第48話 みんな
信州黒姫における二日間に渡る勝手なボランティア活動を終えた小熊と礼子は、カブに乗って地元に帰った。
三学期は始まった途端、始業式と一日目の授業をサボった二人は、担任教師に睨まれるが、あの黒姫の刀で斬り付けるような冷気に比べれば、教師のお小言などそよ風に過ぎなかった。
椎は小熊の顔を見るなり抱きついてきて、何も言わず小熊の胸に耳を当てて鼓動を確かめていた。慧海は礼子の体を壊れたところが無いか確かめるようにポンポンと叩きながら「私を誘ってくれないとは人が悪い」と笑っていた。
史は慧海に連れられて小熊たちの教室にやってきたが、物怖じせず三年生の教室に入ってくる慧海を教室の入り口で見ている。
最初に戸口を見た時はたまに心霊番組で見かける、カメラに映りこんだ謎の人影か何かだと思った小熊が、二度目に見た時に史だと気づき、手を振ると、史も控えめに手を振り返し、笑顔に見えなくもない顔をして見せた。
人とは違う世界で生きる幽霊みたいな女だった史は、小熊たちが修復したモトラに乗るようになって変わった。しかし変化の歩みはとても遅く、慧海も性急に人との交わりを促すようなことはしない。
もしかして史をもたもたせているのは、あの走破性は高いが最高速がカブよりだいぶ落ちるモトラのせいなんじゃないかと小熊は少し思った。礼子のログハウスに転がっている改造エンジンにでも積み替えれば、史は今までとは違うスピードを手に入れるのかもしれない。
見たことのないほどの速度で走るモトラと、変わっていく史を見たい気持ちは少しあったが、小熊のほうから何かするのはやめておいた。きっと史は自分にとってそれが必要になる時を自分で決める。一台のバイクを自分のものにする経験を経て、史は自らの責任において判断することを覚えた。
どっちにせよ、モトラはもう史と一緒に免許を取った慧海が借りて乗ることのほうが多く、史は性能よりスタイリングと映画で見た印象だけで気に入ったヴェスパが欲しくなったらしく、お金を貯めている様子。
退屈な昼の授業を終えた小熊は、カブに乗って帰路についた。
冬の黒姫山を繰り返し登ったことで、カブのあちこちから異音がするが、そのうち暇になったら直そうと思った。交換部品は買い溜めているし、メンテナンスが楽しくなるような工具も持っている。
カブを駐輪場に駐め、アパートに帰った小熊は、制服を脱ぎ捨ててシャワーを浴びた。髪を乾かしながらハンガーに架けた制服ブレザーの中から一枚の封書を取り出した。
ドングリの模様が入った水色の封筒から取り出した淡いグリーンの便箋には、丁寧な字が書かれていた。
小熊様
貴殿を本日BEURREで催されるパーティーにご招待します。
恵庭椎
椎の家には普段からよく夕食をご馳走して貰いに行っている。今更こんな仰々しい招待状を渡す椎の変なカッコつけに微笑しながら、小熊はベッドの上に広げた服を身につけ始めた。
椎からの招待状の一番下には、意味ありげなことが書かれていた。
正装でお越しください。
イブニングドレスもスーツも持っていない小熊を試すような、挑むような椎の言葉。小熊は特に迷わなかった。今の自分にとって正しい装いで行けばいい。
下着を身につけた小熊は、リー・ライダースのデニムパンツを手に取った。
トワイライトと呼ばれる暮れの微光の中で人工の灯りを見ると、小熊はいつも物悲しいような、この物悲しさを見るためにカブで走っているような気分になる。
冬至の頃より幾分遅くなった夕暮れが夜の空に変わる頃、小熊はカブに乗ってBEURREを訪問した。
貸切のプレートが下がっているイートイン・ベーカリーの入り口前で、普段は勝手に開けて入っているドアをノックする。椎があれこれと形式を整えてくれたなら、それに従うべきだろう。
ドアが椎によって開けられた。椎はピナフォアと呼ばれる、ジャンパースカートとエプロンを合わせたようなドレスを着ていた。いつもより念を入れた髪形で、インディアンジュエリーの髪飾りなどを付けている椎は、この季節には随分寒そうな薄着で、肩が露出している。色は彼女の流儀を示すかのような水色。
「よくいらしてくださいました。どうぞこちらへ」
澄ました顔の椎に招かれて、小熊は店内に入る。エスコートしている椎は、振り返って小熊の格好を見た。
リーのデニムパンツにビアンキのベルト。ペンドルトンのウールシャツにニック・アシュレイのショートコート。小熊なりの正装で、今日のために磨いてきた革ショートブーツ以外は全部貰い物。
ちょっと盗み見る積もりだったらしき椎は、振り返ったまま見とれている。着ている物の見た目やお値段じゃなく、ずっと心配しながら帰りを待っていた小熊が、生きて自分の目の前に居てくれるという事実を噛みしめている様子。
