第13話

「──ねえ、キョン。もし君が、延々と同じ日時を繰り返すという超常現象で有名な、いわゆる『ループ』に見舞われたとしたら、どうするかい?」


 毎度お馴染みの塾の帰り道、唐突にかけられた佐々木ささきの思わぬ言葉に、当時中学三年生だった俺は、思わず歩を止めて彼女のほうへ振り返った。


 端整な小顔の中で、いかにもいたずらっぽく煌めいている、栗色の双眸。


 ループってあの、SF小説やライトノベルでお馴染みのやつか?

「そう、そのループだ。──ふふっ、おかしいよね。本来ならこの現実世界においては、ループとかタイムトラベルなんてけしてあり得ないのに、なぜか最近はSF小説やライトノベルにおいて花盛りの有り様なんだからね。しかも特に毎年8月頃刊行の作品に、目についたりしてね。何か先駆けとなった大ヒット作でもあったのかな?」

 ……その件につきましては、ノーコメントでお願いいたします。

「それはともかくとして、万が一そんな非科学的な状況に陥ったとしたら、君はどう対応するかって、話なんだけど?」

 いや、そりゃあ、そういったストーリー展開のパターンとしては、どうにかループ状態から脱出しようするか、あるいはいわゆる過去へのタイムトラベルと同じように、過去に犯した重大な失敗をやり直そうとするか、失ってしまった大切な物や者を取り戻そうするか──といったのが、どうにか思いつく程度だけど……。

「くくく。君らしい答えだね。いや、別にSF小説やライトノベル等における、ストーリー展開のパターンの分析を聞きたかったわけじゃないんだけど、これは僕の質問の仕方が悪かったかな?」

 何だ、おまえいったい俺に、どんな答えを期待していたんだ?

「うん。最初から、こう聞くべきだったね。『もし君が永遠に続くものと思われるループの中に閉じ込められるとしたら、かい?』、──これで、どうだい?」

 ──っ。

「おや、どうしたんだい? 別にそれほど難しい問題でも、ないと思うんだけどね」

 その時俺が思わず言葉を詰まらせてしまったのは、佐々木のやつがさっき以上にいたずらな表情をしていたのと、


 何かを期待しているような色を、その瞳に浮かべていたのを、感じ取ってしまったからであった。


 だから俺は、「ずっとたわいない話をし続けても飽きることのない、気心の知れたモノホンの『親友』が望ましいかな」なんていう、差し障りのない答えしか返せなかったのだ。

 ……彼女の満足そうな微笑みを見るに、どうやらそれで正解だったらしいが。


「でもキョン、僕はむしろ、話は逆だと思うんだ。誰かの願いが──そう。さっき君自身が言ったように、過去に犯した重大な失敗をやり直したいとか、失ってしまった大切な物や者を取り戻したいとかいった、強い『想い』こそが、ループ現象なんていう、常ならざる現象を引き起こすことになるんじゃないかってね。──だったら、それこそ誰よりも大切な人とずっと一緒にいたいという『想い』だって、例えばその人物との一夏の日々を永遠に続けさせたりすることも、十分あり得ると思うんだ」

 ああ、まあ、SF小説やライトノベル等のフィクションでの話なら、そういうことがあってもおかしくはないだろうな。

「くくっ。これって言ってみれば、自分が密かに懸想している相手を、永遠に自分だけのものにせんがために、自分もろとも『時の牢獄』に閉じ込めてしまおうとするようなものじゃないか? ──つまりさっきの君の返答にも、そういった意味が含まれていると裏読みしても構わないってことかな?」

 ──ぶっ! な、何、馬鹿なことを言っているんだ! 俺にはそんな、偏執狂的な独占欲なんてねえ! 特に大切な『親友』に対してなら、なおさらだ!

「あはっ、冗談だよ、冗談。君がどういった気持ちで、なんて、この僕が一番良く知っているさ」

 ……何だ、いつものようにからかわれただけか。

「よく知っているからこそ、腹立たしいことも多いんだけどね。それでも僕にとっては、今の君とのこういった気の置けない雰囲気こそが、何よりも心地いいのも、また事実なんだ。──ねえ、『親友』?」

 そうだな。俺もおまえとのこの、いつもと代わり映えのしない何気ないやりとりって、結構気に入っているよ。もちろん、時を繰り返したり巻き戻したりするほどでもないけどな。──おまえもそうだろ、『親友』?

