第51話

「……どうしてあなたが、ここに存在しているの?」


 その時、長いお下げ髪の少女の、桃花の唇から飛び出したのは、とてもつい最近まで無二の親友であった者に対するものとは思えないほどに、ぞっとするような冷ややかなる声音であった。


 しかしその不可視の言葉の刃を向けられた、ツインテールの髪に黒いリボンを結んだ小柄な少女のほうはというと、何ら動ずることなく、あっさりと答えを返してくる。

「別に大したことじゃないわよ。さっきのスコールと夜陰とに紛れて、あなたたちのコテージのあるほうとは真反対の浜辺に、つる本家所有の強襲上陸艇で乗り込んできただけよ。──ああ、それとも、この場所がどうしてわかったのか、聞きたいわけ? いや、こういうこともあろうかと、そこの駄犬の体内には、超高性能の発信器が埋め込んであるのよ」

 ──なっ、ちょっと! いつの間に⁉

 ………………………ていうか、そもそもあいつ、ビジュアル的に、『キョンの妹』として間違っていないか? 何か『別の妹』になっていないか? 着ている服も、どこかの空中艦の指令専用の軍服のようだし。

 だが、俺にとっては十分衝撃的だった事実の発覚も、ノースリーブの純白のワンピース姿の少女にとっては、とても満足できるものではなかったようだ。

「違う! そんなことを聞いているんじゃない! この世界は──『同じ八月後半の日々の繰り返しエンドレスエイトによって閉ざされた空間』は、『夢の主体』の象徴シンボルである、よしむらひめとしての力によって創造されているのであって、たとえ何者であろうと、私の許しなしに侵入することはできないはずなのよ⁉」

 ──え。何、俺って実は、そんなところに閉じ込められていたの⁉ それじゃあ、絶海の孤島であることなんて、別に意味はなかったのでは?

「あら、お忘れになっては困るけど、一応私だって、鶴屋の巫女姫の血を引いているのよ?」

「ふん、とぼけても無駄よ。あなたのような半人前の巫女なんかに破られるほど、吉村の正統なる後継者の張る結界は、柔じゃないわよ」

「おやおや、大した自信だこと」

「いいから、正直におっしゃい!」

「おお、怖い怖い。──だったら、こんなのはどう? これぞ『真の兄妹愛』というものであって、いくら『偽物の妹』さんが邪悪な力を使おうとも、そんなもの何の障害にもならずに、二人は自然と求め合い巡りあうことになっているの──なんてね♡」

「──っ」

 いやあああああっ! もう、いやあああああっ! 何この、ギスギスした空気⁉

 この二人って、ついこの前まで、普通に仲の良かった同級生同士だったよな?

 それが、どうして、こうなった⁉

 何か知らんが、友情なんかよりも、を、取り合っているとか?

「……ふざけるのは、大概にしたら? あなた、こんな大それたことをして、ただで済むと思っているの?」

「はあ? 大それたことをなさったのは、そちらでしょうが、妹さん?」

「だ、誰が、偽妹よ! せめて妹と呼びなさいよ! ──いえ、そんなことよりも! あなた、吉村本家の所有地であるこの島に、事もあろうに鶴屋のとぎしゅうを引き連れて堂々と乗り込んできたりして、吉村と鶴屋との間で、『全面戦争』でも引き起こすつもりなの⁉」

「ああ、そのこと? それなら、心配ご無用よ。──だってちゃんと、吉村本家に対しては、『黙認』という形の了承をとってきているから」

「……え。な、何ですって⁉」

 思わぬ言葉に、これまでの鉄壁の冷静さを失い、明らかに動揺を見せ始めるミヨキチに対して、

 あたかもたたみかけるように、更なる追撃の台詞を突きつける、ツインテールの少女。


「──あなたは、やり過ぎたのよ」


「ッ!」

「そもそも私たち『ヒロイン』が、そこの駄犬に惹かれるのは、『夢の主体』の象徴シンボル本能さがとして、『作者』の力を求めているからなのであって、だからこそそれぞれの一族も、私たち巫女姫の血を引く者をバックアップしてくれているんじゃないの? それなのに、今回あなたがやったように、『作者』の力を持つ者から記憶を奪い去って、ループ空間に閉じ込めたんじゃ、何の意味もないでしょうが。あなたヤンデレをこじらせて、目的と手段とを取り違えているんじゃないの?」

