第二章
壊滅都市 ~港街~ 前編
1
旅立ちから数時間後。横にあった太陽は既に真ん中を通り、少しずつだが傾いている。そして、不意にフェネックから声が上がった。
「昨日出した計算だとそろそろのはずだよー。ほら、目の前に陸が見、え……」
陸が見えてきたよー、と言いたかったのかもしれない。だが、目の前の光景にフェネックだけではなく、全員が目を見開いて絶句する。
ヒトのちほーだと思われる陸の上空には厚い灰色の雲が覆っており、まだ昼間であるにも関わらず地上は暗く不気味だった。
だが、それは天候が悪いで済む話だ。問題はこの先だった。
ヒトは、どの動物よりも賢い動物のはずだ。
ヒトの文明は、どの動物よりも存続できるように積み重ねてきているはずだ。
そして、以前ボスは言っていたのだ。研究所を見つける前に、はっきりと。
『ドウヤラココハ、最モ栄エテイル港街ミタイダヨ。コノ先ニ大キナ街ガアルミタイダカラ、モシカシタラソコニ何カフレンズニ関スル資料ガ見ツカルカモシレナイネ』
事実、それは前回サーバルたちがその身をもって思い知っている。だから、自分たちが見る光景はヒトとセルリアンが戦っている風景であるはずなのだ。
「遅かった、ということですか……」
ボソリと、博士が呟いた。
博士を一瞥して、また視線を眼前のそれに移す。
周りを見渡しても、そこに人影なんてない。
空高く伸びていた石で出来た高層ビルは、見るからに中央から折れており、所々に文明の代表的な産物である機械がバラバラになって散乱している。
地上には瓦礫しか無く、見えるだけで複数体のセルリアンが我が物顔で歩きまわっている。その大きさはパークに大量に発生した黒セルリアンとは比べ物にならないほど大きく、その全長は高層ビルと同程度まで巨大化している。
戦いの象徴である火が今もあちらこちらで燃えている。つまり、ここで起きた戦いは既に終わったのだ。
「不味いかもしれないな……。もしかしたら、いや、もしかしなくても、か」
腕を組んだままのヘラジカの顔に影が落ちる。
ツチノコが続けて口を開く。
「アイツの、かばんの戦力を侮っていた。まさか、こんなに早く……」
それは、皮肉にもかつてミライがこぼした一言と一致した。
そして博士はこうまとめたのだ。
「かばんは……限られた数のセルリアンと僅かな時間だけで、ヒトのちほーを制圧したというのですか…………」
一日。フレンズが総動員して準備しても最低限の用意しか出来なかったその僅かな時間で、かばんはこのヒトの縄張りを制圧した。
ヒトは、敗北したのだ。
しかし弱音など吐いてる場合ではない。もしかしたら他のヒトの縄張りはまだ大丈夫かもしれない。
時間が無い。その場にいた全員がそれだけは理解していた。
バスを近づけ、機能を本来のものに戻す。
フレンズたちはようやくその足を硬い地面の上に付けた。
「くんくん……ダメなのだ。焦げ臭い匂いでかばんさんの匂いどころか他の匂いも分からないのだー!」
「だってさー。匂いで追うことは出来ないみたいだねー」
「そんな……」
ヒトの住むちほーは広大だ。複雑で、未知の世界が広がっている。地図もないこの状況で、しかも巨大な黒セルリアンが徘徊する中を闇雲に動くのは危険だろう。
分かっている。分かっているのだ。
でも──。
「……わたし、この先見てくるよ! 博士たちはここで待ってて!!」
「待つのですサーバル!!」
六人に背を向け、サーバルは走り出す。
後ろで静止する声が聞こえた。
だけど、もう立ち止まってなどいられないのだ。
一歩でも先へ。一秒でも近くへ──。
瓦礫をかわし、セルリアンの視線を避け、火から遠ざかりながらも壊滅した都市を進んでいく。
景色はまるで同じ絵を動かしているかのように変化はなく、その耳には自分の荒くなった呼吸と足音しか入ってこない。
「はぁ……! はぁ……!」
元々、サーバルキャットの持久力は高くない。自分の生息域であるサバンナでも体力の消耗は激しいのだ。だから、身体はすぐに限界が訪れる。やがて走る速度は落ち、とうとう歩き始めてしまった。
『オオオオオオォォォォーーーーーー!!』
耳をもぐような咆哮が上がった。
向きは左方。
振り向けば、先程も見た超巨大セルリアンがこちらを見下ろしている。
