第19話 新年

 初詣を終えた小熊は、徒歩で帰るという慧海と別れた。

 小熊はせっかくVTRで来ているんだし、後ろに乗せて送ってあげようとしたが、VTRの後部にバイク便のボックスが付けられているのを見て舌打ちする。今はまだ仕事中で、バイクも借り物。

 今日知り合った慧海の同級生、史は慧海と家が近いので一緒に帰ると言っていた気がする。存在だけでなく言葉まで希薄で記憶に残らず、慧海と歩いていても背後に憑いた幽霊か影法師にしか見えない。


 参詣を終えた後、小熊と社長がバイクを駐めた社務所の裏で少し話したが、史は話の輪に入ろうとせず、自分に話しかけられるとすぐに慧海の顔色を伺い、短く聞き取りにくい返答を発するだけ。その内容も「わかりません」や「知らないです」など、自分の言葉や考えを表に出すのを恐れている様子。

 まだ人見知りするが急に馴れ馴れしくなったり、人との距離の取り方がヘタクソな浮谷社長のほうがわかりやすい。特に話が弾むこともなく、慧海と史は帰っていった。


 少し人酔いした様子の浮谷社長は黒いフュージョンに跨り、自分の部屋に帰ってきたみたいに安心している様子。小熊がこのままVTRで家まで直帰することを伝えると、浮谷は背を向けたまま手を振り、フュージョンのエンジンを始動させた。

 シューベルトのヘルメットを被った浮谷は、フュージョンのサイドスタンドを上げ、例のごとく「帰ろう、わたしのカラス」とフュージョンに話しかけた後、スロットルを回し走り出す。

 停まっている時のフュージョンは、浮谷の体格には大きすぎるように見えたが、走り出した途端、正しい部品が正しい位置に嵌ったように浮谷とフュージョンが一体化し、市街地のすり抜けでは小熊さえ追いつけないほどの速さを発揮する。


 小熊もVTRに跨りエンジンを始動させ、借り物のバイクでも欠かせない暖機運転をしながらアライ・クラシックのヘルメットを着けた。ちょうど慧海が黒い影を伴って神社の敷地を出るところ。

 慧海は横を通り過ぎるフュージョンに軽く頭を頷かせる挨拶をした。慧海は相手が先輩でも教師でも、どこかの社長でも自分の流儀を崩さない。後ろに居る奴はどうだろうかと思った小熊は、目を凝らし夜闇に溶けて消えそうになる史の姿を観察した。

 史はベネチアの祭りで見る白い面のような顔を横に向け、人間なら目のある位置に空いている黒い穴で、浮谷の乗るフュージョンを見ていた。


 さっき一緒に話した時の記憶では、史が浮谷に興味を惹かれている様子は無かった。小熊が社務所の裏に停めた自分のVTRを借り物ながら見せびらかした時も、バイクより後部のボックスとその固定ベルトに注目していた慧海とは対照的に、史はVTRやフュージョンを見ても何も感じていない様子。女子の中にも大なり小なりある、バイクやロボットや宇宙船を見て目を輝かす男の子の部分がほとんど無い子だと思った。

 今は違う。浮谷にもフュージョンにも興味を持たなかった史が、明らかに意思を持った視線を向けていた。浮谷の乗ったフュージョンに。

 それがどういう意味か小熊にはわからなかった。事故れという呪いでもかけていたのかと思った小熊は背後を振り返った。もしそうなら社長が買って間もないフュージョンと、ついでに社長の無事を祈っておいたほうがいいだろう。

 さっき混雑した列の中で慌しく初詣した時は五円玉を投げただけで、願い事の類をしていなかった事を思い出す。祀られている神様が、こちらの要望を提出するのが少し遅れても、役所より融通を利かせてくれることを期待して、今更ながら手を合わせた。

 

 VTRのエンジンが充分暖まってきたので、小熊も空荷で身軽になったVTRで帰路につく。買い物か給油にかこつけてあちこち走り回りたい気分を押さえつつ、日野春駅前のアパートに帰った。 

 いつもカブを駐めている駐輪場にVTRを駐めて防犯ロックを掛け、部屋に入った小熊は、冷蔵庫の買い置きで年越しというには遅い蕎麦を食べながらスマホを見る。 

 新年の挨拶メールが幾つも入っていたが、知り合いや友達より、カブに乗るようになって付き合いの出来た業者のほうが多い。椎からもメールが来ていて、タイトルは正月を祝うものだったが、内容は会いたいおねがい会いに来て明日会ってくれなきゃ死んじゃうという文面。


 今の椎は受験勉強の段階を過ぎ、試験本番に向けて体調を整える段階。寒空の下や人混みの中を連れまわすわけにはいかないが、そのうち美味いコーヒーを飲みに行って、ついでに顔を見せてもいいかなと思った。礼子からもメールが来ていたが、内容は85番の燃料ジェットを一つ分けて!というもの。礼子にとって正月はどこか他の星の出来事らしい。余分にあればあげるのは構わないが、小熊のカブもブロック修正とオーバーサーズピストンを入れ、排気量を5%上げた時に燃料ジェットもノーマルの75番から85番に上げていて使用中。今のところそれを換える積もりもないので、カブに使う丸型のジェットならシノさんの店に一揃い置いてたとメールすると、サンキュ!今から貰ってくる!と返信。


 深夜アニメが好きで、平日も午前中はいつも眠そうなシノさんは、どうせまだ起きてるだろうけど、迷惑な話だと思いながら、小熊は82番も貰っといてとメールしてスマホを置く。

 充分な安全余地を見越しつつ、低回転と高回転のバランスが取れた、今の調整で不満は無いけど、これから始まる一月から二月の厳寒期には、気温と湿度が下がるためエンジンの冷却効率が良くなる。もっと調整を高回転寄りにしたほうが面白くなるだろう。冷間や低回転域での扱いにくさは乗り方次第でどうにもなる。

 シャワーを浴びてもう一度スマホを見て、礼子が目論見通りのパーツを手に入れたメールと、シノさんからの通り一遍の文句メールを確かめた小熊は、寝床に入った。

 

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