店内は既に人で一杯だった。イートイン・スペースだけでなくベーカリーの売り場にまでテーブルと椅子が出され、ほぼ満席になっている。既に何人かは主賓らしき小熊を待ちきれず飲み始めている様子。
パーティーホストの役らしき椎の両親は、忙しげに料理を運んでいた。テーブルに乗った料理は、椎の父が作ったらしきアイスヴァインやハンブルグステーキ等のドイツ風肉料理と、母が作ったらしきチリやガンボ等のケイジャン料理がごっちゃになっていて、その中にあまり上手そうに見えないイタリア料理や、外科医が作ったみたいに正確、精密なフランス料理が混じっている。
奥には椎の祖父が居て、隣に座った浮谷社長にちょっかいを出している。てっちゃんの横にレクサスの女が居た。今日も近鉄電車みたいなマルーンレッドのパンツスーツで、隣にはスキンヘッドの好男子が居た。よく見ると解体屋の棒人間で、汚れた作業ツナギをノーネクタイのスーツに替えただけで別人に見える。隣に座るアイヌの少女が、待ちきれぬ様子で前菜を無視して肉を食べ始めているので、彼女のナイフに手を添えて肉を切ってやっている。慧海と史も居た。黒いワンピースドレス姿の史は人の熱気に圧倒されている様子。横に座る慧海は態度も服装もいつもと何ら変わらず、隣に座る史の父の着ている自衛隊礼服について色々聞いていた。私用のパーティー出席で着ていいのか尋ねていたが、隊には特に規定が無く、結婚式等で着ている自衛隊員は結構居るらしい。
小熊は最奥の上座らしき席に招かれた。隣には既に礼子が座っている。彼女の正装はやっぱりというかブルーグレイの作業着上下。数年前の大規模震災で閣僚がこの格好をしている姿を見た礼子は、何か凄い影響を受けたらしい。
小熊が着席すると同時に、ル・ボルミエのノンアルコール・スパークリングワインを注いだ椎の父が皆に向かって言った。
「では、わが友人たる小熊君と礼子君のボランティア活動終了と無事生還を祝して、二人の英雄に乾杯!」
既に飲み始めている参加者たちは、形だけグラスを当て合い、中身を飲み干してまたお喋りを再開した。テーブル上の料理がどんどん無くなっていくので、小熊も自分の分を切り分けた。
隣の礼子が黙ってグラスを差し出してくるので、小熊も何も言わず自分のグラスをぶつけた。皆をかきわけて小熊の横にちょこんと座った椎が、自分のグラスを当ててくる。
あと三ヶ月で、自分は礼子や椎と別々の道を行くことになる。それは何の意味も無いだろう。カブがあればいつでも会いに行ける。とりあえず会おうにも会いにくい鉄格子の中に入ることだけ気をつけていればいい。
雑多な料理とスパークリングワインのパーティーは、小熊と礼子の明日の学校のことを考えて一旦お開きになった。大人たちはこれから改めて飲み始めるらしい。小熊はもう一度椎の両親と皆に礼を言い、熱気の篭ったBEURREから外に出た。
皆のグラスに注がれるワインやビ-ルを名残惜しそうに見ていた礼子も引っ張り出す。椎は大人たちの騒ぎの真ん中で眠っていた。慧海は史を家まで送るといって、ついさっき店を出て行った。
小熊と礼子は各々自分のカブに乗る。本当にあのスパークリングワインにアルコールは入ってなかったのかと疑いたくなるくらい頭がぼうっとしていたが、外の冷気の中でカブに跨り、キック始動させたエンジンの振動に身を委ねていると、我が家に帰ったように気持ちが落ち着いてくる。
これから動画サイトの生配信を見ながらエンジンをオーバーホールするという礼子は、慌しく帰っていった。小熊も自分のアパートに向けてカブで走り出す。
カブのヘッドライトを頼りに暗闇の中を走っていると、自分が一人で居ることを実感する。こんな気持ちを味わいたいからこそ、移動手段として電車やバスではなくカブを選んだのかもしれない。皆と騒がしく過ごすのも、自分で思っていたより楽しかったけど、やっぱり最も長い付き合いになるのは、孤独という友達らしい。
思えばカブに乗るようになってから、色んな人間と知り合った。礼子と出会い、椎と出会い、それから幾つもの出来事を経て、今夜一緒に過ごした人たちと知り合った。
もし自分がカブに乗っていなかったら、学校でもそれ以外の世界でも、自分はずっと一人だったかもしれない。もしそうなっていたら、一人の時間は充実したものではなく、ただの苦行になる。きっと生きることが辛くなっていた。
カブに乗っていたから、自分なりのカブの乗り方で居続けたからこそ、人と人の関係が生まれ、皆と一緒の時間を楽しむことが出来て、一人の時間が楽しくなる。きっとこれからも、カブに乗り続ける限り人と触れあう機会は訪れるんだろう。
スーパーカブは、小熊に宝石のように輝くものをもたらしてくれた。
スーパーカブ4(終)
スーパーカブ4 トネ コーケン @akaza
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