改めて見ると、その大きさはでかいなどというレベルではなかった。
足は巨木のように太く、黒い胴体もその禍々しさが増している。一歩前に出るだけで、地面は揺れ、気を抜けば体が宙に浮く。
次の声が聞こえたのは更に左方。つまり、サーバルが来た方向と同一だった。
「サーバル! その場でジャンプするのです!!」
自分が住む島の長の声が響いて、届く。サーバルは言葉通り持ち前の身体能力を活かし大きく跳躍した。
「拾えるですねアライグマ!」
「アライさんに──」
遠くから猛スピードでバスが走ってきている。目の前には振り上げられたセルリアンの足が見える。
食べられる──。直感でそう感じた。だが、次の叫び声とともにその結末は否定される。
「お任せなのだーーーーーーーー!!!!」
運転席のアライグマが高らかに宣言すると、バスの側面辺りにサーバルが落下してくる。それをヘラジカとライオンが掴み取り、スピードを緩めぬままバスはセルリアンの前を通過した。
ドンッッ!! と大地が揺れる。バスはその衝撃で上空へ浮くが、横転すること無く体勢を整え寂れた街を爆走する。
少し離れた所の物陰でバスを停め、アライグマはまるで溶けるように脱力した。
助手席のフェネックが彼女を労っている。
「サーバル、先走る気持ちは分かりますがこの状況で一人で先に進むのは賢くないのですよ。もっと周りを見るのです」
「ごめん……」
また叱られた。今まで自分は叱られてばかりな気がする。
だが、サーバルの選択はあながち間違いでもなかった。
「周囲の把握が終わった。向こうに一人だけいるぜ」
「──まぁ、お前の行動のおかげで先に進むことは出来たのです。それは感謝しているですよ。あまり褒められたものではありませんが」
ツチノコ。彼女はピット器官を用いることで赤外線を見ることが出来る。
アライグマはバスの運転、フェネックは助手席でサポート、博士は指示を出し、ヘラジカとライオンはサーバルを受け止める。そうなると自然とツチノコだけが手持ち無沙汰になる。博士はその間ツチノコに周囲にいるヒトを探せと命令していたのだ。
慎重になりすぎて足踏みをしていても何も変わらない。結果論であれど、サーバルの行動は先に進む第一歩となった。
「では私とツチノコ、サーバルで話を聞きに行くのです。お前たちはその間バスで待っているのですよ」
「分かった。護衛は任せろ」
「何かあったら言いなよ。すぐ飛んでいくから」
「えぇ、では行ってくるのです」
ツチノコを先頭に、サーバル、博士の順で瓦礫の影に身を隠しながら進む。常時ツチノコがピット器官で警戒に当たっているが、万が一ということのために気を抜く訳にはいかない。
既に崩壊した幾つかのビルの先で、ツチノコが足を止めた。
「この中だ。一人だけうずくまるようにじっとしているヤツがいる」
「……サーバル、ツチノコ。ここから先は私が指示をするまで先に進まないでほしいのです。いいですか?」
その言葉に、二人は静かに頷いた。
ビルの中に入る時は順番を変え、博士、ツチノコ、サーバルの順番で中に入っていく。
中はとても住む場所とは言えない有様だった。家具は横転し、ガラスは砕け散り、床の全てを瓦礫が覆っている。
そして、その右奥。白く大きな箱が横倒しになり、壁とその箱の間に妙な空間ができている。
サーバルの耳は、そこから呼吸の音を聞き取った。
荒く、震え、押し殺すように呼吸している。誰が見ても精神が不安定な状態であると判断出来た。
博士が先陣を切って奥に進む。サーバルとツチノコもそれに続いた。
「……誰か、いるのですか」
分かりきった質問だ。だがその上で問いかけているのだ。相手が話し合えるかどうかを確かめるために。
ガタッ! と家具が揺れる。どうやら肩をビクつかせたらしい。
その直後だった。
「く、来るな! その声は女の子だろ……? もう騙されるか……何も出来ないような見た目した化物が!!」
自分たちよりも太い声で、少し掠れている。博士曰く、フレンズにはないオスと呼ばれるモノで、フレンズ化していない動物が持つものらしい。その声は震えており、怯えてるように見えた。
「だ、大丈夫だよ。わたしたち、あなたに何もしないから「嘘だ!!」 ……っ」
落ち着かせようとしたら激昂された。その大声が耳を劈き、サーバルは思わず身をすくめる。
