第50話

【第一の手紙】


 ──拝啓、お父上、お母上。


 ご無沙汰しております。


 息子のいちろう──通称、キョンです。


 ……何で、自分の両親への手紙の中で、わざわざ通称を記さなければならないのか、甚だ疑問なのですが、妹の──これまた通称、ミヨキチによると、「読者の皆様には、通称のほうがなじみが深いから」とのことでしたが、『どくしゃ』って、一体何のことなのでしょうか? キョン記憶喪失だから、ワカンナ〜イ。


 いや、冗談はさておき、実は現在私は紛うかたなく、記憶喪失だったりするのです。


 ……栄えあるくれ家の総領息子でありながら、不慮の海難事故のせいとはいえ、行方知れずになるのみならず、あまつさえ前後不覚の状態になってしまうとは、慚愧の念に堪えません。


 よって正直申しまして、お父上のことも、お母上のことも、お顔はもちろんお名前に至るまで、まったく覚えていないといった体たらくなのであります。


 何せ自分自身のことすら、すっかり忘れ果てているくらいなのですから。


 ……いやもちろん、お二方のお名前を始めとする、人となりや、私たち兄妹との関係等に関しては、再三再四ミヨキチに確認はしておるのですが、「別に私たちの両親が何者であろうと、現在のこのシチュエーションには何ら関係はないから、一応お二人共健在であられることをお知りなっていれば、よろしいのです」の一点張りで、どうしても教えてくれないのです。


 そもそも、『現在のシチュエーション』とは、一体何のことなのでしょう?


 ……わからない……わからない。


 時たま、妹の発言には──いいえ、この二次創作においては、こういったメタフィクション的ワードを多用しており、主人公にして語り手である私を、何かにつけ戸惑わせるのです。


 ところで、『二次創作』や『メタフィクション』や『主人公』や『語り手』とは、一体何のことなのでしょう?


 ……わからない……わからない。


 ──ああ、読者の皆様には、大変失礼いたしました。


 実は今回と前回のエピソードは、かの鬼才中の鬼才であられる『ゆめさく』先生の御著作をベースにしておりますので、あえて文体をあたかも『書簡』であるかのように装って、しかも何よりも語り手を狂人そのままに描写することで、作品に対する信頼性をわざと揺るがせて、全編にわたって読者の皆様を混乱させ続けるといった手法がとられているのです。


 ……あれ? むしろこんなふうに、いきなり読者様に直接語りかけて、作品の裏設定をすべて明らかにしたりする発言こそが、作中の登場人物がけして行ってはならない、最大級に禁忌タブーなメタ発言だったのではないでしょうか?


 ……わからない……わからない。


 ま、まあ、おふざけはこの辺して、話を元に戻しましょう。


 かように現在の私は、『自分自身』というものに対してすっかり自信を失い、支離滅裂な精神状態にあり、もはや『瓶詰の○獄』というよりも『ドグラマ○ラ』の主人公であるかのような有り様となっております。(※メタ路線現在も継続中)


 そんな情けない限りの私をけして見捨てることなく、心から親身になって支えてくれているのが、ほかならぬ妹のミヨキチでありました。


 そう。ミヨキチは、たいそうくれております。


 ──実はこれこそが、最もお二方に伝えたかったことであり、この『瓶詰の書簡』の主題でございます。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