「わ、私を、あなたたちなんかと、一緒にしないでちょうだい! 私は『作者』であるからとかどうとかを抜きにして、純粋にお兄様を──この方を、お慕い申し上げているんだから!」

「──いやいや、何で純粋にお慕いしている相手を、拉致監禁なんかするわけ?」

「それもまた、純愛ゆえよ!」

「……うわあ、こわっ。ガチのヤンデレ、こわっ!」

 いやあああああっ! 実は俺って、そんな危険な状態にあったの⁉ もはや、ひめも『夢の主体』の象徴シンボルも『作者』もへったくれもないじゃん!

「ったく、あなたがそんなんだから、吉村の本家からも見限られてしまうのよ。──さあ、これ以上無駄なあがきはよして、大人しくその駄犬を、こっちに渡しなさい」

 おいっ、おまえはおまえで、さっきから聞いていれば、人のことを何度も何度も、『駄犬』呼ばわりするんじゃない!

「……ふん、お断りよ。せっかくのこの『二人だけの瓶詰の世界』を壊されてしまうくらいだったら、この人を殺して、私も死ぬわ!」

 そう言うや、肩にかけていたポシェットの中から、結構大ぶりのジャックナイフを取り出す、自称純愛主義のJS。

 月明かりをはじき、ギラリと煌めく白刃。

 ──ひぃっ、ヤンデレに刃物なんて、最悪の取り合わせじゃん! 何俺、下手するとここで、刺されてしまうの?

「だから、やめておいたほうがいいってば。──何せこっちにはどうやら、『神様』がついているみたいだからね」

「は? 神様って……」

「あなたが言った通りよ。普通だったら、あくまでも半人前の巫女でしかない私が、吉村の正統なるひめであるあなたのループ結界の中に、こんなにも易々と侵入できるはずがなかったのよ。何せ『夢の主体』の象徴シンボルであるあなたが創るループの世界は、あなた自身が見ている夢のようなものなのですからね。人の見ている夢の中に入ることなぞ、それこそ鶴屋本家のゆめ巫女みこひめであるでもなければ、そうそうやり仰せはしないでしょう。──つまり今回は、なにがしかの『外部の力』が、介入したってわけなのよ」

「──! それって、まさか⁉」


「ええ、おそらくは、『外なる神アウター・ライター』でしょうね」


「……何……です……って……」

 それは彼女にとってはあまりに衝撃的な話だったのか、かつてないほどの驚愕の表情を浮かべるミヨキチ。

 ──って、またしても、そいつのご登場かよ⁉

 ……いや、聞くところによると、『別の可能性の世界』の俺自身なんだそうだけど、何このいかにもな『ラスボス』臭は? 本当に俺なの?

「つまりあなたのやったことは、この世界そのものの禁忌タブーに触れてしまったわけなのよ。そりゃそうよね。『夢の主体』の象徴シンボルと対をなして、この世のことわりを守護すべき『作者』を、個人的な欲望のためだけに、記憶を奪って自ら構築したループの牢獄の中に閉じ込めてしまうなんて。しかも現在ありとあらゆる世界がループ状態にある、この『エンドレスエイト』期間内においては、本来なら個々の世界に及ぼすことのできないはずの『外なる神アウター・ライター』の世界改変能力についても、ループ状態にある個人が、ありとあらゆる『別の可能性の世界の自分』の記憶をすべて有しているような状態にあるのと同様に、世界自体もありとあらゆる『別の可能性の世界』と重なり合っているような状態にあるゆえに、『外なる神アウター・ライター』が世界の書き換えを行えば、あたかも対象の世界そのものが改変されたかのような効果をもたらすことができるので、今回のようにあなたのループ世界の中に、私や御伽衆といった『異物』を侵入させることができたといった次第なのよ」

「──くっ」

 相手の言うことに、納得せざるを得ない論拠を見いだしたのか、悔しげに口をつぐむばかりの、このループ世界の創造者。


「──さあ、わかったら、さっさとループを終了させて、そこの駄犬を解放しなさい。大体がたとえ強大な力を有するひめといえども、個人が見ている夢によって現実世界の一部を切り取って、勝手に閉鎖空間を創ろうとすること自体が、身の程知らずというものよ」


「……………………………………え?」

 その刹那、ミヨキチがまとっていた雰囲気が、一変した。

「は」

 は?


