第49話、本日8月17日は『エンドレスエイト』の初日ということで、キョンとミヨキチに瓶詰地獄に閉じ込められてもらいました♡

「──っ、お兄様、やっと気づかれましたの⁉」


 その時、ほんの間近から呼びかけられた、どこか聞き覚えのある声音によって、いまだ半分以上まどろみの中にあった俺の意識は、一気に現実へと引き戻された。


「………………ここは?」

 自分が寝かされているのはどうやら木陰のようだが、空は一面青一色に晴れ渡り、じりじりと焼き照りつけるように太陽が輝いていた。

「よかったあ、お兄様、ご無事でしたのね⁉」

「──うわっ! お、おい、君⁉」

 横たわったままの俺の胸元へと勢いよく抱きついてくる、先ほどの声の主であろう少女。

 絹糸のごとき長い黒髪はお下げに結んでおり、涼やかなノースリーブの純白のワンピースに包み込まれた肢体は、いまだ中性的なまでに華奢であることから、ローティーン──下手したら小学生あたりと思われるものの、黒目がちの瞳を涙に潤ませている日本人形そのものの端整な小顔は、やけにつやめいていて年齢以上に大人びて見えた。

「……君は? さっき俺のことを、『おにいさま』とか、呼んでいたようだけど」

「ええ、私こそは、あなたの妹の、ミヨキチです!」

「みよ……きち?」

 何それ、本当に女の子の名前なの?

 ──それでも確かに、『ミヨキチ』という名称が、自分の『妹』に何らかの関わりがあったことを、おぼろげな記憶のかけらが肯定していた。

 え。記憶、って……。

「──ッ!」

「お、お兄様⁉」

 突然の刺すような激痛に頭を抱えれば、いかにも心配げな表情で更に身を寄せてくる、己の妹を幼き美少女。

 ……誰だ、この女の子は。

 それに何なんだ、この頭の痛みは。

 まるでごく親しい知り合いとの真夏のクルーズ中に、セレブ御用達の豪華クルーザーのキャビンでくつろいですっかり油断していたところ、不意に後ろからワインボトルか何かで殴られたような、いかにも二時間サスペンス的な鈍痛は?

 ──いや、そんなことよりも、


 そもそも、、一体誰なんだ?


 そのように大混乱を来たしながらも、とにかく改めて周囲を見回してみれば、自分と少女は砂浜らしき地面に座り込んでおり、すぐ前方には大海原が広がっていた。

「……何だ、どこかの海水浴場か? 間違いなく季節は夏のようだし。でもそれにしては、俺たち以外に人っ子一人見当たらないんだけど」

「お兄様? 今日は確かに8月17日──新たなる『エンドレスエイト』の始まりの日であり、夏真っ盛りでございますが、なぜそのようなわかりきったことを、今更お聞きになるのでしょうか? それにここは、海水浴場なぞではございませんよ?」

「へ? 『エンドレスエイト』って? それにここが海水浴場じゃないのなら、何で俺たちはこんなところで二人っきりでいるんだ?」

 俺の至極当然な疑問の言葉を聞くや、顔色を変えて口を両手で覆い、驚愕の表情となる少女『ミヨキチ』。

「……ああ、お兄様は、やはり」

 やはり?


「ご記憶をすっかり、失われてしまわれたのですね!」


 え…………………………ええーっ!

 思わぬ指摘に、驚愕しきりの僕であったが、

 ──驚くのは、まだまだ、早かったのである。


「それにここは海水浴場どころか、陸地でもございません。乗っていたクルーザーが転覆したために、命からがら脱出した私たちが流れ着いた、どことも知れぬ、文字通りの『無人島』なのです」


 ──‼


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 その後、更に詳しいあらましを聞いたところ、俺たちは我が国でも一二を争う名家である、くれ家の本家直系の御曹司と御令嬢であり、俺の名前はくれいちろう──通称『キョン』であり、彼女のほうはその妹のくれ──通称『ミヨキチ』とのことであった。


