第七章

壊滅都市 ~繁華街~ 前編



 1



 劇場から外に出ると、雨は既に止んでいた。空は未だに暗雲が立ち込めている。

 ただ少しだけ、先程は気付かなかったものがあった。


「煙……いや、あれは火か? あの方向は……確か繁華街だったか」


 博物館とは反対側、つまり劇場の先には壊れたビル群が連なっていた。ツチノコはしばらく考え事をしていたが、やがてちらりとサーバルの方を見ると目を剥いた。


「えっ……あ? な、んで……この音……この音って…………ぃ、ゃぁ……」


 震えている。ガタガタと、繁華街の方向を見ながら震えているのだ。

 傍らで同じ音を聞いてるであろう博士が、ポツリとその単語を零した。


「………………爆撃」


 博士が慌てて口を抑えた時には遅かった。

 サーバルの肩がビクリと震えた。ということはそれで当たりなのだろう。

 顔は青白い。

 悪いなんてものじゃない。何か、心の奥へ必死に押し込めていた何かを無理矢理引っ張り出されたかのような表情。言い換えるとしたらこの言葉が的確だろう。

 トラウマ。

 もう二度と味わいたくない。そう思えるほどの絶望を見た瞬間こんな顔をするのか、していいのかと思うほどの顔。

 何を見たらあそこまでなるのだろうか。例えば、目の前で知り合いが爆撃によって死ぬ光景でも見せられたのだろうか。

 ツチノコは小さく舌打ちをする。

 何を経験したかなんて知る術はないし聞こうとも思わない。でもはっきりさせなければいけないことがある。

 サーバルの胸ぐらを掴み、顔を強引にこちらへ振り向かせる。


「しっかりしろ! いいか、アレはセルリアンに向けて撃たれてんだ。オマエやオマエの周りに撃たれてるんじゃねぇ!! おい聞いてんのかバカ!!!!」

「…………、」


 分かっている。そう訴えるような目だった。

 彼女は分かっているのだ。あの音が爆撃機から発せられるもので、それがセルリアンに向けられていて、自分が考えているような展開にはならないのだと。

 それでも、分かっていても拭いきれないものがあった。

 ツチノコもそれは理解している。トラウマとはそういうものだ。

 だが立ち向かってもらわなくては困る。そう言いたげに、博士は腕を組む。


「これは私の我儘なのです。この言葉でお前がどう感じるかなんて分からないのですが……でも、それでも言わせてもらうのですよ。。他の誰でもない、お前に止めてほしいのですよ」


 サーバルの顔が明確に歪む。目を逸らし、誰とも顔を合わせない。きっと、それだけは聞きたくなかった言葉だったのだろう。

 ポツポツとサーバルの口が開く。


「……分かってる。あれはわたしたちには関係がないことだって。どうして博士がそこまでわたしを信じてるかは分からないけど、わたしもこのまま終わりたくない。でも、怖いの……。のは、やっぱり怖いんだよ。だから……」


