第32話

 ──それは、俺が十一歳でが十二歳になったばかりの、ある夏の日のことであった。


 本家の蔵へと呼び出された時、場所柄姉妹そろってのお招きかと思っていたら、待ち人は数え切れない古びた人形たちと、盛夏用の薄手の白衣と緋袴の巫女装束をいまだ性的に未分化な華奢な身にまとった、少女ただ一人だけであった。

 しかもそれは千代ではなく、間違いなく万桜のほうだったのである。

「あれ、万桜ちゃんだけ? 千代ちゃんはどうしたの?」

 おそらく他の人だったら──たとえそれが彼女たちの近親者であろうが、まんまと騙されていたであろう。


 それほど彼女たち双子は、外見がそっくりなのは言うまでもなく、それ以上に何よりも、のが異常に上手かったのだ。


 ──それもそうであろう、何せ彼女たちときたら、物心がついた時から頻繁に、こっそりとお互いに入れ替わっていたのだから。


 ずっと昔に、俺が二人に初めて会った時に、同じ双子でありながら、妹の万桜が何不自由なく気ままに暮らしているのに、姉の千代ばかりが『忌まわしきくだんの娘』などといったレッテルを貼られて、座敷牢なんかに閉じ込められていることに対して非難した際に、「二人にとっては、これが『普通』なことなの」と言われたのは、こういった意味も隠されていたのだ。


 そう。実は千代は幾度となく、人知れず座敷牢の外に出ていたのであり、その代わりに万桜が姉のフリをして、座敷牢の中に入っていたのだ。


 それは別に、何らかの意味のある行動というわけでもなかった。

 何も、物心ついてからずっと座敷牢に閉じ込められてきた千代が自由を欲したわけでも、そんな姉の姿をずっと見ていた万桜が哀れんで身代わりを買って出たわけでもなかった。

 文字通りの、幼子による児戯いたずらでしかなかったのだ。

 ただ、門外不出で一生座敷牢の中に閉じ込められているはずの千代が、昼の日中に屋敷内をうろついたり、場合によってはあくまでも『万桜』として両親に連れられて屋敷の外に出たりすることもあったというのに、大人たちが誰一人気づくことが無かったことこそが、面白くて仕方なかったのである。

 この『双子の姉妹の入れ替わり』は、俺が千代をくだんの娘である『不幸な予言の巫女』から『幸福な予言の巫女』に、彼女がつる家にとって『忌まわしき存在』ではなくなって以降においても、何ら変わりなく続けられていった。

 それというのも何と、千代はくだんの娘ではなくなってからも、基本的に座敷牢内のみを生活の場として強いられ続けていたのだ。

 何ゆえ今や災厄の象徴のくだんの娘ではなく、文字通り幸運の象徴となった千代を、座敷牢に閉じ込め続けているかと言うと、以前が災いの蔓延を防止するためだったのに対して、現在においては一族の至宝である『幸福な予言の巫女』を誘拐や殺害等の、外敵の悪意から守護するためであった。

 強大で有用なる異能を持つのも善し悪しで、奪ってでも手に入れようとしたり、どうしても手に入らないなら殺すのもやむなしとする輩が、外部──特に敵対組織にはいるもので、常に危険と隣り合わせの暮らしをせざるを得なかったのだ。

 つまり座敷牢のみを生活の場にしていると言っても、以前のように完全なる監禁状態ではなく、『幸福の予言』を依頼しにきた政財界の重鎮連中等には母屋の謁見の間で『お告げ』を与えたりすることもあって、千代にとっては今や非常に緩い拘束状態となっていて、そこまであからさまな二十四時間連続の監視体制なぞ敷かれていなかった。

 そうなると、元々双子の妹であり、、食事や着替えや入浴等のお世話係を担っていて、当然のように座敷牢の合鍵を常備している万桜であれば、お互いの衣服を取り替えて、自分が座敷牢に残る代わりに千代を外に出すことなぞ、造作もないことであったのだ。

 千代のほうも幸福な予言の巫女となってからは、一族内外の者と触れ合うことも多くなり、くだんの娘であった時はほとんどコミュニケーション能力に欠けていたというのに、いつしか生来社交性の高い万桜と区別がつかないまでに、表情豊かで人懐っこい性格と変わり果てていった。

 そういうこともあって、一族のごく親しい者すらも、姉妹の区別がつく者なぞほぼ皆無の有り様となってしまって、ますます彼女たちの『秘密の入れ替わりごっこ』は盛んに行われていったのであった。


 ──しかし、この俺だけは違った。


 千代が物心がついてくだんの娘としての忌まわしき力を顕して座敷牢に閉じ込められて以来、彼女のことを恐れて実の両親を含め誰もが距離を置き、彼女と妹の万桜が一緒にいるところを目にする者がほとんどいなかったのに対して、初めて座敷牢で三人一緒に出会って以来、千代が理不尽な目に遭わされていることに憤りはすれど、恐れ遠ざけることなぞ断じてなかった俺は、千代と万桜が一緒にいるところを頻繁に目の当たりにしてきたので、二人の間の微妙な違いを知らぬうちにすっかり把握してしまって、たとえ彼女たちが同じ衣装を身に着けていようが、互いの衣服を取り換えていようが、これまで一度として見誤ったことはなかったのだ。


