第55話

「──初めまして、佐々木ささきさん。お会いできて光栄です」


 休日の昼下がりの、某総合病院の、集中治療室。

『機関』の超法規的権力によって裏から手を回して、無理やり入室を許可させた僕は、医療用ベッドのすぐ側にたたずみながら、彼女の予想外にも穏やかな寝顔を見下ろしながら、できるだけ静かにささやきかけた。


「僕はあなたの大親友であられる、他称『キョン』氏の友人をいただいている、いずみいつという者で──おっと、失礼」


 もちろん相手からの反応なぞなかったが、僕はすかさず言い直す。


「この世界を含む、眠り続けている、真の全知的存在であられるあなたに対して、今更偽名を名乗っても無駄でしたね。──改めまして、では、『メルクリウス』と呼ばれている者です。以後よろしくお願いいたします」


 やはり返事はないが、構わず続ける。


「相変わらず彼は、何としてもあなたを目覚めさせるために、このループ状態の中で、東奔西走の大活躍をなさっておられますよ」


 返事はない。


「うふふふふ。どうやら彼は、まだ気づかれてないようですね。──あなたがこうして眠り続けている、本当の意味を」


 返事はない。


「──まさにすべては、あなた自身が仕組んだことなのに」


 返事はない。


「──何よりも、この世界の悪意から、彼自身を守るためにね」


 返事は『──それで、超能力者君は、どうするつもりかい?』


 その時突然、僕の頭の中で響き渡る、初めて耳にする少女の声。


「いえ、何も。我々『観察者』はただ、すべてを見守るだけですから」


『……そうかい、だったらせいぜい最後まで、己の分というものを、わきまえておくんだね』


「ははー、『女神様』の思し召しのままに」


 そう言うや、いかにも戯けるようにして、胸に片手を当てて一礼すれば、途端に『声』が聞こえなくなってしまう。


「……さて、確認も済んだことだし、帰るとするか」


 そして僕は、出口に向かって踵を返した。


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「──やっと見つけたわよ、キョン! にっくき、我が父めが!」


 俺こと現役高校生にして、一部では結構有名なWeb小説家である、ペンネームはちじょうじまきょん──通称『キョン』が在籍している、ジェーエーライトニングがくえん高等部一年D組に、この季節外れ極まる六月初旬に転校してきた──いや、してきた少女すずみやハルヒは、出会い頭にそう言った。


 クラスメイト全員に対する自己紹介を終えて教壇を降り、担任教師から告げられた自席へと向かう途中にて、俺の席の側に差しかかるやいきなり足を止めたので、何事かと思って視線を向ければ、遠目でははっきりとしなかった、彼女の目の覚めるような秀麗なる容姿が、改めて目に飛び込んできた。

 夏服のセーラー服に包み込まれた肢体は、高校生にしてはやや小柄で華奢だが、均整のとれたなまめかしい白磁の肌は、すでに女の色香がそこはかと感じられた。

 しかしその一方で、烏の濡れ羽色をしたセミロングの髪の毛に縁取られた、日本人形そのままの端整な小顔の中では、宝玉のごとき黒曜石の瞳が、いかにも憎々しげな煌めきを宿しながら、あまりの出来事にただただ呆気にとられている、俺のほうを睨みつけていたのだ。

 ……もちろん、俺と彼女は、この時が初対面である。

 よって当然のごとく、彼女のお父上とも面識はないし、少なくともどこぞのファンタジー世界の魔王様を倒した経験なぞ、あろうはずがなかった。

 何より俺は勇者なぞではなく、現代日本のただの高校生なんだしね。


 しかしそんな彼女の電波じみた妄言を、俺は笑い飛ばすことなぞできなかったのだ。


 なぜなら、そもそもこうしてのも、俺の自作のネット小説『ゆめメガミめない』の、大ヒットこそが原因だったのだから。


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 公益学校法人、ジェーエーライトニングがくえん


 かの名高き日本農業協同組合──略称農協JAによって設立運営されているこの学園は、日本全国に数多存在している一般的な農業学校とは一線を画していた。

 それというのも、とうきょう都西部に広がる武蔵野の地に設けられた広大な敷地において行われているのは、穀物や野菜の栽培や家畜の飼育等の実習作業でも、食品加工や品種改良等の実験研究でも、園芸や林業や流通その他の実地学習でもなかった。


