一つの戦いの終わり
31
世界の極点で、二人の少女が激突した。
正確にはかばんの一撃を、サーバルが真正面から受け止めたのだ。
芯はなく、核もない、火だけで構成された炎剣を。
その腕で受け止めた。
焦がす匂いが鼻腔をつく。
肌を焼く音が耳を刺す。
──どうしてだ。
『どうして、どうして諦めないんですか! もう少しで、もう少しで理想の世界が手に入るのに!!』
炎剣を消し、片手で首元を、片手で腕を掴みその体を投げ飛ばす。サーバルは空中で体制を整え、床を削って勢いを弱めていく。そこに炎剣を叩き込むと、サーバルは対応できずに直撃した。
ここまでしても。
そこまでやっても。
サーバルは決して攻撃しない。
──どうしてだ。
『僕はもう戻れないんです。この戦いに勝つしかないんですよ……』
至上の結末を望んだ。
極限の幸せを望んだ。
そのためにはこの世界を地獄に変えようとも思っていた。
なのに。
なのに!!
『負けたらもう、何も残らないんです……。この気持ちを失ってしまえばセルリアンを掌握できない……。沢山のフレンズさんを傷つけて、沢山のヒトを陥れて! 僕にはもう! 帰る場所なんて……居ていい場所なんて無いんですよ!!』
もう、自分の居場所はない。
当たり前だ。自分から捨てたのだから。
少しずつ引き返せる要素をなくし、決意を固めていく。
罪を重ね、己の進む道を狭めていく。
そうやって出来上がった怪物に、もう帰る場所はないはずだ。
怨嗟と憎悪を向けられても、ただ世界を回すだけの歯車になれるはずだ。
でも。
なのに。
「…………帰る場所ならあるよ」
『どこに! この腐った世界のどこにあるっていうんですか!!』
「ここにあるもん! わたしの隣に、ちゃんとあるもん!!」
『っ!? な、にを……そんな、
確かに、とある場所を守るフレンズはいた。
ここまで外道に堕ちた自分をどこかで信じ続けているのか、ハリボテのような場所を守り続けるフレンズはいた。それに付き合い、背中を預けたフレンズもいた。
しかし、これはそんな話ではない。
そんな簡単な話ではないのだ。
聞きたくない。
言われたくない。
だが。
「戯言なんかじゃない! ずっとずっと! だって……だって!!」
目の前の顔はくしゃくしゃだった。
今にも泣き出しそうな顔で、怒りとも、悲しみとも取れるその顔で。
まるで、子を叱る親のような──。
当然だが、かばんに親はいない。ミライが一番近いかもしれないが、それでも彼女を親と形容するには遠すぎる。
しかし。
もし、誰かが親の代わりを出来るとしたら。
もし、悪さをする子どもを叱る、そんなことをかばんに出来る誰かがいるとしたら。
きっとそれは、一人しかいないだろう。
怒るのではなく叱る。自分のためではなく、相手のために感情をぶつけられる。
それが出来る存在を、かばんは知っていた。
だから。
彼女は叫ぶ。孤高の王を気取る、そんなバカな真似をするかばんに。
「きみの隣がわたしの縄張りで、わたしの隣がきみの縄張りなんだから!!」
その言葉が。
その想いが。
確かに、かばんの何かを揺るがした。
『……っ、ぁぁ、…………』
32
自分がやらなければならないと思っていた。
話し合いの段階はもう過ぎており、穏便なやり方では手遅れだった。
そう、諦めたのだ。
対話の道を捨て、力で支配することを選んだ。
支配者としては三流で、王としては失格だ。
だが。
それでも。
失いたくなかったのだ。
どれだけ自分を否定されようが、どれだけこのやり方を咎められようが。
あの子だけは守りたかった。
平和な世界を維持したかった。
色欲なのだろう。
あんなに、彼女が、あの世界が魅力的に見えるのは。
強欲なのだろう。
何一つ失うことなく、みんなが笑いあえる世界を望むのは。
暴食なのだろう。
かつての人間と同じ様に、人間の全てを食い尽くそうと思うのは。
嫉妬なのだろう。
その叡智と力で、安定した
憤怒なのだろう。
自分の全てを奪おうとするヒトを、こんなにも許せないのは。
怠惰なのだろう。
話し合うことを放棄し、自身の在り方から外れるのは。
傲慢なのだろう。
自分だけで、この世界を回そうと考えるのは。
全部、これはあの日々のため。
喜びを共有し、悲しみを分かち合い、時には些細なことで喧嘩して。
それでも最後は笑って終わる、あの幸せのため。
きっと、彼女は認めはしないだろう。
だけど、彼女は自分を責めないだろう。