男は続けて言った。
「あの黒い化物もお前たちが連れてきたんだろ! 全部……全部壊しやがって……!!」
「……分かりました。我々はこれ以上近付かないのです。だからその代わりに知っていることを教えてほしいのです」
対して博士は冷静で、眼差しも怯えているようには見えず、その口調から苛立っているようにも思えない。
「……信用できるか」
暗く、一言だけ吐き捨てた。それに対しツチノコが一歩前に出る。
「ま、無理もないだろうな。だが状況を考えてみろ。もし仮にオレたちがオマエの言う化物の仲間だったとして、話を聞く理由は何だ?」
「必要以上に知っていれば口封じとか……」
「それなら話なんて聞かずに問答無用で襲えばいいだろ。わざわざ話を聞くなんて時間の無駄だ」
「それは……」
口封じなんてことをするなら、話す前に存在を確認できればすぐに始末するだろう。油断なんてさせる必要はない。それは、街を壊滅させたセルリアンがその強さを物語っている。
「じゃあ……お前らは何なんだ。"あいつ"の仲間じゃないのか」
「お前の言う"あいつ"を我々は知らないのです。外見の特徴はどうだったのですか?」
「……体格は普通の女の子だった。赤いTシャツに短パンを履いていて……あいつはずっと笑っていた……。攻撃するときも、攻撃されるときもな」
かばんだ。きっと攻め込む時も、壊滅させた時も、変わらずあの不気味な笑みを浮かべていたのだろう。
「……我々はその人物を追っているのです。どっちに行ったのですか?」
「ここをずっと奥に進んでいきやがった……。でも追わないほうがいい。その感じじゃあいつとまだ戦ってないんだろ……? なら早く逃げたほうがいい。あれは──」
ゴオォッ!! という轟音とともに、頭上から物が消えた。暗かった室内は外の僅かな光で少し明るくなっている。上を見上げれば、先程見かけた黒セルリアンより小さく、ビルの半分程度しかない黒セルリアンが、感情のない無機質な目を向けていた。
「ひ、ひぃぃぃ!!??」
恐怖で男が後退する。こちらなどもう気にする余裕も無いようで、その姿を自分たちに晒す。髪は短くボサボサで、着ている服もボロボロだ。何か武器を持っているようにも見えない。
目は見開き、口をパクパクさせながら、ただセルリアンに怯えている。
「何故こんなに近くにセルリアンが……」
「ツチノコ!」
「オレにだって分かんねぇよ! 今までずっと見張ってたんだ……セルリアンの気配なんてどこにもなかった! 何でこんな近くに……」
「まさか……いや、そんな……」
その結論を拒みたい。抵抗するが、その結論にしか行き着かない。
元々セルリアンが近くにはおらず、音に近付いてきた? それはない。あの巨体だ。どう考えても足音が絶対にする。だが聴力に長けたサーバルと博士は足音を聞かなかった。
突然その場でセルリアンが生まれた? それもない。そうなればツチノコがすぐに気付くはずだ。
だから、消去法でその答えが導き出される。
「あのセルリアン……オレのピット器官に引っかからないっていうのか……!」
つまり、セルリアンは建物のすぐそばでじっとしていたのだ。物陰に隠れ、サーバルが来た時も、会話している時も壁を挟んだすぐ隣にいた。じっとしているだけで、そこにいたのだ。
絶体絶命。サーバルはこの状況をどう打開するか、どうすればあのヒトを助けた上で逃げられるかを必死で考える。
その時だった。
『……ザッ───……ザザ……──ザザザ』
三人が持っている全ての無線機からノイズが入る。離れれば繋がりにくくなり、無線機の音声にノイズが入るのは聞いていた。アライグマたちまで少し距離があるものの、それでも無線機の通信範囲には随分余裕がある。この無線機は同一の機種でなければ繋がらず、同時に複数の機器に接続することが出来ない。
だからこの現象はあり得ない。
無線機の数は全部で五つ。複数で接続できない以上起こり得ても二つしか繋がらない。
だが、今はその全てにノイズが入っている。つまり、干渉しているのはアライグマたちではなく外部ということだ。
『ザ──……あー、あー。聞こえますかー? ちゃんと繋がってますー?』
声が、入った。
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