第29話
「……キョンくん、何でそいつが、まだいるの?」
その時突然自室の入り口から聞こえてきたぞっとするような冷たい声音に、俺はぎょっとなって振り向いた。
なぜならそれは間違いなく、無邪気で人懐っこいことで定評のある我が妹の、可憐な花の蕾のような唇から紡ぎ出されていたからだ。
──っ。自慢のサイドテールを結んでいるリボンの色が、『黒』に変わっているだと? すわ『司令官』モードか⁉ ……………………いやそれは、『で〜と・あぃ・らぶゆ〜』とか何とかいった、別の作品だっけ。
「お、おい、どうした? そんなおまえらしくもない、いかにも不機嫌そうな顔をして」
腕を組み壁に寄り掛かりつつ、こちらを侮蔑の表情で見下ろしている妹様に向かって、いまだベッドの上で上体だけ起こした格好のままで、おずおずと声をかけてみたところ、
「『どうした』は、こっちの台詞よ!
……阿修羅のごとき形相で、一喝されてしまいました。ひいっ。
いやだから、みんなもっと、
だが、彼女の言うことも一部に関しては、ごもっともと言わざるを得なかった。
今日は二月の第三日曜日──すなわち、すでにヴァレンタインデーは終わった後であった。
その間何が起こったかと言えば、むしろこの二次創作においては非常に珍しいことにも、まさに皆さんよくご存じの
ただしそれは、『八日後の朝比奈さんの記憶』という精神サイドのみに限った話で、それまで依り代として宿っていた、
それで今や本来の自分に立ち返った彼女が何をしているかというと、なぜかすっかり俺の自室に居着いてしまって、現在もベッドの上でパジャマ姿のままで俺にじゃれついているという、非常に自堕落な生活を謳歌されており、その結果ついに妹殿の堪忍袋の緒がぶち切れたといった有り様なのでした。
何せ、自分のことをことさら煽るかのようにして、これ見よがし俺にしなだれかかって首っ玉に抱きついている千代のほうを、さも憎々しげににらみつけているその様は、まるで親の敵を見るような凶悪極まるご面相をしておられることだし。
「いやいやいや、お怒りはごもっともなれど、『頭がアレ』とか『妄想癖』とか『中二病』はないだろう。仮にもこいつは俺たちにとっては、御本家のお嬢様なんだぞ⁉」
思わず不遜なる妹たしなめる、現在物理的に『お嬢様と一緒♡』な兄上殿。
しかしそれこそは、文字通り火に油を注ぎ込むかのような、愚行でしかなかった。
「はあ? そっちこそいつまでそんな引きこもり女に、こびへつらっているつもりなのよ? 私たちのことを一方的に絶縁したのは、鶴屋の奴らのほうじゃない。今更本家も分家もないでしょうが⁉」
いつもはつぶらな愛らしい双眸を、くわっと見開き怒鳴りつける妹殿。………………ちょっと、怖いよ⁉
そんないまだ幼いJSのただならぬ剣幕に、すっかりびびっていた、
まさに、その時。
「ふうん、それで
唐突にすぐ側から聞こえてきた、どこか人を小馬鹿にしているかのような、いかにも意味深なる台詞。
それはこれまでひたすら沈黙を守り、俺たち兄妹の言い争いをさも面白そうに眺めていた、『隣のお嬢様』によるものであった。
「……ミヨキチは、あくまでも親友よ。それにたとえ白蛇だって、
「へえ、やっぱり彼女の本性を知っていて、『大好きなお兄ちゃん』を人身御供にしたんだあ」
「──っ。散々利用しておいて使い捨てにした、あんたたち姉妹には言われたくはないわよ! それなのに今更すり寄ってきたりして、今度は何を企んでいるの⁉」
「おお、怖い怖い。うふふふ。つまりあなたはただ単に『ミヨキチ』さんの恋の応援をしているのではなく、むしろ『毒をもって毒を制する』を地で行って、『愛するお兄ちゃん』を守ろうとしているわけね。さすがは分家とはいえ、鶴屋の女。案外あなたにも、『巫女』の素養があるのかもね」
「だ、だまれ! こんな間抜け兄貴なんて、どうなろうが知ったことじゃないわ! それに鶴屋の巫女になるなんて、金輪際お断りよ!」
……何だ、こいつらさっきから、一体何を言っているんだ?
なぜだかいきなりミヨキチを引き合いに出したかと思えば、神守だの白蛇だの人身御供だの毒をもって毒を制するだの鶴屋の女だのと、いかにも思わせぶりな不可解ワードばかりを連発しやがってからに。
どうやら話題の焦点は俺自身のようなんだが、当の本人が完全に意味不明に置いてきぼりにされているのは、どういうことなんだ?
