは笑顔をより深めるだけだった。ふざけんな。何とかしろ。


 「この三人でおしまい?」と、どこかまだ期待の籠る目で私に聞いてくるボインボイン美女の言葉をトドメに、私の中でずっと耐えていた何かが盛大な音を立てて切れた。



「……わ、……私はっ!」



 怒りが滲んだ声でそこまで呟き、いつの間にか耐えるように伏せていた顔を勢いよく上げ、吠える様に声を張り上げた。 


 


 逆ハーレムでは断じてない!





 第一部 閉幕










──────

 当初の予定通り無事タイトル回収出来ました。

 これにて第一部「逆ハーレムでは断じてない!」完結です。

 続きはこのままだとタイトル詐欺になるので一旦区切りました。

 ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 日暮千疾

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