【第二の手紙】


 ──お父上、お母上。


 現在、私こといちろう──いえ、キョンは、大層幸せでございます。


 この上なく、幸せでございます。


 ──いえいえ、けしてこれは、お二方に余計な心配をかけないための、嘘なぞではございません。


 心の底から本当に、幸せなのでございます。


 このように私に幸せをもたらしてくれる、文字通り天使のごとき存在とは、誰あろう、


 ──まさしく妹である、ミヨキチだったのです。


 このような悪条件の環境下にありながら、何と彼女はすべてにおいて、自分よりも私のことを優先し、何不自由ない生活を提供してくれているのです。


 大自然の恵み以外には、水や食糧やその他の生活必需品を手に入れる手段はなく、外部との連絡手段もまったくないという、絶望的状況下において、お二方もよくご存じのように、我が暮一族のひめならではの人知を超えた力を駆使して、陸海空を問わない動物たちと集合的無意識を介して意思の疎通をはかり、必要な食糧や物資を持ってきてもらったり、自らもケルトのドルイド師もかくやといったダウンジング能力を披露し、真水や温水や燃料等々を掘り当ているといった次第で、お陰でこの絶海の孤島にあって、至極文化的な生活を満喫できているのでした。


 これだけでも感謝の念が絶えないというのに、何と彼女は、何につけても兄である私のことを優先してくれるのです。


 そこには、たった一人の肉親に対する愛情はもちろん、年長者に対する敬意や、そして何よりも哀れな記憶喪失者に対する、いたわりの心があるのでしょう。


 それが最も顕著に表れている例として、この食糧難の環境にあって、彼女は食事の量や質についても、常に私の分を優先してくれるのです。


 もちろんいまだ小学生の彼女のほうが、小食であることもあるのでしょうが、特に獣や鳥や魚などの肉や卵のような、が手に入った際には、私にばかり食べさせてくれるのでした。


 しかも彼女の献身ぶりは、何も食事だけに限りません。


 お風呂に入る時は、必ず私の背中を流してくれたり、頭を洗ってくれたりと、至れり尽くせりです。


 ──ああ、これについては若干説明が必要ですね。実はこのコテージにおける入浴設備については、水と燃料さえあれば普通にお湯を沸かせるようになっているので、ミヨキチから依頼された動物や鳥たちが集めてきた物資によって、辛うじて利用できるようになっているのですよ。


 ただし言うまでもなく、現在においては水は何よりも貴重品ですので、最初はミヨキチも私と一緒に入浴を済まそうとしていたのですが、小学生でありながらすでに十分大人びている彼女との混浴は、いろいろとまずいと思われて、自重してもらったところ、その代わりにバスタオルを一枚巻いた格好で、私の入浴のお世話をしてくれるようになったといった次第なのです。


 とはいえ、彼女ときたら見かけによらず、結構ドジっ子であるようで、これまで何度も不意にバスタオルが脱げてしまったことがあったりして、お互いに思わず赤面したのも、実の兄妹ならではの微笑ましい一幕と言えましょう。


 食事や入浴の後においても、彼女の献身ぶりはとどまることを知らず、年頃の少女としては恥ずかしい限りであろうに、自ら私と同衾することを申し出てきたのです。


 これが平時であれば、私だって断固として拒んだのですが、このような絶海の孤島においては、どんな災害や獣や新たなる漂流者等々が、いきなり襲い来るかわかったものではなく、日中はもちろん就寝時においても、常に一緒にいるほうが当然望ましいでしょう。


 いくら大人びていると言っても、そこはまだまだ子供であり、彼女のほうも心細いようで、ただ単に同じベッドで寝るだけではなく、必ず私にしがみつく形で眠りにつき、一晩中その子供ならではの熱い体温と、すでに女性らしさを垣間見せ始めた肢体の柔らかさとを、まざまざと感じさせて、悶々と夜を過ごさせることも、時にはございました。


 言うまでもないかと思いますが、いくら大人びた美少女であるからといって、実の妹に対して不埒な行為に及んだりするはずがなく、毎夜修道僧のごとき鉄壁の理性を貫き、どうにかこうにか事なきを得ているといった有り様でした。


 そういった一夜の翌朝に限って、何だかミヨキチときたら、「……もっとスタミナのあるものを食べさせるべきかしら」とか「実の妹ではなく、血が繋がっていない義妹にしておけば」などと、ブツブツとつぶやいているのですが、二次創作のWeb小説か何かの話でしょうか?


