第26話 幽霊のバイク

 小熊がコンテナ物置の中を探し回り、外された前後の足回りを探しているうちに礼子がやってきた。

 コンテナの置かれた果樹園の入り口に急停車するハンターカブの音で、慌てっぷりと高揚が伝わってくる。

「モトラがあるって本当?」

 返答はコンテナの真ん中に置かれた機械を親指で指すだけで充分。礼子は剪定とか脱穀に使う機械にしか見えない車体を見て目を輝かせる。


 小熊は予想通り車体のすぐ近くにあった足回りとハンドルの部品を掘り出した。

 多走行による劣化や事故損傷、あるいは単に気持ちが離れたことから乗らなくなったバイクが、処分されることなく分解され倉庫の片隅に仕舞われることはよくある。持ち主の未練を形にしたようなバラバラのバイクは、乗り続けられなかった自らの未熟に対する強がりのように、一箇所に纏めて保管される。

「いつか直して乗るから」

 その言葉の多くは、バイクという鉄とプラスティックで出来た機械ゆえ避けられぬ経年劣化と共に朽ちて忘れられるが、バイクという他の多くの生活器具より深い思い入れで出来ている機械は、そうならないこともある。


 一通りの部品掘り出しを終えた小熊は、スマホにホンダ・モトラの画像を表示させながら、各部を点検する。錆の浮き始めた車体を見た時は悪い予感がしたが、車体のあちこちを見ているうちに、このモトラが新車で買われて少し走っただけで、すぐに乗らなくなったバイクだということに気づく。

 外されたハンドルに付けられたスピードメーター下部の積算距離計を見る限り、五千km少々しか走っていない。スーパーカブと同一のホンダ五十cc横型エンジンなら、まだ初期の慣らし運転が終わった頃。

 車体を持ち上げたりひっくり返したりしていた礼子が「ほとんど欠品が無い!」と大喜びしている。このまま担いで持ち去らんばかりの勢い。


 コンテナの隅に捨てられた機械を相手に興奮している礼子と小熊を、史は不思議なものを見るような目で見ている。小熊にしてみれば、一月深夜の寒風に吹かれても身震い一つしない史のほうが不可解だと思った。

 きっとここに浮遊している黒い女は、寒さや乾燥のような、生物の感じる苦痛とは別世界の存在なんだろう。仮に人間に似たような体構造をしていたならば、心拍や血流が生きていくため最小限の容量なため、失われるような体温も低めに調整されているに違いない。


 寒冷や酷暑に耐えるべく普段から自らの身体能力を鍛え、装備を揃えている慧海が口を開く。

「そのバイクは直るのですか?」

 ゴム部品の劣化を慎重に調べている小熊の替わりに、礼子が答えた。

「状態はすごくいいわ。多分そんなにお金も時間もかからない」

 ハンドルにテープで留めてあったエンジンキーを使ってタンクキャップを開けた小熊は、劣化したガソリンの匂いに顔をしかめたが、慧海が見ていることを意識して、自分の顔を何とか普段の平静な表情に戻しながら言う。

「今夜出来るのは現車確認まで。このモトラの登録がどうなっているのか、持ち主に会って確かめなくちゃいけない」


 小熊が言うなら仕方ないといった顔をする慧海の隣で、史が自分のスマホを操作している。短い通話の後スマホを切った史は、小熊たちの顔色を窺うように言う。

「お父さんは今からでもいいと言っていますが」

 小熊は逸る気持ちを隠すように腕時計を見た。もう一月一日が終わりつつある時間。

「行こう!」

 こういう時、礼儀というものをさほど重要視していない礼子の存在は大いに助かる。小熊はといえば、礼節は何より大事なものだと思っているが、それはバイクより優先すべきものとは限らない。


 小熊と礼子、慧海は果樹園から徒歩五分ほどの距離にある史の家に向かった。

 深夜ということを形だけ配慮し、小熊も礼子もカブを押して歩いた。慧海は前後の足回りとハンドルを取り付けたモトラを押している。カブより重く車高が低く、チェーンの錆び付いたモトラを、慧海は自転車か何かのように難なく押しながら、勝手知った史の家まで案内すべく小熊と礼子を先導している。

