第4章、「過ぎたる知恵の実は、むしろ人類の進化を阻害してしまうだけなんですよ」「……古泉、おまえカ○ル君みたいになっているぞ?」

第19話

「──ねえ、キョン。君はどうしてこの世で人間だけが、『言葉』なんてものを習得したと思うかい?」


 ………………はあ?

 突然の予想外の台詞に思わず振り向けば、そこには相変わらずの人懐っこい双眸が嫌になるほど整った小顔の中で、いかにもいたずらっぽく煌めいていた。


 ……ったく。佐々木ささきのやつ、またしてもいきなり妙ちきりんなことを、言い出しやがってからに。


 もはや恒例の中学三年生当時の塾からの帰り道での、『親友』とのおしゃべり会の途中にて唐突に飛び出した思わぬ言葉に、俺はこれまた毎度のごとくうんざりとため息をついた。

「……いや、それは当然、自分の考えや気持ちをより正確に伝えるために、ボディランゲージなんかよりも的確かつ好ましいものとして必然的に、『言葉』や『文字』といったものが、長い時間をかけて生み出されていったんじゃないか?」

 俺はその時、至極妥当な回答を示したつもりであった。

「より正確に伝えるため、だって? おいおい、キョン。そんな馬鹿げたことを、本気で信じているのかい?」

「え?」

 しかし彼女の反応は芳しいものではなく、俺はつい言葉に詰まってしまう。

「……やれやれ、相変わらず人がいいんだね、君ってやつは。──僕としてはむしろ、逆だと思っているんだけど」

「──逆、って」


「元々言葉なんてものは、意思の疎通の正確性を高めるどころか、むしろ本当の気持ちを覆い隠し、隙あらば相手のことを騙すためにこそ、我々人類の社会性の発展とともに、慎重かつ巧妙に編み出されていったんだよ」


 なっ⁉

「おや、さも意外そうな顔をしているね?」

「あ、当たり前だろう! 言葉が、自分の気持ちを隠すためとか、他人を騙すためにこそ、編み出されたって、そんな馬鹿なことが──」

「だったら君は、生まれてからこの方、一度も嘘をついたことはないとでも、言うつもりなのかい?」

 ──っ。

「……い、いや、あのなあ、そんな極端なことを、言われてもだなあ」

 しどろもどろに言いつのる俺に対して、更に追い打ちをかけてくる、自称『唯一無二の親友』殿。

「極端なこと? むしろ日常茶飯事じゃないのかい? 今日の朝から今この時までの自分の言動を、ようく思い出してみるといい。親御さんに、妹さんに、学校の教師に、友達に、それこそ君は息をするようにして、嘘をつき続けたんじゃないのかい?」

「あ、ううう……」

 い、言われてみれば。

「宿題はちゃんとしたの?」「キョンくん今晩シャミと一緒に遊んで」「授業中何をよそ見なんかしているのかね?」「キョン、今度の日曜の予定だけど」……これらの問いかけに対して、俺は何と答えた?

 ちゃんとすべてに、自分の気持ちそのものを、正直に答えたか?


 ──いやむしろ、正直に答えるほどに自分の立場を悪くする怖れがあったから、適当にごまかしたんじゃなかったか?


「いやだなあ、そんなに深刻にならなくてもいいんだよ。何せそれこそが、『普通』なんだからさ」

「普通、だと……」

「まさかソバ屋の出前と締め切り間際の小説家だけが、自分の仕事の進捗状況について、『今全力で取り組んでおります!』『もうすぐ出来上がります!』などと言って、ごまかしているとでも思っているんじゃないだろうね? 今この時においても、世界中の無数の業種の無数の従業員が、取引相手や上司や同僚に対して、『今全力で取り組んでおります!』『もうすぐ出来上がります!』などと、見え透いた虚言を繰り返しているんだよ? ──そう。この世界の経済も政治も行政も司法も教育現場も家族や友人関係も、そのすべてが、嘘とごまかしによってこそ成り立っているのさ」

 ──‼

「よくプロの作家の方々がかの有名な『クレタ人のパラドックス』を、自作の中で得意げに取り上げているけど、とんだお笑いぐさだよね。別にクレタ人に限らず、極日常的に嘘をつかずに生きていける人間なぞ、ただの一人とて存在し得るものか。むしろこの世界というものは、『嘘つき』のみで構成されていると言っても、別に過言ではないのにね。何ゆえ作家ともあろう者が、この説話自体が矛盾パラドックスしていることに気がつかないのかねえ」