 サーバルが顔を上げる。

 次に続いた言葉は博物館で聞いた時とは少し違って聞こえたけど、それでも、込められた意思だけは伝わってきた。


「だから、力を貸して。かばんちゃんはわたしが絶対止めるから、それまで隣にいてほしいの」


 ツチノコはその決意を汲み取った。博士は何も言わなかったが、きっと掴み取ったはずだ。

 一言だった。

 しかしそれにはこれ以上にもない強さを持った何かが宿っていて、サーバルを奮い立たせるには充分な力があったのだ。


「おう」

「任せるのです」



 2



 うじうじ悩むのはもうやめた。

 前に進む。それしか残されていないのなら、悔いのないように歩めば良いのだ。

 そんな折、博士は何かを思い出したのか小さく声を漏らした。


「この先は繁華街、そして爆撃が聞こえたとなるとまだヒトが残っている可能性があるのです」

「それなら力を合わせてセルリアンと戦えるかも!」

「……いや、そう楽観視出来る状態でもないだろう」


 ツチノコは険しい顔のまま言った。そこでサーバルも気付いた。

 思い出してみよう。最初、ヒトが自分たちにどんな反応を示したかを。


「アイツが無線機に介入できたことを考えると、ヒトも連絡手段を絶たれている可能性が高い。となれば向こうの認識は更新されず、『フレンズは自分たちの縄張りを荒らす敵』のままだろう。となると突っ込むだけ危険だ。博士やオレは誤魔化そうと思えば誤魔化せるが、オマエは耳と尻尾が動かぬ証拠になっちまう」


 そこまで言われて困った。

 確かに自分の耳と尻尾はフレンズという証明になるだろう。しかしそれを隠す手段がない。

 だが博士はニヤリと笑うと、


「そこはちゃんと用意してあるのです。これを見るのです!」


 じゃじゃーん! と効果音でも鳴りそうな調子でバッグから何かの液体が入った容れ物を勢いよく取り出した。


「……、」

「……、」

「これはフレンズとしての特徴を一時的に無効化する薬なのです。つまり見えなくなるわけですね。特徴が無くなれば多少のカモフラージュになるはずなのですよ」


 サーバルとツチノコは博士の手にしているものを見て顔を青くする。

 緑色なのだ。

 中に入っている液体が飲み物とは思えない色をしている。もうなんか、失敗して出来上がった料理もうどくみたいに見えた。

 そして同時に二人の驚愕は一周回って恐怖に変わっていた。

 この長、自分たちがその猛毒(暫定)を見てドン引きしていることにどうして少したりとも気付いていないのだ!?


「というわけでこれを飲むのです」


 この何処か抜けてるかも疑惑が漂い始めた長、さらっと言いやがった。

 もう叫ぶしかない。


「「ごめんちょっと無理!!!!」」


 猫と蛇対ふくろう

 飲みたくない意地と飲ませなくてはならない意地でちょっとした取っ組み合いが始まった。



 3



「別に飲んだからと言ってお腹なんて壊さないのです。何を心配しているのですかお前たちは……」


 分かっていらっしゃった。その上で言っているのだからこの長は本当に底が掴めない。

 悠長に話している博士から察せられると思うが、取っ組み合いは博士の一人勝ちとなった。サーバルとツチノコ、その二人を器用に組み伏せて口に例の薬を突っ込んでいる。ここだけ見ると罰ゲームみたいな光景だった。

