第33話

「──気がつきましたか? 


「……お祖母さま、ここは?」


「病院です。──安心しなさい、あなた軽傷ですから」


「え?」


「何せあなたは、我が一族にとっての至宝である、幸福な予言の巫女ですしね」


「……あ」


「車の後部座席で隣り合って座っていた、はる──あなたのお母様が、庇ってくれたのです」


「あ、あ、あ」


「──自分の命と引き換えにして、ね」


「ああああああああああああっ──‼」


 市内の総合病院の集中治療室内に響き渡る、幼なじみの少女の絶叫。


 しかしその時の俺には、慰めの言葉一つかけることすらも、できやしなかった。


 ──なぜならこの俺こそが、彼女の親殺しの、紛う方なき『共犯者』だったのだから。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 それは一見、世間によくある、不幸な交通事故に過ぎないようにも思われた。


 座敷牢での密会時にが言っていたように、その日はにとってお気に入りの海外の画家の作品の展覧会があり、巫女姫の自分と違って外出自由な万桜のフリをして、両親に連れられて車で近くの街の会場に向かっていたところだったと言う。

 事故の直接の原因はおじさんの運転する車が、急に中央分離帯を飛び出して無理なUターンをしようとしたからというのが、目撃者の一致した証言であった。

 あの冷静沈着な千代や万桜のお父上にしては、とても考えられない行動である。


 ──おそらくは、彼は車で走行中に何らかの理由で、現在一緒にいる娘が万桜ではなく、千代であることに気づいたのではなかろうか。


 そして、門外不出の巫女姫を外に連れ出したことに気づいたおじさんが、慌てて屋敷に取って返そうとしたことこそが、今回の事故を引き起こしてしまったのだ。


 ──いや、違う。

 おじさんや千代の、せいなんかじゃない。

 ──俺、だ。

 すべては、この俺のせいなんだ!


 座敷牢での密会の際に、万桜が言ってた通りだったんだ。

 バチが、当たったんだ。

 たとえ不憫な幼なじみの女の子を幸せにするためであっても、人知を超えた『語り部』としての力を使って、この現実世界そのものを書き換えるなんて、絶対やってはいけなかったんだ。

 そのようにこの世のことわりに背いてまで、千代に本来の力とは異なる『幸福の予言』の力を与えることで、忌まわしき『くだんの娘』ではなく『幸福な予言の巫女』であるように、彼女自身はもちろん、彼女たち姉妹の御両親や御当主様や、その他の一族の者をも含めて周りの人たち全員を、まさしく文字通りに『幸福』にした気になっていたけれど、万桜の言う通りに結局のところは、不自然な形で得た幸せなんて長くは続かず、むしろ大いなる災いこそを呼ぶ込むだけだったのだ。


 ──そう。すべては己の語り部としての力を過信して、身の程知らずにも調子乗っていた、この俺が悪いんだ!


 そのように俺が胸中で自分自身を責め続けている間にも、千代と御当主様の会話は続いていった。

 親としても当主としても絶大な期待をかけていた、跡取り娘とその婿殿をいっぺんに亡くしたというのに、彼女は少なくとも表面上は怒りや落胆の感情を表すことなく、俺同様にただただ自分を責め続けている哀れな孫娘のほうを、むしろ慈愛の表情すらも浮かべながら見つめていた。

「……私、私が悪いの。私が巫女姫として至らなかったから、お父さんとお母さんを、死なせることになってしまったの!」

「──千代や」

 泣きじゃくるばかりの少女に対して、静穏ながらもどこか厳かなる声をかける御当主様。

「どうしてあなたは、教えてあげなかったのです?」

「え」

「もちろん、あなたは知っていたのでしょう?」

「な、何を、ですか?」


はるたちが今回の交通事故で、亡くなってしまうことですよ。──何せあなたは人の不幸な未来を余すところなく予知することができる、くだんの娘なのですからね」


「「──っ」」

 ほぼ同時に思わず息を呑む、俺と千代。

 ただし、その含む意味合いは、少々異なっていた。


 まず一つには何よりも、御当主様が千代のことを幸福な予言の巫女ではなく、本来のくだんの娘として認識していることに対してであったが、これについては俺と千代との当惑はほぼ同じものと言えた。

 俺は千代を幸福な予言の巫女にために、語り部の力によって世界そのものをわけだが、別にどこぞのラノベの『神様少女』でもあるまいし、本当にこの現実世界を改変したわけではなかった。

