第10話

 今年の夏休みの前半──つまりは、あのハルヒによるけったいなループ現象に巻き込まれる以前においては、俺はほとんど病院通いに終始していた。


 とはいえ、別に俺自身が、病気を患ったり、怪我をしたわけではなかった。

 だったら、ごく身近な家族や親戚の見舞いかというと、それも違った。


 ──ただしそいつが、親戚縁者はおろか下手したら自分自身よりも、大切な人であることには、間違いなかったのだ。


「……佐々木ささき


 だだっ広い集中治療室を分厚いガラス越しに見下ろしながら、俺はひとつ。

ふじわらようも、あのほとんど一般人同然のたちばなさえも、みんな異世界で頑張っているよ。──絶対におまえを、目覚めさせてやるってな」

 あたかも三文近未来SF小説のワンシーンみたいに、異様にごつい医療用のベッドの上に横たわっている痩せ細った身体中に繋がれている、無数の管。

「もちろん、俺もそうさ」

 すっかり生気を失い蒼白く染まったその顔には、かつての快活な様は微塵もうかがえないものの、間違いなくその少女は俺の中学三年当時の、誰よりもかけがえのない『親友』であったのだ。

「だから俺が必ず、おまえのことを取り戻してみせる」

 ──なぜなら、すべては俺自身の考え足らずの、愚かなる行為が原因なのだから。

「たとえ、この世界のことわりに背こうとも。──もしも『神様』とも呼び得る存在が身近にいたとしたら、そいつのことを裏切ろうともな」

 そう言って俺は、手の内の愛用のコバルトブルーのスマートフォンを、我知らずにぎゅっと握りしめた。


 まさしく藤原たちとの異世界での活躍のすべてを描いた、自作のネット小説『ゆめメガミめない』を、ディスプレイ上に表示させたままで。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「──はあ? 実は世界は過去から未来へと連続的に流れておらず、その本質はほんの一瞬のみの『時点』でしかないだと?」


 またしても得意のトンデモ理論を語り始めた、蘊蓄大好き超能力少年を、うろんな目でにらみつける。

 しかし引き続いて突きつけられた台詞に、俺はたちまち言葉を失う。


「……あのですねえ、前から言おう言おうと思っていたんですが、あなたは疑問に感じないのですか? 我々は今や永遠に八月後半の二週間がループし続けるという、異常極まりない状況にあるのですよ? こんなのとてもじゃないですが、現実にあり得るわけがないでしょうが? 普通の女子高生が突然自分のことを未来人だと言い出したり、無意識に他人の『記憶』を書き換えることである意味世界そのものを改変してしまうこと等については、一応のところ量子論と集合的無意識論とに則れば現実的に実現してもおかしくはないとは申しましたが、いくら何でもループはないでしょう。それなのに何ゆえあなたは、まるで当たり前のことのようにして、あっさりと受け容れているのですか?」

 あ。

「そ、そうだ、そうだった! 俺としたことが! ──い、いや、ほら。我々の業界(?)の常識的には、『ハルヒと言えばエンドレスエイト、エンドレスエイトと言えばハルヒ』じゃないか。だから俺も別に何ら違和感を持つことなく、『ああ、やはり俺たちSOS団の八月は、ループがないと始まらないよなあ』なんて思ったりなんかして……」

 そのように俺がしどろもどろに言い訳を弄していれば、くわっと見開かれる、いずみまなこ。……………ちょっと、怖いよ!

「そんなんだから、駄目なんですよ! いったいこれまでにラノベそのものやラノベ文芸において、『エンドレスエイト』の後追い作品がどれほど生まれたと思っているんですか⁉ その結果ラノベ作品の中でループ現象が起こるのが当たり前のようになってしまって、誰一人その現実性リアリティや論理的根拠を顧みることなく、劣化コピー作品ばかりを量産し続けている有り様なのです。きっと今年も一作二作では済まないでしょうよ、『永遠に繰り返す夏の日々の中で、出会いと(死に)別れを繰り返す恋人たちの物語』を綴った、ラノベやラノベ文芸の作品が刊行されるのはね!」

「──ちょっと、古泉さん、もうその辺でおやめになってえ! 確かにおまえの言いたいこともわかるけど、危険だから! もはや片足以上、危険水域にはまり込んでしまっているから! そもそも何でおまえが、昨今のラノベ事情に対して、そんなに熱くなるんだよ⁉」

「決まっているではありませんか! 永遠のループ作品のヒロインは、JS女子小学生以外にはあり得ないはずなんですよ!」

 ………………………………は?


