第20話 甘いコーヒー

 元旦の朝を寝て過ごした小熊は、昼前に起きてVTRでバイク便の仕事を始めた。

 正月から動いている職場は世に幾らでもある様子で、小熊もライダー兼任の浮谷社長も、それなりに忙しい正月を過ごした。

 冬至に近い時期の早い陽が沈む頃、小熊は予約で請けていた仕事が一段落ついたので、何か飛び込みの仕事が入っていないか、スマホで浮谷社長に確認したところ、特別な場合を除き日没後の仕事を嫌う浮谷社長に、今日の仕事は終わりと告げられる。

 小熊が仕事用に借りているVTRを事務所に返しに行くと、浮谷社長は少し疲れた様子で事務仕事をしていた。VTRのキーを戻し、通勤に使っているカブのキーを手に取った小熊は、明日の仕事の確認を済ませた。一月二日は年始の需要と仕事始めの狭間らしく、予約はあまり入っていない。


 小熊は浮谷社長の好きな甘いコーヒーを淹れた。猫舌の浮谷社長のために、給湯スペースにあったボウルに水を張り、熱いマグカップを入れる、マグカップのコーヒーがボウルの水を熱しながら、ほどよく温くなったところで、布巾で拭いたマグカップを社長の横に置く。

 デスクトップの前に居る浮谷社長の横に置かれたタブレットを手に取った小熊は、浮谷社長の走行距離と仕事の件数を見る。そんなに過密なスケジュールでは無かった様子。事務仕事で疲れているのかと思った小熊に、浮谷社長は言う。

「昨日は話しすぎた」

 人見知りな社長は夕べの初詣と、小熊の友人との出会いで対人関係の構築に必要なカロリーを消費し、人酔いの二日酔い状態らしい。小熊が淹れたコーヒーを迎え酒のように飲んだ浮谷社長は、ちょうどいい甘さと温さに人心地ついた様子。


 小熊がもう上がることを伝えると、浮谷社長は少し残念そうな顔で言う。

「小熊さんはコーヒー飲んで行かないの?」

 時計を見た小熊が答える。

「この後、用があります」

 ついさっきまで、もう人と話すのはイヤだって顔をしていた浮谷社長は、カフェインで人恋しくなったような目で言う。

「どこかに美味しいコーヒーでも飲みに行くのね」

 小熊は仕事着のポケットがたくさんついたメッシュベストと一体化したライディングジャケットを脱ぎ、私物のスイングトップタイプのジャケットを着ながら答える。

「苦いコーヒーかもしれません」

 浮谷社長はコーヒーの甘さに似合いの甘ったれたような、ふてくされたような声で言った。

「じゃあいい」


 浮谷社長も事務所を締めて上がるというので、明かりを消して戸締りを済ませ、二人で事務所を出る。小熊は自分のカブに、浮谷社長は仕事用と通勤用、休日のツーリング用を兼ねている黒いフュージョンに跨った。

「やっぱりわたしにはカラスしか居ないのね」

 そう言いながらフュージョンを撫でた社長は、事務所の近くにあるというタワーマンションの自宅へと帰っていった。親の過保護がイヤで家を出てバイク便の会社を起業したのに、住んでいるのは親が所有しているマンションらしい。

 小熊もカブを発進させ、浮谷社長とは反対方向へと走り出す。小熊に相手にしてもらえなくてすねた様子の浮谷社長に何かお土産を買ってきてあげようかと思った。甘いお菓子がいいんだろうか、いや、この季節に無人販売所で出回る冬野菜でも買って、苦味の利いた食べ物の旨みを知ってもらったほうがいいだろう。

 

 昼間は初詣と初売りの渋滞でそれなりに混んでいた幹線道路は、通勤ラッシュが無いせいか夜になると空いていたので、日野春までの帰り道を気持ちよく走ることが出来た。

 甲州街道の牧原交差点で、自宅とは反対方向に曲がる。教師も部活の生徒も居ない様子の高校を横目に見ながら緩い坂を登り、数km走ったあたりでカブを停める。

 ベーカリーショップBEURRE。椎と慧海の家。去年のクリスマス以来、椎の受験を邪魔しないように足を遠ざけていたけど、夕べの初詣で孤独な受験勉強に耐え切れぬ様子の椎は小熊に電話をかけてきた。

 寂しくなるとすぐに小熊に泣きつく椎のことを、普段は適当にあしらっていたが、もし椎が自分の選んだ未来のため、眠気覚ましのエスプレッソの苦さに耐えながら頑張っているなら、その苦いコーヒーを半分飲んでやろうと思った。


 カブから降りた小熊が店のドアを開けると、近づいてくるエンジン音で気づいたらしき椎が小熊の胸に飛び込んできた。

「会いにきてくれたんですね!」

 小さな体で小熊の背に両手を回し、胸に頬を預けていた椎に、小熊はとりあえず聞いた。

「慧海は居る?」

 椎は細いけど意外と力のある腕で小熊の体をギリギリと締め上げた。

  

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