 何だかんだ言って全部飲み干したツチノコが不機嫌そうに口から瓶を吐き出すと、


「で、具体的に何なんだこれ。……よく分からないとか言ったら本気でぶん殴るからな」

「落ち着くのですツチノコ。これの原料はサンドスターですが、アンチ・セルリウムの応用で作られているのですよ」

「でもこれ苦いよ博士ぇー……」


 二人が飲み干したのを見届けるとようやく解放する。

 サーバルは目をキラキラさせながら、


「これ飲めばヒトになれるんだよね!? えへへ楽しみだなぁ」

「えぇ、個人差はあるものの、お前は特に効果が出るはずなのですよ。夜に寝て昼に起きるお前は一番ヒトに近いのです。ちょっと強く考えるだけで充分のはずなのですよ」

「へぇ……そんなすごいの作れるなんて流石だね博士!」

「当然なのです」


 サーバルは自分のことについて振り返ってみた。

 サーバルキャットが元々どうやって過ごしていたかはもう思い出せないが、かばんと長く過ごした影響か自分のあり方はヒトに近付いているのかもしれない。

 ……あの『かばん』はそうするためにあの無限の地獄を創り出したのかもしれないが。

 複雑な気持ちで口を閉ざしていた時だった。

 全身の感覚が変わっていくのを確かに感じたのだ。

 視覚、嗅覚、聴覚。それらの捉え方が変わっていく。

 匂いはさほど感じられなくなった。

 音の聞き分けが鈍くなっていくのを自覚していた。

 そして。


「オマエ……それ…………」


 ツチノコが目を丸く、一方博士は誇らしげに胸を張っていた。

 サーバルはよく分からないが、それほどの何かがあるのだろう。


「…………?」


 違和感というよりは無感覚。麻痺した状態に近いだろうか。

 腰より少し下。後ろについている部位。

 つまりは尻尾。その感覚が無いのだ。

 確認してみれば確かに見えない。


「あれ?」


 頭に手を乗せてみる。

 無い。

 音を敏感に捉える耳が、無い。


「え、みゃ!? 耳がない、尻尾も!?」

「薬の効果なのです。お前は今、ヒトになっているのですよ。ちょっとこれで自分の姿を確認してみるのです」


 同じくバッグから取り出したそれ。『何で鏡なんて持ってきてるんだ……?』とツチノコが怪訝な顔で呟いていたが、それほど持ち歩くのに珍しいものなのだろうか。

 板のようで、反対側の景色を反射して見せる物。それで自分の顔を確認すると、驚きでその目を見開いた。

 髪からMの字が消えている。大きな耳は名残すら無く、目の色は金色から青っぽい黒に変わっていた。

 どことなくかばんの面影を感じるのは、やはり彼女の形がヒトの象徴だからだろうか。

 興奮しているサーバルに、ツチノコが咳払いを一つ。


「オレたちは今後の予定を話し合う。オマエはちょっとそこら辺ぶらついてろ。あまり離れるなよ」

「その状態の具合でも確かめてみると良いのです。フレンズの時とは大分違うと思うので」

「うん、分かった」


 その時、光る何かが目に入った。距離はそれほど離れていない。辛うじて原型が残っているビルの廃墟からだ。不気味さは残るものの、助けを呼べば届く範囲であることを確認して中に入っていく。

