第16話

「──うふ、結構快調に進んでいるね。その調子で頑張ってね」


 いつの間にかに俺の真後ろに迫っていた眼鏡っ娘の部長殿の声が、不意打ち気味に耳元に吹きかけられた。


「こらっ、なが! 人のパソコンをのぞき込むんじゃない! それに近い近い! もうちょっと離れろ!」

 書きかけの小説を見られたのと、もう一つのいかにも思春期的な理由によって、顔を紅潮させて怒鳴りつける、今まさに青春真っ盛りの少年。


 ──それはまさしくどこにでもある、ありふれた公立高校の放課後の文芸部室での、一コマに過ぎなかった。


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 ちょっとした気まぐれで文芸部に入部して、一月あまり。

 最初のうちはいかにも寡黙にして気が弱そうでとっつきにくかったながであったが、こうしてたった二人っきりの文芸部員同士として親交を深めていくにつれて、結構気さくでユーモアやウィットにも富んでいて、つき合いやすい面も多々あることがわかってきた。


 しかも悪友ダチたにぐちあたりに言わせると、全校女生徒ランキングのベスト10に入るくらいの隠れ人気者らしく、奇しくもこうしてお近づきになれたことを、今では望外の喜びとすら思っていた。

 ……しかしボッチ気質のやつならではの習性なのか、いったん親しくなった相手に対しては妙に強気で絡んでくるところが、どうにも玉に瑕なんだよなあ。


「それにしても、あなたが以前から小説を書くことを趣味にしていたなんて、意外だったよ」

「ああ、中学生の時にネット小説に出会ってすぐに、すっかりはまり込んで、そのうち自分でも書きたくなってしまったという、よくあるパターンだよ」

「だから今書いているのも、ネットで定番の異世界転移モノなわけなの? でも面白いね、勇者のお供が宇宙人や未来人や超能力者って。世界観的にはむちゃくちゃだけど、独特なアイディアでいいんじゃない?」

 ……ほんとこいつって、小説のことになると、よくしゃべるよな。


 ──あれ、長門って、こんなにおしゃべりだったっけ?


「こういうのって、どうやって思いつくの?」

 それにまるで子猫みたいに、くるくると表情が変わるし。


 ──あれ、長門って、むしろ作り物の人形アンドロイドみたいに、無表情じゃなかったっけ?


「そりゃあもちろん、自分の実体験が、基になっていてな」

「実体験て、あなた、宇宙人や未来人や超能力者と、会ったことでもあるの?」

「へ? い、いや、そんなことはないはずだけど……。おかしいなあ、何で俺ったら、こんな変なこと言い出したんだろ」

「うふふふふ。それだけ想像力がたくましいってことよ。同じ小説書きとしては、うらやましい限りね」

「そ、そうか? ──いやいや、長門が今作成中の、超本格的SF大作のほうが、よほどすごいじゃないか」

「うう、それがちょっと筆が止まってしまっていてね。あ〜あ、私も一度でいいから、本物の宇宙人や未来人や超能力者と会ってみたいなあ」

「あはは。SF作家志望者としては、やはりそういうことを考えるものなんだな」


 ──あれ、何で他でもないおまえが、そんなことを言い出すんだ?


 ──おまえこそ正真正銘本物の、××だったじゃないか?


「──っ」

「ど、どうしたの? 急に頭を抱えて、辛そうな顔をして⁉」

 いきなり机に突っ伏した俺を見て取って、慌てて駆け寄ってくる部長殿。

「……な、なあ、長門よ」

「大丈夫? 保健室に行く? ──ああ、しゃべらないで。そっちのソファに横になったら?」

「ちょっと聞きたいことが、あるんだけど」

「な、何よ? こんな時に──」


「この部室って、もっと人がいて賑わっていなかったか? それはもう、毎日がお祭り騒ぎで、とても信じられないような馬鹿げた現象ばかり引き起こして。──そう。まるで宇宙人や未来人や超能力者とでも、一緒にいるかのように」