「ああ、違いないよ」

 そう言って佐々木は、相も変わらずどうしても真似をすることのできない、彼女独特の「くくっ」という、忍び笑いを漏らした。


 そう。去年の俺にとっては、この何の変哲もない日々こそが、何よりも大切だったのだ。


 なぜなら、俺はその後すぐに、思い知らされることになるのだから。


 俺に時を繰り返したり巻き戻したりするといった、人知を超えた力が新たに芽生えたりしない限りは、佐々木と、たった一夏の間でも構わないから一緒に過ごすことなぞ、もう二度とできないということを。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「──今回こうして我々がループ的現象に閉じ込められる以前、つまり夏休みが始まってから8月前半までの期間においては、あなたったら『田舎の実家に長期にわたって帰省している』なんて嘘をついてまでSOS団の会合を疎かにして、、あなたの大のご親友の佐々木ささきさんが入院されておられる大学病院に、足繁く通っておられたでしょう?」

「……知っていたのかよ。さすがは『機関』だな」


 俺はいずみから突きつけられた、俺自身の『夏休みの行動表』のあまりに正確なリサーチのほどに舌を巻きさつつ、大きくため息をついた。


「いえ、別に大したことでもありませんよ。実は何となくって感じではあるものの、どうやらすずみやさんのほうも気づかれているご様子でしたしね」

「ハルヒが? ──あ、まさか、あいつがこのループみたいな現象を引き起こしたのは、それが原因だとでも言い出す気じゃないだろうな⁉」

「ええ、まさにその通りですけど?」

 おいおい、冗談じゃないぞ。

「たかが団員の一人が団の行事よりも他の用事を優先しただけで、たとえ脳みそにおける錯覚的なものとはいえ、ループ現象を実現させてしまうなんて、いったい何を考えているんだ、あいつときたら!」

 あまりの事実に心底あきれ果ててしまい、俺がそう吐き捨てたところ、

 これまでなく真摯な表情をした超能力少年が、かつてないほどの強烈な一言をたたきつけてきた。


「彼女が何を考えているかって? もちろん、に決まっているでしょう」


 ──っ。

「何が、『たかが団員の一人』ですか。本当に涼宮さんにとってのあなたというものが、そんなどうでもいいものに過ぎないと思われているのですか? 確かに彼女はあんなご性格ですし、お気持ちを推し量るのは非常に困難ですが、それでもあなたのことを意識的にも無意識的にも『特別扱い』なされていることだけは、自明の理ではありませんか?」

「そ、そりゃあ、自称『魔王の娘』であるあいつにとっては、父親のかたきの『勇者』である俺は、ある意味特別な存在であるかも知れないけど……」

「違う違う、そういうことを言っているのではありません。要は彼女の『無意識』が、何を欲しているかなのであり、それこそが『夢の主体』の象徴シンボルとしての力の発動の鍵となっているのですから」

 うっ、またしても、あいつの『無意識』の話かよ。

「実は涼宮さんは夏休みを『終わらせたくない』のではなく、むしろ『上書きしたい』のですよ。ああして8月17日以降になってから、これでもかと夏ならではのイベントを突っ込んできたのも、そしてそれを無意識のうちに何度も何度も繰り返しているのも、あなたに自分たちSOS団とのイベントこそを強烈にアピールすることによって、佐々木さんとの日々をかすませてできるなら無かったものとしたかったのですよ。──そう。何と彼女の『無意識』は、あなたのことをこの夏休みという『時の牢獄』に閉じ込めて、永遠に自分だけのものにしようと、このようなループもどきの状況を生み出してしまったのです」

 ──‼

 そ、それって、まるで、あの時佐々木が言っていたことと、まるっきり同じじゃないか⁉

 どういうことなんだ、いったい。これは単なる偶然なのか? あるいは古泉が再三ほのめかしているように、佐々木とハルヒの俺に向けている『想い』とやらが、なだけなのか?


