終ワレ、天ニ煌メク星々ノ如ク
37
ヒントはいくらでもあった。
例えば。
港街でかばんが説明した、あの時。
『「女王」の権能。具体的に言えばセルリアンを思い通りに動かすものですが、それに加え、セルリアンとの感覚の共有なども出来るようになります──』
例えば。
研究所で資料を読んだ、あの時。
『火山の奥深くに変異したセルリアンを確認。今までの報告書から無力化されたと思われていたセルリアンの女王と推定──』
例えば。
ジャパリパークで、ボスが言葉を発した、あの時。
『「女王」トノ接続ヲ確認──』
気付くべきだった。
念頭に置いておくべきだった。
博士が言っていた、最悪の場合。
それは、かばんが自分のしていることを正義だと認識していることだと言っていた。
だか違う。
そんな生温いものではない。
あの時、博士は躊躇っていた。何かを言おうとして、別の言葉に置き換えた。きっと、それを伝えてしまえばかばんとの衝突は別のものになっていて、結末もまた違っていたのだろう。
だから、掛ける言葉はあれで正しかった。
しかし、それは『最悪の場合』を表舞台に引きずり出す一種の自殺行為だ。
かばんすら手のひらの上で弄ぶ存在がいるという事実そのものが、最悪と呼べるものだった。
38
中央都市。
ツチノコ、ヒグマを始めとしたセルリアンハンター、ヒト。それらが勝利の余韻に浸っている時だった。
事象が逆転する。
崩れ、消えたセルリアンが、まるでビデオを巻き戻すようにその姿を取り戻していく。
しかし、その造形は見慣れた無機質な黒一色の四足動物ではない。
大きく誇大化した球体の色はあらゆる色で濁っており、更にこれまた規則性のない無数の触手が、至るところから生えている。
囲むように上側面に生える触覚のような角が六つ。
中心にあるのはぎょろぎょろと動く大きな一つの目。
ヒグマを始めとした、パークにいたフレンズは知っている。
あの島で猛威を振るい、黒セルリアンすら捕食する危険物として最重視される存在。
「何で……新種のセルリアンがここに……」
「新種のセルリアン……? あれが? いや、まさか、そんな……」
そして、ツチノコもまた知っている。
実際に見たわけではない。実物を見たのは今が初めてだ。
だが、知っている。
ほとんど伝説に近く、残っている文献も数えられるほどしか残っていなくても、その一端を知識として頭の中に留めていた。
博士すら知らない、図書館からは抹消された情報の一つ。
昔、ヒトがまだ栄えていた時代で現れた女王と呼ばれるもの。
──その先で過剰進化した、一つの破壊の化身。
だからこそ、それは絶望だった。
改めて、もう一度言おう。
崩れ、消えたセルリアンが、まるでビデオを巻き戻すようにその姿を取り戻していくのだ。
一匹や二匹ではなく。
一〇匹や二〇匹でもなく。
冗談でも幻覚でもない現実として、眼の前に広がっている。
無数の、今まで戦っていた全てのセルリアン。
それらが例に漏れず、女王化した個体になったのだ。
ヒトが慌てたように叫ぶ。
「おいどうなってんだ! 話が違う……戦いは、悪夢は終わったんじゃなかったのか!!」
「分からねぇのか!!」
対して、ツチノコも叫んでいた。
再構築されていく女王型セルリアンを見ながら、ただ拳を握る。
かばんが行うことにしては意味がなさすぎる。女王の姿をきちんと記憶している者など、今の時代にはほとんどいない。外見を変えるにしても、姿だけで絶望を与えるには些か不足する。
だというのに、この惨状。
つまり。
「変わっちまったんだよ、支配者が!! 機械のフリをしたヒトから、ヒトのフリをした機械にな!!」
ツチノコは、居ても立ってもいられなかった。
「おい、ここを任せられるか」
「どうだろうな。正直なところを言うと、あまり長くは保たないと思う」
でも、とセルリアンハンターは口元を緩めると、
「行けよ。お前にとって、そっちのほうが重要なんだろ」
「……任せたぞ」
「任された」
ツチノコは走る。
一度引き返した道だ。迷うことなどない。
その片手は拳を作り、もう片方には無線機が握られていた。
39
中央都市だけではなかった。
いいや、そもそもヒトのちほーだけではなかったのだ。
キョウシュウエリアも、ゴコクエリアも。
世界のあらゆるところで、女王型セルリアンが量産される。
そこにもう不殺の誓いはない。
薙ぎ払うだけで死人ができ、今まで通り戦えば間違いなく滅亡する。
本当の戦いとは。
戦争というものとは。
犠牲無しで終わるほど、都合の良いものではない。
40
セルリアンの女王。今までに何度か見聞きした名だ。
セルリアンの頂点に立ち、その昔ジャパリパークを混乱に貶めた異変の元凶。
『
「……っ?」
たった一言。
冷淡で、機械的で、抑揚も感情も感じない。台本を読んでいるような、そんな平坦な声。
知識の乏しいサーバルには、その音の並びは理解できない。
だから。
次に起こる出来事に対し、何も出来なかった。
『──
それは、あらゆる想像を凌駕して君臨する。
七つの石が全て黄金に染まり、女王の額が瞬いた。
いつか戦った、ここでは見るはずがない鉄すら両断する一撃。
下から、上へ。
サーバルの真横を掠め、周囲をまとめて吹き飛ばす。けものの体も簡単に持ち上げて、数メートル先に叩きつけられた。
「っ、……ぇ……」
空が見える。
ここは地下だったはずだ。
階層は分かれているとはいえ、それでも地中深くにあるはずの場所で、なぜ空が見える?
