第56話

「──もらった!」


 深夜のJAライトニング学園の、数棟からなる高等部学生寮に取り囲まれた中庭にて響き渡る、会心の歓声とともに、疑似三重苦の少女──俺の妹ハル○へと体当たりをかます、『いずみいつ』改め『メルクリウス』を名乗る、超能力少年。


 ──その手に、大振りのサバイバルナイフを握りしめながら。


「は、ハル○⁉」

 脇腹に深々と突き刺さった氷の刃とともに、為す術もなくその場に崩れ落ちる、漆黒のパジャマに包み込まれた華奢なる肢体。

「ハル○、しっかりしろ! ハル○⁉」

 慌てて駆け寄り抱き上げれば、すでに呼吸も鼓動も完全に停止していた。

「あは、あはははは。やった、やったぞ! これで『P○Yネットワーク』は、二度と復活できなくなった! もう僕たち超能力者が、道具として使われることは無いんだ! あはははは。──それにしても、散々女神の憑坐であることを笠に着ていたくせに、ナイフで刺されただけでこうも簡単に死んでしまうなんて、拍子抜けもいいところだよ!」

 あたかも狂ったかのように哄笑をあげる、暴漢少年。

 何が、おかしい! 何が、やったやっただ! ハル○自身には、何の罪もないじゃないか!

 ……あ~あ、こんなに穴が空いてしまって。お気に入りのパジャマだったというのに。ハル○のやつ、絶対哀しむぞ。


「──ふう。こんなに血を失ってしまったんじゃ、しばらくは自律行動は無理ね。……しかたない、当分は私が完全に憑依して、自ら動かしてあげることにいたしますか」


 まさにその時、聞こえよがしに何やらぶつくさつぶやきつつ、いかにも渋々と刺された脇腹を押さえながらよろりと立ち上がる、ゾンビ(?)妹。

 おお、ハル○自身の声帯を通した声を聞くのも、随分と久しぶりだなあ。

 今や俺たち兄妹以外の者たちは全員言葉を失い、ただただ唖然と見守るばかりであったが、中でも一番衝撃が大きかったのは、当然この少年であった。

「……いったい、どういうことなんだ? 確かに致命傷のはずだったのに。もしや『なろうの女神』が取り憑いていれば、不死身の身体になれるとでも言うのか⁉」


「いえいえ、この子はただ単に、だけよ。一度死んでいる者をナイフで刺そうがピストルで撃とうが、それ以上死ぬことなんてないでしょう?」


 血だらけのパジャマ少女から突きつけられた言葉に対して、最初は意味を把握できず呆然としていた加害者の少年であるが、徐々に理解に及び始め一気に血相を変えて、俺へと向き直り食ってかかってくる。

「な、何だよ、キョン──いえ、たか○さん! あなたは邪悪なる自称女神なんかを取り憑かせた、妹さんのを、何食わぬ顔をして連れ歩いていたというわけなのですか? もはや妹さんの魂が存在していないのなら、はむしろ『なろうの女神』そのものではありませんか⁉」

「……いいや、『女神』なんかじゃないよ」

「なっ」

「たとえ中身が『なろうの女神』だろうが、こいつはあくまでもハル○自身そのものなんだ。何せおまえ自身も散々言っていたように、人の『本質アイデンティティ』というものは、常に肉体側にあるのだからな。『魂』などという絶対不滅の存在なんて、元から存在しないんだ。人の意識というものはただ単に肉体によって生み出されている、物理的な存在に過ぎないんだ。──もっとも、屍体となってしまった今では、ハル○独自の意識なんて、生み出しようがないんだけどな」

 俺のむしろ真摯とも言える淡々とした言葉を聞くや、呆気にとられる(偽)友人の少年。

「……狂っている。あなたはただ妹さんの死を認めることができないままに、狂ってしまっているだけなんだ!」


「──何を今さら。女神や悪魔なんぞを自称する正体不明の輩に、願いを叶えてもらおうなんて思う人間が、狂っていないわけがないじゃないか?」


「──っ」

 もはや完全に沈黙してしまった自称『すべての黒幕』の少年を見て取るや、鈴なりの生徒たちをかき分けて、まさに真打ち登場とばかりにここで初めて姿を現す、自他共に認める『主人公』の少女。