心優しい、彼女のことだから。
あぁ、だけど。
ごめんなさい。
キミはキミのままで。
ボクはボクのままで。
ずっとそのままだと、約束したというのに。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
……これ以上、立ち上がらないでほしかった。
……これ以上、立ち塞がらないでほしかった。
嫌だった。
傷つけるのも、傷つく姿を見るのも。
他の誰でもない、彼女だけは。絶対に。
そう、だから。
だから──。
33
かばんの動きが止まった。
攻撃を仕掛けることなく、ただ静かに俯いている。
そして。
『ねぇ、サーバルちゃん……ボクがどうしてこんなことしてるか分かる?』
ポツリと溢れた言葉は、何処か暖かかった。
『フレンズの皆を裏切って……ヒトを敵に回して……キミに、酷いことまで言って…………ボクが何でこんなことしてると思う?』
かばんは、まるで自分を守るように自身の肩を抱く。
黒く染まった鞄から、無数の触手が襲いかかってきた。
『それはね……全部キミのためなんだよ……っ! サーバルちゃん!!』
サーバルは避けなかった。
避ける必要がなかった。
当たる寸前に、害を加えることを嫌がるように逸れたのだ。
また一歩、前に進む。
『キミが大切だから……失いたくないから……』
か細くなっても、その声は聞こえている。
今までは聞こえなかった、あの声がちゃんと聞こえている。
『嫌なんだ……。キミがいなくなるなんて……あの場所が奪われるなんて嫌なんだよ!』
炎が揺らめく。
地面を走り、やがてサーバルの足元まで接近した。
炎は、出なかった。
『ボクが王になって、サーバルちゃんも、他のフレンズさんも前みたいな日々を過ごせるように頑張るから! 誰に何を言われても、キミとキミの
声を張り上げて、でも震えていて、傷つけようとするかばんの武器は自らその標準を外していく。
……彼女の頬を、光る何かが伝うのが見えた。
『だから……お願いだから……っ!』
かばんはこちらに両手の手のひらを向ける。
まるで、そこに来ることを拒むように。
少女は、叫ぶ。
『ボクに勝たせてよぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!』
かばんが凝縮されたサンドスター・ロウを放つ。あの黒い閃光よりも禍々しく見えるそれはセルリアン化させるものではない。黒サーバルが使ったものと同一の、サンドスターの分解に重きを置いた単純な一撃だ。それが、全身から力を奪っていく。
気付くためのヒントは幾らでもあった。
かばんは決して、自分を率先して傷つけようとはしなかった。今までの攻撃だって、まともに受けたはずなのに致命傷にはなりえないものばかりだった。
彼女は諦めろとしか言わず、立ち向かう自分を直接命の危機に晒すような真似はしなかったのだ。
そして何より、ここまで来れたことが最大の証明だ。
彼女がその気になっていれば、それこそ、最初に黒サーバルと対峙した時点で終わっていただろうから。
心の何処かで、ホッとする自分がいる。
かばんは確かに変わってしまった。ヒトに対し、深い憎悪と嫌厭の感情を向けるようになってしまった。
その結果、パークだけでなく世界全てを絶望に陥れた。今も自分の知らないところで、その残忍さを発揮しているかもしれない。
でも、だけど。
自分が信じたかばんは、最後まで消えていなかったのだ。
それが変わっていないのなら。
まだ救いがあるのなら──。
「諦めないよ……。せかいのために誰かが嫌われるなんて間違ってる。わたしはかばんちゃんみたいに賢くないから、難しいことはよく分からないけど……でも! わたしのためにかばんちゃんが嫌われる必要はないんだよ! それだけは間違ってるって分かるもん!!」
進めない。サンドスターは分解され続け、限界はとうの昔に訪れている。この膨大な暴力の奔流を突っ切れるほどの力は、もう残っていない。
……それがどうした。
手を伸ばせば届くのだ。
声をかければ届くのだ。
なら諦める必要が何処にある。
たった一度だけでいい。最後に体が動けばいい。
膝を曲げ、姿勢を低くする。
かばんはこちらから目を逸らさなかった。辛そうに、胸が張り裂けそうなその顔には少女に似つかわしくない涙が溢れている。
大切な親友を、これ以上悲しませる訳にはいかない。
だから。
だから。
だから!!
