第36話 昼ドラ

 年明けの正月三日をモトラの修復に費やした小熊は、四日から本格的にバイク便のバイトを始めた。

 とはいえ今日の仕事は早朝から出て正午に終了。人間の集中力が続くのはせいぜい半日というのが浮谷社長の持論で、よほど待機の多い仕事でなければ午前から午後まで通しの勤務にはならない。単に自分が怠け者だから他人もそうだと思っているんだろう。

 とりあえず小熊も、今春から始まる新生活の元手が必要とはいえ、具体的な目標金額があるわけでも無いので、半日勤務が中心のバイトにはそれなりに満足している。時給じゃない歩合の給料は、一日の稼ぎを聞いた同級生が風紀上好ましくないバイトをしているのではないかと疑うほど貰っている。


 午前中は韮崎のショッピングモールで行われた特撮ヒーローイベントの仕事で、韮崎の会場と御殿場のイベント衣装製作会社を往復する仕事だった。イベント当日に出来上がった衣装を届けるため、会場にバイク便会社貸し出しのVTRで乗り付け、子供たちに変身ヒーローと戦う悪の組織の戦闘員と間違えられたりしつつ、その後も発破装置や怪人の着ぐるみ、イベント終了後に配布する販促用のオモチャなどを届ける仕事を終えた小熊が事務所に戻ると、浮谷はもう帰ってきていた。

 今朝は寝坊して十時から仕事に入ったというライダー兼任の社長は、事務所の応接スペースでだらしなくソファに座っている。バイク便制服のライディングジャケットを着たままなところを見るに、一休みしたらまた仕事に戻る気だけはある様子。


「仕事さぼっちゃだめですよ」

 小熊に釘を刺された社長は、ソファに半ば寝転がりながら食べていたパンケーキを口から飛び散らせながら言う。

「今からやろうと思ってたのに!」

 小熊は子供の言い訳には取り合わず、社長の両脇を持ち上げて客が座る応接スペースの隣、ライダーが休憩する椅子とテーブルのスペースまで運んだ、手足をバタバタさせていやがる浮谷を、木とキャンパス布のディレクターズチェアに座らせ、社長が食べていたバナナとクリームが乗ったパンケーキと、ホットチョコレートをテーブルに並べながら言った。

「ごはんは、ちゃんと座って食べる」


 膨れ顔をしていた社長はディレクターズチェアから立ち上がり、とてとてとソファに戻る。言うことを聞かずソファで食べるようなら、お仕置きが必要だと思っていたら、社長は応接スペースに置かれたテレビのリモコンを手に取ってディレクターズチェアに戻る。

 社長はバナナパンケーキを食べる作業を再開させながら、リモコンを押してテレビをつけた。

「これ見たらまたお仕事するから」

 テレビに写っていたのは、昼のドラマだった。普段からテレビというものを見ない小熊にとって、一瞥しただけで時間の浪費でしかないとわかるような代物。

 社長がオープニングソングに合わせて体を揺らしながら、横に立つ小熊にバナナパンケーキの紙皿を押しやった。

「食べる?」


 小熊はバイク便制服のライディングジャケットを脱ぎながら答える。

「昼食はもう済ませてきました」

 小熊がついさっき仕事先のフードコートで食べたのは、奇しくも社長と同じパンケーキ。以前アジア各国を旅行したという礼子の母からヒッピー旅行者の常食と言われるバナナパンケーキを死ぬほど食わされたという話を聞かされたことを思い出し、想像しただけで胸がつっかえそうになったので、パンケーキのトッピングにはバナナじゃなくベーコンエッグを選んだ。

 小熊が私物のシンプルなスイングトップタイプのライディングジャケットに着替えていると、社長はフォークを口でくわえながら言う。

「ドラマ見ないの?」 


 小熊はテレビに写るドラマをチラっと見た。オープニング後に流れるダイジェスト映像を見るに、内容は仕事に生きる女の恋だといういことはわかったが、多忙な編集者と称する女の服や髪を見るに大した話だとは思えない。少なくとも小熊が今までの経験で知っているバイク雑誌の編集者は、いつ会っても徹夜明けのような格好をしていた。

「こんなの見ても何の役にも立ちません」

 「役に立たないからいいのに」と言いながらドラマを見ている社長に、勤務終了の挨拶をした小熊は事務所を出る。ドアを閉める間際、社長がディレクターズチェアの上で、横向きで体を丸める行儀悪い格好に座り直すのが見えた。