 ……いや、ツッコミどころ、満載なんですけど。

 本名が『くれいちろう』で、何で通称が『きょん』なのかとか、それに対して美代子が『みよきち』になるのは一見妥当に思えるが、とてもこんな美少女の御令嬢につける通称じゃないだろうとか。

 だが、そんなことを突っ込んでいるような、余裕なぞありはしなかった。


 何でも俺たちは仲のいい従兄弟たちと一緒に、本家所有の豪華クルーザーで優雅にクルージングしていたところ、真夏の晴天のなかにあっていきなり文字通りに風雲を告げたかと思うや、海中より竜巻を伴った巨大な三つ首のサメが襲いかかってきて、クルーザーを粉々に破壊し、海に放り出された俺とミヨキチだけが、こうして辛うじてこの小島に打ち上げられたのだそうだ。

 ……悪いけど、俺はもう、いちいち突っ込まないからな?

 とにかく俺たちは十代の未成年二人っきりで、これからしばらくの間、この大自然の中で自活サバイバルしていかなければならず、しかも俺自身は記憶を完全に失ってしまっているといった、この上もなき悪条件下にあったのだ。

 もちろん、何よりも急を要するのは、水と食糧の確保であろう。

 一応住処に関しては、実はこの島は現在はともかく、これまでずっと完全に無人島であったわけではなく、比較的新しくしかも結構広々とした、おそらく本土の金持ちの別荘にでも使われていたと思われるコテージが、俺たちが流れ着いた浜辺からすぐ奥ほどに建っていたのを見つけたので、どうにか最低限雨露だけはしのげそうであったが、当然新鮮な水や食糧の備蓄なぞ期待できず、自力で調達する必要があった。


「──うん? そういえば、ミヨキチの姿が見えないぞ」


 こんな、どんな生き物が生息していて、いつ何時何が起こるかわからない場所で、一瞬でも彼女から目を離せば、冗談抜きに命取りとなりかねないので、俺は血相を変えてコテージを飛び出し、この小さな島全体が一望にできる、小高い岩山を目指して走り出した。

 すると僥倖にも、まさに彼女その人がそこにいることを、遠目でも確認できたのであるが──

「うふっ、駄目よ! くすぐったいじゃない!」


 なぜか岩山のてっぺんで、大小様々な鳥たちに、じゃれつかれていたのであった。


「……何やっているんだ、おまえ?」

「あっ、お兄様! 見て見て、これ!」

「な、何だ、それ! 一体どうしたんだ⁉」

 彼女の足元を見やれば、たくさんの食糧や燃料類や衣類に、大きなタンクに入った飲料水等々が、山積みされていたのだ。

「これ全部、ここにいる鳥さんたちが、運んできてくれたの!」

「はあ⁉」

 改めてミヨキチの周囲を見やれば、そこに群がっているのは小型の海鳥の類いだけではなく、猛禽類等をも含む、かなり大型の鳥も数多く存在していた。

「……たとえある程度大型の鳥がいようが、本当にこれだけの荷物を海を越えて運べるかは、甚だ疑問ではあるが、一応そこのところはおいといて、そもそも何で鳥たちが、こんなことをしてくれるわけなんだ?」

「私が、頼んだの」

「頼んだって……………………お、おまえ、鳥と意思の疎通がはかれるのか⁉」

「だって私は、よしむら家の──おっと、もとい。くれ家の、ひめなのですもの」

「巳女姫? 何だそりゃ。巳女姫だったら、鳥の言葉がわかるって言うのか?」

「あはは、まさか」

「そ、そうだよな。大昔のディ○ニーのアニメでもあるまいし」


「──私はただ、巳女姫の力を使って、鳥さんたちと集合的無意識を介して、記憶や知識を共有シンクロしているだけですよ」


「………」

 俺って現在、記憶喪失なんだから、集合的無意識ってのが何なのか知らないはずなんだけど、なぜだか無性に「またそれかよ⁉」と、ツッコミを入れたくて仕方なかった。

「──って、そんなことで思い悩んでいる場合じゃない! だったらその鳥たちを使って、俺たちがここにいることを、本土とか航行中の船とかに知らせてもらって、助けを呼ぶことができるんじゃないのか⁉」

 おお、我ながら、名案だぜ!

