本当ごめん、石鹸屋さん


 気が付けば店内にいる女性客達も店員さんもフードを取ったマチルダを見たまま固まっていた。最初の時と違って今はポカンと呆気に取られている表情で、その変化が何故なのか私は分からない。説明求む。

 本当帰ったらちゃんと聞かなくてはと考えていると、正気に戻った店員さんがマチルダに向って視線を上げながらおずおずと声をかけた。


「魔術師の方、では、ない、?」

「いや、残念ながら独身の魔術師だ」


 店員さんと視線を合わせたマチルダが笑顔で答えると、店員さんが表情ごと硬直した。ついでに言うとこの会話も全く理解できない。なんで店員さんがマチルダに魔術師なのか確認したのか、いまだに怯えているのかも。

 隣に立ったバーバラに小声でそっと全く意味が理解出来ないと告げれば、バーバラはマチルダの名を呼んだ。固まった店員さんを気にせずカウンターで石鹸選びを再開させていたマチルダは「ああ」と一言だけ返すと私に解説込みの説明を始めた。ねえ待って。なんで名前呼んだだけで意思疎通できるの?


「まず女性が苦手ってのは全ての魔術師に当てはまる事実だ」


 勿論、俺も。と付け加えたマチルダの手は忙しなく動き、石鹸の香りを確かめている。普通に店員さんと近くで喋ってたけど大丈夫なの? と現在も変わらない店員さんとの距離を心配して聞く。当然心配なのは恐怖で固まったままの店員さんが、である。超心配。


「俺はカウンター越し、が限界かな?」

「それ以上近いと、その、どうなるの?」

「そこまで近付かれた経験がないから何とも言えないが、多分」

「多分?」


 少し歯切れ悪く言葉を止めるマチルダに珍しさを感じたが、気にせず続きを促がせば溜息混じりにマチルダは言葉を吐きだす。


「無意識に攻撃してるんじゃないか?」


 その言葉で一気に疑問が解けていく。


 今度は私が眉間を押えながら天を仰いだ。

 だからか。だから店内に居る全ての女性が恐怖したのか。

 本当、本当ごめんなさい。


 心の中で何度も謝罪を繰り返していると肩に温かく心地よい重みが乗る。分かってる、バーバラだ。私も同罪です、という苦悩に満ちた思いが伝わってきた。マチルダの会計が終わったら一緒に店内の皆さんにごめんなさいしようね、と伝えれば勿論ですとバーバラは同意してくれた。


 謝罪の言葉しか出てこない私とは対照的に、マチルダは石鹸選びが終わったのか今度は香油を物色している。もうやめて、そんな悠長にお買い物しないで。

 案外早く気に入った香油が見つかったのかマチルダは小さな瓶を数本手にしてカウンターに置くと、いまだ硬直したまま動かない店員さんを指差し「バーバラ、なんとかしてくれ」と助けを求めた。

 深い溜息と一緒にバーバラが即、神聖術を発動させる。わーい、昨日から大活躍だよ異常解除術!


 効果範囲を全体にしたのか店内の天井一面から清浄な光の粒子が舞い降り、慰める様に身体を通り過ぎていく。心が軽くなる心地に自然と息を吐きだし店内を見回せば、他の女性達も同じ様に小さく吐息を溢していた。店員さんも無事回復したのか既にマチルダの会計をはじめていた。本当、本当よかった。


 店員さんが合計額を伝えるとマチルダはカウンターにその金額分と、またそれとは別に見慣れない硬貨を一枚置き、店員さんに「この店で一番高価な商品は?」と尋ねる。顔の強張りは残るものの先程より表情が戻った店員さんがローザ系香油の商品名と値段を口にすれば、マチルダは足りるなと独り呟くと店内に居る女性客の方に目を遣りながら口を開く。


「迷惑をかけたお詫びに、それをこの場に居る女性全員に頼む」


 言い終えると同時に女性客の皆さんに笑顔を浮かべ、そのまま店員さんに向き直ると「勿論、君の分も」と付け加えた。そのやり取りを見て今度は私とバーバラの二人が、ポカンと呆気に取られた顔を晒した。


 店内にいる全ての人間が停止したのを気にもとめずマチルダは紙袋を掴み、後ろに居る私達に向き直ると小さく笑いを溢し「間抜け面だぞ」と告げるとドアに向かった。

 置いていかれる形になった私とバーバラは自然とお互い見つめ合い、頷く。そのまま出入り口であるドアの前まで二人で移動し、店内を見渡せるように向きを変えると姿勢を正し、軽く頭を下げ二人で口を開いた。

 

