第28話
今から数年前の幼少のみぎり、俺は何とも奇妙な夢を見た。
一言で言えばそれは、うちの御本家であり我が国有数の名家である、
しかもどうやらこれは未来の光景らしいのだが、不可解なことにも俺の目の前には次々と、『A社を選んで成功した未来』や『B社を選んで成功した未来』や『A社もB社も選ばないで成功した未来』等を始めとして、数えきれないほどの無数の未来の有り様が走馬灯のように展開されていったのだ。
とはいえ、そこはそもそも時間と空間の概念自体が存在しない、夢の中といったところか。すべてはあたかも一瞬の出来事のようでありながら、その癖ちゃんと俺の記憶に刻み込まれていったのだ。
『──どう、初めての「
あまりに尋常ならざる怒濤のような情報の奔流に、夢の中だというのに呆気にとられて立ちつくしていたまさにその時、突然すぐ間近からささやきかけてきた涼やかな声。
「──って、
振り返ればそこにいたのはこの春に小学六年生になったばかりの、親愛なる御本家の双子の姉妹のうちの妹のほうの少女であった。
ただしその華奢な肢体を包み込んでいるのが、『くだんの娘』である姉のほうの
しかもいつもはツンとそっぽを向いてばかりいるはずの日本人形のごとき端整な小顔が、どこか神々しさをかもし出しながら俺のほうをただひたすら見つめ続けていることに何だか落ち着かなくなり、思わず声を荒らげてしまう。
「な、何だ、その奇妙な格好は? それにどうしておまえがいきなり、俺の夢の中に出てくるんだ⁉」
『だってこれは、私がお見せしている夢なのですもの』
「はあ?」
更なる意味不明な言葉にきょとんとなれば、何と少女が自ら俺の両手を握りしめてくる。
「なっ、ちょっと、万桜⁉」
『──おそらく明日にでも本家からお呼びがかかると思いますが、その際には今宵この夢の中で御覧になったことを、包み隠さずすべてお語りくださいませ』
「へ? それって……」
面食らう俺へと向かって、少女がおもむろに微笑んだ。
現実世界ではほとんど目にしたことのなかった彼女の笑顔は、まさしく大輪の花が咲き誇るかのように
『本当によかった。私のほうが「
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「……ったく、そりゃあすでに忘れ果てていたはずの、懐かしい夢も見ようってもんだろうよ」
真冬の真夜中だというのに、季節外れの暑苦しさを感じてふと目を覚ました俺は、ため息まじりに独りごちた。
──確かに一人っきりで寝ていたはずの自室の床に敷かれた布団の中で、『八日後の
☀ ◑ ☀ ◑ ☀ ◑
毎度お馴染みの
何せ、外見は『
これではむしろ、この広い世界において彼女の居場所は、どこにも無いとも言えた。
まず最初に彼女は、なぜか
何せ我が国の誇る名家中の名家である鶴屋家において、『くだんの娘』である千代の存在は極秘中の極秘であるのだから。
それでは彼女自身が申告しているように、『朝比奈みくる』としてご自宅にお帰りいただけるかというと、もちろんこれもどだい無理な話であった。
彼女は外見的には『鶴屋さん』なのであり、当然お
そもそも彼女自身が自分のことを、『未来から来た朝比奈みくる』であると認識しており、この時代の自分自身や家族にその姿を見せることを良しとはしないであろう。
だったら『鶴屋千代』として、鶴屋御本家にお帰り願えるかというと、むしろこれこそが最大の悪手とも言えた。
何と言っても門外不出の『くだんの娘』である千代が、同行者も無しでたった一人で俗世をうろついているという、非常事態なのである。
自分でこっそり屋敷を抜け出したか、誰かしら外部の者によって誘い出されたかと思われるところであり、御本家とはいろいろと確執のある俺が送り届けてやったりすれば、俺こそが千代を連れ出した張本人と決めつけられて、どんな理不尽な目に遭わされるかわかったもんじゃなかった。
とはいえ、俺以外の者が送り届けたりするのも、言語道断である。
何度も言うように鶴屋家にとっては、くだんの娘はその存在自体が最重要機密なのである。下手に一般人が関わったりすれば、社会的に抹殺されることすら十分あり得るであろう。
つうか、千代自身が自らを『八日後の朝比奈さん』であると主張している現状においては、鶴屋家に帰る意思なぞなく、古泉等の第三者に迷子として警察に連れて行ってもらうとしても、自身の氏名等の個人情報を聞かれた場合、朝比奈さんであることを主張して混乱を呼ぶか、それとも未来人として頑なに黙秘を続けるかといった、あまり実りのない展開が予想された。
それならいっそのこと
いやいやいや、おまえだって現役のJKだろうが? その論法でいくと、おまえ自身もBBAってことになるぞ。
その結果もはや選択の余地はなくなり、一応親戚でもある俺の家に連れて帰ることになったのであるが、
「……うわあ、ついに鶴屋家の御令嬢まで、本格的に落としにかかりましたか」
「きっとそのうち刺される。特に妹さんの親友のJSとかに」
などと、外野二人が聞こえよがしに、不穏なことを言い始めたのであった。
だったらおまえらが、面倒見てくれよ!
