壊滅都市 ~港街~ 中編
2
声が入った。
中性的で、敬語を使う、どこか幼さが残る声。
サーバルの、一番の友だちだった少女の声。
「かばんちゃん!?」
『……その声はサーバルさんですか。ということはちゃんと繋がってますね。いやぁ割とダメ元だったんですけど、案外上手くいくものですね』
変わらない。宣戦布告した時と何も変わらない、抑揚はあっても感情がなさそうなあの冷淡な声。
「……我々のことは全てお見通しということですか」
『んー、そうですね。文字通り見通してますよ』
「???」
その言葉の意味を掴み損ねた。だが、即座にその意味を理解する。
慌てるように博士は頭上を見上げる。
そして、ポツリと呟いた。
「まさか……お前はそこまで出来るのですか……」
無線機を持つ手が震えている。視線の向こう側、そこにはまだあの巨大なセルリアンがおり、こちらに目を向けていた。
目を、向けていたのだ。
『お察しの通りですよ』
「テメェ!!」
振り向けば先程の男がセルリアンから目を逸らし、博士を、正確には博士が持つ無線機を睨みつけている。
ギリギリと歯を食いしばり、恐怖で腰が抜けているのかそのままの姿勢で再び激昂する。
「俺たちが何したってんだ! 世界のシステムをリセットするだのなんだのふざけたことばっか言いやがって! いい加減に『黙りなさい』
その冷酷な一言と同時に、視界に影が落ちた。
見れば先程の黒セルリアンがその足を振り上げている。
まだ間に合う。
まだ助けられる。
黒セルリアンの動きは鈍いから、すぐ抱えて跳べば届く。
時間があれば、そうサーバルは考えていたのかもしれない。だがそんなことを悠長に考えている暇も無く、身体は勝手に動いていた。
ガッ! と視界が揺らぐ。
前に進んでいない。
左腕に違和感がある。
慌てたようにサーバルは後ろを振り向いた。
「…………、」
そこには、まるで苦虫を噛み潰したかのように顔を歪める博士の姿があった。
遅れて、ズシャァ! という不愉快な音が届く。
視線を前に戻すと、そこにはただ黒く染まった景色が広がっていた。
「え……ぁ…………」
『まったく、大人しくしていれば見逃そうかなとも考えてたんですけど……やっぱりヒトはダメですね。感情に振り回されて冷静な判断が出来ないとは。最も知能の高い動物なんて聞いて呆れます』
目の前のそれ。黒く染まっているのではなく、黒く大きいモノが目の前にあるだけだ。
それがあるのは何度瞬きしても目と鼻の先で。
その大きさは先程の白い大きな箱を余裕で飲み込むほどで。
そして、それは先程のヒトがセルリアンに食べられたことを意味していた。
「ぅ……っ……」
助けられたのに──。
「どうして止めたの! 助けられたのに! 博士が止めなければ間に合ったのに!!」
いくら後悔しても時間は巻き戻らない。そんなこと、つい昨日思い知ったばかりなのに。
「いや、今のは博士の判断が正しい……」
静かに、ツチノコは否定した。その声色には悔しさが含まれていたが、サーバルの気持ちはそれだけでは収まらない。
ツチノコはこの状況でも冷静を装っている。
「あれは間に合わなかった。もし博士が何もしなければ、オマエはあのままヒトと一緒にセルリアンに食われていたぞ」
「でも──」
「忘れたのですかサーバル。何故ここまで来たのかを……。お前は、お前が決めたその覚悟を、自分の手で諦めるのですか!」
「だけど……」
ツチノコも、博士も、きっと自分でも嫌なことを言っているのだと自覚しているのだろう。
どちらの選択も正しいとは言えない。
サーバルは助かったが、その選択は目の前の完全な被害者を見殺しにしたことに変わりはない。
誰も声を発さない。
三人の拳は震えていた。
だが、それだけでは終わらない。
『オオオオオオォォォォーーーーーー!!!!』
咆哮。
