第17話
「──ねえ、そんなに異世界転移の作品ばかり書いているってことは、やっぱり自分でも異世界転移をしてみたいと思っているからなの?」
12月も終盤に近づいてきた、ある日の放課後の文芸部の部室にて。
いつものように小説を作成中の俺の真後ろに回り込んできた
──まるで子猫のように興味津々に輝いている、眼鏡越しの薄い色合いの瞳。
「……ああ、まあね。当然それが一番の理由かな。何せ小説作成の最大の原動力は、この現実世界ではけして為し得ない己の見果てぬ夢を、せめて
「そうすると、何かとハーレム展開が多いのも、同じ理由なの?」
「抜かせ! そっちのほうはきっと実現させてみせるぜ! 近いうちにこの部室は、女子部員ばかりになることだろうよ!」
「うふふ。楽しみにしているよ」
全然
「後はやはり、こういった作品のほうが、今のところ読者さんのニーズに合っているってのも、大きいかなあ」
「おお、素人ながらに、ちゃんとマーケットリサーチなんかもしているんだね」
「それほど大したものではなく、単なるネット上の常識だけどな。ええと、それ以外だと──」
「へえ、まだあるの?」
「……いや、ちょっと待てよ。おまえ前も、同じような質問をしていなかったっけ?」
「えー、そうだった?」
「ああ、あれは確か、中学三年生頃の、塾からの帰り道で……」
──あれ、おかしいぞ。
俺が長門と出会ったのは、この高校に入ってからだよな。
だったら、『彼女』は、誰だったんだ?
『──キョン、君が異世界転移の作品ばかり書いているのは、もちろん自分でも異世界転移をしてみたいと思っているからなのかい?』
「──うっ」
……何だ、今のは?
聞き覚えなぞ全然無いはずなのに、どこか懐かしさを感じさせる少女の声と。
やはり見覚えないの無いはずの、身体中を医療用のケーブルに繋がれた、痩せ細った女の子の姿は。
「……そうだ、思い出した。俺が異世界転移の作品を書いているのは、物語の世界に囚われてしまいこの現実世界において昏睡状態となってしまった、あいつを──『
何で俺はこんな大切なことを、今まですっかり忘れてしまっていたんだ?
「……駄目、そんなこと、思い出しては、駄目」
突然聞こえてきた、どこか作り物のようなか細い声に振り向けば、
またしても少女が表情を一切消し去って、こちらを無機質に見つめていた。
「……長門、おまえはいったい、何者なんだ?」
「疑問を持っちゃ、駄目。あなたはこの文芸部室で、現実世界のことなんて全部忘れて、私と二人だけで永遠に生きていけば、それでいいの」
「はあ? こんな狭い部屋の中で、ずっと暮らしていけって言うのか?」
「ええ、そうよ。だって──」
そこで彼女は、分厚い原書のSF小説が所狭しと収納された、多数の書架を指し示しながら、言い放った。
「この文芸部室にさえいれば、あなたの望みである異世界転移なんて、いくらでもどんな世界へでも、自由自在にできるようになるのよ」
「はあ?」
「──なぜなら、この部屋にごまんと収められている小説の世界こそが、夢の世界を始めとして、この現実世界の別の可能性の世界の具現であり、物語関係の『記憶』に限定された集合的無意識そのものなのだから」
☀ ◑ ☀ ◑ ☀ ◑
「……『ハルヒ』シリーズの全読者はもちろん、原作者本人や担当編集スタッフ等、すべての『ハルヒ』関係者を散々悩ませてきた、『涼宮ハルヒの消失』における空白の三日間が、
何その、すべての前提をひっくり返してしまいかねない、斬新極まる説は?