 分厚く鈍重なモトラと、スマートで敏捷な慧海は妙に似合っていると小熊は思った。人間の足より機動力に欠ける車やバイク、あるいは自転車を忌避している慧海は、小熊が幾らカブによって変わった自分自分を見せても、原付に興味を抱く様子は無いが、もしかして、自分には駄目でもモトラなら慧海を振り向かせることが出来るかもしれない。

 少なくとも慧海は、その横を漂っている史よりモトラの性能を引き出すことが出来るだろう。

 ナマコ塀に囲まれた史の家に着いた。さっきは勝手口だったが、今は客として分厚い樫の門を開けて招かれる。家に居たのは史の父親一人。


 分厚い無垢材の卓子が置かれた居間で、小熊たちは史の父と会った。

「家内が旅行中なので、茶菓子しか出せなくて済まない」

 不器用な様子でお茶と和菓子を卓子に並べる史の父を見た小熊の第一印象は、大正から昭和初期の文学者。

 無造作に伸ばした白髪混じりの髪。頬のこけた顔に生気の無い目。藍の褪せた着流しの下の体は肋骨が浮くほど痩せていて、来客四人と自分のお茶を載せた盆の重みで手が震えている。

 社交辞令や世間話で時間を無駄にすると逆に失礼になると思った小熊は、話の本題をいきなり切り出した。

「夜分遅く申し訳ありません。倉庫に置かれた原付について、幾つかお話を伺いたいと思いました」

 史の父は、すでに史から聞いて用意していたらしき書類を出しながら言う。

「夜も昼も変わらない仕事をしています。お気になさらず」


 礼子が出された胡麻大福を頬張りながら無遠慮に聞く。

「何の仕事をしているんですか」

 小熊はこの女に礼子という名前は名前負けだと確信した。無礼子と名づけるべきだったのを役所のミスか何かで礼子という間違った名前に登録されたんだろう。

「陸自の三佐です。音楽隊でトロンボーンを吹いている」

 史の父の表情が緩んだ。もしかして自分の仕事について聞いて欲しかったのかもしれないと思ったが、この折れそうな体で、小熊の知る限りかなり体力を求められる吹奏楽者が務まるのかという疑問にかき消された。

「あのコンテナに置かれた原付バイクは既に廃車手続き済みで、再登録も可能です。しかしもう動かない」

 小熊は普段飲んでいるお茶とは匂いも味も別物の玉露を一口飲んでから言った。

「あのモトラは走れますよ」


 小熊は礼子に続きを促す。

「欠品も無かったし、パーツが製造中止していて壊れたら一番厄介な車体と変速装置の状態が良かった。電装もどうせ今の6Vは12Vに全替えするから死んでても問題無い。あのモトラは潰すのはもったいないですよ」

 史の父は頷き、書類を小熊たちに押しやった。

「わかった。あの原付を君たちの好きにしていい。必要なことがあれば協力する」

 小熊と礼子は視線だけでガッツポーズする。それから二人で史を見た。

「で、幾らまで出せる?」


 史が申し訳無さそうに財布を取り出し、中身を全部出した。一万円札が一枚と数枚の千円札。

 普段から金銭的に子供を甘やかさない家らしい。史は自分の手元にある現金を見て、また幽霊の笑みを浮かべる。落胆と諦めとの付き合いが長すぎて慣れきった顔。

 小熊と礼子は、史の手から取った現金を指で数えている。見かねたらしき史の父が立ち上がり、箪笥の引き出しから自分の財布を取り出した。

 礼子は小熊に言う。

「余裕だよね」

 必要な費用を計算していた小熊が答える。  

「お釣りが来る」

 慧海がくすくすと笑っている。信じられないといった顔をする史の父の横で、史は安心したような、満たされて消え入りそうな笑顔を浮かべた。呪われた夜が明け、幽霊に陽が当たるとこんな顔になる。

 エンジンの中も開けぬうちから、まだ喜ぶのは早いと思いつつ、小熊はあの史に似合わぬモトラを修復することに決めた。

 幽霊に足が生えたらどうなるのか、見てみたくなった。

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