 それは当然、今この時においても、同様であった。


 俺は座敷牢に一歩足を踏み入れ相手を確認したその瞬間、その巫女装束の少女が幸福な予言の巫女である千代ではなく、妹の万桜であることを看破したのだ。


「ふふっ。本当にキョンちゃんは、私たちのこと、絶対に間違わないわよね」


 いつもは俺に対して仏頂面ばかりを見せている万桜が、よほど嬉しかったのか、普段はめったに見せない微笑みを、ほんのわずかほど端整なる小顔に湛えた。

 薄暗い座敷牢の中で、白衣や緋袴からのぞく白い肌が、なまめかしく浮かび上がる。

 成長期真っ盛りの少女は、ちょっと会わないに、すっかり大人びていた。

「入ってきて。鍵はかかってないから」

「あ、うん」

 なぜだかこれまでにない小っ恥ずかしさを感じながら、おずおずと一応女性の寝室である畳部屋へと入っていき、床に散らばる人形たちを押しのけて、心持ち距離をとって彼女の正面へと腰をおろす。


 思えば、この暗く閉ざされた座敷牢の中で、万桜と二人っきりになったのは初めてであった。


 やばい。何だかいい匂いがする。

 幼なじみに対して今さら緊張していることを隠すため、微妙にそっぽを向く純真一途な少年。しかしこの密会の主導権をにぎっているはずの少女のほうも、なぜか若干うつむきがちに沈黙を守っていた。

 どこか遠くから、蝉の声が聞こえてきた。人形たちの無言の視線も、何だか痛く感じ始める。

 緊張が限界に達し、俺はたまらず口を開き──

「あの」「私」

 ……お互い様だったようだ。

「お先にどうぞ」

「……ええ」

 しかし再びうつむく少女。聞こえてくる蝉の声。突き刺さる人形の視線。

 このまま俺たちはこの暗い蔵の中に閉じこめられて、無限ループをくり返すのかと思われた、まさにその時、


「──私、このままじゃ、いけないと思うの」


 へ?

 少女の唇から告げられたのは、いかにも意味不明な台詞であった。

「……いけないって、何がだよ?」

「千代のことよ」

「千代ちゃんの?」


「上手くは言えないんだけど、きっと駄目だと思うの。──これ以上千代に、『幸福の予言』なんてさせ続けるのは」

 なっ⁉

「ど、どうしてだよ? 幸福な予言の巫女になれたことで、千代ちゃん自身はもちろん、御当主様も千代ちゃんや万桜ちゃんのご両親も他の一族の人たちも、まさしくみんな文字通りに、というのに⁉」

 たまらず食ってかかる俺に対して、どこか口惜しそうにほぞをかむ目の前の少女。

「私も別に、確証があるわけではないの。それでも私の『巫女としての勘』が、訴えかけてくるの、不自然な形で得た幸せは、長くは続かないって。──下手すると、より大きな災いこそを、呼びかねないって!」

「──っ」

 そうか、万桜にだってまだ目覚めていないとはいえ、千代と比肩するほど強大な、『予知能力』が秘められているんだっけ。

「……私が早く『ゆめ巫女みこひめ』として覚醒すれば、千代の肩代わりができて、これ以上あの子に無理をさせずに済むのに、いまだ本格的に力を使えずにいるのが悪いの」

 そう言って、自らを責めるようにうつむいてしまった幼なじみに対して、もはやかける言葉をなくしてしまう。

『守り役』に必須の知識としてすでにしっかり叩き込まれたところによると、幸福な予言にしろ不幸な予言にしろ何かと即効性のある千代に対して、何でも夢見の巫女姫である万桜による『ゆめげ』と呼ばれる未来予知のやり方は、非常に回りくどく即効性のないものらしかった。

 それでなくてもいまだその力自体が発現していないこともあって、鶴屋家に対する政財界を始めとする国の要人の予言依頼が千代にばかり担わされていることに、内心ではずっと忸怩たる思いをしていたのであろう。

 座敷牢内を覆い尽くす、あまりにいたたまれない雰囲気に堪えかね、俺は少々強引ながらも、あえて差し障りのない方向に話題を変えた。

「あー、えーと、ところで千代ちゃんのほうは、座敷牢を出て今何をやっているの?」

「えっ、ああ、うん。何でも前から見たがっていた外国の画家の展覧会が、近くの街で催されることになったとかで、私のフリをしてお父様とお母様に連れられて、車で鑑賞に行っているの」

「へえ、やはりご両親の前でも、万桜ちゃんのフリをしていないと、外に出してもらえないんだ」

「だって幸福な予言の巫女のほうも、くだんの娘ほどではないとはいえ、一族にとっては門外不出の重要な存在だしね。それを勝手に屋敷の外に連れ出したとなっては、たとえ生みの親とはいえ、御当主様であるお祖母さまから大目玉を食らってしまうわよ」

「それもそうか。いやあ、大変だねえ、旧家って」

「……本当よね」

「……あはは」

「……うふふ」

「「あはははははははははは」」

 座敷牢内に虚しく響き渡っていく、年端もいかない少年少女の、やけに疲れ切った笑声。


 そう。その時の俺たちは、想像だにしなかったのである。


 まさに今この時、当の千代やその両親が、思わぬ災厄に見舞われていたことに。

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