 俺が突然の頭痛とともに幻視した、なぜかどことなく懐かしさすら感じさせる、奇妙な光景をそのまま長門へと伝えたら、


 その途端少女から、一切の表情が抜け落ちた。


 ──まさしく作り物の、人形アンドロイドであるかのように。


「……何を言っているの、ここにいるのはあくまでも、私たち二人だけよ」

 そのまるで初対面の時みたいないかにも気弱なか細い声とともに、俺の頭部が何か温かく柔らかいものに包み込まれた。

 それは目の前の少女の初雪のごとき色白の細腕であり、そのままいまだ中性的な薄い胸元へと引き寄せられる。


「そんな悪い記憶ユメなんか、今すぐに忘れて。宇宙人や未来人や超能力者なんて、必要ない。私たちはこれからも二人っきりで、永遠にこの部室の中だけで生きていけばいいの」


 まるで俺の魂の奥底にまで刻み込もうとするかのような、幻惑的な言の葉。

 それを聞いているうちにいつしか俺は、何もかもがどうでも良くなっていく。

「……そうだ、そうだよな。俺は長門と一緒に、この文芸部室で、小説を書き続けていければ、それでいいんだ」

「そうよ。私もけしてもう二度と、あなたを離しはしないから」

 そう言って更にぎゅっと、己の腕の中の俺のすべてを抱きしめんとする、ただの文学少女であるはずの少女。


 しかしその真冬の氷のごとき双眸が冷徹に煌めいているいまだ無表情なかんばせは、この限られた小さな世界の創造主であるかのようにも見えたのだった。


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 ……何、だと?


『相対的停止論』とやらが、SF小説やラノベ界隈をいまだに悩ませ続けている、『かつてほっぽり出されてしまった世界』問題を真に解明し得る、唯一の理論だと⁉


 いずみのあまりに衝撃極まる台詞に、思わず耳を疑う俺であった…………のだが。


「──あれ? ちょっと待てよ」

「うん? どうかいたしましたか?」


「いや確か、俺が『消失』の世界を体験したのはあくまでも、『夢の主体』の象徴シンボルの力を持つやつ──この場合ながになるんだろうけど、そいつから集合的無意識に強制的にアクセスさせられて、文字通り『涼宮ハルヒの消失の世界とうじょうじんぶつの俺』の記憶をインストールされることによって、いわゆる『消失における空白の三日間』のようなものに過ぎず、実際に物理的に異世界転移したりタイムトラベルしたりして、『涼宮ハルヒの消失』の世界に行っていたわけじゃない──つまりは、原典オリジナルにおいてはともかく『完全なる現実世界』であるこの二次創作『うちの病室にはハルヒがいっぱい♡』においては、『消失の空白の三日間』なんて存在しなかったわけで、別に俺はそんなありもしない世界の中に『もう一人の眼鏡装備の長門』を、実際に置き去りにしているわけじゃないんじゃないのか?」


 そうだそうだ、思わず雰囲気に流されそうになったけど、他ならぬ古泉自身が、何度もしつこくそのようなことを言っていたはずだ。

 しかしそんな俺の反論を前にしても、蘊蓄超能力者の余裕の笑みが揺らぐことは、微塵もなかった。

「おお、ちゃんと覚えておいででしたか、感心感心。──ただし確か僕は、こうも申しましたよ? 集合的無意識を介して与えられる未来人や超能力者の『記憶』は、れっきとしたなのだと。すなわち、この我々の現実世界にとってはあくまでも『無限に存在し得る未来の可能性としての世界』に過ぎなくても、でもあるのです」

「可能性としての世界が、本物でもあり得るって? それに相対的にはって……」

「これこそはまさしく文字通りに停止論に関わってくることなんですが、確かに現在において存在しているのはこの現実世界ただ一つきりであり、日常生活の延長上の未来の世界や過去の世界を始めとして異世界やパラレルワールド等すらも含む、いわゆる『他の世界』の類いは、あくまでもこの世界の分岐先の世界の候補として、未来において無限の可能性としてのみ存在しているのに過ぎないのですが、その一方で世界というものは相対的なものであり、しかもいかなる世界も等価値なのであって、別にこの我々の世界だけが唯一の現実世界であるわけでなく、他の世界の視点からすれば、我々のこの世界さえも他の世界にとっての、『分岐先の世界の候補として未来において無限の可能性としてのみ存在している世界』の一つに過ぎないのです」