 それとも、この珍妙なる状況を真に生み出しているのは、『夢の主体』の象徴シンボルであるハルヒでもある意味『作者』的立場にある俺でもなく、いわゆる『大いなる意思』などと呼び得る者が、介在しているとでも言うのか?


「……どうしました、急に黙り込んでしまって、難しい顔をなされて」

「あ、いや、何でもないんだ。──それよりも、もしもおまえが言うことが真実ならば、俺はいったいどうすればいいんだ?」

「さあね、さすがにそこまでは、僕の口から言うことでもないでしょう」

「……そうか、そうだよな」

 たとえこれが、人知を超えた正体不明の意思によるものであろうと、この俺こそがそもそもの原因であることには間違いなく、自分の蒔いた種は自分で刈り取らなければならないであろう。


 そのように覚悟を決めた俺は、早速今夜にも、敬愛なる団長殿に電話をかけることにしたのであった。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「ハルヒ──いや、『魔王の娘』よ、女神ささきは俺たちが必ず取り戻してみせる。勝負はそれからだ。──だからお互いにをしたりはせずに、正々堂々勝負しようぜ!」


 音声通話が繋がると同時に、俺が開口一番そのように啖呵を切れば、スマホの向こう側で一瞬息を呑むような気配がした。


 しかしすぐさま、もはや聞き慣れた彼女の怒声が、文字通りたたきつけるようにして聞こえてくる。

「いったい誰に向かって言っているつもり? 見くびるんじゃないわよ! この私が小細工なんてするわけないでしょう⁉ せいぜい首を洗って待っていなさい。絶対に魔王おとうさんかたきを討ってみせるから!」

 その言葉と同時に、ぶち切られる通信。

 それを聞いてほっと一息ついた俺は、ベッドに倒れ込むように横たわり、


 ──おそらくは今年の8月最後となるはずの、眠りへとついたのであった。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「……ほんと、すごいものですね。いったいどういった魔法を使ったのですか? 昨日の今日だというのに、こうも見事にループ状態を解消してしまうなんて」


 暦変わって9月1日──つまりは新学期初日の放課後の、文芸部兼SOS団室。

 あの常に訳知り顔の副団長殿が、珍しくも目を丸くして掛け値無しの賞賛を送ってくれた。

「……そんなの、言うまでもないこと。きっと身体で言うことを聞かせただけ」

「黙れエセ元祖かんむすめ。おまえはブ○ック=シー○ズ初出演の無修正版『プリ○ィ・ベビー』でもネットで観ていろ!」

「うん、そうする」

 すかさず突っ込みを入れてきたながを一喝するや、続けざまにいずみに向かって答えを返す。

「別に難しいことじゃない、いつもの通りにあいつのことをだけさ」

「と、申しますと?」

「結局あのループもどき現象を起こしていたのは、ハルヒの明確な意思ではなく、あくまでも『無意識』によるものだったんだろうが? そこで『下手な小細工をしたりはせずに、正々堂々勝負しようぜ!』なんて言うことで、言外に『卑怯な真似はするな』と意味を含ませれば、何よりも負けん気の強いあいつのことだ、それこそ『無意識』に、ある意味その時点における小細工の最たるものである、ループ状態を解除してしまうことになるって次第なのさ」

 そのように種を明かせば、もはや畏敬の念さえ見せ始める、目の前の同級生。

「……これは驚きました、あなたがすでにそこまで、涼宮さんのことをご理解なされていたとは」

 おいっ、誤解を招くような、言い方をするんじゃない! 俺はあくまでも見るからに煽り耐性の低いやつを、うまく乗せて誘導しただけだ!

「ま、とにかくこれで、一安心てところだ。ようやく心置きなく、佐々木ささきの見舞いも再開できるってわけだ」

「……前言撤回。やはりあなたは涼宮さんのことを、まったくご理解なされていないようですね」

 何かいまだに古泉のやつがぶつくさ言っているようだが、構わずにさっさと部室を後にする。

 何せこうしているうちにも時は進んでいき、どこかの神様少女でもあるまいし、俺たち凡人にはとどめることなぞできやしないのだから。


 だからせめて、今という時だけは、大切にしようじゃないか。


 俺はそのように心の中で自分に言い聞かせながら、何よりも大切な『親友』が待っている病院へと、向かって行ったのであった。

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