これまで『消失の空白の三日間』の在り方について悩み続けてきた、すべての方々が馬鹿みたいじゃん。
「……何でこんなことが、おわかりにならないんですかねえ」
そう言う
「この前も申しましたが、タイムトラベラーや異世界転移者の類いは、けして過去や未来の世界や異世界において、あたかも特別待遇を受けても当然な『お客さん』なんかではありません。──それと同様に、たとえそれが過去や未来の世界や異世界やパラレルワールドや、事によっては小説や漫画やアニメやゲーム等の
──っ。
「確かに『涼宮ハルヒの消失』という物語を構成するためには、都合三日間ほどしか必要なかったかも知れませんが、だからといって用済みになった途端、「あれは超常的力によって生み出された仮想的な空間に過ぎなかった」とか「すでに正しい歴史に上書きされて無かったものとなってしまった」とか適当な理由をつけて、『中途半端な状態でほっぽり出したままにする』なんてあんまりではありませんか。──当事者であるあなたご自身だって考えてみたこともなかったでしょうけど、あの世界に元々存在しておられた『あなた』だって、ちゃんと独立した人格をお持ちなのですよ?」
あ。
「見方を変えて──すなわち、あくまでも『涼宮ハルヒの消失』の世界のほうを現実世界と見なして、何よりも
「──うっ」
た、確かに。
厳密に言えば、俺は『涼宮ハルヒの憂鬱』の主人公の『俺』ではないんだけど、やはりこのように面と向かって『己』の罪状を突きつけられると、どうしても罪悪感を感じてしまうものだよな。
「で、でもよ、古泉。それはあくまでも、『消失』の世界を現実世界と見なした場合の話なんだろ? ということは、あくまでもこの世界こそが唯一絶対の現実世界である俺たちからすれば、『消失』の世界は単なる夢のようなもの過ぎないのであって、この世界で俺たちがあれこれ心配したところで打つ手なんか何にも無いし、そもそも心配する必要自体が無いんじゃないのか?」
俺は焦りまくりながら、文字通り一縷の望みにすがりつくようにして古泉に物申したが、彼の答えは無情なものであった。
「……やれやれ、それについてはついさっき申し上げたばかりではないですか? 夢の世界こそ、この現実世界にとっての無限に存在し得る未来の可能性の具現たる、集合的無意識そのものなのであり、単なる一夜の幻というだけでなく、我々の世界にとっての本来ならあり得たかも知れない『もう一つの世界』であるとともに、将来実現し得る可能性のある『未来の姿の一候補』でもあると。──そう。あなたがここ最近、まさしく『消失の世界に置き去りにした長門さん』の夢ばかりご覧になっているのは、あなたの無自覚の罪悪感の反映であるだけではなく、近々再び『消失』の世界へ取り込まれようとしている、予兆なのかも知れませんよ?」
──なっ⁉
「俺が、夢の世界に取り込まれてしまうって? そんな馬鹿な! れっきとした現実の人間が、夢の世界だか
あまりにもおぞましき『自分の未来の予言』を聞かされて、我を忘れて食ってかかれば、至って真剣な表情のままで、更に残酷なる『真実』を明らかにしていく超能力少年。
「それはあなたが、この世界にちゃんと帰って来れたから言えることなのですよ。もしも行ったきりになったとしたら、どうするつもりだったのです? ──ひょっとしたら今度あちらの長門さんに取り込まれた場合には、二度とこちらへ帰って来れなくなってしまうことだってあり得るのですよ」
「へ? い、いや、俺は別に実際に異世界転移をしたわけでもタイムトラベルをしたわけでもなく、ただ夢を見ただけなんだろう? それが何で、現実世界に戻れなくなるんだよ⁉」
「それはあくまでも、完全に
「は? 世界の断裂? それに夢や死が必要となるって……」
「それこそ自分自身ネット小説家であられるあなたには、お馴染みのことでしょう? 普通に現実世界で暮らしていた者がいきなり異世界転移や異世界転生に見舞われるきっかけのほとんどが、暴走トラックに轢かれるとかいった、『突然死』であることは」
──‼
「夢だって同じことですよ、何せ夢こそ『夜ごとの精神的な死』とも呼び得ることだし、世界を切り替えるには──すなわち、別の世界に『ルート分岐』させるには、格好のきっかけですからね。それにこれも以前述べましたが、目覚める前と目覚めた後ではまったく別の世界になってしまうことだってあり得るだろうし、場合によってはこの現実世界そのものが実は夢に過ぎず、しかも夢を見ている主体が戦国武将や未来人や異世界人等であった場合には、当然夢から覚めるとともに自動的に、戦国時代や未来へのタイムトラベルや異世界転移等を実現することになるのです。──そう。夢の世界こそが、ありとあらゆる別の可能性の世界の『記憶』が集まってくる集合的無意識そのものであると同時に、まさにその別の世界に転移するための入り口でもあるわけなのですよ」
……何、だと?
夢の世界こそが、別の世界への入り口だと?
じゃあ俺はこのまま夢の世界を通じて、『消失』の世界の長門に囚われてしまうことも、十分あり得るというわけなのか⁉
ここに来てようやくこちらが理解に及んだことを見て取ったのか、古泉が若干表情を和らげて、
これまでになく焦燥感に駆られている俺に対して、救いの手を差し伸べてきた。
「そんなに思い悩む必要はありませんよ。ご安心ください。ちゃんと対応策はございますから」
「何! 本当か⁉」
「ええ。ただしそのためには、他の世界に転移するための
「他の世界に転移するための、
「──まさにそれこそが、『かつて中途半端なままでほっぽり出されてしまった世界は今どうなっているのか?』問題の唯一の解明の鍵であり、何よりも『記憶の二重刷り込みによる世界間転移の実現』や『精神的な未来人化や宇宙人化や超能力者化の実現』問題等の根本的理論である、『相対的停止論』なのですよ」
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