在りし日 神聖術師の譲れないこだわり
若干の下品注意。
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それはいつかの、ありふれた休日のお昼前のこと。
「あ、バーバラ。ちょっと教えて欲しいんだけど、女性専用治癒所ってあったりする?」
空は気持ち良く晴れ、日が柔らかくものどかに照っているリビングでいつもの様に暇を持て余しダイニングテーブルでお茶を楽しんでいたおちびが、同じ様にお茶を飲みながら分厚い本に目を通しているバーバラに何気ない質問をした事が切っ掛けだった。
読んでいた本を静かに閉じるとバーバラは問われた言葉には一切触れずに「どこか悪い所があるんですか?」と逆に質問を返した。そう言いながらおちびに向ける視線はどことなく剣呑な色を宿しているように感じられた。バーバラの常時細められている目では確信は持てないが仲間としての勘と察する力でおちびはそれを敏感に感じ取る。
何かしくじったか、とおちびは自分の言動の何がバーバラの琴線に触れたのか思案しつつ、ここは誤魔化さずに素直に話すべきだと結論を出した。
地味に威圧してくるバーバラから一度視線を外し、リビング内を見渡す。
現在この空間に居るのはキッチンにキャサリンとカトリーナのみ。確認し安堵から小さく息を吐き、上半身をテーブルの上に乗せる様にしてバーバラの方に身を寄せるおちびの行動に、言いづらい事なのかとバーバラはようやく察した。女性専用と最初に聞いている時点で察して欲しい所だが、バーバラはそれに気を回すよりも重大な事があった。
「実はちょっと、お尻が痛いの」
おちびに合わせる様にバーバラも身を寄せ、テーブルの上で内緒話をする様におちびが手を寄せた耳に入ってきた言葉にバーバラは瞳を丸くした。細めている目のせいで誰にも気付かれていないが。
ゆっくりとお互いに向かい合い、虚を突かれた様に「お尻ですか?」と小さく返すバーバラに、おちびは至極真面目に頷きながら「お尻」と確定するように復唱した。
バーバラがなら私がと提案を言葉にしようとした丁度その時、運が悪い事にお昼時とありマチルダとアンジェリカが二人連れたってリビングにやってきた。魔術師にしか分からない術使用の感覚的な話しをしながらな所をみると先程まで外で何か魔術鍛錬でもしていたのだろう。何だかんだ言って二人は気が合うのか仲が良い。
二人に気を取られ言葉に出来なかった提案をしようとおちびを見れば既にいつもの様にきちんと自席に座っていた。
アンジェリカは育ちが良いせいか作法系には容赦なく小言を吐く。マチルダもアンジェリカ程ではないが育ちが良いのだが、普段の座り方を見ていれば人に注意をする立場ではなく逆にされる方だ。何故マチルダにアンジェリカの小言が向かないのか、おちびは納得いかないと以前愚痴っていたが相手がマチルダでは言いたくないのは当たり前である。注意してもどうせ改善される事はないのだ。そんな無駄以外の何物でもない事は誰も言いたくない。
バーバラは気を取り直し、具体的な部位の場所等を敢えて暈し「私が治癒致しますよ」とおちびに提案するが、間髪入れず帰ってきた返事は冷たい声だった。
「え、やだ」
おちびは完全な拒絶を表した表情のまま「専用の所ってあるの?」とバーバラが無視していた問いを再度する。
即時却下された衝撃が収まる前に触れさせたくない話題を蒸し返されたバーバラは少し、ほんの少しだけ、カチンときた。温厚で慈愛が売りの神聖術師でもカチンとくる時はあるものだ。
一番最初にバーバラの異変を察知したのは魔術師の二人だった。
おちびとバーバラの会話を聞き流して魔術談議を続けていたが、纏う空気が変わったバーバラにマチルダとアンジェリカは自然とお互い口を噤んだ。そしてマチルダは楽しそうに、アンジェリカは様子を窺うように二人を注視し始める。
勿論、察する事に長けた日本人であるおちびも気付いていたが、そこは彼女も引かない。いや、引けなかった。
「わたしの治癒では力不足ということでしょうか?」
「それは違うよ。私はバーバラの治癒を一番信頼してる」
敢えて試す様な言葉を吐くバーバラに、おちびは即座に否定する。
では何故?と続きそうな言葉の応酬だが、矛盾している事を言ってるのは本人であるおちびが一番理解してた。本音を言えば安心安全なバーバラの治癒を受けたい。最近では怪我をするのはおちびだけでほぼ専属と言っていい程だ。それでもバーバラに頼む訳にはいかなかった。
場所が場所なのだ。
お尻と大雑把に言ったものの、正確には肛門。
病名は言うなれば、痔だ。
しかも外部系である切れ痔ではなく、内部系のイボ痔。おちびが痛い痛いと溢しながらも自身の指で確認した結果、しこりの様な小さなイボが三個あるのが分かった。流石のおちびもバーバラに言えなかった。
ただでさえ、痔とは言いづらい。
しかもイボ痔。