答えは簡単。
遮るものが消えた。
消せるほどの火力を使った。
立ち上がれば、変わらずそれがそこにいる。石の色は黒に戻っていた。
知っている。今の攻撃を。
実際に受けたわけではないが、それでも戦ったことがある。
「ロボリアンの……何で……」
『権限は取り戻した』
「……?」
女王の鞄が禍々しく蠢き、その形状は巨大な玉座を形作る。
そこにゆっくりと腰を据えると、足を組んで頬杖をついた。
女王の名に恥じない威圧とオーラ。
それを放ちながら、女王は薄く笑う。
『そうだな、視覚を共有できない
「え……」
『
冷徹に。
あくまでも冷酷に。
天に座す存在は地を
『今まで
女王が操るのは、かつての女王。
それはもう、女王という枠では収まらない。
女帝。
分岐したところで意味はなく、進化の先を違えても手のひらの上。
それがセルリアンである限り。
女王に歯向かうことなど出来やしない。
『……まずは、分かりやすい絶望から始めよう』
「……っ!!??」
『最初に支配者を再配置。そして──』
パチンと女王が指を鳴らす。
神如き者の鉄槌は。
すぐに来る。
41
恐怖とは身近なものほど強く感じるものだ。
神話に登場する神の、全宇宙を焼き焦がすような想像を絶する大破壊よりも、地震やそれによって引き起こされる津波などの自然災害を恐ろしく感じるように。
そして、住む場所によっては一生涯遭遇することがない津波などよりも、親や友人の怒りを買う方がよっぽど恐ろしいと感じるように。
恐怖の本質は感情の底から湧き上がる生存本能の一種だ。だからこそ分かりやすく、身近で、しかしどうしようもないものに機敏に恐怖を生じさせる。
それは本能の奥底に眠る何かを叩き起こすようなものだった。
ぶわっ!! と。
天が裂けた。
まるで水面に揺れる波紋のように、強い衝撃によって暗雲が晴れたのだ。
星々が輝いているところを見ると、まだ夜は開けていないらしい。
しかし明るい。
太陽は地平線の下にあるはずなのに、その地上は照らされていた。
ここからでも見える、大きな何か。
どこかで誰かが叫んでいた。
「隕石、だとっっ!!??」
歌うようだった。
『全ての輝きはやがて消える。失い、どれだけ焦がれようと、戻ることはない』
笑うようだった。
『しかし今ある輝きはこの手の中にある。かつての輝きも、これより未来の輝きも完全に再現してみせよう』
頬杖をつく手とは逆の手で世界を掴む。
極彩の絶望が天に立つ。
『この地上の生物の情報は、既に再現できる範囲は手に入れている。ならば
サーバルは知らないことだったが、巨大な隕石でも滅亡するには足りない。その昔、陸上を支配していた恐竜を絶滅させたのはその後に訪れた氷河期だ。隕石は純粋な破壊力はあるが、それでは届かないのだ。
だが。
『破滅の火力は
「え……?」
女王は語る。
忘れてはいないか。
セルリアンの特徴は情報の保存と再現。
それと、もう一つ。
『氷河期など起こさずとも、巨大な隕石を見るだけでこの星の生命は滅亡を想像する。ありもしない未来を描き、勝手に絶望する』
やる前に諦めるという経験をしたことはないか。
どうせやってもダメだと、未来が見えるわけでもないのに決めつけたことはないか。
これは、そういう理屈だった。
『そこから再現しよう。破滅は訪れるものではない。
──進化。
その所業は、セルリアンの域ではない。
それは、かつて相対したあの存在と酷似する行為。いや、現実に出力する分、こちらのほうが強大であることに間違いない。
あり得るifを再現するだけではなく、あり得ないifをも再現する。
具体的で情報量が多く、且つ単純な絶望
未知を刺激する恐怖や絶望の上を行く、分かりやすい滅亡。
ここに、神如き王からの神託が下る。
『ご苦労だった、
止まったはずの、止めたはずのカウントダウン。
阻止しきれなかった終末が、その足音を鮮明にさせていく。
「……させないよ」
隕石はサーバルからも見えている。見えているから、直感で察せられる。
あれを落とされたら、何もかも終わる。
やり直しなんて許されない未来が待っている。
そんなこと認めない。
これからなのだ。
折角かばんと仲直りができたのに。
かばんと世界の関係は、またここから始めるはずだったのに。
それすら否定する結末を、認められるはずがない。
『……そうか』
対して、女王は短く呟いた。
忌々しそうにその目を細め、少しだけ、玉座に置いた手に力がこもる。
『やはり、今回も
サーバルが構える。