 このように些細な問題も無きにしも非ずといった感じではありますが、概ね兄妹二人仲良く、つつがなく暮らしております。


 ──そう。私は今、幸せです。


 この上なく、幸せなのです。


 だから、お父上、お母上。


 我々二人のことは、どうぞご心配なさらないように。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


【第三の手紙の執筆中にて】


 ──おかしい。


 おかしすぎる。


 何もかもが、不可解だ。


 ……いや、『読者』の皆様におかれましては、前後の脈略を度外視した、あまりに突然なる語り手である俺自身の言葉遣いの急変に、さぞかし戸惑われておられるかと存じますが、


 それで一体、何が、おかしいかと申しますと、


 ──本来この上もなく絶望的であるはずの、この状況下にあって、このようにさも当たり前のようにして、『幸せ』を感じられていることであった。


 それも、『苦しい状況の中にあっても、兄妹が力を合わせることによってつかみ取った、ささやかなる幸せ』なぞという、慎ましいものではなかった。


 記憶喪失ゆえにしかとは覚えていないものの、おそらくは我が国生粋の名家の本家における、総領息子としての贅を尽くした生活よりも、よほど豊かなのではなかろうかと思えるほどであった。


 何と言うかもう、ミヨキチの俺に対する『過保護』ぶりが、もはや常軌を逸してしまっているのだ。


 食事が更に量質共に向上したのを始め、お風呂の世話等もより献身的になり、もはや背中や頭のみならず身体中を洗ってくれるようになり、就寝時も眠りにつく前に念入りに全身マッサージをしてくれるといった、そこら辺の美容エステや風俗店も顔負けの、大出血サービスぶりであった。


 かといって、唯一の男手である俺に、力仕事や食糧調達をお任せするといったわけでなく、一日中コテージ内に止め置いて、少しでも自分の目の届かない所に行こうものなら、血相を変えて探し回るといった有り様なのだ。


 更には相も変わらず、なぜかこの島を脱出して本土に帰還することについては、消極的──いや正直言って、であり、俺がその話題をおくびにも出そうものなら、急に慌てふためいて、俺に対する待遇を更に破格にランクアップして、この島での生活をより快適にすることで、帰還への意欲をくじこうとするのであった。


 ──そうなのである。


 どうも彼女にとっては、俺とのこの島での二人っきりの暮らしこそが、文字通りに『望むところ』であったようであって、自分はもちろん俺に対しても、手を替え品を替えあらゆる手管を尽くして、この絶海の孤島に止め置こうとしているようなのだ。


 ……ええっと、これって、もしかして、




 ──そう。もしかして俺って、実の妹から、実質上『監禁』されているんじゃないの?




   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「──はあはあはあはあはあはあはあはあ」


 八月最後の夜更け。

 俺は折からの大雨と夜陰に紛れて、コテージを抜け出し、海岸に向かってひた走っていた。


 思い出した! 思い出した! 思い出した! 思い出した! 思い出した!


 何で今まで忘れていたんだろう。


 俺は、くれいちろうなんて名前ではないし。

 もちろん、我が国有数の名家の、御曹司なんかじゃないし。

 そもそも、豪華クルーザーで優雅にクルージングしていた時に事故に遭ったのではなく、最初の時点から、暮家ならぬよしむら家のクルーザー内にて、拉致されていたのだ。


 そう、暮ならぬ吉村美代子──通称ミヨキチと、俺とは、兄妹なんかではなかったのだ。


 では、どうしてこんなことになったのか?

