第6話 恵庭家

 椎はピナフォアと呼ばれる、ジャンパースカートとエプロンが組み合わせられたような形のドレスを着ていた。

 ヨーロッパ・トラディショナルな服も、素肌の上に着ると大胆な格好になる。肩のあたりは肌がむき出しなので、貸切りの日じゃなく通常営業でこの姿をしていれば、店には客が押しかけるんじゃないかと小熊は思ったが、薄い生地越しに見える椎の性徴に乏しい体のラインを見る限り、来る客層は限られる。

 例えば自分の横で「椎ちゃん可愛い~!」と抱きつき、椎に猫が本気で拒絶するような仕草で嫌がられている礼子みたいな奴とか。


 子猫のような椎に助けを求められた小熊が礼子の襟首を掴むと、礼子は少々ながら大人しくなる。こっちも猫みたいだが、礼子は商店街や住宅地に居る、人間とすれ違っても逃げもしせず、自分の進路を譲ることすらしない、ふてぶてしいドラ猫。

 小熊と礼子は、赤いピナフォアと赤い帽子を少し乱れさせ、息を切らせた椎にBEURREの店内へと迎え入れられた。


 外から見たBEURREはクリスマスにしては地味で、小さなセダークレストの樹が飾られているだけだったが、店内は派手派手しいクリスマスイルミネーションで飾られていた。

 目がチカチカするような電飾を見ながら、エジソン発明の白熱電球より安価で電力消費も少なく、熱を発しないLED電球の普及というのは、いいことも悪いこともあると思った。

 クリスマス等のイルミネーションはやり始めると止まることなくエスカレートする。必要な部材も設置のノウハウも、ネットや通販で容易に入手出来る。小熊は椎のエスプレッソマシンまでがピカピカと光っているのを見て、少し胸焼けしそうな気分だったけど、それに高揚を覚える人間も居るのは事実。一般受験で大学進学を目指す椎は、今まで輝きや潤いに乏しい部屋で黙々と受験勉強をしていて、このクリスマスが終わったら最後の頑張りが始まる。

 椎だけでなく普段は仕事を頑張っている人に活力を与えるため、この非現実的なイルミネーションは必要なのかもしれない。少なくともLED電球には罪は無い。スーパーカブだって新モデルはヘッドライトをLED化した。小熊のカブも電球切れが頻発したテールライトはLEDだし、派手好きな礼子はメーターイルミネーションを青いLEDに替えている。


「メリークリスマス!」

「フレーリッヒェ ヴァイナハテン!」

 店内で椎の父と母が、英語とドイツ語でクリスマスを祝う声を発する。小熊は招待への感謝を示すべく一礼し、礼子の頭も下げさせてから、椎の案内で店内のイートインスペースに着席した。

 スペースにある四つのテーブルを全てくっつけた特設のパーティーテーブルには、クリスマスディナーが並んでいた。小熊は目の前のご馳走を見てから、椎の父を見た。椎の父は誇らしげに胸を張っている。  

 ヨーロッパ・アルプス風の店内ながら、椎の母がイートイン・スペースをアメリカン・ダイナーの雰囲気に統一している関係で、小熊たちがここで食事に招かれる時は、アメリカン・スタイルの食卓になることが多い。

 今日も小熊は、椎の母が作るターキーと派手な色のケーキが出てくる物と思い込み、あのクランベリーのソースで食べるターキーというのは本当に美味いんだろうかと訝しむような気分で来たが、テーブル上のクリスマスディナーは予想と異なっていた。

 

 アイントプフと呼ばれる野菜スープ、ライ麦パンの上にクリームチーズと共に乗せられたカツレツ、プラムバター添えのポテト、緑色のソースがかかった腸詰、真ん中にはアニメに出てくるマンガ肉そのまんまといった感じの、豚の骨付き脛肉を塩茹でしたアイスバインが、ザワークラウトの盛られた大皿の上に鎮座していた。なぜか焼き鯖の皿もある。

 普段は小熊と礼子の来る食事で椎の母の言いなりだった椎の父が、ここぞとばかりに発言権を行使したらしきドイツ風のメニュー。椎の父は上機嫌で料理の説明をする。

「この腸詰に使われているソースは七種類の香草から作られていて、ゲーテの大好物だったんだ、あのこの焼き鯖も、日本だけでなくドナウ川流域ではよく食べられていて」

 話が止まらない様子の椎の父の横で、椎の母は「デザートは私が作ったから安心してね」と言う。


 椎と両親も着席し、皆でいただきますと言おうという直前、小熊は椎に聞いた。

「慧海は?」 

 椎は額を小熊に当て、少しスネたような声で言う。

「小熊さんはわたしと話す時、いつも慧海のことばかり」

 小熊は椎の髪を撫でながら言った。

「慧海は私を惹きつける人間だから」

 椎は小熊に自分の頭をごしごしと擦りつけてきた。

「私は?」

 普段の椎より低い、吐息のような声、小熊が返答を考えていると、礼子が椎に抱きつきながら言う。

「わたしはずっと椎ちゃんに夢中だけどねー!」

 椎は猫が爪を立てバリバリ引っかこうとするように両手を前に出して礼子を引き剥がしたが、礼子は肉球で擦られたように嬉しそうな顔。

「慧海は部屋に居ます。冬休みが始まってから、夜になるまで寝てるんです」

 椎が言い終わる前に小熊は席を立った。

「起こしてくる」

 

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