第54話

「……佐々木ささき


 もはや毎度お馴染みといった感もある、地域随一の総合病院のだだっ広い集中治療室を、分厚いガラス越しに見下ろしながら、俺はひとつ。


 あたかも三文近未来SF小説のワンシーンみたいに、異様にごつい医療用のベッドの上に横たわっている痩せ細った身体中に繋がれている、無数の管。

 すっかり生気を失い蒼白く染まったその顔には、かつての快活な様は微塵もうかがえないものの、間違いなくその少女は俺の中学三年当時の、誰よりもかけがえのない『親友』であったのだ。


「もうすぐ、今年の夏が──八月が、終わるな」


 ──当然、返事はない。


「……ということはもちろん、現下の『エンドレスエイト』騒動も、あとわずかってことだ」


 ──返事はない。


「このままじゃ、おまえだけではなく、俺たち全員が、ハルヒが望んだ『永遠の夏休み』の世界に、閉じ込められているようなものだよな」


 ──返事はない。


「……もしかしたら、このループの中で何をやろうが、無駄なあがきでしかないのかも知れない」


 ──返事はない。


「──それでも俺は約束するよ、おまえを絶対に目覚めさせてやるって」


 ……もちろん、結局最後の最後まで、返事はなかった。


 ──しかし、けして俺は、気落ちなぞしなかった。


 なぜなら、現在におけるループ周回こそは、おそらくはこの『エンドレスエイト』全体におけるすべての謎に対する、真相が秘められているものと思われる、俺の自作のWeb小説『ゆめメガミめない』のと、まったく同じ世界観を有する、いわゆる『うちの病室にはハルヒがいっぱい♡』と名付けられた世界ステージの、久方ぶりの登場であったのだから。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「……なあ、何で自分が『作者』として生み出している世界のはずなのに、何一つ自分の思い通りにならないんだろうな?」


 その時俺は、自作のWeb小説『ゆめメガミめない』の、まさにシーンを作成していた手を止めて、自分のはす向かいの席に座っている同級生の少年に向かって問いかけた。


 もちろんここは毎度お馴染みの、きた高──ではなく、学園実験都市『JAライトニング学園』文化系部室棟の外れにある、文芸部の部室であった。

 ──特に異世界転移や異世界転生に関わる重篤なる中二病に罹患してしまった、思春期の少年少女たちを半ば強制的に収容した、農協JAを出資団体とし政府が直営している、教育機関の皮を被った『開放病棟』にして、またの名を『第四EMP』学園。

 一見『すずみやハルヒのゆううつ』の登場人物に似たキャラクターたちが登場してくるが、もちろんすべて本物なんかではなく、あくまでも本人たちがそう思い込んでいるだけに過ぎなかった。


 ──よって、『うちの病室にはハルヒがいっぱい♡』学園とも、呼ばれていたりもする。


「……『作者』であるあなたの思い通りにならない、自作の小説世界って──ああ、この前の『異世界転移』騒動のことを、おっしゃっているわけですか」

 これまですでに数え切れないほどの、いろいろなタイプの『世界』のループを体験していることもあり、少々考え込んでからようやく思い当たったようにして声を上げる、いずみいつ』少年。

「そうだ。俺の作品ではただ単に、ハルヒに勇者をやらせてドラゴンや魔王を退治させるという、何の変哲もない異世界転移ものだったはずなのに──そう、ハルヒさえ満足させればそれで済むだけの話だったはずなのに、この前のループの際に、あくまでも『現実』として俺たちが体験した異世界においては、『異世界警察』なんていう、そもそも俺の作品の中には存在しなかったものが出しゃばってきて、俺の『作者』としての力を否定するどころか、俺たちが現代日本からの異世界転移者なんかではなく、単なる妄想癖の異世界人以外の何物でもないことにしてしまいやがったんだよな」

「……そうですね、確かにループとはある意味夢を見ているようなものだから、いくら『作者』の手によるものとはいえ、現実世界において作成されたWeb小説の内容と乖離が生じても、別におかしくはないのですが、今回の件は、あまりに異常すぎます。まるでそれまでは確かに『涼宮ハルヒの憂鬱』のメインキャラだったはずが、いきなり別の作品の脇役にされてしまったようでしたよね」

「現実世界に戻ってきてから調べたところ、何とちゃんと『カク○ム』に、ファンタジー的な異世界においてお姫様が警視総監をやっている、『異世界警察は人喰いドラゴンを逮捕できるか?』って作品があったしな」

「う〜ん、もしかしたらそのお姫様こそが、鍵かも知れませんねえ」

「は? 鍵って……」


「つまり、実は彼女は涼宮さんたち同様に、『夢の主体』の象徴シンボルとしての力を有していて、互角の力を有している『作者』であるあなたから、『物語の主導権』を奪い取って、あなたの自作の『ゆめメガミめない』であるはずだった世界が、途中から『異世界警察は人喰いドラゴンを逮捕できるか?』の世界に変わってしまったんじゃないですか?」


 はあああああああああああああああ⁉

「現代日本人のWeb小説家である俺からすれば、単なる小説の登場人物に過ぎないやつから、小説を乗っ取られてしまっただなんて、そんな馬鹿な⁉」

「おや、お忘れですか? 第三者からすれば、小説やゲーム等の創作物フィクションの世界そのものにしか見えなかろうとも、現にその世界に存在している者からすれば、唯一絶対の『現実世界』以外の何物でもないって、何度も申し上げたつもりですが?」