 だが、そんな自画自賛な俺に対して、目の前の少女は、いかに申し訳なさそうに首を左右に振った。

「言ったでしょ? 私と鳥さんたちは、お互いの言葉を理解し合っているのではなく、集合的無意識を介して直接記憶や知識を同期シンクロさせているって。よって大雑把なリクエストは伝えられるけど、細かいニュアンスまでは理解してもらえず、これらの食糧や水なんかも、航行中の輸送船から盗んできたものだったりするのです。──それにそもそも、私たちはこの島の名称はもちろん、地図上の位置すらもわからないのですよ? それでどうやって、ここにいることを知ってもらえると言うのです」

 そ、そういえば……。

 それこそまさか昔のみや○アニメみたいに、海鳥に先導させて、救助船を呼んでくるってわけにもいかないだろうしな。

「さあ、そんなことよりも、ここにある食糧や水を、早速コテージへと運びましょう」

 すでにこの場を飛び立った鳥たちに手を振りながら、ぼんやりと考えにふけっていた兄を促す妹殿。

「ああ、うん。──いや、それにしても、結構大荷物だぞ、これ」

「大丈夫よ、たちに、手伝ってもらうから」

「この子たちって………………うわっ⁉」

 いつの間にか俺たちの周りを、鹿のようなつぶらな瞳をした獣たちが、十数頭ほど取り囲んでいた。

「な、何だ、こいつらは⁉」

きょんですわ。昔の某コミックで有名な」

「羌って、もしかしてここって、はちじょうじまの近くなわけ?」

「ほほほ。野生の羌がいるのは、おおしまのほうですわよ」

 なぜかこの時、またしても意味不明なままに、脳裏に「……この作者、いつかこのネタを使おうと待ちかねていたな?」なるフレーズが、浮かんできたのであった。

 暮の巳女姫とやらは、鳥だけでなく野生動物とも、集合的無意識を介して意思疎通がはかれるわけなのか、ミヨキチが何も言わないうちに、多数の荷物を次々に口にくわえて運び始める、大勢の羌たち。

 そうなると当然、俺たち兄妹のほうは、完全に手持ち無沙汰となるわけだが、その時ミヨキチが自分の空いた手を、どうしたかというと──

「では、お兄様。私たちも、帰りましょう」

 さも当然のことのように、俺の手に絡みつくようにして、繋いできたのである。


「──ああ、あくまでも難破したためとはいえ、今日からあれほど希っていた、お兄様との二人っきりの生活が始まるのね♡」


 そう言って、心底嬉しそうな笑みをたたえる、日本人形そのものの秀麗なる小顔。

 そこにはいきなり無人島に取り残されたことによる、不安感や悲壮感は、微塵も存在していなかった。

 ……そういえばこいつ、俺がここからの脱出方法を提案した時に、やけにあっさりと否定していたけど、普通こういった場合、むしろ一緒になって考えてくれるものじゃないのか?

 それどころかこいつって、何だかこれから俺とこんな絶海の孤島で暮らしていくことに対して、やけに前向きなんだよなあ。


『いいですか? ミステリィ小説等において惨劇の舞台となる、いわゆる閉鎖空間クローズドサークルというものは、何も文字通りの「密室」みたいに、物理的に閉ざされている必要はなく、たとえ一見オープンスペースそのものであろうと、外部との連絡手段や交通手段が一切存在しなければ、立派に成立するのですよ』


 その時脳裏に甦ったのは、どことなく聞き覚えのある、正体不明の少年の言葉であった。


 その意味深な台詞に促されるようにして、山の頂から眼下を見下ろせば、この上もなく開放的であるはずの、一周数キロほどしかない小島の全景が、なぜだか俺たちを閉じ込めるための、『牢獄』のようにも見えたのである。

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