この短い期間で、どれだけこの咆哮を聞いたのだろうか。黒セルリアンは空を見上げ、その肉体は膨張と縮小を繰り返している。
「と、取り敢えず撤退するのです!」
「分かった!」
「……っ!」
サーバルたちは急いで距離を取る。もはや原型をとどめていないビルの残骸から出たのと、正面にバスが停まったのはほぼ同時だった。
「皆無事か!」
こちらを案じるヘラジカは、運転席に身を乗り出している。アライグマは何か文句を言っているようだが、今は構っている暇はない。三人を乗せたバスは、すぐさま方向を変えて黒セルリアンから離れていく。
「何があったの? 急にむせんきからかばんの声がするし……」
「……あまり詳しくは聞かないでほしいのですが、ヒトがセルリアンに食われたのです」
「…………、」
サーバルはどこか納得していないように見えるが、どうやら落ち込んでいるわけでないようだ。
「何だよ、あれ…………」
ツチノコから、そんな声が聞こえた。その目は先程の黒セルリアンに向けられている。
そこに映り込む光景に、誰もが言葉を失った。
『オオオオオオオオオオオオォォォォーーーーーー!!!!』
黒セルリアンは咆哮する。まるで天に何かを捧げるかのように、その目は空を見続けている。
唐突に、その視線は地面へ降ろされた。胴体を曲げ、そこで動きは停止する。
ピキピキと、陶器がひび割れるような音がした。
ミシミシと、木が軋むような音がした。
そして、その直後。
黒セルリアンの胴体、その底面から、白い何かが浮かび上がるように出現する。
それは、黒セルリアンの胴体を超えるほど大きくて。
それは、元々ある足以外に四本の四肢が存在していて。
それは少女の身体を模しているようだった。呑み込んだのは男だったが、ヒトであれば姿は固定されるらしい。
目がある頭部も形を変える。癖っ毛があるその髪は短く、どこかで見覚えのある造形に変わっていく。
新しく生えた白く細い両足でゆっくりと立ち上がる。以前に使っていた足は、黒く長い触手に変貌する。
黒い胴体は背負う形で背中に収まっていく。本来なら上面にあった石は内部に沈んでいき、やがて見えなくなった。
パカッと、黒い一つ目の下、そこが横に裂けた。まるで、大きな口を開けるかのように。
大きさは高層ビルを超えるけど、その姿には見覚えがあって。
色は白と黒しか無いけど、その造形には懐かしさがあって。
背中にある物は黒くて、触手が付いていて、尻尾も残っているけど、それは彼女が背負っていた物に見えて……。
世界はどこまでも残酷であるらしい。
だってその姿は──、
「かばん、ちゃん……」
歪んでいても、色彩を失っても、その姿はかばんを模していた。
『それがヒトの輝きを食べることで行き着いた進化の形です。どうですか? あぁ、形については気にしないでください。僕の形がヒトの象徴である以上、どうしても似ちゃうんですよ』
もし本人がいたのなら、彼女は笑っていたのだろうか。あれを見ても恐怖なんて感じず、不快感なんて無いと言った調子で。
いや、笑っていたのだろう。新しいおもちゃを見て興奮する子どものように、彼女は笑ってその光景を眺めただろう。
だって、現に彼女の声は笑っているのだから。
これが、いつも自分の隣にいたかばんが望んだ世界だというのだろうか──。
『なるほど、バスを改造したんですか。確かにそれなら空も地上も移動できますし、便利ですね。勉強になるなぁ……。ヘリなんて「再現」させないで僕もそっちにすれば良かったかな?』
感慨深い、と表現するのだろう。そこに嫌味なんて無く、純粋に感心しているように聞こえた。
ヒトを食べた、超巨大セルリアン。その衝撃から誰も立ち直っていない。
無線機は変わらず、少女の声を紡いでいた。