 以下の説明はのちに自称超能力者で蘊蓄狂のいずみいつ少年から聞いた数多の論説にも則っているのだが、俺の語り部としての力は一言で言えば、全人類の記憶や知識の集合体である『集合的無意識』を直接書き換えることができる力なのであって、その書き換えた事柄はすべからく、睡眠時等における各自の集合的無意識へのアクセスの際に自動的にフィードバックされることになるので、その結果俺はやろうと思えばこの現実世界の全人類の記憶を思うがままに書き換えることができるわけであり、自分の身の周りの現実の出来事を書き留めた日記みたいのものをあらかじめ作成しておいて、そののちに該当する箇所を「つる千代は忌まわしきくだんの娘なんかではなく、人に幸せだけをもたらす幸福な予言の巫女なのだ」などといったふうにと書き換えるだけで、関係者全員の記憶が書き換えられて、少なくとも彼らの認識上においては千代は幸福な予言の巫女であることになるという、ある意味世界の改変を為し得るのだ。


 それなのに、何で御当主様は、千代がくだんの娘であることを、覚えているのだろう。


 実は千代自身や彼女の双子の妹の万桜にも、例外的に書き換え前の記憶が残っているようなのだが、それは彼女たちが語り部にも匹敵する集合的無意識へのアクセス能力を有する予言の巫女姫だからだと思っていたのだが、本当のところは鶴屋本家の女性のみに受け継がれている、何かしらの『特異体質』によるのかも知れなかった。


 次に、まさに今述べたことからもわかるように、千代をくだんの娘から幸福な予言の巫女に書き換えたと言っても、別に彼女の有する異能の力を増大させたり変質させたりしたわけではなく、あくまでも彼女の自分自身の力に対する『認識』を改めさせただけであった。

 それというのも実は、くだんの娘といえども別に不幸な未来だけしか予知できないわけではなく、基本的には幸福な予言の巫女等の包括的な予知能力者同様に、すべての可能性を予測計算シミュレーションできるのであるが、なぜだか生まれつき、人やその他の生物や物体や事象等の予知の対象物の、不幸な未来しか頭に浮かばないだけの話であった。

 ある意味これって強力な『暗示』をかけられているようなものであり、まさしく俺の語り部としての精神的書き換え能力によって、千代が自分自身をくだんの娘ではなく幸福な予言の巫女であるものと認識するようになった途端、暗示(と思われるもの)が解消され、晴れて幸福な未来の予知もできるようになったといった次第であった。


 ──以上の諸々を踏まえて、先ほどの御当主様の言葉において特に俺が驚かされた点についてであるが、情けないことにすっかり失念していたんだけど、千代はくだんの娘から幸福な予言の巫女になることによって、言わば予言のできるのだから、別に不幸な未来の予知ができなくなったわけではなく、当然のごとく、今回かなり高い確率において、自分のことを、前もって知っていたということになるのだ。


 これについても、どうやら万桜を含む鶴屋御本家の女性陣は先刻ご承知であったようであるが、別に彼女たちが特別であるわけではなく、誰だろうがちょっと考えればわかることでしかなく、ただ単に俺自身がうかつだっただけとも言えた。

 そんな、どうやらただ者ではないらしい御当主様がなおも辛抱強く、もはや錯乱状態にある孫娘へと語りかける。

「──重ねて、問います。どうしてあなたはくだんの娘として、最も大切なお役目である、不幸な未来の予言を行わなかったのですか?」

 その口調はあくまでも穏やかであったが、今の千代にとってはまさに、何物にも勝る『断罪』の言葉でしかなかった。

 たまらず響き渡る、あたかも手負いの獣の咆哮のごとき、叫び声。


「──だって、だって、私はもう二度と、不幸な未来の予言なんか、したくはなかったんだもん! 幸福な未来だけを予言し続けて、みんなに喜ばれたかったんだもん!」


 それはまさしく、物心ついてからずっと忌まわしきくだんの娘として、同じ一族の者たちから疎んじられ、座敷牢に閉じ込められてきた少女の、魂からの本音であった。

 まさに鶴屋家のこれまでの過酷なる歴史を背負しょって立っている現当主として──そして何よりも、目の前の少女の実の祖母として、彼女の気持ちが痛いほどわかるであろうその老婦人は、いかにもやるせなさそうにため息を一つついてから、再び口を開いた。


「……だったらなおのこと、あなたは不幸な未来の予言を、為すべきだったのです」


「え?」

「どうやらあなたは、ずっと勘違いしていたようですね」

 そして御当主様は、いったん姿勢を正すや、

 本日最大の爆弾発言を、いきなり投下した。


「──実はあなたの不幸な未来限定の予知能力こそが、幸福な未来の予知能力なんかよりもよほど、真に人を幸せにすることができるのですよ」

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