「罠とも知らずに、首領本人がむざむざ飛び込んでくるとは、とんだお笑いぐさね。かつての百発百中の『メルクリウス』様の第六感も、すっかり怠惰な根無し草生活の中で、錆びついてしまったんじゃないの?」


 烏の濡れ羽色のセミロングの髪の毛に縁取られた、日本人形そのままの端整な小顔の中で、いかにも不敵に煌めいている黒曜石の瞳。

すずみやハルヒ……いや、ここは、『アポカリプス』と呼ぶべきかな?」

「やめてよね、いつまでも子供ガキの遊びになんか、つき合ってられるものですか。今や私はこのJAライトニング学園の、生徒自治会長代理を任されている身なのですからね」

「──! そうか、これまでのすべてが、この僕をここにおびき寄せて捕まえるための、罠に過ぎなかったんだな⁉ おまえを始めとして『すずみやハルヒのゆううつ』の登場人物を演じていたことはもちろん、異世界転移経験者を装っていたことは言うに及ばず、この『エンドレスエイト』を模したループ状態すらも、この学園の超能力者たちの総力を挙げて実現していたってわけだ!」

「御名答。わかったんなら、さっさと観念したら? この学園の周囲に潜んであなたからの連絡を持ちかねているお仲間さんたちも、今頃は当学園の誇る生徒自治会保安部退魔班によって、一網打尽となっていることでしょうしね」

「──くっ、すべてはおまえの筋書きシナリオ通りってわけか。まさかよりによって、『なろうの女神』とグルになるなんてな」

「別にグルになんかならないわよ。今回はたまたま利害が一致しただけなの」

「そうそう。私はただ単に、面白い物語さえ味合わせてくれれば十分なんだから、人間同士の事情なんて、知ったこっちゃないしね♡」

「……僕たち超能力者の自由を賭けた全力の闘争が、ただの物語だと?」

「ええ、私たち『なろうの女神』にとっては、この世のすべてが物語でありお遊びゲームのようなものにすぎないのですからね。──今回のあなたの策動も、十分に滑稽で存分に楽しませてもらったわ」


「このっ、何が女神だ、悪魔めが! ──アポカリプス! そんなインチキ女神に魂を売ってまで、本当にこの世界に守る価値なんてあると思っているのか⁉ こんなループを繰り返すばかりの世界も、おまえたち自身も、結局はただの『偽物』じゃないか! しょせんおまえたちは『涼宮ハルヒの憂鬱』の登場人物を演じていただけだったように、この世界そのものも、原作ホンモノに対する二次創作ニセモノのようなものに過ぎないんだ! 結局はそこの邪悪な『なろうの女神』に、もてあそばれているだけなんだぞ⁉」


 あたかも血を吐くかのような心からの絶叫に、完全に静まり返る、JAライトニング学園の生徒たち、

 そんな中でこの少女だけは、いつも通りの真夏の太陽のような笑顔を、微塵も揺るがすことはなかった。

「ええ、その通りよ」

「なっ──」


「たとえこの世界が他の誰かさんにとっては本物の世界ではなく、単なる小説の世界だろうが、それどころか原作ですらない二次創作だろうが、ゲームの世界だろうが、ループ中の一周回だろうが、平行世界パラレルワールドだろうが、異世界だろうが、私は間違いなく私だし、この世界は私にとっての唯一絶対の、現実ほんものの世界に他ならないのよ!」