(お願い! 動いて!!)
サーバルは全身をバネのように使い、思いっきり床を蹴る。
前方ではなく上方。
つまりは跳躍。
最初に会った時、何もかも分からなかった彼女にしたことをもう一度。逃がさないように、捕まえるために、サーバルは高く高く跳び上がる。
自分の大技を抜けられたことをかばんは瞬時に理解した。自分を助けると豪語した少女が、自分の元へ高く高く跳んでいる。
『──ッ!!!!』
即座にサンドスター・ロウの放出をやめ、腰にある物へ手を伸ばす。
拳銃。
少ない動作で他者の命を簡単に屠ることが出来る物。
叡智と欲望の果てに生まれたヒトの業。
でも、サーバルはその目で確かに見た。
本当に僅かな時間だったけど、瞬きすれば見逃してしまうほどちょっとの間だったけど。
拳銃に伸ばされたかばんの右手が、ほんの一瞬だけ止まったのだ。
しかしそれも束の間、その銃口はこちらに向いている。
まだ間に合う。
もう失わせない。
ありったけの力を込めて、その
「かばんちゃん!!!!」
親友の名前を叫ぶ。
彼女の想いが届く。
その声を聞いたかばんの肩が小さく跳ねた。その指は震え、引き金を引くほどの力が入らない。
やがて、その指はそっと離れていき──。
まるで、抱くように両手を広げる彼女を見ながら、かばんは優しく笑っていた。
全てのセルリアンを手中に収められても、フレンズの技を使っても、ヒトの業を手に入れても……それだけには勝てなかった。
(あぁ──)
確実に、かばんの全身から力が抜けていく。
着実に、自分の中から戦意が失われていく。
大好きな親友が自分との距離を縮めていくのを感じなから、かばんはそれを噛み締めていた。
暖かくて、愛おしい、彼女のその優しさを。
(やっぱり、サーバルちゃんには敵わないや……)
抱きしめるように押し倒す。邪悪な決意は零れ落ち、かばんの姿が元に戻り始めた。
黒かった肌は白く。
白かった髪は黒く。
業火のような紅い瞳は、優しい海のような青色に。
そして。
自分の肩で啜り泣く彼女を、サーバルは優しく包み込んだ。
今まで、かばんが涙を見せたことは少なかった。記憶にあるのは、ボスがいなくなったと思っていた、あの時だけ。悲しくても、寂しくても、辛くても、心が痛くても、それ以外では決して泣くことはなかったのだ。
そんな強い少女は──強いふりをしていた少女は──生まれて初めて、誰かを失うという悲しさではないその雫を、
ずっと我慢していたものを吐き出すように、かばんの口から独白が続いていた。
「虫がいいのは分かってる……。でも、嫌だよ……いなくなっちゃ嫌だよ、サーバルちゃん……。何処にも行かないで……一人に、しないで…………」
「わたしは何処にも行かないよ。ずっとずっとついてくって、あの時言ったじゃない。だから、もうひとりで抱え込まなくていいんだよ。かばんちゃんは頑張り屋だけど、頑張り過ぎちゃうから、偶には休まないとダメなんだよ……?」
「ありがとう……」
彼女は腕の中でもう一度、確かめるように抱きしめ返す。
その顔には、幸せそうな微笑みが浮かんでいた。
「本当に、ありがとう……サーバルちゃん…………」
34
その時。
全世界を脅かしていたセルリアンにある命令が下された。
下された命令は、たった一文。
──自壊せよ。
35
世界中であらゆるセルリアンがその動きを止めた。
その軍勢は、形を保つことを放棄し、次々とその姿を消していく。
……こうして、かばんとの戦いは終わったのだ。
36