『さて、ここに来た、ということは僕を追ってきたんですよね。いいですよ、その努力を讃えて居場所を教えてあげます。そこからもう少し先に進んだ所に、中くらいのセルリアンがいます。その子に案内させますので倒さないでくださいね』
その言葉を最後に、ノイズを挟みながら通信が終わる。
かばんの言葉通り、待っていたかのようにサーバルの胸辺りの大きさのセルリアンが待機していた。こちらの姿を確認すると、背中を向け、跳ねるように移動していく。
「……信用していいのか?」
「他に手掛かりがないのです。一先ず後を追いますが、気は抜かないでほしいのです」
「アライさーん、危険だと感じたらすぐ逃げるよー?」
「分かったのだ。アライさんを信じるのだ!」
3
朽ちた街を進んでいく。
セルリアンは時々こちらを振り返りながらも、道案内を続けている。どうやらちゃんとついてきているか確かめているようだ。
「どうですかツチノコ」
「いや、ざっと見渡しても周囲にはあのセルリアン以外の反応はない。だがオレのピット器官でも引っかからないセルリアンのことを考えると安全とはいい難いな」
安全の確認は怠らない。先程のセルリアンの存在を知ってしまえば付け焼き刃のようなものだが、それでもしないわけにはいかないのだ。
ツチノコのピット器官と、博士とサーバルの聴覚。フェネックも耳は良いが、今はアライグマの運転のサポートに徹してもらったほうが良いと博士が判断した。
しばらくすると、景色が変わってきた。依然として建物は崩壊しているが、状態で言えば壊れた直後の印象を受けるようになってきた。
上空を飛行する黒セルリアンの姿が見える。こちらを気にしていないのか、それはどこかへ飛び去っていく。
変わったのは景色だけではない。先程までは聞こえなかった音がサーバルたちの耳に届いた。
「ぃゃぁ……ぁぁ──……──!!」
厳密に言えば声だ。喚くようなその声は幾つも重なり、聞きたくもない重音が響いている。
悲鳴。その声を即座にそう判断した。
「見えたぞ。そのまま正面……誰かが二人、並んでるな」
頷きはしたものの、誰もが声を発さなかった。この状況で、謀ったかのように正面にいる二人組なんて、サーバルたちが思い当たるのは一つだけだ。
やがて、その姿が見えてきた。
片や毛皮も、髪も、肌に至るまで色彩を失い、造形だけで言えばサーバルと瓜二つのセルリアン。
片や背中に大きなバッグを背負い、赤いシャツと短パンを身に着けた、この異変の元凶でもあるヒトのフレンズ。
かばんと黒サーバルは、こちらに背を向けて奥の街を眺めていた。
「来たよ かばんちゃん」
最初に気づいたのは黒サーバルだった。かばんに耳打ちすると、ゆっくりと少女は振り向く。
「ごきげんよう、フレンズの皆さん。いやはや、まさかこんな短時間で追いつかれるとは思っていませんでしたよ。僕の計算だと数週間はかかると思ってたんですが……丸一日セルリアンの活動を停止したのが悪かったですかね?」
きっと、彼女はその問いに答えることに関しては期待していないのだろう。
だって、出会えば問いが飛んでくると分かっているだろうから。
「かばんちゃん……ヒトもフレンズも巻き込んで、何をするつもりなの?」
「その問いに関しては既に答えたはずです。まぁ、今度は言葉を変えてみましょうか」
向かい合う二人。
一切緊張が抜けないサーバルに、余裕綽々で構えるかばん。
かばんの後ろから、今も悲鳴や助けを求める声が聞こえる。
その笑みは消えない。
「僕はこの世界をリセットします。と言っても、この世界全てを白紙に戻してやり直すなんてことではありません。僕がなりたいのは王であって神ではありませんから」
だから、と一回区切り、
「僕はシステムの方をリセットします。弱肉強食なんて曖昧ではなく、どの動物も等しく生き、等しく死ぬような世界を」
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