第38話 女の武器

 レクサスの女は、解体屋の中を騒がしく駆け回る六人の女子を呆然と眺めていた。

 礼子は解体屋最奥に積まれたバイクの山をかき回している。

 かつて銀行の営業社員が、黒い鉄箱を付けた営業仕様のカブでモンゴル・ラリーレイドに出場したことがあった。 

 郵政カブで出場した一年目はリタイヤに終わったが、車両をハンターカブに替えた二年目のチャレンジで完走を果たした。

 そのハンターカブは現在も愛媛銀行に展示されているが、最初の出場で使用したラリー仕様の郵政カブが、山梨県内の解体屋に眠っているという都市伝説を礼子は信じているらしい。


 椎は小さな体で解体屋の端から端まで走り回っていた。礼子のハンターカブに便乗してここまで来た目的は、ラーメン屋や蕎麦屋のバイクが処分される時によく一緒に引き取られるアルミのオカモチと、それを吊る出前機を探すことらしいが、受験勉強で引きこもっていた椎にとって久しぶりの外出で舞い上がり、自分のリトルカブに着きそうなアクセサリーを品定めしている。

 史が割ってしまったモトラのサイドミラーを探しに来た慧海は、あちこちの廃車からミラーを剥ぎ取っている。史のモトラのあちこちにミラーや電飾を付けて、昔の英国で流行ったモッズカスタムにでもする気かと小熊は思ったが、礼子からせっかく集めたミラーの大半が取り付けネジが逆回転ネジになっているヤマハ製で、ホンダ車には使えないと聞きショックを受けている模様。


 慧海があれこれと史に似合うミラーを吟味しているのを他所に、史は解体待ちのバイクの中にあったイタリア製のスクーター、ピアジオ・ベスパが気になる様子でチラチラ見ている。史はバイクという今まで経験の無い趣味との相性が意外といいのかもしれない。他のバイクへの浮気心は、バイク好きがとてもよく罹る病気。カブを趣味や愛玩の対象ではなく、生活をよりよくする最良の道具だと思っている小熊は、自分には縁の無いことだと思ったが、以前シノさんの店で預かっていたバイクを客先に届ける仕事を頼まれ、NSR250RのSPグレードに乗った時に、鋭い吹け上がりと小気味いいクラッチフィーリングに、思わず中古バイクサイトで値段を調べてしまったことくらいある。


 とりあえず小熊は、自分の顔を見るなり逃げ出そうとした浮谷社長の襟首を掴まえた。愛車で業務車両でもあるフュージョンを事故か何かで擦り、こっそり直そうとして解体屋にやってきた浮谷は、見られたくない相手に見られてしまったらしい。

 逃げたからにはやましい事があるんだろうと思って問いつめたところ、浮谷はあっさり吐いた。夕べ配信サイトの見放題プランで映画ネバーセイネバーアゲインを見た浮谷は、ボンドカーならぬボンドバイクが活躍する姿を見て居ても立ってもいられなくなったらしく、そのまま走り出して案の定コケて、自分がジェームズ・ボンドではないことを悟ったらしい。


 小熊は浮谷を正座させ、映画や漫画に憧れるのは、時に辛いことを乗り越える力になってくれる大切なことだけど、映画俳優や漫画のキャラクターのやっていたことをやろうとするのは、自分の遺伝子を後世に残さないほうがいい劣悪種だと自ら認めるようなもので、そんな事で死んでも褒めてくれるのはダーウィン賞の関係者くらいだと説教した。

 礼子が呆れたような目で小熊を見ている。去年の冬の豪雪の日、小熊と礼子の二人でタイヤチェーンを巻いたカブで廃業したスキー場まで遊びに行き、大脱走のマックイーンを真似てカブで柵をジャンプして飛び越えたことを思い出しているらしい。


 浮谷はといえば小熊のことを恐れつつも全然堪えていない様子で、「そうだ!二号車から剥いてこっそり取り替えればよかったんだ」と呟いている。免許を取って以来ずっと黒いフュージョンに乗り続けている浮谷は、現在二台のフュージョンを所有している。希少なバイクを維持しているコレクターのように、二台目を部品取り用の車両にすれば、すぐに直せることに気づいたらしい、小熊は「下衆の知恵は後から」という言葉を思い出した。