 ……ええと、その件に関しては、コメントを厳に控えさせていただきます。

 それにしても何でこいつって隙あらば、プロの作家に対してケンカを売るような発言ばかりするんだろう。

「君の得意のネット小説やライトノベルだってそうさ。そろそろネコミミやイヌミミ等の『ケモノミミヒロイン』が、完全に矛盾した存在だということに気づいてもいいだろうに」

 えっ? 佐々木様、いったい何を言い出すおつもりなのですか⁉ ここは『カク○ム』なんですよ? あのけものでフレンズなKAD○KAWAゆかりの!

「『なぜ人間にだけは、尻尾は無いのか?』──実はこれってまさしく、『なぜ人間だけが、『言葉』なんてものを習得したのか?』という謎と、非常に密接な関係があるんだよ」

「……と、申しますと?」

 あまり関わり合いになりたくないので、怖々と問い返す、現役高校生ネット小説家。(※運営様へ。わたくしめは個人的には、『けものフ○ンズ』大好きであります!)

 しかし目の前の少女の薔薇の蕾のごとき薄紅色の唇から飛び出したのは、そんな業界事情なぞどうでもよくなってしまうまでに、衝撃的なものであったのだ。


「自分たちで断ち切ってしまったのだよ、当時の人類のすべてがね」


 ………………………………は?

「自分たちで断ち切ってしまったって、元々生えていた、尻尾をかよ⁉ 何でまた、そんなことを──」

「決まっているじゃないか、尻尾があったら、嘘をつけないからだよ」

「へ? 尻尾があると、嘘をつけないって……」

「それこそネコやイヌの尻尾を見ていたら、よくわかるだろう? 彼らはけして言葉をしゃべったりはしないけど、時に彼らの気持ちがよくわかることがあるよね? そういった場合って必ず、彼らの尻尾を見て判断しているんじゃないのかな?」

 あ。

「もしもいまだに人間に尻尾があったとしたら、どうなると思う? 口では『あなたなんか好きでも何でもなくってよ!』なんて言いながら、尻尾を盛大に振っていたりしてね。これじゃ『ツンデレヒロイン』なんて、根本的に成立し得なくなってしまうじゃないか。そこのところについては、ライトノベル等においては、どうなっているのかねえ。特に『けものフレ──」

「わーっ! 具体的な作品名を挙げるんじゃない! わかった、わかったから! おまえがいったい何を言いたいかが!」

「僕が言いたいこと? もちろんそれは、知性のある生物が尻尾を持つことなぞ、進化学的にけしてあり得ないのであって、要するに『ケモノミミヒロイン』なんてものは完全に矛盾した、ネット小説やライトノベル等の絵空事フィクションにおいてのみ存在し得る、まやかしのようなものでしかないのであって──」

「だから、そんな危険球的発言は、よせって言っているだろうが! とにかくもうとっとと、結論を言え、結論を!」

「うふふふふ。冗談だよ、冗談。つまり僕はね、いっそのこと言葉や文字の類いなんか一切無くしてしまったほうが、人と人同士、真のコミュニケーションが図れるんじゃないかって、思っているわけなんだよ」

「は? 言葉や文字を一切無くすって」

 ……いや、もし本当にそんなことになってしまったら、真のコミュニケーションどころか、意思の疎通に類するものなんて、まったく不可能になってしまうんじゃないのか?

「君が怪訝に思うのも当然さ。実は実際に言葉や文字がまったく無くなってしまった段階において、具体的にどうすればいいのか、僕自身だって皆目見当がつかないんだしね。──むしろだからこそ、こうして君に相談に乗ってもらっているってわけなのさ」

「え?」

 ここに来てのまったく予想外の言葉に、更に戸惑う俺に向かって、

 いかにも満を持したようにして、その少女は言い放つ。


「何せ君たち小説家こそが、言葉や文字を操ることによって読者の皆様を文字通り『言葉巧みに』欺いておきながら、けして損をさせずに『心地よい読書体験』というメリットばかりを与えることを為し得るという、まさに理想的なコミュニケーションの在り方というものを、すでに実現しているのだからね」