「──はは、ははは、ははははは、あはははははははははっ!」


 唐突に月夜の浜辺に響き渡る、いかにも愉快げな少女の哄笑。

「な、何よ、とうとう狂ったの⁉」

 ヤンデレのヤンデレらしい状態異常の有り様に、ガチでおののく、ツンデレ妹殿。

「あはっ、あはははは! うひっ、ひー、ひー、ちょ、ちょっと、もう、笑わせないでよ! な、何が、『個人が見ている夢によって閉鎖空間を創すること自体が身の程知らず』よ! うふっ、うふふふふふ! お、おかし過ぎて、息ができない…………あ、あなた、私を殺す気?」

 その言葉通りに、もはや息も絶え絶えに、笑いすぎてこぼした涙を拭い去る、ミヨキチ。

「な、何よ、何がおかしいって言うのよ⁉ 私は当然のことを、言っただけじゃない!」

「あらあら、それって、本気で言っているの? あはん、しょせんは半人前の巫女姫ね。おそらく鶴屋本家のさんや万桜さんなら、至極当たり前のようにご存じでしょうに」

「なっ⁉」

 そして次の瞬間、これまでになく真剣な表情となる、吉村のひめ


「身の程知らずも何も、元々『エンドレスエイト』なんかが始まる以前から、この世界そのものが






外なる神アウター・ライター


 介入する。


 ──実行リライト


 終了リセット






「………………」

「な、何よ、言葉を途中で止めたりして?」

「……ふっ、どうやら本当に、『外なる神アウター・ライター』が介入しているようね」

「はあ?」

「──まあ、いいでしょう。あなたのお兄様は、謹んでお返ししますわ」

「へ。──な、何よ、そのいきなりの、心変わりは⁉」

「いくら私でも、神様相手じゃ、分が悪いからね。──でも、せいぜいあなたも気をつけることね。今回は味方をしてくれたようだけど、相手はあなたや私のことなんて、単なる自作の小説の登場人物としか思っていないんだから、いつ何時どんな目に遭わされるか、わかったものじゃないわよ?」

「──っ。そ、そんなこと、あなたに言われなくて、わかっているわよ!」

「だったら、とっと撤収したら? 私のループのほうも、とっくに解除されているようだし。もちろんこれも、『外なる神アウター・ライター』の仕業でしょうけどね」

「……本当だ。一体、いつの間に」

 怪訝な表情で周囲を見回す元親友の少女を尻目に、さっさと踵を返してコテージのほうへと歩み去る、白いワンピースの少女。


 後に残されたのは、鶴屋の御伽衆からなる突入部隊の面々と、最後の最後まで主人公になることのできなかった、間抜け面をした少年だけであった。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「──っと。まあ、今回の新規公開分は、こんなところかな」


 俺はそうつぶやくや、ようやくそこで、愛用のMacのキーボードから、両手を離した。


「……しかし、いくら『作者アウター・ライター』であるとはいえ、、『間抜け面』なんて描写するのもねえ。──なあ、ハル○」

 そう呼びかけながら振り向けば、俺の視線の先には、あたかも幽霊でもあるかのように、何ら感情らしきものをたたえていない、人形そのものの端整なる小顔をした、年の頃十二、三歳ほどの少女が、二台目のベッドの端に腰掛けて、こちらのほうを見つめていた。


 薄闇の中で鈍く煌めく、あたかも宝玉そのものの、黒水晶の瞳。


 公的な教育機関の男子寮──つまりは女性厳禁の寝室に、なぜか当たり前のように存在している、まるで『美しき屍体』そのものの少女。


 ──そう。それは間違いなく、すでに死んでしまっているはずの、俺にとってのただ一人の肉親にして、最愛の妹であった。

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