 レクサスの女から藍地くんと呼ばれた解体屋の店長は、何も変わらない。目の前を女子たちが騒ぐ中、ただ小さなテントの下に置かれた椅子に座り、何かの部品を磨いている。レクサスの女は後ずさりしながら言った。

「何が楽しくてこんなゴミ屋をやってるのかと思ったら、そういうことだったのね?わかりました、もう二度とここには来ません。この事はお父様…教授に報告させていただきますので」

 女は背後に停めてあった近鉄電車みたいな色のレクサスSUVに乗り、走り去った。


 浮谷にお説教を垂れながらも、あの機械人間みたいな店長と女のやりとりを盗み聞いていた小熊は「あー…」と声を出した。あの女の行動について、嫌な理解をしてしまった。  

 礼子も「まぁそうなるわよね」と言っている、椎も「この後が面白…怖いですよ」と漏らした。慧海は黙って肩を竦め、史は気の毒そうな顔で店長を見た、幽霊がこれから呪い殺す相手を見る目。

 小熊の意識が逸れた瞬間を見計らって解体屋の奥まで逃げた浮谷は、レクサスの走り去った道路を見ながら言った「また来るよ、必ず」


 店長はレクサスの女が去った原因も、ここに来た理由さえわからないといった感じで、今まで通り手元の部品を磨いていた。あの鉄パイプを組み合わせて作ったような棒人間にとって、小熊たちも昔の彼を知っているらしきレクサスの女も、この解体屋の周囲に豊富に実っている梨や葡萄と同じようなものなのかもしれない。

 一つ確かなのは、あのレクサスの女の起こした癇癪も、その次に来るであろう行動も、あの棒人間が男である限りわからず、女の小熊たちにはよくわかるという事。

 女は基本的に勝算のある勝負しかしない。勝てる見込みが無い時は自分の体面を保ちつつ思い切り良く退き、勝てる武器を準備してから来る。きっとあのレクサスの女は、二度と来ないと言いつつ、何かしらの武器を携えて再びやってくるだろう。武器として最も汎用性が高く強力なものとしては、金と地位。


 小熊も他の面々も自分の目当ての物が見つかったらしく、店長の前に並ぶ。持ってきた部品の重さを測り、その重量に応じた金を払うという明快なレジシステム、ギフトラッピングのサービスが無いことを除けば、小熊が普段行っているスーパーやファストフードより気持ちよく金を払うことが出来る。

 前に並んでいた史が、気になっていたベスパの替わりに買ったらしきベスパのプラモデルの会計を終え、最後に並んでいた小熊の番がやってきた。買ったのは以前ネットオークションで買って交換したが、最近になって異音を発て始めたリサアスペンション。粗悪な品を掴まされたが、この解体屋なら今までの経験上そんな心配は無い。


 いつも通り部品が入ったカゴを秤に載せ、表示された数字を見て電卓を叩き、金額を見せるだけの棒人間が、顔を上げた。鉄の缶に開けられた穴のような目が小熊を見る。目鼻の下にある穴が蒸気漏れのような音を発した。

 小熊は最近になって、この棒人間の言うことや表情の変化が多少なりともわかるようになった。礼子はすでにあの蒸気の音を聞いただけで、何を言っているのか充分に理解出来ると称している。小熊は自分がカブを通じ、ずっと無縁だったバイクという機械を少しずつ知っていった経緯と似たものだろうかと思ったが、それとは違う。小熊は人間で、カブは機械。たとえ生き物のような機械や、限りなく機械に近いような人間が居たとしても、それが機械であるならば。人間である限り避けられない事もある。この機械に囲まれて生きる機械人間は、自分の人間としての部分を望み、求める存在が表れたことで、迷いや戸惑いという感情を覚え始めていた。


 小熊は財布から出した金をトレイに置きながら言った。

「わかりませんよ、私には」

 小熊には、店長の感情を受け止めるだけの人生経験が無かった。

 男と女のことなんてわかるわけない。

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