帰還編

素足ハイキングで得たものは、ざっくりやった切り傷でした

 

 マチルダの発言から逃げるように私は空想する。


向かっている街で見知らぬ良い男と視線が絡むと、男が誘うように細い道に入る。男から目を離せないまま私もすぐ男の後を続けば、待っていたと言わんばかりにすぐさま逞しい腕に力強く腰を抱かれた。反動で上向いた私の顔に男の唇がゆっくり降りてくる。私も薄く口を開いて男から僅かにみえる舌を迎え入れようと……そんないい所で私の空想はざわざわと賑やかな音が耳に届き始めたことで中断させられた。


私の予想よりずっと早く街についたみたいだ。これからがいい所だったのでもう少し空想に耽っていたかったかな! ほんっと、いい所だったんだよ!


 未練たらたらではあるがコートが作る暗闇の中、耳をすませば荷馬車が上げるゴトゴトとした音、商店のドアが開き閉めして鳴るベル、石畳を踏みしめ通りすぎていく無数の靴音、人のざわめき。街の中心部なのだろうか。

 こんな状況ではあるけれど、余所の街に来るのは初めてで、とても興味がある。せめてどんなものかと顔だけ出そうと身動ぎすれば行動を察したのかマチルダから制止の声をかけられる。いやこの声はマーティンだけど。


「やめた方がいい。まあ、住民の視線を一身に浴びたいと言うなら止めないが」 

「ひぃ!」


 悲鳴が出た。え、なにそれ怖い。……でもよく考えれば、いやいや、よく考えなくてもコートに包まれた人間らしき物体を抱えて運ぶ人がいたら街の人は何事だと見もするだろう。私が通行人だったら確実に見る。しかも音を聞く限り人通りが多く、もしかしたら大通りかもしれない。最悪だ、もうこの街には二度と来れない。いや顔バレしてないけど。こう、心情的に。せめてと思い、コートの合わせをキツく握り合わせたらマチルダにまた笑われた。今現在マチルダ一人が注目を浴びていると言う事なのに随分余裕そうだ。


「マチルダは恥ずかしくないの?」


 そう純粋に思ったまま聞けば、視線を向けられる事にはなれてるさと軽い調子で答えられた。マチルダ、いや、オネエさん達の闇をほんの少し垣間見た気がした。あとそろそろマーティンやめろや。


拷問でしかない羞恥責めは石畳を歩くマチルダの靴音が木板を踏む音に変わり、ドアが閉まる音と共に喧騒が遠退くことで責め苦の終わりを知らせてくれた。

ほっとしつつ、ここはどこなんだろうという疑問を足を止めたマチルダに聞く前に、マチルダが誰かに話しかける。


「両手が塞がっているから助かったよ。帰還陣はすぐ使えるかい?」

「はい、すでに整っております」


マチルダの素声にまだ慣れないせいか他人同士の会話みたいだ。声の振動がマチルダに触れている部分から伝わっていなければ誰かが雑談してるーって気にも留めない自信がある。てか、きかんじん、状況からみて帰還陣でいいのかな? そんなものがあるなんて初耳である。


また歩き出したマチルダに状況説明を求めれば、今はこの街のギルドに着いたこと、ギルドには他のギルドに行き来する移動陣があり、基本往復セットで行きは進行陣、帰りは帰還陣と分類されている。そんな便利な物あるなんて聞いたことないと非難めいた口調で言えば、とってもい~いお値段なんですって奥様。おいこの出費の埋め合わせどうすんのよ、私が全額負担とか言われたら臨時バイトするしかないぞ。元凶の小鳥ちゃんに請求したいが……返済能力なさそうだなあ。


 予定外の出費に頭を痛めて、はぁ、とため息を吐くと同時にマチルダが歩みを止めた。その瞬間、ザワッと空気が動いた。突然の感覚に身を固ませると、頭上から聞きなれた、それでいて優しい声が降ってくる。


「お帰りなさい、ちびちゃん」


 マチルダのその一言で、力んだ身体から徐々に力が抜けていく。心底安心できたせいか力を抜きすぎてぐでんぐでん状態の私を気に留めない余裕をもって、抱え直してくれた。知っている空気だからか、いつものマチルダに戻ったからなのか、その両方だなと結論づけ、ため息とは違う安堵を含んだ息を、ようやく吐きだせた。


 疲れた、肉体的にも精神的にも。帰ったら昼寝したい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る