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「……あの時の望み通りに、言葉でのコミュニケーションがまったく不可能になった今、おまえはどんな気分なんだい?」


 秋も深まった十月初旬の総合病院にて、だだっ広い集中治療室を分厚いガラス越しに見下ろしながら、俺はひとつ。

 相も変わらずあたかも三流近未来SF小説のワンシーンみたいに、異様にごつい医療用のベッドの上に横たわっている痩せ細った身体中に繋がれた、無数のチューブ類。

 すっかり生気を失い蒼白く染まったその顔には、かつての快活な様は微塵もうかがえないものの、間違いなくその少女は俺の中学三年当時の、誰よりもかけがえのない『親友』であった。


 そしてその人形そのものの整った小顔の中の薔薇色の唇は、もはや二度と言葉を紡ぐことの無いかのごとく、完全に閉ざされていたのだ。


「待っていろ、俺の手で──いや、俺やふじわらたち『佐々木ささきパーティ』全員の手によってこそ、必ずおまえのことを目覚めさせてみせるからな」


 もちろん、返事は無い。


「その暁にはおまえがあの時言っていた、真のコミュニケーションとやらを実現してやろうぜ」


 返事は、無かった。


 しばらくして俺は後ろ髪を引かれる思いをしながらも、きびすを返して病院を出て行った。


 ──あの蘊蓄好きな超能力者から、一年前の佐々木の言葉の真の意味を解く鍵を、どんな手段を用いようとも手に入れるために。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「は? なぜシャミセン氏が、言葉をしゃべることができたかですって?」


 毎度お馴染みの、放課後のきた高文化系部室棟の外れにある、文芸部室にして実質上は非合法組織SOS団のたまり場。

 今日も今日とて自称超能力少年と自称宇宙人少女のみが出席している中で、入室するなり俺が開口一番発した質問の台詞に、あからさまに訝しげな表情となる同級生。


「何で今更──と、伺っても構いませんか? 原典オリジナルの時系列はともかく、あれはとっくに終わったことのはずだったのでは?」

「あれからもずっと、気になっていたんだよ。これまでの数々の不思議現象については、おまえから量子論や集合的無意識論に基づいて詳細なる説明を聞かされることで、どうにか納得できたんだけど、いくら何でも『いきなり猫が人語をしゃべりだす』というのは、たとえ小難しい物理学や心理学によって煙に巻こうとしても、無理があるってもんだろうが?」

「……いつものごとく、『あさミクルの冒険 Episode 00』そのもの全部が、我々が『夢の主体』の象徴シンボルであるすずみやさんによって強制的に集合的無意識にアクセスさせられて見た、『夢のようなもの』だったというオチでは、駄目ですかねえ?」

原典オリジナルでも言ったろうが、夢オチは論外だって」

「ふふふ。それは困りましたねえ」

 実のところはまったく困惑した様子もなく、しれっと言ってのけるいずみ少年。

「しかし今回はあなたには珍しく、いやに積極的ですね?」

「お、おまえには、関係ないだろ? いいからとっとと──」


「佐々木さんですか?」


 ──っ。

 不意打ちのクリティカルヒットな台詞に、思わず言葉を詰まらせる。

「……な、何で」

「あなたがそこまで必死になられるとしたら、彼女がらみのことであろうと推察しただけですよ。確かに現在の彼女は、けして状況にあられますからね」

「……さすがは、『企業』。すべて把握済みってわけか」

「『機関』ですよ! 『機関』! あなたもう、わざとやっているでしょう⁉」

 あ、やべ。また間違えちゃった♡

 ここで一度咳払いをして落ち着きを取り戻し、話を元に戻す謎の組織の機関員殿。

「いいでしょう、他ならぬあなたのたってのお尋ねですので、誠心誠意お答えさせていただきますよ」

「ほ、ほんとか⁉」

「──ただし」

 そしていったん言葉を切るや、その蘊蓄大好き超能力者は、

 ──かつて無いほどの、驚天動地な言葉をお見舞いしてくる。


「もはや事は量子論や集合的無意識論なんてレベルではなく、進化学や人類文化学にまで及び、あなたは『人類はどのようにして言葉や文字を──つまりは「知恵」を習得したのか?』について、秘密中の秘密のすべてを知ることになるでしょう。──まさしくにね」

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