 学園全体──つまりは中等部から大学院に至るまでの全学生にとっての至上の命題は、何と『並行世界の実在の証明』と、その『具体的な転移手段』を実現することであったのだ。


 ……何でまた農協JA直営の学園で、農業実習を行うでも、どこぞのライトノベルみたいに休業中の美少女アイドルを中心としたラブコメを展開するでもなく、『並行世界』なぞというけったい極まるものを主題とした学習や研究等が行われているのかと言うと、すべては我が国における深刻なる農作物の自給率を、一気に向上させるためであった。

 農協JAのお偉いさんを代弁して、現職の農水大臣はこう宣った。


「──並行世界が見つかればまさしくその数だけ、農地面積が倍増するではないか!」と。


 ……阿呆か。

 社会的に十分立派な地位と名誉を誇る農協JAの幹部や大臣が、言うに事欠いて耕作地の拡大──ひいては農作物の収穫量を増やすために、並行世界を本気で探し求めるだと?

 そんなにも我が国の農業は、藁にもすがりつかざるはおられないまでに、危機的状況にあるとでも言うのか?

 とはいえ、そのお陰で俺はこうして格安の学費を払うだけで、真新しく設備も充実した全寮制の学び舎で、質量共に大満足の教育と快適極まる生活を享受できているんだけどね。

 それというのも、『並行世界の発見』などといううさん臭いテーマを掲げてみたところで、ちゃんとした専門家なんているはずがなく、何はさておき『受け皿兼育成組織』として、当学園のような専門研究機関を設立すると同時に、少しでも並行世界に関わり合い──というかを有する者を、選り好みする余裕もなくかき集めた結果、学園内は多世界解釈量子論研究者を始めとする学界からつまはじきされたマッドサイエンティストや、ディープなSFマニアや、SFを始めとする小説家や漫画家などのクリエーター等々といった、社会不適格者一歩手前の妄想癖どもの吹きだまりとなってしまったのであった。

 中でも一大勢力となっているが、『なろうけい』と呼ばれる新興のアマチュア小説家たちで、その名の由来は主なる作品発表の場が、インターネット上の最大手の小説創作サイト『しょうせつになろう』であることから来ていて、言うなれば最近話題のネット小説家なわけだが、かく言う俺もその一員だからこそ、この学園にスカウトされることとなった次第であった。

 それというのも、『なろう系』の作品において最も盛んなジャンルが『異世界転移』や『異世界転生』なので、学者でも研究家でもない単なるアマチュア小説家とはいえ、そもそも由緒正しき専門家なぞ存在しない並行世界に関しては、現時点における数少ない貴重な『関係者』とも言えて、その知識と見識と何よりも類い稀なる創造力と想像力とは、けして無視できるものではなかったのだ。

 いやむしろ並行世界なぞといった文字通りについては、プロの学者や研究家よりも、小説家や漫画家のような創作者の意見のほうが、よほど的を射ていることが期待できるとも言えよう。

 とはいえ何とも皮肉なことに、そんな社会不適合者一歩手前の小説家予備軍たちによる文字通り忌憚なき意見の中には、この『並行世界発見』計画プロジェクトにおけるそもそもの大前提を、全否定するものがあったりもした。


 例えば、

「並行世界には確かにこの世界と同じだけの農地があるかも知れないけど、当然同じだけの人口を抱えているのだから、新たなる並行世界を発見するたびに需要と供給のアンバランスの累積により、不足する農地面積や収穫量の絶対量が倍増していくだけではないのか?」

