第12話

「──ねえ、キョン。君はおとぎ話の、『ねむれるもりじょ』のことは、当然知っているだろうね?」


 去年の中学三年生の当時、俺はこうして塾の帰り道を親友の佐々木ささきと一緒に並んで歩きながら、毎度たわいない話に花を咲かせていた。

「おや、何だか渋い表情をしているようだけど、この童話に何か嫌な思い出もあるのかい?」

 ああ、何だかわからないが、時系列を無視してまで俺の第六感が、とてつもないトラウマを訴えてくるんだ。

「くくく。それは悪いことをしたね。いったいどんな目に遭ってしまうのかねえ、未来の君って」

 きっとそれ以降の人生がジェットコースターの下り坂なってしまうような、最悪の運命のターニングポイントを迎えるんだろうよ。

 ……まあ、俺の不確かな行く末なんてどうでもいいけど、おまえが『眠れる森の美女』なんかを話題に挙げるのは、いったいどういった風の吹き回しなんだ?

「相変わらず失礼なやつだな。何度も言うけど、僕だってれっきとした女の子なんだよ? おとぎ話のヒロインに憧れたって、別におかしくはないだろう?」

 そりゃ、失礼──と言いたいところだが、だったらその言葉遣いをどうにかしろ。

 おまえがその一人称を使っていても、『僕っ子』としての可愛らしさのアピールになるどころか、尊大さがいや増すだけだからな。

「うわっ、ついに大の親友から、可愛らしさを全否定されてしまったよ」

 あ、いや。そういうつもりで、言ったんじゃ……。

「ふふふ。わかっているよ。そもそもたかが夢の話だしね」

 夢?

「驚くんじゃないよ。昨日見た夢の中で、何と僕が眠れる美女──しかも『女神様』になっていたんだよ!」

 女神様とは、また大きく出たな。

「ああ、しかもその『僕』は、、ありとあらゆる世界を夢見ながら眠り続けているんだ。つまり『僕』が目覚めてしまうとその瞬間、すべての世界が消滅してしまうってわけなのさ」

 可能性として存在し得る、ありとあらゆる世界? ……ああ、おまえのお得意の、量子論だか集合的無意識論だかの話か。

 しかし女神が目を覚ますと、すべての世界が消滅するとは、またぶっとんだ話だな。

「うん。それでその世界を維持しようとする派閥と、抜本的に改革しようとする派閥とが、『僕』を巡って激しく争っているってわけなのさ。──どうだい、少しは小説作成のヒントになったかな? 人気ネット小説家の、『はちじょうしまきょん』大先生?」

 ちょ、こんな天下の往来で、俺をその名前ペンネームで呼ぶなって言っているだろう?

「それは、失敬。ただしこの話には続きがあってね。何と夢の中では君自身も勇者になって、僕の知らない少年一人と少女二人を引き連れて、『僕』を助けにやって来るんだ。それからね──」

 一人で勝手にしゃべくり続ける佐々木の言葉に耳を傾けながら、俺はちゃっかりと次回作の構想を練り始めるのだった。

 まあ、これもアマチュアとはいえ創作家のさがとして、ご勘弁していただこう。


 しかし夢の話とはいえ、結構面白そうじゃないか。

 これはアレンジ次第では、大傑作になるぞ。

 そんな皮算用をしながらも、俺は佐々木の話に適当に相づちを打ち続けたのであった。


 この夢の話を基にして作成しネット上で発表した作品、『ゆめメガミめない』こそが、俺と彼女の運命を大きく変えていくことになるとも知らずに。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「………………は? ループ中は一切時間は流れていないって、それってまさに今この時、時間がまったく進んでいないってことじゃないか? 何馬鹿なこと言っているんだ、時間はこうしてちゃんと進んでいるだろうが⁉」


 毎度毎度のトンデモ話上等の蘊蓄解説コーナーであるが、今回に限ってはとても聞き捨てならず、すぐさま発言者の超能力少年へと食ってかかった。

 しかしいずみの野郎ときたら、相も変わらず涼しげな表情のままで、更に思わぬことを言い出しやがったのだ。


「これも以前ほんのちょっぴり言及しておりましたが、実は本物の8月17日から31日までの日々は、すでに最初の周回で終わっており、後はすべて涼宮さんから与えられた『偽りの記憶』に過ぎず、あくまでもこれが我々の脳内においてランダムに再生されて擬似的なループ状態を象っているだけですので、実際には時間なぞ一秒も経過してはいないのですよ」


 あっ、そ、そういえば!

「そうだ、そうだった。何だよその、『本物の8月17日から31日までの日々は、すでに最初の周回で終わっている』ってのは? 原典オリジナルでもそうだったように普通こういったループものって、無限に近い同じ日時の繰り返しの果ての、周回でこそ脱出をはかるというのが、お約束セオリーだろうが⁉」

 ほんと、何なの? この二次創作の作者って、いちいち原典オリジナルの内容にケチをつけないと、作品を創れない病気でも患っているの?

「……まったくもう、同じことを何度も言わせないでくださいよ。この世界は原典オリジナルとは違って、いわゆる『完全なる現実世界』なのですよ? 本当に世界をループさせることのできる神様少女なんか存在せず、永遠に九月が来なくて未来人が未来に帰れなくなって泣き出したり、僕らが無い知恵を絞って原典オリジナルお得意の『脱出プログラム』の類いをひねり出す必要なんてなく、何もしないでもちゃんと8月は終わって、9月が来て新学期は始まるのです。──そう。たとえ幾度ループを繰り返そうとも、9月1日の時点からすれば、8月はけしてエンドレスではないのです。どうですか、いい加減おわかりになりましたか? 本物の『神の視点』とは、こういうのを言うのですよ? 具体的には、どうしても今年の夏休みを終わらせたくなかった涼宮さんの、毎度お得意の無意識的な『夢の主体』の象徴シンボルとしての力が、土壇場の8月31日の深夜24時前に暴走的に発動して、彼女のごく身近な者たち──つまりは僕たちSOS団のメンバー全員を、強制的に集合的無意識にアクセスさせることで、無限に存在し得る本物の8月17日から31日までの日々の別の可能性ヴァージョンの『記憶』をインストールして、我々の脳内において擬似的なループ状態を生み出してしまったという次第なのですよ」

「脳内で擬似的なループ状態を生み出している、って……」

「おそらく日付変更直前という時刻的に、現実世界においては我々は全員、現在就寝中なのではないでしょうか? つまりこのループ状態はあなたやふじわらさんにとっての異世界転移と同様に、夢の中で行われているもの──すなわち、我々はループをしているようなものかも知れないのですが、別にそのこと自体は問題ではありません。何なら覚醒中でも構いませんからね。何せ時間が流れていないのは現実世界においても同様で、一切は文字通り一瞬の刹那の出来事でしかないのですよ。そして結局のところは『夢から覚めて』9月1日の朝を迎えるのだから、本物の8月後半の日々が最初の周回であろうが最後の周回であろうが、何ら変わらないわけなのです」

「このループそのものの状態が、現実世界においても、一瞬の出来事だと⁉」

「わかりやすく例えると、現在の我々の脳みそって、『ワンダリング・シャドウ』において、情報生命素子に寄生されることで体調に深刻なる不調を生じることになられた、あの犬の『ジャン・ジャック・ルソー』氏と同じような状況にあるわけなのです。何せ常人においては本来なら知覚することなぞけしてなかった、無限に存在し得る八月後半の日々の別ヴァージョンの記憶をすべて一気にインストールされてしまったものだから、脳みそがハングアップを起こしランダムに記憶の再生を行い始めて、あたかも無限の夢を見せるかのようにして、擬似的なループ状態を象っていったという次第なのですよ」

 へえ、『ワンダリング・シャドウ』と同じようなものねえ。あー、そう言われてみれば、何となくわかってきたような………………………って、待てよ⁉

「おいっ、『あたかも無限の夢を見せるかのようにして』っていうことは、これってむしろ『ワンダリング・シャドウ』ではなく、『雪山症候群』のほうに近いんじゃないのか⁉」

「おお、気がつかれましたか。そうなのです! あの際も今回とほとんど同様に、我々は実際には穏やかな天候に恵まれたスキー場にありながら、『夢の主体』の象徴シンボルとしての力を有する人物から集合的無意識に強制的にアクセスさせられて、まさしく『雪山症候群』の一部始終ストーリーの『記憶』を与えられただけであり、現実的には何ら不可思議現象が起こったわけではなかったのですよ。──ただしあの場合、『夢の主体』の象徴シンボルに当たるのは涼宮さんではなく、ようさんであられたのですけどね」

「へ? 別にハルヒでなくても、『夢の主体』の象徴シンボルとしての力を使うことができるのか?」

「ええ、もちろん。そもそも『夢の主体』自体が、この世界の人類全体どころか、可能性として存在し得るありとあらゆる世界の森羅万象すべての集合体なのであって、その構成員である我々には、誰もがその象徴シンボルとして『夢の主体』の持ち得る力を代行して振るえるようになる可能性があるのです。例えば『消失』の際なんかは、涼宮さんよりもながさんのほうが世界を改変したという想いが強かったからこそ、『夢の主体』の力を行使して我々関係者一同の『記憶』を書き換えて、メインヒロインである涼宮さんが『消失』した世界を象ることを為し得たのであり、更には『分裂』においては、涼宮さんのSOS団の危機を何としても無事に回避せんとする強い想いこそが、別人格の『ヤスミ』を生み出し、やはり我々関係者一同に対して、あたかも世界が二重に存在するかのような『偽りの記憶』をすり込むことによって、文字通り世界が『分裂』した状況を創出したのではありませんか」

 なっ、あの原典オリジナルにおいても一二を争う特大かつ特別なるエピソードの、『消失』や『分裂』すらも、今回と同じ手法で実現していただと?

 おいおい。本当に量子論と集合的無意識論に基づきさえすれば、『涼宮ハルヒの憂鬱』におけるすべての超常的エピソードを、現実性リアリティを一切損なうことなく実際に行うことが可能になるんじゃないだろうな⁉

「いやいや、そう言えばこんなこと、あなたにとっては、言うまでもないことでしたね」

「は?」

 何だ、小泉のやつ。いきなりわけのわからないことを言い出しやがって。

「何せあなたは、僕やあささんや長門さん同様に、たちばなさんや藤原さんや九曜さんを、超能力者や未来人や宇宙人にした、『彼女』のことを、ようくご存じなのですからね」

「──っ」

 そ、それって⁉

「こ、古泉、今はそんなこと、どうでもいいだろうが! そ、それよりも、本物のループかどうかはともかく、現在のこの状況から脱するには、いったいどうすればいいんだ? おまえがさっきから言っているように、これはある意味夢のようなものであり、しかも9月1日は必然的にやって来るのだから、このまま何もせず待っていればいいわけか?」

「あ、いえ。先程も申しましたように、このループ状態そのものは、あまりにも膨大な記憶を一度にインストールされたことによって、我々の脳が誤作動しているようなものですから、何よりもその『記憶』を抜き取ってもらわなければなりません」

「抜き取ってもらうって、いったい誰に?」

「もちろん、我々に当該『記憶』をインストールなされた張本人の、涼宮さんであられます」

 結局いつも通りにあいつこそが、諸悪の根源ってことか!

「……いや、そもそも何であいつは、『エンドレスエイト』だか何だか知らんが、こんなループ状態をつくり出してしまったんだ? まさかそれこそ原典オリジナルそのままに、夏休みを心の底から満足するまで堪能したいなんていう、頭の悪い小学生のような理由じゃないだろうな?」

 そんな俺の今更ながらの疑問の言葉に対して、その時目の前の同級生の少年は、


 あたかも底冷えするような冷笑を浮かべながら、俺の心の奥底まで斬りつけるがごとく、絶大なる効果を秘めた糾弾の言葉を突きつけてきた。


「ははっ。別に涼宮さんはループをしたかったわけでも、夏休みを終わらせたくなかったわけでも、無いのですけどね。──それよりも彼女は、心の底から願ったのですよ、まさしく『夢の主体』の象徴シンボルとしての力を、無意識に振るってしまうほどに」

「え? それって……」


「そう。せめてこの夏休みの間だけでも、あなたに、何よりも大切な佐々木ささきさんのことを忘れさせて、自分のことだけを見てもらいたい──と」


 ──‼

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