第42話 人間関係
二本目のマオタイ酒がレクサスの女の口を軽くしてくれたらしく、小熊は有益なのか無益なのかわからない情報を色々と聞くことになった。
専攻する民俗学のフィールドワークを行うため、北日本に滞在していた棒人間が、東京まで連れ帰ってきたアイヌの少女。レクサスの女から奇祭の生贄という言葉を聞いた時は、マオタイ酒が脳に回って妄想と現実の区別がつかなくなったのかと思ったが、詳しく話を聞いたところ、アイヌといっても曽祖父の代で縁戚関係があるだけの家に生まれた娘で、両親は北関東からの脱サラ移住組だった。
北海道でイベント企画会社を興したアイヌ少女の父母は、地元の観光資源となっていた奇祭のプロデュースを受け持ち、娘もそれを手伝わされていた。
奇祭の実行とその収益に社運を賭けていた両親に、祭祀の経理や設営だけでなく、アイヌの格好でパフォーマンスまでやらされていた少女の私生活は制限され、交友関係も進学もままならない暮らしを強いられていた。
少女はブラック企業やブラックバイトがニュースで話題になる中、やむをえないものとして見過ごされがちなブラック家業の犠牲者だった。
娘に非人間的な暮らしから救い出してほしいと乞われた棒人間は、傍観者に徹するという民俗学研究者の立場を捨てて、少女を自分のXLR250に付けた荷物ボックスに詰め、観光客や移住者を歓迎しながらも厳しい監視が行われている村から少女を連れ出した。
人一人を箱詰めにしてバイクで運ぶことが可能だなんて信じられないとレクサスの女は言っていたが、バイク便の人間が使う業務用のFRPボックスなら、体格によっては問題なく入れられることは、身長一四〇cm弱の椎で確かめている。椎より少し大きく一四〇cm台後半の浮谷社長を詰めてみたこともあった。浮谷はあちこちの骨をゴキゴキ鳴らしながら「痛い小熊ちゃんもうやめて!」と言っていたが、やめようとすると「やめないで!」と言うので、小熊が蓋の上に尻を乗せて強引に詰め込んだところ、入らなくもないことはわかった。浮谷はその日の午後、ずっと首と右足が曲がりっぱなしだった。
少女の両親は棒人間を未成年者略取で訴えると息巻いていたが、棒人間は少女が勝手に荷物箱に入り込み、東京に着くまで気づかなかったと突っぱねると、少女の扱いについて後ろ暗いところもある両親は告訴を躊躇し、少女が自分の意思で帰ってきてくれることを期待したが、少女は両親や公的な扶助機関のところに行くことを拒み、棒人間の側を離れようとしなかった。
その後、少女が東京で生活の基盤を整え、自活出来るようになるまで、棒人間は保証人として少女を扶助し、少女の大学進学と共に一切の関係を絶った。
大学生になってからも事あるごとに棒人間のところに来る少女から離れるため、棒人間は少女の通う大学とその寮から近い自分の大学を離れ、山梨で暮らし始めたという。
レクサスの女は棒人間の行動とその理由について理解できない様子だったが、小熊には少しわかる気がする。
人との関わりを避けて生きてきた人間も、何かのきっかけで変わることがある。小熊にとってそれはスーパーカブだった。あの棒人間を変えたのは、地方奇祭とその正体だったのかもしれない。
旧家に居つく幽霊と呼ばれた存在の正体が、人買いの商品だった話や、忌み地の伝承が、山菜や茸を独占するためのものだったり、逆に災害リスクの高さを地名に残している場所が、住宅開発で全く別の地名になった話など、民俗風習の生臭い裏話は幾らでもある。そして地方奇祭で動く金と利権に踊らされた人たちによって、弱き者が犠牲になることで生み出される現代の生贄。
きっかけが何だったのかは知らないが、とにかく棒人間は一人の少女と、それにまつわる多くの人たちの人生を変えた、そして、それまで人間関係に縁の無かった人間には強すぎる他者の感情を受けた棒人間は、やがて自らそれを拒むようになった。
今はスーパーカブのおかげでそれなりに人間関係を構築出来たと思っている小熊は、自分もいずれそうなるのだろうかと思った。大学に入ってからも、周囲の人に恵まれるとは限らない。人との交わりに対する拒絶反応かリバウンドのように、また孤独な生活に戻ってしまうのかもしれない。少なくともあの棒人間がそうなってしまうのなら、自分もいつかそうなる。
レクサスの女は、自分が変えることの出来なかった棒人間をあっさり変えたアイヌの女を憎んでいる様子だったが、女として少女の気持ちはわかるといった感じで言った。
「未練を持っているのはあの子じゃなく藍地くんなのよ。離れることがあの子のためだと思いつつ、自分の目が届く二つ隣の県までしか行けない。女は男のためなんて考えない、ただ一緒に居て楽しいからその人のとこに行く、つまらなくなったから去るのに」
それまで黙って話を聞いていた小熊はお茶を一口飲み、それからレクサスの女に言った。
「それで、あなたはどうしたいのですか?」
レクサスの女は酔っ払いの中でも、特に小熊の苦手とする状態になったらしく、涙混じりに言った。
「一緒に居たい。藍地くんと一緒に居たいに決まってるでしょ?また藍地くんと大学で研究を続けたい。わたしは藍地くんが好きなの!だったら好きな男を自分の望む方向へ善導するのは当然でしょ?」
一緒に居られない最大の理由はそこだと言いたくなった、酒も人間関係も、一度強いものを味わって苦手になった人間に、強い酒や濃い人間関係を押し付けるような真似をすれば、顔をそむけられるのも当然のこと。
しかし、小熊には複雑に絡んだ彼らの人間関係と悩むを解決することなど出来るわけない。小熊はただ、自分にとって有益な解体屋が、落ちついて買い物も出来ないような状態になることだけを回避したかった。それから、もしかして少し未来の自分の姿かもしれない棒人間の生活に変化をもたらすことが出来るなら、そうしたいとも思った。
小熊は食事中のマナーを破ってスマホを取り出し、入力して以来まだかけたことのない番号を呼び出しながら言った。
「もしかして、今の状態を多少なりとも変えることが出来るかもしれません」
人間の心理などわからない小熊にも、物理的な対処方法なら幾つか思いつく。それすら小熊の手に余るなら、今まで積み上げた人間関係を使い、人を頼ればいい。
電話先の相手はまだ起きていた。向こうも飲んでいる様子。挨拶を手短かに済ませた小熊は、電話の相手に、ある物の入手方法について尋ねた。
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