サーバルは背中と頭を撫でながら少女が泣き止むのをずっと待っていた。
泣く声は止んでいき、少女は頭を上げてサーバルの顔を見る。
かばんのその目は、少し腫れていたけれど。
それでも、それは清々しく、憑き物が取れたような表情だったのだ。
先に立ち上がると、サーバルは優しく微笑んでその手を差し出す。
「帰ろ、かばんちゃん」
「うん」
対して、かばんも笑顔を返す。サーバルの手を取ろうとかばんも手を伸ばす──。
……その時。
世界のどこかに眠るその場所で嘲笑う者がいた。
『……これで、終わりだと思ったか?』
ドクンッッ!! とかばんの心臓が跳ねる。
突如としてかばんの様子は一変し、その両手で胸の中心を握りしめるように抑えると、声を掠らせながら苦しみ始めた。
「か、かばんちゃん!?」
「……ぁ、こ、れ……まさ、か………ょ、─ぅ……っ!」
何を言っているかは断片的で理解できない。でも、かばんは何かを察しているようだった。
とにかくどうにかしなければと、サーバルはかばんに近づいていく。
「っ!? ダメ! サーバルちゃん!!」
「みゃ!?」
それに気づいたかばんに必死の力で突き飛ばされ、二、三メートルほどの地点に転がる。
かばんの方を見て、絶句した。
かばんを、黒い何かが包んでいる。
(違う……)
いや、正確には包んでいるのではない。
溢れているのだ。
黒く、禍々しいそれ。
あれは、確かに──。
(サンドスター・ロウ……!?)
かばんが顔を顰めながらこちらを見ていた。顔色は悪いなんてものじゃない。体を丸め、何かを抑え込んでいるように見える。
「かばんちゃ──、」
「に、げて……」
絞り出したような声は、やがて咆哮のような叫びに変わる。
「逃げて!! サーバルちゃん!! 絶対にアレと戦っちゃ……っ!!」
言い終えるよりも早く。
かばんが限界を迎えた。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
体を仰け反らせ、絶叫する。
サンドスター・ロウがかばんの体内から外へ、放出するように吹き荒れる。
それは嵐というよりも竜巻。
黒い渦が、かばんの姿をかき消していく。
やがて、それも静まり。
その姿が見えた。
『……この時が来るのを待っていた』
口を開く。
その音は重なっている。
一つはかばんのものだと認識できたが、もう一つは全く知らない声色だ。
『
再びその髪は真っ白に。
再びその肌は真っ黒に。
セルリアン化したかばんに、その姿はよく似ているように見える。
だが。
知らない。
そんなもの、見たことがない。
頭部を囲うように、それは生えている。
虹色の触覚のような角が、確かに六本生えている。
やがて、その周囲に結晶のような石が浮かび上がってきた。
数は七つ。
それは、深淵よりもさらに深く。
それは、とある最果てで見た暗黒を思わせる。
浮遊し続け、落ちることはなく。
輝き続け、霞むこともない。
見るだけで不快感を招き、その一つ一つから感情すら感じられる。
『それ』は笑っていた。
くつくつと、歓喜に震えていた。
『あぁようやく、ようやくだ』
「あなたは、いったい……」
『そうだな、改めて名乗るとしよう』
やっとの思いで絞り出した声に、かばんではない何かがこちらへ向く。
ゆっくりと開かれたその目は。その瞳は。
──極彩色に燃えていた。
『
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