心情の対価


 マチルダが深い思考の旅から帰ってくるのを待ちながら、甘い匂いが漂うリビングで各々は休息を兼ね自由に過ごしはじめた。

 

 カトリーナは珈琲のおかわりを配り終わるとキッチンで料理作業に憤りをぶつけているキャサリンの手伝いを、バーバラは念の為にとキッチンの二人にも神聖術を施す。

 リビング全体に緩んだ空気が漂う中、珈琲のおかわりに口をつけながらマチルダの動向を見守っていたアンジェリカも空気にあてられたのかどこか気が緩んでいる様子だ。


 アンジェリカは今のうちにおちびの状態でも確認しておくかと腰を上げながら長椅子に寝かされている彼女に目を一瞬やったあと、マチルダの様子次第だなとまた視線を戻す。その戻した先のマチルダは思案の為に伏せていた目を長椅子の彼女に向けていた。思考の旅から戻ったのか、そう結論付けたアンジェリカは上げかけた腰を戻し、マチルダに結果を促す視線を送る。


 横から突き刺さる視線を浴びながらもしばらく無視を決め込んでいたマチルダだったが、諦めたような表情を浮かべ大きい溜息を吐くと重たそうに口を開いた。


 「ちびちゃんと合流し終わった時には、もう錯乱にかかっていた可能性がある」


 その言葉を聞いた瞬間アンジェリカは天井を仰いだ。謎ばかり増える結果にもうこれ以上は聞きたくないし付与経路とかもうどうでもいいと投げやりな気持ちになる。言葉を発したマチルダ本人ももうお手上げだと言わんばかりに顔を横に振っているので尚更である。

 それでもなけなしの情報共有精神を奮い立ててアンジェリカは「それで」と短く問うが、嫌々なのが丸分かりな聞き方になってしまったのは致し方ないだろう。


 短い問いの続きは確実に、なぜそういう結論になったのか? だろう。そう問われる事は十分分かっていた、分かっていたから視線を無視していたのにとマチルダは珍しくも不貞腐れたい思いだった。言いたくなかったのだ。だが言わねば先に進めないだろうと、自身の考えを告げる。

 

「合流してすぐの時、ちびちゃんが俺に言ったんだ」 


 ありがとう。……ごめんね。って。


 マチルダは自嘲気味に笑って、呟く様に言う声が物音一つしないリビングに響いていく。


「無性に腹が立ったよ。原因は俺達だ、なのに謝って、感謝の言葉まで口にするんだ」


 責める言葉の一つも寄越さない、罪悪感でどうにかなりそうだ、とあの時そう思ったんだ。

 あの感情の起伏自体、なんとも俺らしくない。という事はもうすでに錯乱状態だったんだろうな、俺は。

 そう吐き捨てるように言うとマチルダはそれきり口を噤んだ。

 

 自身について余計な話しをしない彼女のらしくない心情の吐露に、そうさせた原因であるアンジェリカは流石に申し訳ない気持ちが湧く。それに、マチルダは原因は俺達と言ったが今回の出来事の本元は自分であるとアンジェリカは自覚している。


「……そう。今回の騒動についてのおちびへのけじめは私の方でちゃんと付けるから安心してちょうだい」


 名を上げられた彼女に対して普段から厳しい態度を取ることが多いアンジェリカがどう責任を取るのか、軽く想像しただけで楽しい事になるだろうなとマチルダは少しだけ上向いた気分と口角のままアドバイスをする。


「ああ、そういえば。役に立つか分からないが、どうもちびちゃんに聞いたところあちらの女性は〝ちやほや〟されると嬉しいと感じるとの事だ」


 さも助言ですという風にマチルダが神妙な面持ちのままさらりと言う。言われたアンジェリカは訝しげに眉間に皺を寄せると言った本人をじっと見詰め、瞳からは何も掴めなかったのか今度はバーバラに真偽確認の視線を送るとバーバラは優しく慈愛に満ちた微笑を浮かべた。肯定の意を感じ取ったのにどこか釈然としないアンジェリカだがマチルダに礼を言いこの話題を終わらせた。


「ねぇ~、もうお話終わったあ?」


 なんとも言えない微妙な空気が漂う中、会話が途切れた一瞬の隙間にそんな空気など少しも気にせず明るく甘い声が割って入る。


「もうじきカオカのケーキが焼き上がるの! 出来立てをおちびちゃんに食べて欲しいから、もう起こしてもい~い?」


 甘い空気を纏って甘いお菓子を作り甘い声を発する存在。例の彼女を一番甘やかす筆頭であるキャサリンだ。今は武装を解いてフリフリエプロンを着けるに相応しいレースがふんだんに使われた可愛らしいワンピース姿で長椅子に向うキャサリンは、身体を独特にくねらせて歩く姿がまさにレースの妖精と見間違わんばかりである。


 装備品の重量がなくとも保有する筋肉を主張する重い足音を立て、目的の長椅子前に辿り着けばカオカの残り香がする指先で眠っている彼女の頬を優しく突きながら起きてぇと可愛らしく目覚めを促す。

 そもそもアンジェリカの魔術で昏睡させられているのだから普通に起こしたところで目が覚めることはない。眠っている本人が知ったら憤慨する事ではあるが致死級の攻撃を受けようやく覚醒する程に強力なものだ。

 

 錯乱経由は不明、あと手掛かりを持っていそうなのは眠りこけている彼女だけ。もう手詰まりだなと考えアンジェリカはもう有意義な情報はないかと視線でマチルダ、バーバラ、カトリーナに確認を取る。キャサリンは彼女が起きないのを良いことに突いて遊び始めている。三名からは特に声は上がらない。あ、ムダ毛! と彼女の眉を見てキャサリンが上げた声をアンジェリカは黙殺した。


「騒がしくなるわね」 


 呆れ顔でそう言いながらもアンジェリカの声音は先程まで張り付いていた緊張を解いていて、どこか穏やかだ。

 

 キツめに見える瞳を瞼で隠すと、アンジェリカの中で草原を駆け抜ける突風のざわめきが通り過ぎた。

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