「それなのに、平気でJD女子大生OL職業婦人をヒロインにするラノベ文芸は言うに及ばず、ラノベにおいてもJK女子高生かいいとこJC女子中学生なんかのBBAが関の山といった有り様。ふざけるんじゃないですよ! ループという『永遠の時の牢獄』に閉じ込めるのなら、JS女子小学生一択でしょうが! まさに今この時最も輝きに満ちている彼女たちがこれ以上成長しないように、その時を永遠に止めてしまうことこそに、ループなぞというこの世のことわりを逸脱した超常現象の存在理由があるんじゃないですか!」


 そのように、己の渾身の持論を高らかに謡い上げる、超能力少年。

 うんうんと頷きながら熱烈なる拍手を送っている、普段は寡黙一筋の宇宙人少女。


 ……もう嫌だ、こいつら。

 もしもこの二人が、『本物』だったら──中でも特に長門が、本物の統合情報思念体とやらの手先で、世界をいいように作り替える力なんぞ持っていたら、とんでもないことになっていたんじゃないのか⁉

 ああ、これが何でもアリの原典オリジナルではなく、量子論と集合的無意識論に則り、何よりも現実性リアリティを重んじる二次創作で本当に良かった!

 ……つうか、そもそも原典オリジナルの古泉と長門だったら、こんな馬鹿げた展開になりはしないか。

 とにかくこれ以上こいつらとつき合っていたら、俺まで『危険思想』に染まってしまいかねん。

 ここはむしろこっちのほうから率先して、話を進めることにしよう。

「……それで、このループ現象の原因は、いったい何なんだ? まさかここに来て、本物の超常現象が起こったりしたわけじゃないんだろう? となると、やはりハルヒがかんでいるわけか?」

「当然です。──と申しますか、結局これも、いつもと同じことなんですよ」

「へ? いつもと同じって……」

 あまりにもあっさりと返された古泉の意外な言葉に、つい訝りの声を発してしまった、

 その刹那であった。


「我々は別に、実際にループを体験しているわけではありません。あくまでもすずみやさんからいわゆる『ループの記憶』のみを、自分の脳みそにすり込まれているだけなのです」


 なっ⁉

「記憶をすり込まれただけって、そんな馬鹿な! そんなんで本当に、現在のループ状態が実現できるとでも言うのか? これってどう見ても間違いなく、『八月後半の日々の繰り返しエンドレスエイト』以外の何物でもないじゃないか⁉」

 あまりにもとんでもない話に、泡を食って問い詰める俺であったが、目の前の優男ときたら、いかにもあきれ果てたように、大きくため息をつきやがったのだ。………………くっ、失礼なやつめ!

「まさかあなた、我々が本当に物理的に、一万回以上もループを繰り返していたり、そうじゃなかったら原典オリジナルにあるように、ループするごとに前の周回が無かったものとして消去デリートされたりしていると、本気で思っているのですか? 何度も言うようですけど、これこそ基本中の基本ですので是非ともすべてのプロのSF小説家の皆さんに覚えておいていただきたいのですが、あくまでも今現在においては、我々は今ここにいるだし、世界そのものもなのであって、万が一にも実際に時間が経過することなく、物理的ほんとうに同じ日時を同じ世界の中で同じ人間たちが『別ヴァージョン』的に繰り返したり、『新しい世界』などと称するものやその中の森羅万象が生まれるために、『古い世界』などと称するものやその中の森羅万象が消去デリートされることなぞ、絶対にあり得ないのです」

「いやでも、俺にはちゃんとループの記憶があるぞ? それもかれこれ一万回ほど、同じ日時を繰り返した記憶が」

「そりゃああるでしょうよ、何せ『丸ごとすべての記憶』をすり込まれているのですからね」

「え? 丸ごとすべてって……」


 またしても思わぬ言葉に面食らう俺に対して、目の前の同級生は、ことさらもったいぶるかのように厳かにこう言った。


「実はですね、本物の8月17日から31日までの日々は、いわゆる『最初の周回』でとっくに終了しているんです。それに対して現在僕たちがループであると感じているのは、おそらく現実の31日の終わり頃に涼宮さんによって与えられた、『別ヴァージョン』の──つまりは、僕がこれまで何度も口にしてきた、『無限に存在し得る別の可能性』の8月17日から31日までの日々の記憶なんですよ」

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