 とか。


 ──極め付けには、

「そもそも並行世界なんか、SF小説やライトノベルや漫画やアニメやゲーム等の創作物フィクションならともかく、現実に存在するわけがないだろうが⁉」

 とか。


 ……この今更ながらの当然の事実に気づかされた、学園当局や農協JA上層部は大慌てとなり、一時は『並行世界発見』計画プロジェクト自体の凍結と、それに伴う当学園の閉鎖も検討されたとのことであったが、現在においては騒ぎは完全に収まり、更なる計画の邁進がはかられていた。

 何せ今や当学園を中心として我が国においては、すでに異世界の存在が実証されていて、まさしく件のすずみやハルヒ嬢のを裏付けるようにして、日常的に行き来できるようになっていたのだから。


 ──しかも何とそれは、この俺自身の、『自作の小説に書いたことを、何でも現実のものにできる』という、とても信じられないような、神がかりの力によるものであったのだ。


 つまり俺が『なろう系』の小説を書けば書くほど、実際に誰かの身に異世界転移や異世界転移が起こって、当然本人たちが異世界からこの現代日本へと戻ってきた暁には、その事実を周囲に公言するものと思われるところだが、もちろんそんなことなぞ信じてはもらえずはずがなく、重度の妄想癖だと決めつけられて、このようなヘンテコな学園に収容されることとなるだけであった。

 しかも実は俺は『小説家になろう』だけではなく、KADOKAWA系の小説創作系サイトである『カクヨム』においても、『うちのびょうしつにはハルヒがいっぱい♡』という、皆さんよくご存じのかのメガヒットSFライトノベルである『すずみやハルヒのゆううつ』の二次創作を作成して、ネット上で広く公開しているのだが、ここでも小説の現実化能力が働いて、この作品を読んだ人たちの幾人かが、自分のことを作中ヒロインの涼宮ハルヒやあさみくるやながであるものと──すなわち、神様(少女)や未来人や宇宙人であるものと思い込むようになるという、まさしく中二病患者そのものとなってしまって、自称異世界転移者等と同様に、この『開放病棟』学園に収容されることになったのであった。

 ……当然のことだが、「小説に書いたことを現実のものにすることができるなんて、そんな馬鹿なことがあり得るものか!」と思われる向きも多かろうが、実はこれは現代物理学と心理学とを代表する、量子論と集合的無意識論とに則れば、けして絶対に不可能とも言えなかったのだ。

 ここでは難しい話は省くが、要するに俺の作品は特に感受性の高い人々に多大なる影響を与えるらしく、彼らは俺の作品を読めば必ずその内容そのものの夢を見ることになって、その現実とも見紛うリアルな世界観の中で、自分自身が作品の登場人物になることによって、その言動のすべてが鮮烈に脳みそに刻み込まれてしまって、目覚めた後の現実世界においても、ある意味『前世の記憶』じみた、異世界人や未来人や宇宙人の記憶を持つことになり、完全にそれらになり切って言動していくことによって、この現実世界においてあたかも、俺の作品を再現しようとし始めるといった有り様なのであった。

 言わば妄想癖をこじらせた重度のオタクのようなものでしかなく、小説を現実化すると言っても現実性リアリティを損なうことはなく、単なる自称異世界転移者や自称未来人や自称宇宙人が増えていくだけなのであった。

 ただしその『なりきり度』と『後を絶たない増えっぷり』が問題視され、すべての元凶と見なされた俺自身を始め、恒常的に妄想状態となってしまった少年少女たちは、このJAライトニング学園へと収容される運びとなったという次第なのである。


 ……いや、確かに俺の作品が原因で、これほどまでに世間を騒がすことになるとは思いも寄らず、ある程度は申し訳ないとは思っているけど、


 だからって、現実世界において、『勇者』とか『魔王の仇』とか言われて、いきなり女から、ケンカを売られてたまるかってえの!