よりによってイボが三個。
恥のトリプルアタックに沈黙を選ぶ道しかなかった。
結果おちびが導き出したのが恥は掻き捨てな治癒所での治療だ。数多いる患者の一人ならばそこまでダメージは受けない。それにその治癒所にもう二度と行かなければいい話。
ただその行動を起こすには情報が足りな過ぎた。
そこで冒頭のあの言葉なのだが、治癒に一家言あるだろうとは思っていたがここまで頑なにバーバラが難色を示すとは思っていなかったおちびは頭を抱えたくなった。それに今現在進行形で尻が、もっと言えば肛門が痛い。座っているのがもうキツイところまで来ている。
どうすればバーバラを傷付けずに納得させる事ができるか頭と肛門を痛めながらおちびは思案を巡らせるが、それを許すほど治癒が絡んだバーバラは甘くなければ、気も長くない。局地的短気だと言っていい。
座ったまま腕を組んであーでもないこーでもないと唸るおちびに大きな影が被さるように落ちる。それに気が付き咄嗟に見上げるが、既に遅かった。
いつの間にかおちびのすぐ横に来ていた影の持ち主であるバーバラは無言のまま微笑を浮かべて神聖術を発動させた。途端に淡い薄緑の光がおちびの身体を包み込む。
バーバラはしっかり光に包まれたおちびに向かって両手を翳し、何かを探る様に掌を宙に彷徨わせ始めた。それをされているおちびの顔色は一瞬で真っ青になっていく。
それもそうだろう、この術は回復させる治癒術ではなく、その前段階に行われる。主に怪我や不調の原因を特定させる為に使われる術だ。
おちびが必死に隠そうとした痔を簡単に暴く、魔の神聖術である。
しかも地味に高等魔術なので扱う者は上位の治癒術師か神聖術師しかいない。市井に溢れる普通の治癒術師で使える者は上位へ行く才能があるのに敢えて市井に留まる変わり者の極少人数のみ。あ、治癒所には最低一人は使える者がいるので心配無用です。
そんな術をパーティ加入から数年、湯水の如く使われまくっているおちびは勿論自分が何をされたのか理解している。だからこそ顔を青くし、まるで怯えるように震え始めたおちびとは対照的にバーバラは朗らかに、それでいて爽快だと今にも言い出しそうなスッキリとした笑顔を浮かべ、口を開く。
「では見ませんので触診だけさせて下さい」
「やめて?! そもそも見せれる位置じゃないし、何さも妥協しました風に言うの!?」
全て分かっていてのバーバラのあんまりな妥協案におちびが納得するはずもなく、いつ皆の前で痔だとバラされるのかという恐怖と闘いながらおちびも懸命に気力を奮い立たせて拒絶する。が、バーバラも譲らない。
「ですが三個と数が数ですし、再発悪化しない様にきちんと状態を確認しませんと」
「大事みたいに言うのもやめよ!? あと個数をばらさないで」
「慢性ではなく急性のイボなんですよね?」
「イボって言わないで!!」
温厚で慈愛が売りの神聖術師らしくお尻と痔という、おちびが一番触れられたくない言葉を使わずなんとか説得を試みるバーバラだが、嫌がらせにしか聞こえない。と言うよりもこれは確実に先程の仕返しだろう。悪意しか感じられない言葉のチョイスである。
治癒使いの大技を使ってまでおちびの痔を暴いたバーバラのその頑なさに、とうとう抵抗の限界が訪れたおちびが泣き言を溢した。
「もうやだあ、バーバラが苛めるうう」
そこまで怒んなくてもいいじゃんかあ、とダイニングテーブルに突っ伏しながらおちびは溢すが、そう言われるのは心外だと非難するようにバーバラは珍しく不満を顔に表すとおちびの隣、キャサリンの定位置である椅子に腰を下ろした。
「治癒を施す者の性質上一番許せない事をちびさんがしようとするからです」
わたしだって怒りますよ、と今度は口にして明確に非難すれば、その言葉にやっとおちびはのろのろと顔だけ上げバーバラに目を向けた。
本人の気質なのか穏やかに、それでも訴える様に合わさったバーバラの瞳は怒ってます、と優しい責めを乗せている。
神聖術師にも地雷があったのかと漸く合点がいったおちびではあるが、全くの初耳である。お願いだからそういう大事な事は先に言っといて欲しいという愚痴を心に留め、上半身をだらしなくテーブルに乗せたまま「何がダメだったの?」とバーバラに説明を促す。
「私以外の者から治癒を受ける行為が性質上、駄目です」
「はぁ!?」
まさかの全面アウト宣言。流石におちびも理不尽だという表情を隠さずに抗議の声を上げるが、バーバラはいつものような微笑で受け流すと穏やかな微笑みとは真逆な有無を言わせぬ圧を放ちながら言葉を続ける。
「本来でしたら治癒の使い手は相手を選びません」
それもそうだろう。でなけば治癒所なんて存在しないどころか治癒協会という大規模な組織が全国に展開することもない。
それには納得できたのでおちびは軽く頷いて同意すればバーバラは続きを話す為に口を開く。
「ですが極稀に治癒する対象を“定めた者”がおります」
