第30話
「……何ですか、その女は? 穢らわしい『禍言語りの牛』風情が、何で人間様の領域にのこのこ出て来ているのですか?」
またしてもいきなり自室の戸口から聞こえてきた、幼くも辛辣なる声音に、俺はうんざりしながらも振り向けば、そこには予想通りの大人びた眉目秀麗なる顔が、いかにも不機嫌極まる表情に彩られてたたずんでいた。
……また、このパターンかよ。
二月の第三日曜日の午後三時過ぎ、再びの訪問客は妹一人だけでなく、彼女のとてもJSには見えない大人びた美少女フレンド殿もご一緒であった。
「……ミヨキチ」
そうそれは、普段は物静かで引っ込み思案で温厚極まる、我が地方随一の高級住宅街在住のお嬢様その人のはずであった…………あれ、何だこの彼女の背後から立ちのぼっている、夜叉のごとき禍々しきオーラは⁉
「おや、どなたかと思えば、
うおおい⁉ ちょっと!
もはや『売り言葉に買い言葉』のレベルでは収まらないほどの、倍返しの煽り文句を口上なさったのは、今やすっかりお馴染みのこの俺の自室の座敷童的居候にして、現在もベッドの上で薄手のワンピースだけをまとって密着して抱きつきなさっている、
……いや、俺の精気を今にも吸い取りそうなのは、むしろおまえのほうだろうが?
「そのお言葉、そっくりそのままお返しいたしますわ。何よ真っ昼間から、殿方と
「いえいえ。いまだ小学生の身空で、殿方に対して監視やストーカーに血道を上げておられる、吉村の姫君には到底敵いませんわ。さすがは蛇の一族の直系女子、執念深さと粘着のほどは折り紙付きですね」
へ? ミヨキチってば、監視とかストーカーとかをやっているの? ……一体、誰に対してだろう。
「うふっ、お褒めいただき、光栄ですわ」
「あはっ、こちらこそ」
「うふふ」
「あはは」
「うふふふふ」
「あはははは」
「うふふふふふふふふふふ!」
「あはははははははははは!」
心底愉快げに、声を上げて笑い合う、可憐なる乙女たち。
ただし両者共、その瞳だけは笑っていなかった。
こ、怖えー! 何、このド修羅場⁉
こいつらやけに相手のことどころか、その家のことまで知り尽くしているようだけど、別に今回が初対面ってわけじゃないのか?
もしかしてミヨキチのほうの家系も、鶴屋家同様、何かいわくつきの事情でも抱え込んでいるんじゃないだろうな?
「──で、どっちを選ぶつもりなの、キョンくんとしては?」
おれが年若い女の子同士の、熾烈なる煽り合戦にただただあっけにとられていれば、これまでずっと沈黙を守っていた妹殿が、なぜだか凍てつくような冷ややかな瞳をこちらに向けながら、開口一番ズバリと切り込んできた。
「へ? どっちって……」
気がつけば、あれほど熱い言い争いをしていたはずのご両人までが、完全に口を閉ざして、俺のほうを見つめていた。
「……ったく。何をまるで他人事のような顔をしているのよ? すべてはキョンくんが、あまりに優柔不断だから悪いんでしょうが?」
「ゆ、優柔不断って、俺のどこが⁉」
「どこがって、あえて言えば、『すべて』かな?」
「なっ⁉」
「涼宮さんや佐々木さんは言うに及ばず、最近じゃ朝比奈さんや長門さんにまで粉かけて。これじゃミヨキチたちが焦りだすのも、無理ないでしょうが? ミヨキチたちにとっては、『語り部』であるキョンくんを手中に収めることができるか否かは、死活問題なんだよ?」
──っ。
ココデ、ナンデ、かたりべガ、ワダイニ、アガルンダ?