 中は瓦礫の山だった。中にある、ヒトの生活に必要な道具などは散乱していて、天井には大きな穴が空いている。


「誰か、いるの……?」

「いますよ」


 女性の声だった。どこかで聞いたような、誰かに似ているような声だったが、積み上げられた記憶がそれを阻害する。

 距離を測るほどの精密さはもうサーバルの耳にはない。だが声の方向だけは把握し、そちらに意識を向けた。


「えっと、あなたは……? ヒト、だよね? 逃げ遅れちゃったの?」

「そう、ですね……。そんなところです」


 歯切れが悪い。何かあるのかとも考えたが場所が場所だ。いつ倒壊してもおかしくないだろう。ともなれば最優先事項は決まっている。


「じゃあ逃げないとっ。待ってて、すぐ出してあげるから!」

「大丈夫ですよ、避難経路は確保してあります。そんなことよりも、そこにあるクローゼットを開けてみてください」


 小首を傾げ、辺りを見渡す。クローゼットと言われるものが何かはよく分からないが、壁には開閉できる扉があった。

 扉を開く。

 そこには様々な毛皮が用意されていた。一本の棒に三角形に近い奇妙なものを使って掛けられている。


「私には必要ありませんので持っていってください。きっと役に立つはずです」

「……どうして?」

「?」

「どうして、助けてくれるの? わたしたちは、あなたたちにとって敵なんじゃないの?」


 問いかけてしまった。

 きっと、これは以前であればやらなかったことだ。パークにいた頃の自分であれば、ここで一言ありがとうと言って立ち去っていただろう。

 それが出来なくなっていた。

 顔も名前も知らない誰かを信じるという行為が出来なくなっていた。

 心に歪みを起こしたその鎖は、今も彼女の心を蝕んでいるのだ。そしてそれは、永遠に解けることはない。皮肉にも、かばんが陥ったと思われるあの感情だった。

 今サーバルと対話しているヒトがそれを感じ取ったとは思えない。数十年共にしても相手の心底を読み取ることは難しい。それを数回の対話で為せるわけがないのだ。

 それでも。

 返ってきた言葉の芯は太く、強く、真っ直ぐだった。


「……信じているんです。信じて、いたいんです。私は、いつまでも」

「っ」


 その言葉はサーバルの言葉を明確に詰まらせる。

 反論できない、いや、したくない感情が言葉を紡ぐことを阻害する。

 反論はしない。したくない。だから、その言葉だけを告げた。

 僅かに震えている、その言葉を。


「……ありがとう」


 告げた直後だった。


「おい」

「みゃ!?」


 肩が跳ねた。慌てて振り向くとそこにはツチノコが怪訝な顔で立っている。


「一応話の片が付いた。行くぞ。……誰かと話していたのか?」

「うんっ。優しいヒトがね、わたしたちにこれをって!」

「毛皮だな。……ん? ヒト? ここにはヒトなんて何処にも──」

「いっぱいあるなぁ。えへへ、これ博士にも見せてくるね!」

「あ、おい!!」


 行ってしまった。毛皮を両手いっぱいに抱え、博士に誇らしげに見せている。その表情は明るく、付き合わされている博士は呆れた様子だった。

 一段落するとツチノコを呼ぶ声がする。コロコロと立場が変わるサーバルにツチノコも呆れながら、すぐに行くと返事をし、もう一度ビルの中を覗いた。今度はちゃんと、ピット器官に意識を向けて。

 その場に立ち尽くし、彼女は一人でポツリと、確かめるように呟いた。


「……何処にもいない、はずだよな?」


 ツチノコを呼ぶ声がする。

 今度こそビルから目を離し、二人の元へ戻っていった。



 4



 種類のある毛皮の中から取り出したのは黒いスカートだった。二段に分かれフリルが付いており、丈は元の毛皮と一致している。いつも首元に付けているものも黄色の蝶ネクタイに差し替えられた。因みにフリルやらスカートやらの毛皮の別称は博士が逐一ちくいち教えてくれたものである。

 着替えた後にリュックを背負い、かばんの真似事として帽子をかぶる。そこで首を傾げた。


「あれ? ツチノコは変わらないの?」

「……オレはまだフレンズとしての特性が強いんだ。ヒトになるにはもう少しかかるんだよ」

「そっか、そういえばヒトになるのは〝こじんさ〟があるんだもんね!」

「あぁ。それまでオレは尻尾さえ隠せばいい。特徴なんてこいつくらいだからな」


 うきうきでくるりと回って自分の姿を確認する。そのヒトとは変わらない姿がサーバルに新鮮さを与えてくれた。

 それを横目に、ツチノコはサーバルには聞こえないくらいの小声で博士に耳打ちする。


「(なぁ、さっき博士が飲ませたやつは薬じゃないんだろ?)」

「(……まぁお前には効かないだろうとは思ったのですよ。えぇ、あれは薬ではないのです。健康にいいとかいうヒトの飲み物なのですよ)」


 ツチノコはサーバルがヒト化して助かったと思っていた。

 今サーバルの身体能力は格段に落ちている。木登り程度なら出来るだろうが、以前のような跳躍は不可能だろう。それに伴い、フレンズ特有のあの優れた聴覚は失われているはずだ。ともなれば、今の会話は聞かれない。

 サーバルに聞かせたくない理由。それは、


(ヒトだと強く意識すればヒトと変わらなくなる、か……)


 知っていた。

 その事自体は耳に挟んだことがあった。何をバカな、なんて思ったが、今のサーバルを見たらそれが本当のことだと嫌でも思い知らされる。


「博士ー! ツチノコー! 早く行こうよー!!」


 サーバルが呼んでいる。元気よく手を振っている様子を見ると、どうやら


「…………行くか、博士」

「分かっているのです」


 少し小走りをしてサーバルに追いつく。

 爆撃の煙は天に向かって伸びている。

 そして。

 彼女たちはその戦場に足を踏み入れる。

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