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「……何だ、こりゃ」


 その時俺は、手の内のスマホに表示されている、Web小説を見ながら、我知らずにつぶやいた。


「俺たちがきた高ではなく、ジェーエーライトニングがくえんとか呼ばれている政府直営の学校に通っていて、しかも実はそれは、自称異世界転移者や自称未来人や自称宇宙人の少年少女たちを収容するための、『開放病棟』だと?」


「──面白いでしょう?」


 放課後の文芸部室兼我らがSOS団の非公然アジト内にて聞こえてくる、俺以外の唯一の出席者の声音。

 それはご存じ、蘊蓄大好き超能力少年のものであった。

「……いずみ

「有名小説創作サイト『カクヨム』にて連載中の二次創作作品で、『うちのびょうしつにはハルヒがいっぱい♡』と言うそうですけど、実はこれは正式版ではなく、公開直前になって作者自身が自主的に取り下げた没ヴァージョンだったのですが、我が『機関』が総力を挙げることによって、今回入手に成功したのですよ」

「へ? これっていわゆる『すずみやハルヒのゆううつ』の二次創作なんだろ? 何で公開直前になって、わざわざ没にしたりしたんだ?」

「そこはいろいろと『大人の事情』がございまして、できましたら詮索しないでいただきたいのですが」

「だったら何でわざわざ、俺に見せたりしたんだよ?」

「ほら、現在『エンドレスエイト』期間中につき絶賛ループ中だから、いい機会と思ったのですよ」

「ああ? 何でループ中だったら、いいんだよ?」

 あくまでも俺は、何の気なしに聞いただけであったが、

 ──それはあまりにも、うかつな質問だったのだ。


「──だってそもそもループ中の世界なんて、すべて『偽物』のようなものであり、ある意味本物の世界である原典オリジナルに対する、『二次創作』そのものじゃないですか?」


 ──‼

「言ってみれば、二次創作の中でループである『エンドレスエイト』回をやると言うことは、『これは原典オリジナルとは違って真っ赤な偽物ですよ』と宣言するようなもので、本来たとえ二次創作であってもとても作品化できない、あまりにも原典オリジナルとかけ離れた作品だって、『ループ中の例外的世界』というお題目を掲げることによって、辛うじて実現できるって次第なんですよ。そうじゃなきゃ、この前のように最後の最後にきて僕たちが本物のSOS団ではなく、ただの異世界人だったなんてオチが認められることはないだろうし、もちろん今回のように、実は僕たちは全員、自分のことを『涼宮ハルヒの憂鬱』の登場人物と思い込んでいるだけの、ただの妄想癖だったなんてことなぞ、論外中の論外でしょう。──たとえ量子論や集合的無意識論に則れば、現実的にも十分あり得るとしてもね」

 た、確かに。

 ループなんてすべて終わってみれば、結局のところ夢のようなものなんだし、原典オリジナルからすれば二次創作のようなものでしかなく、本来原典オリジナルではけしてあり得ないような、ハチャメチャな世界になることだって、十分あり得るよな。

「おや、随分と驚かれているみたいですけど、これってけして、他人事ではないのですよ?」

「え?」


「それともあなたは、断言できるとでも言うのですか? ──ここにいる我々が、間違いなく『本物』だと」


 ──っ。

「実はそのスマホに表示されている没ヴァージョンは、『第四EPM学園』編とも呼ばれていましてね、何と最初から全員が『涼宮ハルヒの憂鬱』の登場人物をことを自覚しているといった、数々の二次創作の中においても、キワモノ中のキワモノなんですよ。──果たして僕たち自身は、『本物』と『偽物』との、一体どっちなんですかねえ」

 ……そうだ、先日の『異世界転移編』を例に挙げるまでもなく、俺たちが本当に、『キョン』や『古泉一樹』であることなんて、何の保証も無いんだ。


「いやあ、楽しみですねえ。このまま『エンドレスエイト』がめでたく終了した場合、最後に残るのは当然、『本物の世界』だけでしょうからね。──まあせいぜい、この世界が残ることを、祈っていましょうよ」

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