しかし当のご本人に確認をとってみたところ、別に嫌がるそぶりを見せることはなく、むしろ何だか乗り気のようでもあって、結局賛成多数によって、俺は外見上は『鶴屋さん』そのものであるところの、かつての親愛なる幼なじみの片割れを、晴れて『お持ち帰り』することとなった。
そして実際に連れて帰ってみれば、うちの家族の歓迎ぶりときたら、想像以上に盛大なものであった。
どうやら両親は、彼女のことを本家次期当主である
この数年間俺のことを慮ってか、あえて鶴屋家について話題に上げることは無かったものの、やはり親父たちも御本家との復縁を願っていたわけだ。
何せ次期御当主様自らの、
よって実はこれって、次期当主の万桜ではなく、本来門外不出のくだんの娘である千代を勝手に自宅に連れ込んで、今度こそ間違いなく本家との関係を完全に壊しかねない特大の火種を抱え込んでいたりすることであるのは、絶対に秘密にしようと心で堅く誓ったのであった。
そんなこととはつゆ知らずに、お袋はせっせと千代のためだけに居間を即席の『客間』に整えて、そこに泊まっていただこうとしたのだが、なぜかご本人が俺との同室を強硬に希望したので、最終的には『お嬢様』のご意見がまかり通ることとなった。
当然両親としては最初のうちは、「年頃の男女が同室なんて、とんでもない!」と困惑気味であったものの、あまりにも千代が熱心にごり押しするものだから、「おやおや、これはひょっとして?」「うちの息子もなかなかやるではないか」「これでは復縁どころか、御本家とより近しい血縁関係になるかも♡」などと勝手なことをさえずり始めて、しまいには「では、後は若い者同士で」「避妊だけは気をつけるんだぞ?」なんてわけのわからないことまで言い出す始末であった。
……ところで、『鶴屋さん』あたりが自宅に来ようものなら、
とはいえ、こちらとすればあくまでも、いつ何時各方面に対して大爆発するのかわからない『爆弾』を抱えているようなものなのであり、浮かれた気分に浸ったりすることなぞなく、食事や入浴が済んだ後で自室に千代をご招待するや、ベッドを彼女に明け渡した後で自分は床の上に来客用の布団を敷いて、ようやく終わりを告げたてんやわんやの大騒動の一日の疲れに抗うことなく、さっさと就寝することにした次第であった。
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「……いや、間違いなく、そのはずだったんだがなあ」
それが何で、こんなとんでもない状況になっているんだ?
長々と続いた回想を終えるや、俺の身体にコアラのように抱きついたまま眠り続けている
「──あれ? 考えてみるとこの状況って、根本的におかしいんじゃないのか?」
御本家のお嬢様だくだんの娘だと言ったところで、俺にとっては単なる昵懇の幼なじみに過ぎず、特に
「……と言うことは、この子はあくまでも『朝比奈さん』として、俺の布団に潜り込んできたってわけか?」
もしかして朝比奈さんたら、密かに俺のことを──などと、一瞬浮かれたものの。
「いや、それはないか」
たとえ朝比奈さんが俺のことを憎からず思っていたとしても、あの奥ゆかしいご性格を鑑みれば、いきなりこんな大胆な行動に打って出るはずはないからな。
「するとやはり現在この子は、身も心も千代に戻っているわけなのか?」
そういえば、
人や世界そのものが改変されるには、何かしらの時空間的『断裂』が必要なのであり、その最も代表的なものが文字通り夢と現実とを分かつ、『睡眠行為』なのだと。
そもそもこういった人格の改変は、集合的無意識に強制的にアクセスさせられての『他人の記憶』のインストールに拠るのであり、当然肉体的には何の変化も及ぼされず、しかも眠っているということは精神的活動も停止しているわけであって、『他人の記憶』のほうも作用のしようがなく、まさしく今現在の彼女は心身共に『鶴屋千代』そのものと言えるだろう。
──いや、それどころではない。
こうして完全に『中身』が眠り込んでいる現状においては、この子は必ずしも『千代』であるとは限らないのだ。
何せただ『偽りの記憶』をすり込まれるだけで、まったくの別人を主張しだすほどなんだからな。
だったら今ここにいる彼女は、その外見がそっくりそのままの『双子の妹』でもあり得るといっても、別に過言ではないのではなかろうか。
──すなわち、かつての俺にとっての最愛の幼なじみである、あの御本家のお嬢様ご本人でもあり得るのだ、と。
まるで無邪気な幼子を見守るかのような穏やかな微笑みを浮かべながら、心中でそんな邪なことを考えていたところ──。
「──嫌っ、もう私、牢屋なんかに入りたくない!」
眠り込んだままで、突然あらぬ事をわめき立て始める、腕の中の少女。
「ち、千代⁉」
「私は幸福な予言の巫女になったの! もうくだんの娘なんかじゃないの! みんなに幸福だけを与えるの!」
更にボルテージを上げながら、布団を跳ね飛ばす勢いで手足を振り回し始める。
「ちよちゃん! 落ち着くんだ! それはただの夢だ!」
「私の力は、みんなを幸せにするためにあるの! 呪われた力なんかじゃないの! だからいっぱいいっぱい、未来を予知したの! ──なのに、なのに、あの時、お父様とお母様は」
──っ。駄目だ! それ以上言っては、いけない!
「なぜお父様とお母さんは、死んでしまったの⁉」
「──‼」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい──」
あたかも呪詛であるかのようにつぶやかれ続ける、悲痛なる謝罪の言葉。
「……もういいんだ、ちよちゃんが罪を感じる必要なんて、何も無いんだ」
──だって悪いのは、すべて『語り部』である、この俺なのだから。
その時の俺はただひたすら嗚咽とともに涙を流し続ける哀れな女の子を、力の限り抱きしめてやることしかできなかった。
──そう。かつて己自身の手によって、完膚なきまで壊し尽くしてしまった、幼なじみの少女を。
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