第25話 コンテナの中


 コンテナの天井に取り付けられた蛍光灯を見つけた小熊は、配電盤を探してブレーカーのスイッチを入れ、天井の紐を引いて灯りを点けた。

 史が驚いたように目を瞠っている。どうやら電源がまだ生きていることを知らなかったらしい。

 蛍光灯で明るく照らされた室内には、果樹園で使っていたらしき農具やコンテナに囲まれ、三台ほどのバイクが停められていた。いずれもスクータータイプの原付。


 慧海がそのうちの一台に歩み寄る。うっすら埃を被っているが、まだ原型を留めているホンダDIO。隣のDJ-1は雨漏りする位置に置かれたのか苔まみれで、逆隣のタクトはまだ状態が良さそうだけど小熊の知る限り三十年以上前のバイク。

 いずれもホンダ製。すぐ行ける範囲に国内各社のディーラーがある都会と異なり、買うバイクのメーカーが最寄りの代理店に偏りがちなのは、田舎では珍しいことではない。


 小熊はDIOの前にしゃがみこみながら言った。

「これをどうしろと?」

 慧海が音も無く小熊の横に

「これを直します。小熊さんにはその助力をお願いしたい」

 小熊はDIOの周りを歩き回りながら答えた。

「それは出来ない」


 外見は汚いが、小熊が見る限り欠品も無く、メーターを見ると二千km少々しか走っていないDIO、小熊もシノさんの店でカブの整備をしていた頃、シノさんが客から預かったDIOを修理する時に手伝いくらいしたことがある。それだけにこのスクーターの内部機関や構造について知っていた。

「私のカブとはエンジンの形式が違う。駆動もフレームも電装も、何から何まで違う。どう直せばいいかなんて全くわからない」

 小熊がコンテナの中を歩き回りながら横目で見た慧海の表情は変わらなかった。しかし変わらない表情にほんの僅か顕われた憂いに気づかないほど、小熊と慧海の付き合いは浅くない。


 コンテナの戸口近くでやりとりを見守っている史の表情はわからない。慧海が家から外に出ない史を変えるべく、何らかの望みを託した原付バイクがどうなろうとも、何とも思っていないような表情をしている。

 もしかしたら手に入ると思った外の世界。手を伸ばせば届く場所まで来たと思ったら目の前で取り上げられる。そんな巡り合わせの悪さに慣れたような顔にも見えた。

 小熊は自分が史と同じ学年の頃を思い出した。そこまで辛気臭い顔をしてはいなかったと思うが、さほど面白いことの無い高校生活だったような気がする。

 コンテナの中を歩き回っていた小熊の足が止まる。果樹園の備品が並んでいるのを注視した小熊は、慧海を振り返ることなく言った。

「でも、これならわかるかもしれない」


 顔を見ずとも呼吸で、慧海が疑問を覚えていることが伝わってきた。替わりに史が口を開く。

「それは、畑で使う機械じゃないかと思います」

 小熊は慧海に目で合図して、自分の隣に呼ぶ。慧海は障害物の多いコンテナの中で、すぐに小熊の横にやってきた。小熊と慧海の二人で、重い機械を持ち上げる。

 コンテナ内の中央。状態をよく見るため室内灯の真下に持ってくるだけで、小熊はその場にへたりこむほど疲労した。慧海は息ひとつ乱れぬ様子で、小熊が次に起こす行動を興味深げに見ている。

 小熊は慧海と史の疑問に答える前に、デニムパンツに付けたポーチからスマホを取り出した。あまり多くないアドレス帳を開きながら言う。

「慧海がスマホを持っているって知らなかった。番号を教えて」


 相手への借りが出来て、断りにくい空気になってから頼み事をするくらいのことは出来る。慧海はあっさりとCATのスマホを上着から取り出し、小熊よりスムーズな操作で番号を送信してくれた。

「あなたも」 

 史が予想外の言葉に少し慌てた様子で自分のスマホを取り出し、慧海に習いながら小熊に番号を送った。

 史は「家と慧海ちゃんの番号以外初めて」と言いながら、スマホを大事そうにしまう。

 報酬とは言えずとも着手金程度のものは貰った。あとは自分に出来ることをするだけ。小熊はこのスマホを手に入れて初めて入力した、正確に言えばさせられた番号をタップした。


 十回以上コールした後、やっと相手が出る。返事というより、山にいる獣の唸り声のようなものが聞こえた。

「ハンターカブのセッティングは終わった?」

 礼子はかつてヒトだった獣が、人間の言葉を思い出しながら喋るような口調で答えた。

「さっき終わった。今から寝る。起こしたら殺す」

 自分のカブを整備する時には寝食を忘れる礼子は、整備と試走が終わると抜け殻のようになる、小熊は礼子のログハウスに行った時、室内の整備スペース前に倒れている礼子と遭遇し、せっかく持ってきた食材の調理を始める前に礼子を部屋の隅に蹴り転がす仕事をさせられたことが何度かある。

「すぐに来て」


 返事の替わりに寝息らしきものが聞こえてくる。電話に出たことで体力を使い切った礼子には、小熊の言葉が耳に届かない様子だったので、目を覚ます薬をブチこんでやることにした。

「今、私の目の前に面白いものがある」

 その面白いものを表す単語だけを言い添え、礼子の返事を聞かず電話を切った小熊は、目の前の機械を見て口元を綻ばす。プレス鉄板で作られた箱のような車体。重機によく用いられるカナリアイエローの塗装。確かにこれは前後輪とハンドルが欠品していれば、農機か建築機械にしか見えないだろう。

 小熊はホンダ・モトラのシートをそっと撫でた。

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