 実は答えには、見当がついている。

 この無人島生活は確か8月17日に始まり、そして今日はちょうど8月31日だ。


 ──そう。あの『永遠の八月の日々の繰り返しエンドレスエイト』の日程と、ピタリと一致するのである。


「……とは言っても、いずみによると本当のところは、実際にループをしているわけではなく、『ループをしている記憶』を与えられているだけで、ある意味脳みそが錯覚を起こしているようなものに過ぎず、こうして一度ループの過程ストーリーから逸脱すれば、ループそのものを脱出できるか、少なくとも別のループの周回に逃げ込めるはずだ。とにかく今は、このループ世界を創造していると思われる、『夢の主体』の象徴シンボルであるハルヒと同等の力を持つ、『吉村のひめ』であるミヨキチの力が及ぶ範囲から逃れるんだ!」

 場合によっては、海に飛び込むことも辞さぬ勢いで、浜辺へと到着した、

 ──まさに、その刹那であった。


「無駄なことを。この世界そのものが、ひめである私が見ている、『夢』のようなものに過ぎないというのに」


「──なっ、そんな⁉」

 突然鳴り響いた涼やかな声とともに、暗雲は一気に消え去り、夜空は晴れ渡り、煌々と光り輝く月明かりによって、波打ち際にたたずんでいる、純白のワンピースをまとった一人の少女が照らし出された。


 日本人形のごとき秀麗なる小顔の中で煌めいている、黒目がちの瞳。


「……ミヨキチ、どうして」

「どうしても何も、この時分にここに来られることを知っていましたから、先回りしていただけですよ」

「俺がここに来ることを、知っていたって?」

「ええ、もうすべてを、思い出されているのでしょう?」

「──っ。な、何で、それを⁉」


「だって、今日は8月31日ですもの。──そう。『エンドレスエイト』の魔法が解ける、八月最後の日。あなたは必ずこの日になると、すべての記憶を取り戻してしまうの。さて、これで一体、何度目でしたっけね?」

「何度目って、これまでもこれと同じことを、繰り返してきたとでも言うのかよ⁉」

「だから言ったでしょ? 無駄なことだって。ていうか、そもそも『エンドレスエイト』とは、そういうものではないですか? あなたはどんな悪あがきをしようが、けしてこの『永遠なる八月の世界エンドレスエイト』から逃れることはできず、また8月17日に舞い戻り、すべての記憶を失ってしまうだけなのですよ」

 ……何……だっ……てえ……。

 かつて『エンドレスエイト』を何度も経験した、過去の自分の記憶をすっかり取り戻した俺は、彼女の言葉を否定することなぞできず、もはや完全に心が折れて、砂浜の上へと膝をつく。

 そんな哀れなる男のほうへと悠然と歩み寄ってきた、いまだ小学生の幼き少女は、あたかも女神のごとき慈愛に満ちた微笑みをたたえながら、男をその胸元へと抱きしめるや、優しくささやきかけた。

「そんなに気落ちしなくてもいいじゃない。これからも私は妹として、兄であるあなたに誠心誠意尽くしてあげるつもりよ。だから私と一緒に永遠に二人だけで、この瓶詰の煉獄の島で、幸せに暮らしていきましょう♡」


「──って、普通だったら、ここでバッドエンドを迎えるところでしょうけど、そうは問屋は卸さないわ!」


 まさしくミヨキチが、「私こそが主演女優メインヒロインよ!」と言わんばかりに、ドヤ顔で決め台詞を言い放ったか否かのタイミングで、とどろき渡る、新たなる少女の声。

「……まさか、そんな! どうしてあなたがいきなり、私のループの世界の中に現れるの⁉」

 ただただ驚愕するばかりの、すべての黒幕であるはずの少女。

 ──無理もなかった。

 いつの間にか僕らの周囲をぐるりと取り囲んでいた、白一色の神官服に禍々しいぎゅうの仮面を被った、十数名ほどの屈強なる男たちの一団──闇の異能の一族つる家の誇る、懲罰部隊『とぎ衆』を率いていたのは、俺たちが良く見知っている少女で、


「なあに、うちの躾のなっていない駄犬を、返しにもらいに来ただけよ」


 ──今度こそ正真正銘、自他共に認める、『キョンの妹』様のご登場であった。

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