第13話 そっくりさん
愛車をスーパーカブからVTRに乗り換え、小熊のバイク便バイトが始まった。
バイク便のバイトは去年から不定期にやっていたので、未経験というわけではなかったが、決められたコースをカブで回る、今までの医療機関ルート便ではなく、その都度違った顧客と行き先の指示をスマホで受ける仕事は勝手が異なったが、それほど戸惑うことなく慣れることが出来た。
会社から貸し出されたホンダVTRも、自動クラッチと異なるマニュアルクラッチのバイクを乗りこなせるかどうか未知数だったけど、初日に空荷で回って練習しただけで、クラッチ操作とリターン式のシフトを体が覚えてくれた。
仕事用のバイクとして評価の高いVTRは扱いやすく、ラフなギアチェンジやクラッチワークでも問題なく走る。小熊が以前シノさんの店で借りてちょっと乗った乾式クラッチのNSR250や、チューンしたモンキーに比べればオートマのようなもの。
毎日変わる道順も、古株のバイク便ライダーの話では、昔は紙の地図を頼りにしていたので大変だったらしいが、今はスマホが道順から道路情報まで教えてくれる。
小熊の担当する範囲は、山梨県内とその周辺の地域だった。カブであちこち走り回って熟知している場所。他所から来たライダーと違い、小熊は冬季の走行が危険に、あるいは不可能になる山間部の道路について知っていた。きっとこの土地勘を買われ、雇われたんだろうと思った。
大晦日を目前に控えた日、箱根の高級旅館に食材を送り届ける、少し長めの仕事を終えた小熊は、甲府の中心部に向かった。
甲府には寿司屋が多い。山脈に囲まれ海の遠い街だが、かつて日本海の魚と太平洋の魚は、その中間にある甲府に集約し、本州の各都市へと輸送されていた。それゆえ流通業者も数多く、道路構造やインフラもトラック運転手に優しいような気がする。
きっとこの街は、かつてキリストを背負って川を渡ったことから、旅人や職業運転手の守護神となっている聖人セント・クリストファーに守られているんだろうと思いながら、バイク便会社の事務所にVTRを滑り込ませた。
年の瀬だけあって、所属ライダーはみんな出払い、事務所に居たのは社長だけだった。社長もまたライダーを兼任している。
「お疲れさま。どうだった?箱根は」
小熊はコーヒーメーカーからコーヒーを注ぎ、差し出された社長のカップにもコーヒーを注ぎながら答える。
「ドゥカティに横に並ばれて、イヤな顔をされました」
社長は一口含んだコーヒーを吹き出した。椅子の上で反り返って笑いながら言った。
「あるある!」
小熊がバイク便の仕事で乗ることになったVTRは優れたバイクだけど、乗る人間によっては不満を覚える部分がある。外観がイタリアの高級バイク、ドゥカティ・モンスターにとても似ていること。
価格も性能も異なりながら、見た目がそっくりなバイクとなってしまったVTRを、自分たちのニセ物であるかのような目で見る人間も居る。それは無理も無いと思った。バイクに詳しい人間が見れば、各部の意匠は大きく異なるらしいが、小熊が見ると確かにそっくり。
小熊がそれを気にしているかといえば、全く気にはならない。女子が同じ服装の子とすれ違うと微妙な気分になるというが、カブで道を走っていて、不意にそっくりなバイクに出会うのはよくあること。
スーパーカブが仕事用の原付オートバイのスタンダードモデルとなって以来、各社がカブに似たバイクを発売した。ヤマハやスズキやカワサキ、農機具メーカーのヤンマーもそういうバイクを作っていた。
芸術品ならまだしも、機械製品がその目的に最善の形状を追求すれば、似通ってしまうのは必然の結果。小熊はカブのそっくりさんに出会った時は、イヤになるどころかむしろ自分が真似されるようなバイクに乗っているという、ちょっと自慢げな気分になる。
箱根の信号待ちでドゥカティと隣り合った時も、小熊はそれほど悪い気分にはならなかった。似ていると言われるVTRとドゥカティも、並べてみれば確かに別のバイク。目的や用途が同じならともかく、大きく異なるドゥカティとVTRが似てしまったことにも、オートバイという機械に現れた、物理法則の奇妙なユーモアを感じる。
そう思いながら小熊は、目の前の信号が青になりそうなタイミングで、クラッチを切ってニュートラルに入ったギアを一速へと踏み下ろした。相変わらず電気のスイッチみたいにトンと軽く入るギア。きっと信号が青になったら、クラッチやスロットルの微妙な力加減などせずとも、ただクラッチレバーを戻しスロットルグリップを回すだけで、スムーズに発進してくれるだろう。
向こうのドゥカティもギアを変えたのがわかる。VTRとは異なる、金属と金属が噛み合う、ボルトアクションのライフルを思わせる感触と共にギアが一速に入る。ドゥカティの車体がエンジンパワーを受けて震えた。クラッチを切っても完全に切れることなく引きずりの出る、強化クラッチ特有の現象。このバイクが途方も無いパワーを発する証明と言う人間も居る。当然VTRにはそんなものは無い。
「わたしのほうが優れた機械に乗っている」
小熊が相手に聞こえるか聞こえないかの独り言を述べた時、確かに聞こえた。
向こうのライダーも、同じことを言っていた。
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