「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」


 バーバラとピッタリと合わさった謝罪の言葉を店内全ての人達に向けて伝える。

 言い逃げになってしまうが居た堪れな過ぎて皆さんが固まっている内にとドアを開け、すぐに店から出た。もうマチルダとは絶対来ないと心に誓うのも勿論忘れない。

 


 店内の滞在時間は30分にも満たない筈なのに途轍もなく長く感じた。やっと外に出れたと開放感に浸る間もなく、ドア横の外壁に背を預けて私達を待っていたマチルダを視界に入れた瞬間、私は声を発していた。

 

「バーバラ先生、やっちゃって下さい」


 私が言葉を言い終わる前に、微笑のままバーバラが素早く片手をマチルダに向け、突き出した。

 マチルダは持ち前の身軽さでバーバラの手を避けるが流石に危機感を持ったのかバーバラに制止の声をかける。今、確実に顔面狙ってたぞバーバラ。


「洒落にならないからやめてくれ」

「大丈夫ですよ、殴ったりしません。私も魔術師を見習って顔面を掴ませて頂こうと思いまして。安心して下さい」

 

 どこにも安心できる要素が無い。だがそれがいい、バーバラお願いします。

 相当バーバラもお怒りになっているのか、避けられた手を未だ下げることなくマチルダに狙いを定めている。私は完全に便乗するようにバーバラに《頑張れ》と言霊を発して身体強化を施す。次は外すな、やれ。


「っ! 分かった分かった! 俺が悪かった」


 私が言霊を発したのを見て分が悪いと判断したマチルダは、降参だというように軽く両手を上げ謝罪を口にした。この怒りがちゃんと伝わってくれて私は嬉しい限りです。欲を言えばバーバラにアイアンクローされればよかったのに。


 珍しく完全降参したマチルダの様子に、この場は一度これで引こうとバーバラと一緒に憤りを逃すよう深い息を吐きだした。


 バーバラに付与した言霊を解除し、やっと帰れるとホームに向けた歩みはしかしマチルダに腕を掴まれる事で阻止された。瞬時に私は横に居たバーバラの腕を掴んだ。やめて。もうお家に帰らせて。


「待った。次は依頼仲介所だ」

「え、やだ。絶対やだ」


 マチルダの言葉に真顔で即お断りを返す。本日絶対行きたくない堂々1位の場所じゃないですかヤダー。マジお前なんなの、昨日の今日だよ? どんだけメンタル最強なんだよ、あ゛?


「ちゃんと理由はある。ちびちゃんに一度しっかり常識の確認をしないといけない」

「それならホームに帰ってからでもいいじゃんか」


 どんな理由だろうが本日の話し合いはホームに帰ってからと絶対拒絶の心持ちで反論すれば、マチルダは「ああ、それなら」と言葉を一度切ると愉し気な眼差しのまま意地悪く歪に口角を上げて続きを口にする。


「沈黙と拘束をかけられて担がれる方がお好みかな?」 


 拒否権なんか無かった。そうされた場合を想像し恐怖で固まる中、慈愛さえ感じる優しい声が会話に交ざる。ありがとうバーバラ!


「なら荷物が邪魔になるでしょうから先にマチルダの分も持ち帰っておきますね」


 あっさりと裏切られた。ゆっくり話し合えるよう親切な提案という尤もな理由を付けて自分だけ逃げようとするバーバラの言葉に、腕を掴んでいた手にありったけの力を込め袖周りが皺くちゃになろうがお構いなしに、逃がさぬという意思を言葉でも伝える。一人ダケ逃ゲルナンテ許サナイ。


「捨てられた女が言うような台詞を大声で叫びながらバーバラの足元に縋るが、よろしいか?」 

「分かりましたご一緒しますので絶対やめて下さい」


 私がそう言えばバーバラは息も吐かずに即降伏を宣言した。いいんだよ断っても、全力で私を捨てないでと縋ってやるぞ、ん?

 それ、少し見てみたい気がするな、と呟いたマチルダにキレ気味にうっせテメーにも縋るぞと返せばマチルダは反論することなく未だ掴んで離さない私の腕を引っ張り依頼仲介所に向かって歩き出した。

 マチルダに引かれる腕の反対の手はガッツリとバーバラの腕を掴んでいるので、私が動けば必然的につられる形でバーバラも歩み出す。なんだこれ。学生のじゃれ合いじゃないんだから。いい年した大人がやっていい事ではない、恥か死ぬ。


 でも絶対マチルダも私も掴んだ手を離す気は無いのだけは分かる。

 離した瞬間、逃げる。絶対にだ。私は確実にそうするし、バーバラもそうだろう。

 なら仕方ない。お互い様だと、そう諦めた。



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