勝てる見込みなんて無いし、どうすれば勝利というものになるのかすら分からない。
かばんから引き剥がす方法も、一つとして思い浮かばない。
だが、それでも。
嫌だった。何もしないまま終わるのは。
『「前回」と同じ様に行くと思うなよ。いくら
そして。
女王が滑るようにその言葉を口にする。
『──
七つの石が
獅子の頭、山羊の胴体、蛇の尾。動物園で見たセルリアンとは違い、こちらは完全な怪物の姿だった。そしてその怪物は、黒い炎が溢れるように口の端から漏らしていた。おそらく、こちらがキマイラと呼ばれるものの正しい姿なのだろう。
その獣が、火炎を漏らす口を大回りに回してその体を炎で包む。
そして、あの凶悪な速さで襲いかかってきた。
一方、サーバルがしたことは単純だ。
既にセルリアンと一戦交えたためその速度については嫌ってほど思い知っている。だから真横へ跳ねることで、ギリギリのところで回避した。
しかし。
「み……っ!?」
火炎と速度を兼ね備えた一撃はほぼ必殺。サーバルの肌を焦がし、あらゆるところに痣を作る。
大きさを見誤ったわけでも、タイミングがズレたわけでもない。目に見えたわけではないため断言はできないが、
黒サーバルと同じ、極限の速度でも軌道を修正できるようになっていたのだ。
『──
石は真っ赤な緋色に変わり、巨大な顎が形成される。
ティラノサウルス。博物館のセルリアンを模しているのだとしたら、その攻撃を受けることで待っているのは死だ。
まるで振り下ろすようだった。
大口を開いた頭が頭上からまっすぐ落ちてきた。衝撃で床が粉砕され、サーバルの体も宙に浮く。砕けた拍子に飛び散った瓦礫が体を叩く。
『──
藍色の色彩が視界の端に映った気がした。
一度そこで意識を失い、背中から落ちた時の衝撃で目が覚める。
真っ暗だった。
地平線がない真っ黒な暗黒世界。かつて見たリセットされた『世界』。
突破口を見つけるために周囲を見渡す。
そこにいたのはあの少女。
ただ姿が異なる。
白い髪、黒い肌、赤い瞳。
そこにいたのはセルリアン化した少女だった。
片手には拳銃を握り。
片手には炎剣を持つ。
炎剣だけならまだしも、銃撃だけならまだしも、どちらも兼ねた攻撃は経験していないのだ。
だから、体は咄嗟に動かなかった。
また、肌を焼く嫌な音がした。
「みぃぃっっ!!」
瞬きすればその『世界』はどこにもない。
『──
七つの石は緑の色彩を纏うと同時に、女王が指を鳴らす。
サーバルの周囲の虚空が瞬いた。
直後、その位置が爆発する。サーバルは爆風と衝撃で、空中へと投げ出された。
『──
青色が世界を淡く染める。
空中で身動きがとれない状況で、それは飛び出した。
床だったから地面から現れたのは、黒い布のような触手。何本もあるその触手は、サーバルの体を次々と貫いていく。
「っ!?」
そしてそのまま、周囲へ何度も何度も叩きつけた後、瓦礫の山に向けて横へ振り放った。
背中から直撃し、肺の空気を全て吐き出す。声は出ず、呼吸すらままならない。
視界が明滅していた。
『……こんなものか』
嘲る声が聞こえてきた。
『野生本能だけではその先にある業には届かない。業の本質は悪意で覆われた原初の欲望、即ち本能だ。無策で愚直に、ただ闇雲に立ち向かってどうにかなるものではない』
立ち上がろうと四肢に力を込めるが、分かるのは肉体が震えることだけだった。動こうとしても脱力してしまうそれに、サーバルは心当たりがないはずがない。
超巨大ヒト型セルリアン、黒サーバル、かばんとこれまで連戦を重ねてきた。サンドスターの補給なんてする暇がなく、一方で野生解放と分解の影響で急激に消耗している。
ここが、ちっぽけなけものの限界だった。
『終われ、
視界が特定の色に瞬いたが、それが何色なのか正しく認識できない。
何かが、聞こえる。
炎? 触手? 輝きの略奪?
分からない。
それを認識するためのエネルギーすら残っていなかった。
何かが迫るのを感じながら、サーバルの意識はまるで深海のような、真っ暗な深淵の底へ沈んでいく。
……その時だった。
『──大丈夫なのです』
頼りがいのある声だった。
耳を澄ませば、どうやら音源はかなり近くにあるらしい。
混濁の意識を揺さぶるように、その声は落ちかけた意識を引きずりあげる。
『まだ、まだ我々は終わらないのですよ。お前もそうでしょう? サーバル!!』
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