「──だったらこの勝負、すでにケリはついてますわね。何せそちら様は、かつて一度『語り部』と『くだんの娘』の力を暴走させて、あわや家自体を破滅させかけたことですし」
──‼
突然の美少女JSの告発の言葉に、一瞬にして完全に硬直してしまう、『語り部』と『くだんの娘』の二人。
「……どうして、それを。鶴屋家にとっての、極秘中の極秘のはずなのに」
先程までの舌鋒もすっかり鳴りを潜め、顔面を蒼白に染め上げてつぶやく、鶴屋の巫女姫の片割れの少女。
思わずミヨキチと昵懇の間柄にある我が妹のほうを見やるが、この場でただ一人何だか要領を得ず、訝しげな表情をしていた。
……まあ、そりゃそうだよな。鶴屋の一員とはいえ、あいつは『当事者』ではないし、そもそもあの当時、まだほんの子供だったからな。
「……あなた……どこまで……知っているの?」
これまでとは一変して、あたかも小動物そのままに、おずおずとJSに向かってお伺いを立てるJK。
しかしそれに対する年下の少女の回答は、極めて無慈悲なものであった。
「……そうねえ。かつて牢屋に繋がれていた幼子だったあなたが、ことさら哀れさを強調して語り部をたぶらかして、その類い稀なる
「ひっ!」
それほど遠くない昔に心身共に瀕死の状態ともなった、古傷をすべて言い当てられて、ずっと年下の少女に対しておびえの感情を隠すことなく、悲鳴すら上げるかつての偽りの幸福の使者。
「傑作よねえ。不幸の予言よりもむしろ、幸福の予言のほうが、不幸を呼び寄せることになるなんてね」
「……………………やめて」
「確かにあなたは、『結果』に関してだけは、幸福をもたらすことができたでしょう」
「……………………やめてやめて」
「しかし、それはあくまでも文字通り結果のみに過ぎず、その『過程』やずっと後の『事後』については、けして幸福を保障するものではなかったの」
「……………………やめてやめてやめて」
「ある時は、結末に至るまでの過程において、とんでもない突発事故が起こることもあったし」
「……………………やめてやめてやめてやめてやめてやめて」
「またある時は、まさしく幸福な結果こそが、後々想像を絶する不幸を呼び寄せることもあったわ」
「……………………やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて」
「その結果鶴屋家そのものが信用を失い、一時は破滅同然の状態にまで陥ってしまったの」
「やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて」
「どうにかギリギリのところで、もう一人の予言の巫女である
「──お願いだから、もうやめてえっ‼」
たまらず悲痛極まりない叫び声を上げる、不幸な予言の巫女の少女。
「おいっ、ミヨキチ! いい加減にするんだ!」
頭を抱えてうずくまる幼なじみをすかさず抱きかかえながら、俺は年端もいかない小学生に向かって本気で怒鳴りつける。
しかし彼女が返してきたのは、これまで以上に冷え切った声音のみであった。
「……あなたは本当に、それでいいのですか?」
「何?」
「あなたは千代さん姉妹に──いえ、鶴屋家そのものに、利用するだけ利用された挙げ句の果てに、都合が悪くなった途端、まるで蜥蜴の尻尾切りそのままに、切り捨てられてしまったのですよ? それなのに平気な顔をして今更すり寄ってきたそんな女なんかを、どうして快く受け容れて優しくなされることができるのですか?」
──くっ。
その小学生の言葉は確かに至極もっともなもので、俺は情けなくも、何ら反論することはできなかった。
「いいですか、その女は血の一滴まで、不幸ばかりを呼び込むのが身上の、くだんの娘でしかないのです。これ以上関わり合いになっていると、かつての事件以上の災厄に見舞われるかも知れませんよ」
そんなあたかも自分こそが『不幸な予言の巫女』でもあるかのような不吉な言葉だけを残して、あっさりとこの場を立ち去っていく神守の少女。
もはや言葉もなくその後ろ姿を見守るばかりの俺たちだったが、この後すぐに思い知らされることになるのであった。
まさしく彼女のその言葉こそが、真に的を射ていたことを。
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