第27話 お金の問題

 時刻は夜更けすぎ。

 昼夜を分かたぬ仕事をしている史の父や、昼間より夜のほうが生きるべき世界として相応しいような史は眠気に襲われている様子は無かったが、さっきまで希少なモトラをいじれる機会に高揚していた礼子が、一時的な興奮による覚醒が切れたらしく、アクビを連発するようになった。

 普段は規則正しい生活をしている慧海も自身のパフォーマンスダウンを意識している様子で、何度か呼吸を整える仕草を見せていた。何より小熊が眠くて仕方ない。

 小熊も不動モトラの路上復帰を仕事として請けたわけではない。無償の協力で明日以降の仕事に差し障るような夜更かしは出来ない。

 とりあえず使える予算が明らかになったので、その配分だけ大まかに決め、今日はもう帰ることにした。


 史の手持ちは一万数千円。モトラ自体は外装も機関部にも欠品は無く、タイヤの状態も良好な様子で大掛かりな部品交換の必要は無さそうだった。電装も状態次第では旧いカブ系バイクに使われている6Vのまま触らないほうがいいかもしれない。経年劣化等で使用不能のパーツが見つかったとして、それは小熊か礼子の手持ちパーツの中から出せばいい。

 つまりあのモトラを再び動かすのに必要な費用は実質ゼロ。必要なのはせいぜいガソリンやオイル、グリスや洗浄油等の油脂類くらい。

 一般家庭の軒下や商店の駐車場など、多少バイクを整備出来る人間がほんのちょっと手をかけただけで動くようになる原付は世の中のあちこちに打ち捨てられている。さっき見た農機具倉庫にあった何台かのスクーターもそうだろう。その中で小熊や礼子が整備のノウハウを持っているのはエンジン等共通部品の多いモトラ。

 ただし、動くようになったモトラを日本の道交法や車両法の下で、実用に供するバイクにするために必要な費用は、それだけでない。


 原付の各種手続きに慣れた礼子が、三つの出費を挙げた。 

「まずは登録、保険、あと免許ね」

 登録と免許の取得に関しては小熊も既に自分でやっているので、費用の目算はつく。原付の登録に必須の自賠責も、割高になるが一年分ならそこまで高価ではない。問題は任意保険。

 原付であろうと起きる時には起きてしまう事故の補償は、強制保険と呼ばれる自賠責保険で賄えるものではない。礼子の加入している保険も、小熊が費用的な問題から選んだ共済も年齢によって等級は定められていて、未成年は高い料率が課せられる。


 話を聞いているうちにモトラの修復に乗り気になってきたらしき史の父親が、話に割り込んできた。

「私の車のファミリーバイク特約が使えるのではないか」

 小熊と礼子は顔を見合わせる。二人とも同居する家族が居ないので思いつかなかった。さっそく車にかかっている保険の約款を見せて貰ったところ、対人、対物等一通りの保障が受けられるとある。モトラの登録名義を史の父親にする必要があるのかと思い、契約書を読み込んでみると、同居する家族の原付であれば何台でも保証の対象になるらしい。

 慧海がスマホで保険会社のサイトにアクセスし、契約書より簡単に書かれたファミリーバイク特約についての説明を読んでみると、同様の内容が掲載されている。車ではなく保険契約者とその同居家族に掛かるファミリーバイク特約は、原付バイクに限れば車種の登録も不要で、何に乗っていても保証の対象になる。原付バイクを愛好する人間が複数台を所有してしまう理由というか言い訳になりがちな代物。

 

 これで費用の中で最も大きな部分を占める保険の金が丸々浮いた。小熊は史の父にメモ用紙を貰い、自分のペンで費用を書き出した。やはりあのモトラにナンバーを付け、史に原付の免許を取らせても結構な金が余る。

 小熊が自分の記憶とスマホから得た情報を頼りに金額を書き並べていると、史の父が登録と免許取得の項目を指しながら言う。

「代書費用を含めると、もう少しかかるのではないか?」

 小熊は少し考えて首を振った。礼子も一笑する。

「いらないです」


 原付の免許取得や登録の書類作成は代書を頼むことも可能で、陸運支局の周辺にはそのための業者も店を出しているが、小熊や礼子は代書業者に書類を書いてもらったことは無かった。

 慣れれば自分で書くことも難しくない各種の書類。バイクの登録が人生で初めての役所への書類提出だったという人間は多い。

 時に緊張から書き損じ、時に窓口で記入ミスを指摘され突き返されたりしながら、学校で経験するような大人と子供の関係ではない、公の機関から契約能力を持った大人として扱われ、一人の責任を持った人間と人間が交わす約束というものを経験する。

 小熊は史がそういうことを知っておくのも悪くないと思い、代書の費用を省略したが、それより単純で、世の高校生の多くが共有する理由がある。

 お金が無い。


 予算に関する決め事が大まかに片付いたことで、これからやらなきゃいけない事も分かってきたので、とりあえず今日は解散することにした。これ以上長引くと礼子が史の家の居間で眠り出しそうな勢い。小熊はそんな無礼なことはしないが、礼子が気持ち良さそうに寝ているところを見たら、自分まで眠気に襲われてその場に倒れこみ、礼子を掛け布団替わりにしてしまいそう。

 史の父親に、明日の朝またこの家を訪問することを伝え、小熊は卓子の前から立ち上がった。眠りかけた礼子も引っ張り上げる。

 帰路につく前に小熊は史の父に、あのコンテナの中でモトラを見つけた時から気になっていたことを聞いた。

「あの原付バイクは、誰が何のために買ったのですか?」

 史の父は随分昔に聞いたことを思い出すように中空を見ながら答えた。

「わたしの父…史の祖父が買ったんだ。祖母のために」


 小熊が首を傾げると、史の父は補足説明をする。

「祖母も家から外に出たがらない人間だった。祖父はそんな祖母を外に連れ出すため色々なものを買い与えた。サーフボードを載せたファミリアとか、ラジカセとか、ローラースケートとか、みんな祖父が居なくなった後で業者が買い取ったが、あの原付は値が付かなかった。原付バイクが安かった頃だったから」

 小熊はシノさんから、今より数十年ほど前に起きた原付ブームというものについて教えて貰ったことがある。今では原付もモデルチェンジのたびに生産国の変更や環境対策で値段が上がり続けているが、原付ブームの頃は国内バイク製造各社がライバルとして熾烈なシェアの奪い合いを行い、原付の新車も二割三割引きは当たり前、時に一台買うともう一台プレゼントという、実質半値のサービスまで行われ、雑誌懸賞のみならずポテトチップや炭酸飲料までもが原付が当たるキャンペーンを催していた。

 新車がそんな値段だから中古は当然安く、好景気でアルバイト時給の高かった当時の高校生は原付バイクを今の電動自転車より気軽に買ったり知り合いから貰ったりしていた。実用目的で乗っていた人間も調子が悪くなるとすぐ新車に買い換えていたらしい。

   

「あの原付が直れば、史も外に出られるようになりますか?」

 史の父の問いに、小熊の替わりに礼子が答えた。

「バイクがあれば外に出たくてたまらなくなりますよ」 

 物事がそんなに簡単に解決したら世の引きこもり支援団体は苦労しないと思ったが、小熊はとりあえず人伝ての話ではなく、自分が実際に経験したことを基準に答えた。

「バイクがあればどんな場所からでも家に帰れます」

 具体的な理由が行動を起こそうとする人間の背中を後押しすることもある。安心が活力になることもある。

 そこから何を選ぶかは、史が決める。

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