 何の躊躇もなく高らかにぶち上げられた自信満々の宣言に、一瞬呆気にとられる俺たち生徒一同であったが、

 ──次第にあちこちから拍手が聞こえ始め、瞬く間に中庭中が大歓声に包み込まれた。

 もはや完全に心が折れて、がっくりとその場に膝をつく、自称超能力者の解放者の少年。

 ……そうだ、そうだよな。

 今回の『エンドレスエイト』とも呼び得るループ状態が始まって以来、それこそ数え切れないほどのいろいろな『世界』を体験してきたが、別にループからの脱出に成功する『最後の周回』だけが本物の世界というわけではなく、ループ中のすべての世界が本物なんだ。

 たとえそれが、本来の現実世界──言うなれば『原作』とは似ても似つかぬ、まさしく二次創作ニセモノそのものの、小説の世界であろうがゲームの世界であろうが平行世界パラレルワールドだろうが異世界であろうが、現にそこに存在している者にとっては、間違いなくただ一つの現実世界なんだ。


 ──そう。やっと俺は、世界の真理に、到達したんだ!


 時刻は奇しくも、8月31日の23時50分。


 おそらくはこの世界こそが、今回のループの『最後の周回』となることを、なぜだかその時の俺は、絶対の確信を持っていたのである。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「……いや、いくら何でも、こんな幕切れはないでしょうが⁉」


 暦変わって9月1日──つまりは、文字通り無限に続くかと思われた夏休みがめでたく終了しての、新学期初日の放課後の、きた高文化系部室棟の最奥にある、文芸部室兼我らがSOS団非公然アジトにて。

 あの常にすべてを見透かしたようなニヤニヤ笑顔を浮かべている副団長殿が、珍しくもいかにも不満そうなジト目でこちらを見つめていた。


 仕方ないので俺は、自作のWeb小説、『ハルヒ二次創作祭☆2018サマー』(仮題)のエピローグ部分を入力していた手を止めて、やおら取りなすように声をかけた。


「おや、いずみいつ君としては、何が不満なんだい? かのJAライトニング学園中庭でのクライマックスシーンなんて、まるで主人公ばりの大活躍だったではないか?」

「どこがですか⁉ むしろ僕一人だけを悪者にして、皆さんでよってたかって袋だたきにしたようなものじゃないですか! しかもおそらくは作品の世界観を超越して、すべての黒幕であるはずの『なろうの女神』すらも、ちゃっかりとあなた方主人公サイドに回っていたりするし!」

 日頃の温厚さはすっかり鳴りを潜めて、今や血走ったまなこで食ってかかってくる、校内屈指の秀才君。

 俺は辟易しながら大きくため息をついて、言葉を続けた。

「しかしそのお陰で、見事『エンドレスエイト』状態から解放されたんだから、おまえだって本望だろうが? 特にハルヒのやつなんか、ループ中にあんなに何度もハチャメチャな体験をしたというのに、そのすべてを自分のとっての現実世界と認めて、もはや原作とか二次創作とかの次元を超えて、自分自身が『すずみやハルヒ』であることの再認識を果たせたじゃないか? まさにそのことこそが彼女の世界に対する絶対の満足感をもたらすことになって、晴れて『夏休みの世界の無限の繰り返しループ』が解除されたってわけだろうが? ──まさに、ある意味すべてのケリがついて、これで最終回を迎えてもいいくらいにな」

 俺は文字通りこれまで散々苦労して背負ってきた肩の荷を下ろすようにして、サバサバとした表情で言い放った。

 ──しかしそれは、あまりにうかつな発言だったのだ。


「……すべてのケリがついた、ですって?」


 あたかも地の底を這うかのような、重く暗い声音。

 思わず振り向けば、あの柔和で端整なお顔が、般若のごとく怒気に歪んでいた。

「こ、古泉、くん?」

「『エンドレスエイト』状態から解放されたですって? 『夏休みの世界の無限の繰り返しループ』が解除されたですって? 『涼宮ハルヒ』であることの再認識を果たせたですって? 世界に対する絶対の満足感をもたらせたですって? ──よってこの僕も本望だろうですって? 何を寝とぼけたことを言っているんですか⁉ いまだ我々『涼宮ハルヒの憂鬱』の登場人物に対する『拘束』は、依然と続いているのですよ!」

 …………は?