「世界というものがこの現実世界を含めてすべて等価値であり、しかも相対的なものに過ぎないって?」

 何じゃ、そりゃ。

 あまりに抽象的すぎる言い回しに、ほとんど理解が及ばず、話しについていけなくなりかけていたところ、

 古泉のやつが、非常にわかりやすいものの、同時にとんでもない具体例を挙げてきた。


「こう言えば明々白々でしょう。実は世界というものは、この現実世界を始め、異世界やパラレルワールド等は言うに及ばず、小説や漫画の類いの創作物フィクションそのものの世界をも含めて、文字通りありとあらゆる世界がのです」


 ………………………………は?

「例えば原典オリジナルで例えますと、『涼宮ハルヒの憂鬱』の世界も『涼宮ハルヒの消失』の世界も『涼宮ハルヒの分裂』の世界も『涼宮ハルヒの驚愕』の世界も、最初から存在していたのであって、原作者のたにがわながる先生は、あくまでも可能性としてのみ存在していたこれらの世界を、まさしく『夢の主体』の象徴シンボル同等の『作者』としての力によってことで、にされたわけなのです」

「──ちょっ、言い方! 何かそれだと、谷川先生が『ハルヒ』シリーズを、独自に自力で考案されていないようにも受け取られかねないだろうが⁉」

「そうですか? だったら少々言い方を変えてみましょう。実はこれぞ僕たちが超能力者や未来人等になった仕組みと、同じようなものなのですけどね。つまりは言うなれば、『小説家として目覚めていなかった谷川先生』から『小説家として目覚めた谷川先生』に覚醒されるタイミングに、集合的無意識を介して『涼宮ハルヒの憂鬱』や『涼宮ハルヒの消失』等の世界の記憶がインストールされることで、それ以降先生はあくまでも『ハルヒ』シリーズを考案し作成されることになられたといった次第なのですよ。──まあ、結局この場合も、『涼宮ハルヒの憂鬱』等のすべての記憶=世界が、未来の無限の可能性の具現であり全人類共通の叡智のデータベースたる集合的無意識において、最初から存在していたことには変わりはありませんけどね」

 う、う〜む、確かにこの言い方だと少なくともさっきよりも、『ハルヒ』シリーズがちゃんと谷川先生によってこそ生み出されている感が強くなるものの、『すべての世界は最初から存在していた』というトンデモ論理のほうについては、いまいちピンとこないんだよなあ。

 しかし俺の懊悩なぞ何のその、まさにこの『すべての世界は最初から存在していた』理論によってこそ、ここぞとばかりに『結論』を、一気呵成にたたきつけてくる蘊蓄の鬼の同級生。


「つまりですね、そもそも原作者であられる谷川先生が考案される以前から存在していた『涼宮ハルヒの消失』の世界は、当然あなたへの横恋慕のあまり暴走した長門さんの世界改変能力で生み出されたものではないし、しかも以前述べたようにある特定の世界を単独で改変したり消去したりすることなぞ、たとえ神様であろうともその物語セカイを生み出している『作者』であろうとも不可能であるという理論と併せますと、『ハルヒ』シリーズ最大の未解決問題である、『いったい「消失の空白の三日間」とは何だったのか? 現在その世界はどうなっているのか?』への解答として、『そんなものただ単に最初から普通に無限に存在していたいわゆる「涼宮ハルヒの憂鬱」の世界の別の可能性ヴァージョンの世界の一つに過ぎず、今もなお改変も上書きも消去もされずに無事息災に存在していますよ』ということになるのです」


 はあああああああああああああ⁉

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