第3話 そんなクリスマス

 終業式が昼前に終わったので、行政無線のスピーカーが正午のチャイムを鳴らす頃に小熊は家に着いた。

 鯵フライのサンドイッチを作り、冷蔵庫から出したポットのジャスミン茶をマグカップに注いだ小熊は、片手で食べながらスマホを取り出す。

 椎からの誘いを断ったのには訳がある。二学期の終業式が終われば、その後は冬休みで、小熊には帰る実家も無ければバイトの予定も無い。

 連続した休みが取れる間に、小熊は自分のカブの大掛かりなメンテナンスを済ませたかった。秋に訪れた連続的な故障で部品の多くを取り替えることになったが、全ての消耗品が新しくなったわけじゃない。


 交換を動作の怪しい中古品で済ませたこともあったし、着脱の作業中に別の箇所が気になったが、とりあえず今動いているのでそのままにしている部分もある。

 学期中はカブの状態がどうであれ、毎日の通学や生活の用に使わなくてはいけないため、整備作業は翌日に持ち越すことが出来なかったが、冬休み中なら思う存分カブをバラバラにすることが可能となる。

 整備はカブを維持するための義務的な作業だけど、昼間に手を動かしていても食事や風呂の時間を過ごしていても、あるいは寝ている間もだんだん頭の中がバイクの事で一杯になる感覚は嫌いじゃない。


 とりあえず現状で抱えている最も大きな問題は、あと三ヶ月の間に決めなくてはいけない東京の新居だけど、不動産屋も休みを取る年末年始に何かしても得られるものは無いだろうし、まずは動き回るために必要なカブを安心して走れる状態にしなくてはいけない。

 あれこれと自分に言い訳をしつつ、これから過ごすことになる充実した冬休みに思いを馳せた小熊は、フライした鯵の骨を噛み砕きながら、スマホを手にしながら相手の番号を知らないことに気づいた


 小熊が電話しようと思ったのは、ホンダが主に業者のために製品のパーツを供給している、部販と呼ばれる場所。今日の午後にカブの部品を買いに行くため、昨日までの整備中に必要な物のリストアップは終えている。

 カブの維持に必要となるホンダ純正部品は、細々とした消耗部品は割引値段で出してくれるシノさんの店で買っているが、ある程度纏まった部品を買う時は部販か通販で買っていた。

 あの部品はあってもこの部品が無いとなると、あちこち走り回ることになるし、それでもシノさんの店を通して買うほどの義理があるわけでもない。

 シノさんも少々の部品購入を盾に店の整備設備を占拠する、小熊や礼子のような金にならない客が来るとあからさまにイヤそうな顔をする。もっともシノさんが小熊たちを疎む最大の理由は、店に飾っているバイクのミニカーやプラモデル、ラジコン等のオモチャに、小熊も礼子も興味を示さないことらしいが、徹夜で調色した塗装を二十時間かけて磨きこんだと言われても、いい年した大人が子供のオモチャで遊んでいることには変わりない。


 部販の場所についてはもう何度も行っているので知っている。営業時間も、終業間際に駆け込んだことが何度かあったので覚えている。小熊が知りたかったのは仕事納めの日。

 部品屋だけでなく工具店、もちろんバイク屋も年末年始は休みになる。それゆえに冬休みは他の長期休暇と違って、早いうちに部品を揃えなくてはならない。

 電話で聞かずとも、部販のウェブサイトには小熊のスマホでアクセス出来るが、派手な効果音と共にメニューが動画で見られるファストフードやファミレスのサイトに比べ、簡素な部販のウェブサイトに載っているのは、所在地と概要くらいで、正月等の臨時の休日までは載っていないと思った。それにスマホで検索して調べるより、電話一本かけたほうが早い。

 その電話番号が分からず時間を空費している。鯵の尻尾を皿に吐き出した小熊は、部販でパーツを買った時に貰う納品書に、連絡先が書いてあることを思い出した。


 食卓を兼ねた学習机の引き出しを開け、ジップロック袋で仕分けされた書類の中から、カブに必要な出費の領収書をまとめた袋を取り出した小熊は、鯵フライの最後の一口を冷たいジャスミン茶で流し込みながら、自分のやっている事を顧みた。

 今日はクリスマスイブと呼ばれる日。他の生徒も予定のある無しに係わらず浮わついた空気になる頃、部品屋の伝票を探している。

 もしかして自分は世間から浮いているのかもしれない。椎のようにクリスマスの夜を楽しもうとする女子とは別種の生物になってしまったら、将来において色々と困るのではないか。 少なくとも礼子みたいにクリスマスと聞いても稼ぎ時としか思わない人間になってしまったら人としてお終いだと思う。

 とりあえず今日やると決めた用は済ませるけど、せめて来年の今頃、東京の大学生になった自分は、こんな日とは違ったクリスマスを過ごしたいと思いながら、以前パーツを買った時の納品書を引っ張り出した小熊は、ジャスミン茶が苦すぎたような顔をした。

 

 確か去年の末。今と同じように年末年始の休みに備えてパーツを買った時の納品書には、小熊が知りたかった電話番号も載っていたが、その上に印字された日付は、十二月二十四日だった。

 一年前のこの日から今まで、小熊は自分がカブの扱いだけでなく、人間関係や生活の質についても、善いほうに変化したものと信じていたが、結局クリスマスイブの過ごしかたは変わっていないことに気づいた。来年の今日、自分がどうしているかまで教えられた気がする。

 いささか萎えた気力をふりしぼり、甲府の部販に電話して年末の休みを確認した小熊は着替えてカブに乗り、ホンダ純正のラベルが貼られた自分へのクリスマスプレゼントを買いにいった。

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