「いやいやいや、そんなことはないだろう⁉ 間違いなく俺たちはこうして、日常的日々を取り戻しているし、それに何よりも、日付的にもちゃんと8月が終わって、9月を迎えられたじゃないか⁉」

「『エンドレスエイト』とは違って、この『拘束』には、日付なんか関係ありませんよ。そもそもあなたは先ほど、『最終回を迎えてもいい』なんておっしゃっていましたが、本当にいいのですか? あなたにとって他の誰よりも大切なる親友であられる佐々木ささきさんを、あんな状態のままにしておいて、自分たちだけハッピーエンドを迎えたりして」

 ──っ。

「……そうだ、俺は佐々木を救うこともできずに、何を自分勝手に満足していたんだ。あいつを目覚めさせるまでは、最終回も何もないだろうが⁉」

「ええと、本当にわかっています? 佐々木さんを晴れて目覚めさせられるかどうかは、我々全員に対する『拘束』を解き放つことにも、大いに関わってくるんですよ?」

「え、何で? ──つうか、そもそもその『拘束』って、一体何なんだ? またハルヒのやつが無意識に、『エンドレスエイト』のような現象でも起こしているとでも言うのかよ?」

「そんな個々のイベントにとどまる話ではなく、むしろ『物語』そのものとも言うべきなんですよ」

「へ? すべての、物語って……」

 そしてその同級生の少年は、本日最大の爆弾発言を投下する。


「実は、このたびめでたく終了した『エンドレスエイト』に限らず、我々に関係するすべての物語が──そう、原作である『涼宮ハルヒの憂鬱』は言うに及ばず、数々のメディアミックス作品か、諸々のスピンアウト作品か、玉石混交の二次創作かすらも問わず、すべての『ハルヒ』関連作品こそが、我々を永遠に捕らえ続けている、『牢獄』とも言い得るのです」


 ……何……だっ……てえ……。

「だってそうでしょう? 確かに『エンドレスエイト』は終了いたしましたが、これらの『ハルヒ』関連の物語が続いていく限り、僕らは永遠に『涼宮ハルヒの憂鬱』の登場人物を演じていかねばならないのですから、『エンドレスエイト』が続いているのと、何ら変わらないではないですか?」

 ──ぐっ。言われてみれば、確かにそうだけど……。

「……一体誰が、わざわざそんな酔狂なことをして、俺たちを物語の世界なんかに閉じ込めているって言うんだ? やはりそれも『エンドレスエイト』同様に、ハルヒの無意識の仕業ってわけか?」

「もちろん涼宮さんも大いに関係しておられるでしょうが、むしろすべての『女神』様たちの仕業と言うべきでしょう」

「女神って、『なろうの女神』のことか?」

「彼女だけではありません、言わば『夢の主体』の象徴シンボルの力を有する女性陣の皆様が、意識的無意識的を問わず、我々を物語世界に拘束させているのです」

「なっ⁉」

 どういうことだ、それって一体?

 古泉の言い分では、ハルヒたちと『なろうの女神』とが、まるで同じようなものみたいじゃないか⁉

 そんな当惑しきりの俺の様子を見て、なぜだか大きくため息をつく、同級生の少年。

「……やれやれ、何をいかにも心外そうな表情をなさっているのですか? まさにあなたこそが、すべての鍵を握っているというのに」

「はあ? 俺が鍵を握っているって。──おいおい、いきなり何を言い出すんだよ?」

 面食らうばかりの俺に向かって、更に突きつけられる、文字通りのとどめの一言。


「何せ、『なろうの女神』などと言うとんでもない存在をこの世に生み出したことはもとより、涼宮さんたちが『夢の主体』の象徴シンボルとしての力に目覚められたのも、すべてはあなたの『作者』としての力によるものなのですからね」


 ──‼

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