 自分のカブで甲府の事務所を出た小熊は、自宅のある日野春とは反対方向へと走り出した。

 バイク便の仕事は午前中で終わったとはいえ、色々とやらなきゃいけない事はある。生徒の大半が進路を決めた高三の冬休みに宿題は無かったが、小熊はその進路のために色々なものが必要になる、例えば高校卒業後も乗り続けると決めたスーパーカブに関する物。

 夏にエンジンを壊したのを機に、秋の間は色々とカブの整備をしたが、壊れているところを直すと、次に壊れそうなところが見えてくる。そうなった時に速やかに修理できるように、今のうちに幾つかのパーツの予備を押さえておきたかった。小熊の知る限り、中古パーツの入手先として最も優れている場所が、この先にある。


 甲州街道を下って勝沼バイパスの先で左に折れ、自治体からフルーツラインと名づけられた広域農道を少し走った先、周囲に並ぶ果樹園や果実の即売所には不似合いな品物を取り扱う店。店舗というより畑といったほうが近い。小熊にとって甘いフルーツより魅力的なものが熟れているバイク解体屋。

 広い板囲いの中で、多数のバイクとその部品が野ざらしになっている解体屋にカブで乗り付ける。店とその経営者らしき人は、小熊が初めてここに来た時と何も変わらない。


 解体屋の店長はバイク部品に囲まれた中、屋根だけのテントの下で黙々と何かの部品を磨いていた。小熊が前を通っても顔すら上げない。無口で無表情な店長を見ると、小熊はいつもこの人は人間のような内臓や骨の存在しない、機械の体をしているんじゃないかと思わされる。

 きっといつも着ている灰色の作業用ツナギ越しに見える体形が、棒を何本か組み合わせて作っただけのように見えるからだろう。顔はその中で特に太い棒に幾つか穴を開けて目鼻っぽくして取り付けた感じで、棒の先端に取り付ける蓋のように、髪を短く刈った頭頂部が載っている。

 小熊はもう何度かここに来ているが、この棒人間が発する言葉を聞いた回数は片手の指だけで足りるのではないかと思う。きっとあれは棒人間の口に設けられた排気口が発する音を、声と聞き違えたに違いない。 小熊は解体部品が並ぶ中、カブ系の廃車と部品が置かれている一角に座り込み、使えそうな部品の選別を始めた。

 

 分解して積み上げられた部品の中からは、目をつけていたパーツがなかなか見つからかった。小熊は解体待ちの廃車から剥ぎ取ろうと思い、並んでいるカブと、その同系車種の中から、どれに手をつければいいのかを見繕った。今ごろ社長は、椅子の上にだらしなく座りながら、愚にもつかぬドラマを見ていることだろう。少なくとも小熊は自分がカブに乗り始めて以来、ドラマや映画、小説などの作り物のお話に興味を持ったことは無かった。

 血沸き肉躍る冒険譚も熱血スポ根ストーリーも、バイクに乗っていれば向こうからやってくる。今もカードゲームの選択肢に迷うように、どのカブをバラそうかと考えている。少なくともカブに乗る限り、テレビドラマなど不要。礼子はそうでもなく、よくネット配信の海外ドラマを見ているらしい。


 とりあえずどこかの信金で営業に使っていたらしきカブが、自分のカブと同一の車種でほぼ欠品も無さそうなので、このカブから部品を頂戴しようと思っていたところで、背後から音がした。

 農園に囲まれた静謐な解体屋でさっきまで聞こえていたのは、店長が何かの部品を延々と磨き続けている音と、たまに通る車の音。その中の一台が解体屋の前で停まった。

 この場違いな解体屋には、時々変な客が来る。物言わぬ社長からは何も聞いたことが無いが、シノさんの話では有名なカスタマイズバイクのショップや、メーカーのレース活動部門の人間が、希少な部品を探しに来ることがあるらしい。


 小熊の背後に停まった車は、それらの業者とは少々毛色が違った。一度通り過ぎたレクサスの高級車が、急ブレーキの後バックしてきて店前に乗りつけた。中から出てきたのは、さっき事務所で見たドラマに出てきたような、小奇麗なスーツを着た女性。

 女性は金のかかった髪を振り乱しながらテントの前に駆け寄った。社長の姿を確かめるように注視した女性は、いきなり涙を流し始める。

藍地あいぢ……くん?藍地くんだよね?…やっと見つけた……ずっとあなたを探してたんだよ……」

 小熊はカブに乗り始めてからずっと、自分には作り物のドラマなど不要だと思っていた。ドラマティックな物語ならカブが与えてくれる。 

 しかしまさか、カブの部品を探しに来た解体屋で、昼ドラが始まるとは思ってもみなかった。 

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