「うっ」

 た、確かに、あの時のお姫様ときたら、自分たちが俺たちから、『異世界人』や『小説の登場人物』として見られていることを自覚していながら、自らを卑下することなく、あくまでも『現実の存在』として言動し、むしろ俺たちのほうを単なる異世界人にしてしまい、まさしく『Web小説の中の異世界』に過ぎなかったものを、俺たちにとっての唯一絶対の現実世界にしてしまったんだよな。

「それだけ『夢の主体』の象徴シンボルってものが、一筋縄ではいかないってことですよ。たかが自作の登場人物だと侮っていたら、『作者』にまで牙をむき、何と自分と立場すらも入れ替えて、自分のほうを現実の存在とし、小説家のほうを虚構の存在とすることができるくらいにね。──それなのに、本当にあなた、大丈夫なんですか?」

「だ、大丈夫って、何がだよ?」

「あなたって自作の中に、『夢の主体』の象徴シンボルを出し過ぎなんですよ。涼宮さんにながさんにようさんにつるさんによしむらさんに、おまけにいわゆる『キョンの妹』さんまでって、一体に何人出せば気が済むんですか? 一人だけだって大変だというのに、いくら『作者』の力を有しているとはいえ、彼女たち全員をちゃんと制御コントロールできると思っているのですか?」

「──ぐっ。い、いや、今のところは、どうにかこうにかやっていけていると、思っているんだけど……」

「そうですかあ? すでに『彼女』なんか、手に負えなくなってきているように、思えるんですけど?」

「か、彼女、って?」


「もちろん、『なろうの女神』、のことですよ」


 ──っ。


「確かに彼女については、その名前や概念だけは、あなたの自作の『ゆめメガミめない』において、結構初期から言及されていましたけど、この前のループの時『異世界における代表的女神』として事実上初登場したわけですが、何ですか、あれは。完全に『作者』であるあなたの手を離れて、自分の意思で勝手に行動していたではないですか? ──まるで彼女こそが、すべての黒幕であるかのようにね」


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 そこまでキーボードで入力した途端、思わず俺は手を止めてしまった。


「……そうだ、確かに『なろうの女神』は、俺の自作のWeb小説『ゆめメガミめない』の中の一登場人物に過ぎなかったはずなのに、いつからこんなことになってしまったんだ?」


 俺は今更ながらなことに気づいてしまったことで、この上なく戦慄してしまった。

「この小説の中のいずみ──いや、が言っていた通り、俺は一体いつの間に、『なろうの女神』に自分の小説セカイを乗っ取られていたんだろう……」

 よせばいいのに、ステレオタイプの『なろう系』の、異世界転移ものなんかを書いた時から?

 今回の『エンドレスエイト』と呼ばれる、ループが始まった時から?

 もしくは『ゆめメガミめない』などと言う、『ハルヒ』二次創作作品なんかを創った時から?


 ──それとも、そもそもすべての原典おおもとである、『すずみやハルヒゆううつ』が始まった時から?


「──いいえ、あなたが疑問に思うことなんて、何もないのよ」


 突然のささやき声とともに、俺を背後から抱きしめる、華奢で柔らかくて温かい肢体。

 それは、いろいろな意味からして、この官営学園の男子寮にはけして存在し得ないはずの、俺の妹その人であった。

「そう。あなたはただ私が言う通りに、異世界転移もののWeb小説を書き続ければいいの。──ねえ、お兄ちゃん♡」

 その途端、俺の背中に悪寒が走り、とっさに少女の手を払いのけた。

「──やめろ! おまえは俺の妹なんかじゃない! 俺のことを、『お兄ちゃん』なんて呼ぶな!」

 突き飛ばされてその場にうずくまってしまった少女を怒鳴りつければ、こちらへとおずおずと向けられた瞳は、先程までのふてぶてしさは完全に消え去り、いかにも悲しげな涙目となっていた。

「……何で、そんなことを言うの? 私はお兄ちゃんのために、あげたのに」

 そんな最愛の妹の姿を見せられては、もはやそれ以上拒むことなぞできなかった。

 俺は我を忘れて駆け寄って、その小柄な身体を力の限り抱きしめる。

「すまない、ハル○! お兄ちゃん、どうかしていたんだ!」

「……もう私のこと、きらいになったりしない?」

「ああ、もちろんだよ!」


「だったらこれからも、私のためだけに、異世界転移の小説を──いわゆる『なろう系』の作品を、一生懸命書いてちょうだいね♡」


「──っ。なろうの、女神……」

 再び豹変してしまった腕の中の少女に、俺はもはや翻弄されるがままとなってしまう。

「だってこれは、女神である私との契約でしょう? あなたが一方的に反故にすると言うのなら、今度こそ本当に、妹さんが死んでしまうことになるわよ?」

「──! ま、待ってくれ! それだけはやめてくれ!」

「だったら、もうこれ以上四の五の言わずに、『作者』としての力を存分に発揮して、真に理想的な異世界転移小説を創り上げて、一日でも早く、私のことを満足させるのね」

 その言葉を最後に、『なろうの女神』の気配は消え去り、腕の中には人形そのものの、何の感情も示すことのない、最愛の少女の『抜け殻』そのままの肢体だけが残った。


「……これが、『作者』の力を悪用して、自分の作品の中で生み出した、女神──いや、悪魔なんかと契約を結んだことの、報いだというのか?」


 もはやその時の俺には、何が現実か夢か小説か、まったくわからなくなってしまっていたのだ。

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