やっと話しが読めたおちびがついポロっと「お前か」と呟きを漏らせば、バーバラはご名答と声が聞こえてきそうなほど清々しくも爽やかな笑顔を持って正解を示す。
「その人だけの専属って感じなの?」
「私は個人というより、仲間しか癒しません」
基本的には、と付け加えたバーバラだが、おちびは益々頭を抱えるだけだった。そんな事情を言われてしまえばどこにも逃げ道がない。
今度こそおちびは声に出して「そういう大事な事は先に言っといて」と言うが、バーバラは困ったように眉を下げてどこか恥じらうように「ですが、その、気恥ずかしいじゃないですか」と治癒使いにしか分からない照れを口にする。が、おちびはそれに共感を返せなかった。全く分からない、と顔に書いてある。
「ですので治癒は私に任せて下さい」
まだ少し照れた顔のままバーバラが話を纏めはじめた。
これで問題は解決、さあ診せて下さい。と聞こえてきそうな明るさと断る事を許さない圧を持ってしてバーバラが迫る中、おちびはせめて診察を受け入れる決心がつくまでの時間を、と足掻く。
「えー、あー、っあ! そうそう! その、えー、“定めた者”に選ばれた注意点とか他にあったりする!?」
おちびのあからさま過ぎる治療からの逃げに、勿論バーバラは気付いているが問われた内容は真っ当な質問な上、きちんと説明するべきだと判断したバーバラは浮かべた微笑から圧を消すと、思案しながら口を開く。
「そうですねえ。まず余程緊急性の高い怪我や病ではない限り他の同業から治癒を受けることは難しくなります」
「はぁあ!?」
「治癒の使い手は定められた者かどうか大体分かるので」
おちびの驚愕が落ち着く前にバーバラはサラッと付け加えるが追撃にしかならない。しかもこれで完全に逃げ道が塞がった。バーバラから治療を受けることは確定だ。逃げ腰なおちびも尻を晒す覚悟を固める。でもねバーバラ、羞恥心って言葉の意味を理解して。
全てバレてしまっていて最早悟りを開きそうな顔をするおちびを余所にバーバラは「ああ、それと」と言い忘れた様に呟くと更に爆弾を落とす。
「ちびさんがもし出産する際は責任持って私が取り上げるので安心して下さい」
今日一番の純粋な笑顔を浮かべてさも楽しみだと伝わる声でバーバラは言い放つ。
それを聞いたおちびは一瞬なにを言われたのか理解出来なかった。しかし理解を拒んだ思考が徐々に動き始める。そして脳内で自身が大きく開いた足元に手術着を纏ったバーバラが生まれたばかりの裸の赤ん坊を抱いて「元気な赤ちゃんですよ」と微笑んだ姿が浮かんだ瞬間、おちびは絶叫並みの大声を上げた。
「はぁあ゛あ゛ああああああぁ!!??」
はあ?! えぇ!? 嘘でしょ!? と声を荒げて混乱したまま言えばバーバラは至って冷静に「いえ、本当です」とおちびに残酷な事実を突きつけた。現実から目を逸らすことに何も救いはないのです。
「待って、じゃあ、じゃあこれに嫁が見つかって、子供が出来たらバーバラが取り上げるの?!」
そうでしょ?! と、縋るようにおちびがマチルダとアンジェリカの方に震える指を差して訴えるがバーバラは「いえ、対象外です」と無情な一言を放つ。
「はぁあ!? 理不尽だ! 仲間外れにしないで元気な赤ちゃんですよって言ってあげるべきだっ!!」
いきなり会話に巻き込まれた魔術師二人は一度お互いの顔を見合わせ、その後すぐに絶対ヤダ、無理、無理、と頭を抱えて繰り返しぶつぶつ言うおちびに顔を向ける。
アンジェリカは下らないと言いたげな顔をして鼻で笑い「諦めることね」と冷たく言い放つ。おちびが「他人事だと思って……!」と恨みがましく言えばマチルダが軽薄さが滲む声で「あら、あたし達も定められた者で一緒じゃない」と、さも平等ですと返す。不貞腐れる気持ちのおちびはどこがだ、と今度は口に出すことはせずに心中で吐き捨てると、至って真面目な顔で提案する。
「性別交換しない?」
「お断りよ」
間髪入れずにアンジェリカが切り捨てる。おちびはそのまま残る一人、女性と言われても違和感を感じさせない容姿を持つ魔術師に目を向けるが、その魔術師であるマチルダはおちびの視線を受け止めると声には出さず口の形だけで「お こ と わ り」と動かし伝えると妖艶な微笑みを返す。
何処にも逃げ道のない残酷な現実からおちびは盛大に喚くとまた頭を抱えたのだった。
バーバラは賑やかなダイニングテーブルをにこやかな微笑で眺め、心待ちするようにそんな日が来るといいですねえ、とその光景を思い描きながら声に出さず心の中で呟いた。
そんな、在りし日の出来事。
――――――
尚おちびはなんとか交渉の末、ズボンの上から回復術をかけて貰うことに成功した。よかったね。
でもバーバラはちゃんと触診で状態を把握したかったので不満気。
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