そのようにただただ呆然とするばかりの俺を尻目に、更に延々と続いていく女たちの熾烈なる舌戦。
それは一見、ツンデレの妹と幼なじみのお嬢様が俺のことを取り合っているという、あたかもラノベあたりのモテモテシークエンスのようでありながらも、むしろ実のところは、二匹の肉食獣が今日の晩ご飯の草食動物を奪い合っているようにも思えるのは、果たして気のせいであろうか。
☀ ◑ ☀ ◑ ☀ ◑
「そりゃあ、たとえお身内であろうが幼なじみであろうが、女性陣があなたのことを取り合うのも、当然ですよ。何せ『作者』であるあなたを手中に収めれば、自分こそが『ヒロイン』になれるのですからね」
毎度お馴染みの放課後の
俺がこの八日間に起こったことを洗いざらい告白して、いまだ納得のいかなかったり理解の及ばなかったりする不可解極まる諸々の点についてご教授いただこうとしたところ、その超能力少年はいつもの涼しげな表情で、開口一番いかにも芝居じみたことを言い放った。
いやだから、おまえはおまえで性懲りも無く、メタっぽいことばかり言っているんじゃないよ⁉
「……何だよ、俺が『作者』だから、妹や
「おやおや、相変わらずご自分の、この世界における価値を、自覚しておられないようで。いやはや、そんなところまで
…………この二次創作に登場してくるやつはどいつもこいつも、いかにも思わせぶりな台詞をしゃべらなければ死ぬ病気にでも罹っているわけなのか?
「まあ、いいでしょう。この件に関しては軽々に論ずるわけにはいかないことは、重々承知しておりますからね。いずれ必要に迫られた時にでも改めて、じっくりと語らせていただくことといたしましょう。──それに、今あなたが何よりも知りたいのは、今回の件における
「──っ」
……さすがは蘊蓄大好き超能力者、すべてはお見通しってわけか。
「そうなんだよ、
「いやいや、難しく考える必要なんてないんですよ。すべてはこの二次創作においては何よりも、
「へ?
「まず何度も申しているように、この物理法則が支配している現実世界においては、SF小説や漫画なんかでお馴染みの、肉体丸ごとのタイムトラベルなんて断じてあり得ないのですが、中でも特に『一つの場所には同時に複数の物質は存在し得ない』という大原則に則れば、狭っ苦しい掃除用具ロッカーの中にある意味未来からの瞬間移動である、タイムトラベルを実行することなぞ不可能でしょう。よりわかりやすい例としては、コンクリートの壁の中についうっかり瞬間移動した場合なんかがイメージしやすいかと思いますが、壁の中で押しつぶされるか、SF小説ならではの『対消滅』(誤用)によって、半径数キロにわたって大爆発でも起こすといったところではないでしょうか。これについては掃除用具ロッカーの中へのいきなりのタイムトラベルも、同じことなのです。良くて掃除道具との融合、最悪でこちらも対消滅(誤用)といったところでしょう」
「……いや、そこのところがいまいち、よくわからないんだよな。掃除道具はもちろんだが、おまえ前に『この世界の陸上には少なくともどこでも空気が存在しているのだから、瞬間移動やタイムトラベルの類いはけして実行できない』って言っていたけど、瞬間移動やタイムトラベルをすることによって、元々そこにあった空気や掃除道具が押しのけられたりはしないのかよ?」
「そりゃあ、普通に走ってきて掃除用具ロッカーの中に飛び込む場合にだったら、空気や掃除道具を押しのけることもできるでしょうけど、事はあくまでもSF小説ならではの超常現象である瞬間移動やタイムトラベルなのであり、いきなりその場に他の物質が現れて、前から存在していた物質と同じ空間に併存することになるという、物理法則的にけしてあり得ない現象を実現してしまうわけなんですよ」
あーあー、なるほど。何となく理解できた気がする。
「それにそもそもこの二次創作においては、朝比奈さんに『一人二役』的に『朝比奈さん(大)』を兼ねさせることによって、何とか物理法則を守ってきたわけであり、今更
「……それで千代に、お鉢が回ってきたのかよ?」
「ええ。とは言ってもこの二次創作の初期構想においては、鶴屋さんご本人の役どころだったんですけどね。何といっても朝比奈さんにとっては無二の御親友であらせられるから、彼女のことを十分ご理解なされているだろうし、
だからおまえの発言は、いちいちメタっぽいから、少しは慎めっていっているんだよ⁉
「だったらこの八日間の出来事が、『八日後の未来から来た朝比奈さん』ということになっていた千代の知識と、微妙に異なっていたのはなぜなんだ?」
「それも
──‼
「そうなのです。普通だったらほんの数日前に戻ったからって、それをタイムトラベルだ何だと騒ぎ立てるのは、SF小説や漫画の登場人物だけなのですよ。それに対して現実世界の存在である我々は、これから先あくまでも未知の八日間を体験していくのみなのであり、当然『夢の記憶』に過ぎない八日間の知識なんて、何の役にも立たないって次第なんです。──まあ、結局のところは、SF小説においてはもちろん小説全般においても、何ら不具合のない作品を創ろうと思えば、何よりも自分が設定した『
た、確かに。
俺は何よりもまず第一にこの『完全なる現実世界』の住人だが、その一方でSF的ライトノベルの代表作である『涼宮ハルヒの憂鬱』の登場人物でもあるようなものだから、どうしてもSF小説的な考えに陥りやすいけど、この現実世界でタイムトラベルなんかが実現したりすることなんて、絶対にあるわけがないんだ。
「まあ、いろいろと下手すると『
おいっ、
「……何だと、茶番劇だって?」
「今回の一連の騒動において、
「──! それって、まさか⁉」
ここにきてのまったく予想外の台詞に、俺が完全に言葉を詰まらせるのに対して、
その同級生の少年はいかにも満を持したかのように、重々しく宣った。
「そう。今回の騒動はすべて、涼宮さんでも
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます