第40話 チャイニーズ
飲み放題のドリンクバーで一杯飲んだだけで店を出る。
なんとも損をしたような気分だけど、小熊はレクサスの女に会計を済ませて貰い、店外の駐輪場に駐めた自分のカブに歩み寄る。
女はスーツと同じマルーンレッドのレクサスSUVをキーレスで開錠している。
後ろからついてきてというレクサスの女に、小熊は聞く。
「どこに行くんですか?」
女はレクサスSUVのエンジンをリモコンで始動させながら答える。
「きっとあなたが気に入るところ」
小熊は自分が多少なりとも知っている解体屋の店長が、あの女から離れた理由が何となくわかった気がする。彼女の背後では、小熊のカブと同じガソリンエンジンの移動機械とは思えないレクサスが、自らの傅くべき主人の乗車を待っていた。
小熊は自分にこびへつらう存在だなんて思ったこともない、それどころか命を奪おうとしてくる事さえある自分のカブに乗り、音も無く駐車場を出たレクサスを追った。背後を走りながら見る限り、走り方は下手では無い。他車の流れに乗り、無理な追い越しはしない。バスかタクシーのような運転。きっと車のせいだろう。
勝沼のバイパスを抜けてすぐに右に折れ、中央本線方面に少し走った先にある店にレクサスは滑り込んだ。外観は洋館風で何の店なのかわからないが、広い駐車場に並ぶ外車や国産高級車を見れば、客層の察しはつく。
バイクや自転車で来る人間など居ない類の店らしく、駐輪場が見当たらなかったので、バックで駐めたレクサスの後部と駐車場フェンスの間にカブを駐めた。
レクサスを降りた女は、ヘルメットを脱いだ小熊に言う。
「服装を気にする必要は無いわよ。気楽な店だから」
言われなくとも、まだ自分が連れて行かれるのがどういう店かさえ教えて貰っていないし、スマホで調べる暇さえ与えてくれない。行き先の素性がわかるまでは、こっちも自分を守るプロテクターの入ったライディングジャケットを脱ぐ積もりなど無い。
レクサスの女は、小熊を先導するように洋館の入り口へと歩く。看板の類の出ていない洋館の、銅板のプレートがあるだけの重厚なドアは、レクサスの女が何もせずとも開き、黒いディレクターズスーツの老人が二人を中へと迎え入れた。
「二名で。奥の部屋がいいわ」
レクサスの女の言葉に頷いた老人が、二人の前を歩く。薄暗い室内のあちこちに仄かなランタンの灯りで照らされたテーブル席が見えるが、緞帳で隠されていて客の姿も出された料理の種類も見えない。
天幕で覆われたテーブル席に案内され、老人に引かれた椅子に座った小熊に、向かいに座るレクサスの女は言った。
「中華って好き?ここは四川料理が美味しいのよ」
小熊は店の雰囲気に少し呑まれながら答える。
「四川料理がどういうものかもわかりません」
レクサスの女は腹が立つほど余裕を感じさせる微笑みを浮かべながら言った。
「きっと気に入るわよ」
この女と同じく、無駄に持って回った舞台装置の中で食べる四川料理とかいうものを、気に入ることなど無いと思っていたが、二人が席につき、何一つ注文しないうちに運ばれてきた料理は、小熊が今まで食べたことの無いような味だった。
レクサスの女によれば、この店の自慢は、四川ご当地で食べられている料理じゃなく、それがアメリカナイズドされた、アメリカン・チャイニーズと呼ばれる料理らしい。
「北京ラヴィオリよ、この海鮮醤で食べるの」
餃子のようだが、小熊の知るスーパーマーケットの餃子よりだいぶ大きい角型の餃子を、言われた通り刺激的な味の醤油に付けて食べる。詰め物の挽肉は、小熊が数日前に食べたハンバーガーを、肉の食感を再現したプラスティックか何かかと思わせるような味がする。
続いて運ばれてきたのは、ムーシュー・ポークと言って、豚肉、筍、キクラゲの炒め物と、薄く焼いた餅。
レクサスの女が「こうやって包んで食べるの」と言いながら、豚肉炒めを少し不器用な手つきで餅に包んで見せてくれたので、小熊も真似る。女は小熊の手つきを見ながら言った。
「もしも私が将来大きな病気に罹って手術を受けることになったら、あなたに執刀してほしいわね」
小熊はムーシュー・ポークを味わうことに集中しながら答える。
「外科医を専攻する予定はありません」
自分のことについてうっかり話してしまったと思った。さっきまでは出来るだけ早いうちにこの女から逃げようと思っていたのに、これだから美味い飯というのは良くない。
食事は進み、鶏とカシューナッツの炒め物が運ばれ、続いて出てきた黒豆で煮たアサリに小熊は満腹しつつあった。二人が食事中飲んでいた、ガラスの茶器に花房が丸ごと入ったジャスミン茶が、龍井茶という中国緑茶に替わり、デザートの枝についたままの赤い桂味ライチが届けられる頃に、やっとレクサスの女は、話の本題を切り出した。
「少し、私と藍地くんのお話を聞いてくれる?」
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